火垂るの夜

@Nari17

第1話

 始まる前はあんなに楽しみだった夏休みも中盤になってくると解放感より退屈が上回ってくる。8月14日、今日は部活もないし課題も残っていない、友達は墓参りでこの町にいない。本当に退屈な日だ。やることがないので、寝っ転がって天井の木目を数えていると、暇そうな僕を見かねたのか母が話しかけてきた。



 「あんた、そんなに暇なら公園のゴミ拾いのボランティアでもしてくれば?」



 「えぇ……。そもそも公園ってどこの公園?」



 「家の近くにある遊歩道があって蛍が見られる公園よ。あんたが小さかった頃よく連れて行ったところ。最近は環境が悪くなって蛍が見られなくなっちゃったらしいわ。」



 「あぁ……。うん、考えておく。応募用紙そこに置いといて。」


 


 考えておくとは言ったものの、僕の答えは既に決まっていた。僕は退屈なことより暑いことのほうが嫌なのだ。



 天井にある木目の数の測定は四十を越えたあたりでやめてしまった。というか、数えている最中に眠ってしまったようだ。影が見るからに長く、濃くなっている。もう夕方になってしまった。


 「はぁ……。」何とも残念な気持ちになった僕はため息をついていた。ただでさえ遅寝遅起き化しているのに昼寝なんてしてしまうとさらに寝る時間が遅くなってしまう。朝、日が昇りきってから起きるのは、何だか罪悪感を感じるのだ。



 喉が渇いたので、水を飲む為に一階に降りた。家族はどこかへ出かけているのか、静かだった。静かすぎるのもなんだか嫌なので普段は見ないテレビをつけた。


 平日の夕方だからなのだろうか、僕が興味をそそられるような番組は放送されていなかった。そのままテレビの電源を切る前に時刻表だけ見ておくことにした。


 時刻表によると、今日は「火垂るの墓」が放送されるようだ。戦争に巻き込まれた兄妹の話というバッドエンドが容易に想像出来る映画だが、ジブリ映画のなかでも見たことのない作品なので、見ることにした。



 夜ご飯を食べた後、ソファーに座りながら始まるのを待っていると、二階から降りてきた兄に話しかけられた。


 「あれ、お前がテレビを見ているなんて珍しいな。大晦日ですら二階でスマホをいじってたのに。」


 「金曜ロードショーで「火垂るの墓」が放送されるからそれを見ようと思ってね。」


 「へぇ。終戦記念日が近いからかな。」



 そんなことを話していると、BGMが流れ、映画が始まった。


 やはり映画はバッドエンドに終わった。結末は最初の語りで知らされていただけに、主人公たちの悲壮感が漂う映画だった。


 しかしなぜだろう、何であんなに蛍がいるのだろうか、というくだらない疑問が最後まで残った。



 今日は映画の余韻に浸りながら寝ようとしたが、昼寝の影響もあるのかやはり寝付くことが出来なかった。普段は何となく嬉しい気持ちになる満月も、眠れない夜には何とも不愉快だ。牧場の柵を飛び越える羊よろしく天井の木目を数えてみるも、寝付くより先に数える木目が無くなってしまった。木目の数は七十二個だった。今夜はいっそゲームでもやって徹夜するか、と考えていると、ふと蛍を見に行こうという考えが頭をよぎった。確か、家の近くの公園で蛍が見られたような気がする。普段なら面倒くさいと一蹴するような考えだが、明るい満月と深夜特有の興奮が僕をその気にさせた。やはり、満月は人の心を惑わせるらしい。



 目立たない黒色の服に連絡用のスマホだけを持って部屋を出ると、書斎からゲーム機片手に出てきた兄とばったり会った。


 予想外の展開に戸惑っていると、兄から話しかけてきた。


 「どうした、こんな時間に。散歩でも……」


 この時暗闇の中、兄の表情が意地悪そうに歪んだ。


 「いや、蛍でも見に行くのか?」兄の勘はなぜか鋭い。


 唖然としていると、兄はさらに続けた。


 「あはは。その表情見てると図星みたいだな。」


 「そんなに大声出すなよ。親が起きるだろうが。」


 「ああ、悪かったな。まぁ気をつけて行けよ。この時期に蛍が見られるかは分からないけどな。」


 恥ずかしくなってもう部屋に戻ってしまおうかと思っていると、兄がすれ違いざまにさも愉快そうに呟いた。


 「まぁ気をつけろよ。蛍、見られるといいな。」


 腹立たしさでいっそふて寝してしまおうかと思ったが、先ほどのやり取りで頭が完全に冴えてしまったので、結局行くことにした。




 その蛍が見られる(と信じている)公園は僕の家がある住宅地の外れにある。ここの交差点を左折すると入り口が見えてくるはずだ。2、3分歩くと、公園の入り口である長い吊り橋が見えた。吊り橋の先は木に隠され、何も見えない。



