第2話

「樋口!おい起きろ!」

 その居眠り生徒を叩き起こすような声に脳を揺らされ、僕は瞼を上げた。

「なんだ寝不足か?もう本番だぞ」

 見慣れた同級生の顔がこちらを覗き込む。いつの間に寝てしまったのか、視界も頭もぼんやりとしている。

「あ、ああ……すまん。ぼーっとしてた」

 折りたたみ椅子からのっそりと立ち上がる。かんかんと照りつける日差しから身を守るように帽子を被り直し、いまだはっきりしない視線で前を見る。

 眼前に広がる河川敷、川は5時の夕焼けを反射して光る。その光景で視界がゆっくりと戻ってきた。

「うん……いい感じだ」

 が来る絵を見つけられれば、眠気覚ましのガムやドリンクは必要ない。僕は足元の雑草を踏み、三脚を立てカメラをセットしている仲間の元へ寄る。

 「急で悪いけど、ちょっとカメラ位置変更するよ。」

 そう言って僕は三脚を抱え上げた。レンズの向く先には2人の男女が台本の紙束を片手に立つ。それを見ながら歩き、ちょうど背景が川になる位置へ移る。ハンドルを回してカメラ位置を上げ、より俯瞰視点をとる。役者はシルエットになって映り、背景に広がる川は橙色、ところどころのうねりが白く光を反射する。

 「よし……本番、行きます!」

 大声を出すことは苦手だが、この時だけは別だ。周囲は皆配置に付き、2人の役者は台本を置いてカメラのフレームの中に。

 今日もまた、僕たちの放課後――映画部の撮影が始まる。

 「各カメラ、準備大丈夫ですか?――OK、始めましょう!シーン12、カット1、テイク1!」

 カメラ担当がファインダーを覗き込み、録画ボタンに手をかける。ピリッとした空気の中、向かい合う役者。

「ロール!用意……アクション!」

 役者の手が、足が、口が動き出す。それをカメラのイメージセンサーが刻み込み、また新たな作品が一つ生まれだす。

 ロケーションも、画角も、役者の演技も申し分ない。間違いない手応えを今日も感じることができた――が。

 「……?」

 その日の僕の視界は結局、何か薄い膜が張られたようなぼやけが取れずにいた。



 「うん……いいじゃないか」

 僕の顔を覗き込んだ時の顔とは打って変わって、彼は満足そうな顔をモニターに向けた。

 「ああ。それに2カメの映像が思ったより使えそうだ」

 左手で抱きかかえるように持ったノートにペンを走らせる。まあ、強いて言うならもっとロングのほうがよかったか、と小さくつぶやくが。

 「監督のお気持ちはわかるが、撮り直しは無理だぞ」

 ウチの部長は、少しの呆れをまた顔に戻してそういった。

 「わかってるよ山口部長。別に、このカットだって十分使える」

 例に漏れず僕は少し下を見ながら肩をすくめる。こいつの組むスケジュールは毎度ながら余裕がないが、とはいえメンバーに無茶な負担を与えるわけでなく、そしてしっかりと締め切りに間に合うようにしていることは僕がよく理解しているので文句はない。それに、僕の好き放題にさせたら色々な意味で悲惨になることも、一応わかっているつもりだ。

 「おっし、今日はここまでだ。皆お疲れ様!撤収しよう!」

 「はい!」

 それに、こいつが保ってるのはスケジュールだけではなく――

 「それで山口……脚本のことだが、やっぱりお前が書いたほうがいいんじゃないか」

 今撮っているこの映画、その脚本を書いたのもまたこの男なのだ。

 「なんだ、まだダメなのか?」

 こいつの書く脚本はシンプルに面白い。それは1年の、部に入りたてのころからそうだった。観客が「面白い」と感じる点を確実に突いて、しかもそれを高校生でも映像化できるレベルの範疇で書き上げる。入部当初から先輩を唸らせる脚本力、そしてコミュニケーション力を買われ、一つ上の先輩の早期引退もあり、プロデューサー的立場の「部長」と「脚本」を担当している。

