緞帳が上がる
凪月とぅた
第1話
22歳、夏
薄い闇に覆われている、上手の袖。私以外はここにはいないから、本番前の独特な緊張感と共に、静寂が場を覆う。舞台の照明しか明かりはない。
300席くらいの、あまり大きくはない古びた劇場。でも、私にはこれくらいがちょうどいい。声も届きやすいし、距離が近いから、観客の反応が分かりやすい。なにより・・・ここは、あの子と、ゆきと始めて一緒に立った、思い出の舞台だ。
「ゆき。やっと、やっと来たよ。遠回りしたなぁ・・・・・・。ようやくここまで来たんだし、折角ここで私主役になれたんだよ。凄いでしょ。ちゃんと約束果たしたんだから。楽しまなきゃ損だよね。それに、舞台の楽しさ教えてくれたの、ゆきでしょ?ゆきの分もさ、楽しんでくるから。沢山、感じたこと、全部、伝えるから。待ってて」
独り言にもならないような音量で言葉を溢している間に、アナウンスも終わって、今は客電が落とされてる頃かな。ゴーと規則的で小さな機械音が聞こえ、緞帳が上がる。上がりきったタイミングで下手へと駆け、中央のバミリの所で客席を向く。布が分厚い衣装も相俟って、じりじり照りつける照明が眩しく、暑い。明るすぎる舞台と正反対に、真っ暗な客席にいる観客の顔までは見えない。だけど私を見ていることは分かる。舞台に上がってしまえば、私は私じゃない。お腹に力を入れて、何回も、何千回も練習した台詞を発する。
―――――――――――――――
ゆきと出会ったのは、15歳、高校1年の春。ひょんなことから、眼中になかった演劇部に入部することに。
そして同じく演劇部に入部していたのが、ゆきだ。生粋のコミュ障の私からは考えられないほど人と仲良くなるのが早くて、気が付いたらおしゃべりの中心にいるような、簡単に表すと太陽のみたいな子だった。視野が広くて、会話に入れなくて戸惑っていた私にも気付いて、輪に入れてくれた。とにかく優しくて、常に笑顔な子。それが第一印象だ。
そしてなにより、圧倒的に演技が上手かった。役に入り込むのが早く、即興で対応するのも上手。これが上手くなかったら何を上手いと言うんだなんて思うほどだった。聞けば、中学でも演劇部に入っていたらしい。
そして私達の関係が大きく進展したのは、初めての大会の配役を決める、オーディション。
「えっと、この役が翠」
「・・・え?」
「だから、すーい。あんたがこの役やるの」
先輩から言い渡されたのは、まさかの役者としての出演。でも、経験者が多い部の中で、私は演技未経験者。当時はまだまだ上手くなかった。確かに、言い渡された役は私が第一希望に書いていた。だけど自分じゃない誰かが受かると思っていた。だから第二希望の音響で大会は参加するんだと思っていた。
それからの練習の日々は、毎日が自己嫌悪だった。確かに部活に入ってから芝居の面白さと奥深さは感じていて、正直キャストになれたのは嬉しかった。けれどそれも束の間、自分の周りとの出来の違いに、愕然とした。自分の役に何度も時間を割いて貰って、注意も沢山受けた。表では取り繕っていたけれど、心はボロボロになっていた。
そこに現れた救いの手が、ゆきだ。私が落ち込む度に、夜中までLINEで励ましてくれたり、くだらないお喋りに付き合ってくれたり、ゆきの悩みを聞いたり。ゆきがいなければ、ゆきとのあの時間が無ければ、多分私は途中で逃げ出していた。それくらい私の中でゆきは、友達以上の存在になっていた。
ゆきの支えもあり、大会では自分の役を全うすることができた。そしてそれ以上に、舞台に上がる楽しさも知った。始まる前は人生で一番というくらい緊張するけど、舞台に立ってみると説明のしようが無いほど楽しかった。ずっと練習してたところが上手くできたら嬉しいし、観客がいい反応をしてくれると、自分がやったわけではなくても、袖で喜びを噛みしめていた。カーテンコールで観客の顔を見れるのも、嬉しかった。その日は高揚でなかなか眠れなかった。今までの努力が報われた気がした。そして、私にそう思わせてくれたゆきに、とても感謝した。
話しているうちに、私とゆきはかなり似ていることが分かってきた。自己肯定感が低くて、取り繕うのは上手い。自己犠牲精神が強い。ネガティブになるタイミングも似ていた。
そして、初めての舞台を経験した私に、そう言うにはお粗末で、希望のような形だったけど、夢ができた。それは、舞台女優になってみたい、のかもしれない、だ。そんな曖昧な気持ちをゆきに打ち明けると、なんとゆきも舞台女優になりたいんだと教えてくれたのだ。そして、2人で可愛い約束をした。2人で主役になれるくらいの舞台女優になろう。それで、2人で始めて立ったあの小さい劇場で、もっかい演じよう。と。
日に日に距離の縮まった私達は、休みの日に色んな所に遊びに行った。水族館、映画館、ショッピングモール、カフェ巡り・・・。夏休みやテスト前にはお互いの家で課題を必死になって終わらせて。誕生日には日付が変わった瞬間に一番にお祝いして。そうしていくうちに、11月、冬が始まろうとする季節になった。まだこの2人の時間は続くものだと、楽観的に考えて疑わずに済んだ最後の時間だ。