 吊り橋を渡り終えると、ずっと遊歩道が続く。蛍が見られた沼もその道中にある。吊り橋にいたころは視界の悪さで遊歩道から足を踏み外さないかを心配していたが、それは杞憂だった。遊歩道という性質上、頭上に木が生えていることはない。むしろ、月明かりが直接届いて思いのほか明るくなっている。基本的には美しい風景なのだが、よく見てみると、不自然なオブジェクトが点在していた。おそらくは捨てられたゴミだろう。ゴミの不法投棄が町全体の問題になっているが、この場所も例外ではないようだ。自分の知っていた美しい場所はもう過去のものになっていた。それを認識してしまうと、この風景が何だか寂しく、廃れたものに見えてくる。



 例の沼に着いたが、やはり蛍は見れない。そこにはただ静かな沼の水面と木陰、小さな四阿だけがあった。残念だがもうここにいる理由もないので家に帰ることにしよう。そう思い今来た道を引き返そうとした時、背後から声をかけられた。


 「おぅい。そこの兄ちゃん、どうしたんだいこんな真夜中に。」


 驚いて転びそうになりながらも、何とか後ろを振り返る。そこには、祖父くらいの年齢の小柄な老人がいた。


 「まさかこんな時間に人がいるとはって顔だな!まぁ俺も驚いたがな。」そう言って老人は豪快に笑った。ひとしきり笑うと、僕に話しかけてきた。


 「兄ちゃんはこんな時間に何しに来たんだい?」


 「……蛍を見に来ました。」嘘をつく気にはなれなかったので、本当のことを言った。おそらくは大胆で豪胆であろう老人は笑い飛ばすと思ったが、何とも神妙な表情を浮かべている。


 「……蛍か。それならもう少しで見られると思うぞ。」老人は古めかしい腕時計で時間を確認しながら言った。蛍が見られる時間はこんなに遅い時間だっただろうか。昔、親に連れられて来た時は、夕食を食べてすぐに出発した記憶がある。しかし老人は至って平常な様子で、嘘をついていけるようには見えない。ただ、四阿から何かを、あるいは全てをどこかもの哀しそうに眺めていた。



 老人のいうもう少しがどれくらいか分からないが、このまま帰るのはもったいないような気がするので待ってみることにした。現在の時間をスマホで確認すると2時13分、草木も眠る丑三つ時だ。立ちつづけるのもしんどいので、老人の隣に座ることにした。


 そのすぐ後、沼の方向に緑色の光を従え蛍が飛んで、いや降ってきた。始めは2、3匹だったのが次第に増えて、やがては緑の天の川のようになった。始めはただ感嘆し、見とれていたが、次第にこの光景に違和感を覚え始めた。昨日、映画で見た蛍はこのような飛び方をしていなかった。蛍は舞うように飛ぶはずだ。目の前にいる緑色の光を出す何かは本当に蛍なのだろうか。老人に聞こうと老人のほうに視線を向けた。僕の視線に気付いたのか、半ば独り言なのかは分からないが、老人は始めの頃とは打って変わって、静かに語り始めた。



 「蛍、見れたろう。お前さんが思っているものとは違うかもしれんがな。信じてくれるかは分からんが、あの蛍は昔ここで死んだ蛍の幽霊だよ。」


 にわかには信じられない話だ。しかし、思えば今日はお盆の最終日で、今は丑三つ時だ。それらを踏まえるとなぜだか納得してしまうものがあった。


 「今までにここで死んだ蛍ですか?」なんとなく気になったので聞いてみた。そもそもなぜ老人はその事を知っているのだろうか。


 「いや、あの蛍は70年程前、森が焼け落ちた夜に死んだ蛍だよ。」


 いや、やはりおかしい。この老人は真面目な顔で何とも変なことを言っている。


 「何でそんなことが分かるんですか?」老人に問いかけると、老人の口もとが少し苦しげに緩んだ。


 「これが見られるようになったのが森が焼け落ちた年の次のお盆からだからな。お盆になると蛍の幽霊が帰ってくるんだろう。」


 老人は少し沈黙した後、続けた。


 「お前さんが見たいであろう本物の蛍はしばらく見ていないな。この森は毎年少しずつ汚れていく。あいつらのいた森は本当の意味で失われつつある。帰る場所を失ったあいつらはどこに行くのか。」


 ひとしきり語り終え、老人の瞳はやはり哀しそうに蛍を映しだしていた。それからしばらくの間、僕と老人は黙って蛍を見ていた。



 どれくらいの時間がたったのか東の空が明るみ始めた。そろそろ帰らなければ両親に外出したことがばれてしまう。


 「もうそろそろ親が起きるので帰ります。」僕がそう告げると老人は僕を見上げて「気をつけて帰れよ。」と言った。別れ際、老人は思い出したかのように「夜遊びはほどほどにしておけよ。」と付け加え、豪快に笑った。



 薄明るい遊歩道を戻る途中、一度だけ後ろを振り向いた。そこには行きの時と同様、静かな沼の水面と湖畔、小さな四阿だけがあった。



 何とか親が起きるより早く家に帰ることが出来た。自分の部屋のドアを閉じた僕は何とも不思議な気分に浸っていた。あの蛍は本当に幽霊だったのか、老人は何者だったのか。考えてみても答えは分からないが、僕が森で見た美しくも哀愁の漂う風景は間違いなく本物なのだろう。


 ふと、昨日の昼の母との会話を思い出した。例の応募用紙は相変わらず部屋の机の上に置いてある。それにサインし終える頃には、太陽が昇り始め新しい朝を迎えようとしていた。

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