 そんなこいつが僕に「脚本を書かないか」と言ってきたのは少し前のことだ。

 「まあ別に、俺だってネタ自体はあるからな。書けないと思うなら無理強いはしないが……」

 お前は脚本も上手くやると思うんだがな、と山口はこっちを見上げ言う。

 「いや、まずもって「も」と言われるほど他のことが上手いと思わないんだが……」

 「コンテスト入選に大貢献しておきながら何言ってんだか。それに今回の樋口晃初監督作品、確実にウケるぞ」

 去年、確かに僕たちの作品は全国コンテストで高い評価を受けたし、僕が色々と関与したのは事実だ。しかし最も貢献したのは間違いなくこいつの脚本だったと思うのだが。

 しかも、今撮影している映画は学校祭で流すもの。僕に脚本をさせようとしている次回作が、全国コンテストに出品するものだ。せめて逆にしてほしいものだが。

 「はあ……ま、とりあえず今はこの作品に集中させてくれ」

 「それがいいわな。……にしてもお前、ホントにどうした?」

 我ながらいかにも「怪訝そう」な顔になったと思う。

 「そんなに変か?目が死んでるのは……」

 「いつものこと、なのはわかってるが。それにしたってなんか妙にぼーっとしてんぞ」

 ……確かに、今日一日――いや、もっと前。多分この前レイトショーを見に行ったあの時から、なんとなく感覚が変な気がする。特に撮影の時。今日もいい絵は撮れたと思うが、しかしなんとなく、その手応えが薄かったような。

「ま、ゆっくり休めよ」

 そう言って山口は撤収の手伝いに動き出す。だがその忠告も、今回はちょっと聞けそうもない。

 

「へえ、脚本なあ」

 カウンターに肘をつきながら、館長は感心と驚きが半分半分の声を出した。

 結局、僕はもう一度レイトショーを見に来ることとなった。今夜は逆に早く来すぎたので、お互いの暇をいいことに珈琲まで淹れてお喋りに興じている。

「難しいもんです。ガチガチのSFでもさせてくれるならまだしも、学生レベルで撮れる内容で、コメディや恋愛ものとなると思いつかないというか、部長の書くやつより面白くならない気がして」

「ああ、前にウチで上映したやつか。彼の脚本は確かに面白かったな。」

 少し前、コンテストで入賞した作品をここで上映したことがある。部員の家族だけでなく一般客も数名いたその上映会で、山口の書いた脚本はもっぱら評判だった。あいつの誇らしげな顔は今でも忘れられない。

「……そういえば、今日はあの人、来ないんですかね?」

 新作映画などの話を一通りした後、僕は――そう、満を辞して――その話をした。

「ん?ああ、特に何もなければ来ると思うがな。時間的にもそろそろだと思うが」

「……そんなに常連なんですか?」

「ああ。ウチでレイトショーやる時はほぼ毎日のように来ているよ」

 そんなに、と僕は驚いた。それはよっぽどの映画ファンということに他ならないと思う、が。

「でも、昼間に来てた頃は一度も見かけませんでしたけど」

「ああ、彼女はどういうわけか夜にしか来ないんだ。昼間に顔を見せたことは一度たりとない。あの見た目といい色々不思議な人だが、なにせ向こうが特段話しかけてくる訳でもないから、その理由とかも全くわからん」