ある日の朝、私が布団の中でゆっくりしていると、ゆきから一本の簡素なLINEが入った。
「昨日の夜おばあちゃんがなくなった。今日お葬式で明日通夜。おばあちゃん独り暮らしだから、家の後片付けしないと。だから暫く学校と部活休むことになる。ごめん。バタバタするから連絡も返せないと思う。それもごめん」
「そっか・・・。なんかあったら直ぐLINEするんだよ。あ、なんかなくても。話くらいならいくらでも聞くから」
2回も謝るところがゆきらしいなと思いながら、私はLINEを返した。この時はまだ、ゆきの嘘に気付いてなかった。
それから一ヶ月、三ヶ月経っても、ゆきは学校に来なかった。流石におかしいと気付いた私は、何度もLINEを送ったり、電話をかけたりした。けれど、既読もつかなければ、電話に出てくれることもなかった。ゆきのクラスの担任に聞いてみても、はぐらかされるだけ。なんの手がかりもない空虚な時間が過ぎたまま3月の初めになった。
久しぶりに、ゆきから着信が入ったのだ。やっっと来た!と意気揚々と電話を取ると、見知らぬ人の、暗く深い声が聞こえた。ゆきの母親だった。思わぬ人物に困惑していると、さらに私を困惑させるような内容が告げられた。
ゆきが、亡くなったらしい。病気を患って3ヶ月前から入院していたけれど、数日前に容態が急変して、そのまま息を引き取ったらしい。つまり、最後のゆきからのLINEは、ゆきの吐いた、優しい優しすぎる嘘ということだった。
頭の中が真っ白になって、世界がモノクロに見えた。その日のそれからの記憶は正直何も無い。ゆきに埋めてもらっていた心のコンクリートが、スポンジになったような気持ちだった。覚えているのは、その後に出した熱が長引いて、そうなってしまったらもう、ゆきとの思い出が詰まりすぎている学校に行く足は、遠のいた。生きている意味も、目標も、何もかもが霧の向こうに行って、見えなくなったみたいだった。
抜け殻のような、心の焦点が定まっていないような虚ろな時間を過ごしていると、怒ったような形相の部活の同級生が家に押しかけてきて、私に2枚の紙を突きつけ「これ、渡す羽目になったじゃん」と呟き、去っていった。
部屋に戻り、恐る恐るその紙を開くと、見慣れていたゆきの字が書かれていた。私に宛てた手紙のようだった。
やほっ!翠がこれを読んでいる頃、私はもういません・・・って、言ってみたかったんだよね~。私そんな柄じゃないのに笑。
茶番はそこまでにして、ゆき探偵の名推理。あんた今、どうせ落ち込んでんでしょ。最悪不登校。あんだけ好きな部活にも、顔出してないんじゃない?お前はすぅぐ落ち込むからね。そんで引きずる。…まあ私が言えたことじゃないけど。あんだけ一緒にいたら分かるよ。ごめんね私のせいで。本当はゆきに嘘なんか吐きたくなかった。だけど、翠に最初から本当のこと言ったら、絶対私より心配して、毎日学校休んででもお見舞い来ちゃうでしょ?弱ってく自分は、絶対見せたくなくてさ。私のプライド?とかそういうのが許せなかった。翠だって、チューブで繋がれてたり、寝たきりだったり、どんどん体力なくなってったり、。そんな私は見たくないでしょ?ね?だから、これは私なりにしっかり考えて出した結論なんだから、あんま責めないでよね?でも、やっぱり、翠だけを残していくのは、あまりにも不安だから、翠が前向けてないときはこの手紙をって、ね。これを受け取る羽目になった翠に一言。
いつまでもうじうじしてんじゃねえ!ちゃんと前向きやがれ!あんたにゃ未来があるんだから、人生謳歌してからこっちに来い!
それじゃ、いつかね。あんま早く来るなよ?
ゆきが亡くなって、枯れ果てたと思っていた涙が、その日は手紙がぐしょぐしょになるくらい久しぶりに出た。ゆきらしかった。ゆきはいつまでもゆきだった。悪ふざけが酷くて、自分の弱い所は見せたがらない。そんで私のことを気遣ってくれる。いつも通りすぎるゆきに、かなり救われた。いつまでもゆきは、私と一緒にいてくれたゆきは、ゆきのまま。それは色褪せることはない。そんな単純なことを、ようやく思い出した。
そして、紙はもう一枚あった。その紙の上にはでかでかと「やりたいことリスト!(翠がどうしてもやりたいこと見つからなかった時に使用を認めます)」と書かれていて、本当に色んなことが綴られていた。「学校に泊まる」やら「徹夜で漫画とかアニメ見る」やら、小さいことが多かったけど、その中に一番大きい、壮大な夢が語られていた。
舞台女優になって、翠と一緒に、2人で始めて立った劇場でW主演!
緞帳が上がる 凪月とぅた @natuki_syosetu
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