 と、いう話はしたような気がするが、と言われた。そういえば前に来た時も言われたかもしれないが、しかし改めて聞くと極端なものだと思う。

「……変わった人なんですね。お名前くらいは知ってるので?」

「そのくらいはな、名前は――」

 その不可思議な人間の名がまさに発せられようとした時。

「……あ」

 ドアの軋みが、その名の主を出迎えた。

 吹き込んだ風に吹かれる黒髪。その一つ一つの間から垣間見える、幼すぎるほどの顔つきと――あの目。

 「おっ、こんばんはサクヤさん」

 サクヤ――そう呼ばれた眼前の少女は、軽く会釈を返してすぐ、財布から取り出した千円札を2枚カウンターに置く。館長は例によって付箋を取り出しペンを走らせる。

 それを追っていた目線がふと逸れ――目が合った。

 前よりも明確にこちらの存在を捉えた目線。真正面からくっきりと見える目。黒目の深さに、今度こそ吸い込まれそうになる。

 「ん、ああこいつかい?あなたと同じくウチの常連客でな、アキラってんだ。この前からレイトショーにも来るようになった」

 「あ……ど、どうも」

 ……固まってしまっていた。またしてもまじまじと顔を見てしまったのはかなりマズかったような気がする。彼女は少し物珍しさを覚えたような顔をこちらに向けた。やはり大人とは思えない幼い顔だ。

 「ま、こんなところで巡り合うなんて数奇な縁なんだ、仲良くやりな。映画ファンなのはお互い様だ」

 そう口髭の向こうから笑顔を覗かせた。しかしそんなことを言われても、と僕は思う。そういうのは、映画ファンとあらばグイグイと来るこの人と違って、あまり得意ではないのだし。

 「あの、良ければご一緒にいかがですか?」

 え、と思わず声が漏れた。見上げると、その声は確かに女性――サクヤさんから。

 僕に?いや、僕しかいないのは明らかではあるのだが。まさかの一言に思わず驚いてしまう。

 「あ……はい、喜んで」

 生返事気味に返事を返して立ち上がる。椅子に手を置き体を持ち上げると、彼女の顔が、目が、どんどんと下に行く。本当に大人なのか?僕も人のことを言えたものではないとはいえ、こう見るとその疑問は膨らむばかりだ。隣に立つと顔が見えにくい。

 シアターのドアを開け中に入る。相変わらずガラガラな座席の一番いい席へ向かうと、今回は2人で並んで席に着いた。

 隣に誰かが座っていることを感じる。そういえば、誰かと映画を見ることはとても久しぶりのような気がするが、しかし今隣にいる人はまったくの初対面なのだ。

 緊張と、少しの居心地の悪さはあった。しかし不思議と、嫌でもなければむしろ少し楽しいとさえ思った。

 「レイトショー、お好きなんですか?」何か話さないといけないという焦りからか、あるいは純粋な疑問か、僕はそう問いかけた。

 「ええ、まあ。というよりは、この時間くらいにしか来れない、というのもあるんですけど」

 この時間にしか?また疑問が一つ増えた。僕にとっては、むしろこの時間帯は来にくいくらいだ。

 「それは……何でです?」

 「私、日差しがダメなんです。そういう病気で。昼間は出歩けないんですよ。」

 その黒目に、一段の深さを見た気がする。日差しに当たれない。まるで小説に出てくるような話だが、確かにこの少女、いや実年齢はそんなものではないこの人の異様な感じから、どこかあっさりと納得できてしまう。

 「そ、それは……では」

 「この見た目でしょう?これも同じようなものです。夜にしか出歩けないのに、この見た目で夜外にいるといろいろ不都合で」

 我ながら難儀なものです。そう彼女は微笑む。

 薄く、か細く、繊細な。それは容易に壊れてしまいそうで、触れてはいけない何かのような、でも――

 「だから、実年齢はあなたと変わらないと思いますよ」

 そういえば、見た目に関してはお互い様だった、ということをそう言われて気が付いた。例によってまた、僕は大人だと思われているらしい。

 「ああ、実は僕も……」

 たとえどんな勘違いをされても、僕はこの容姿を恨んだことはない。でも、彼女はどうなのだろうか?

 そんなことを聞けるはずもなく、上映のブザーが鳴った。

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