祈りはからっぽ

 夜中三時に容態が急変し、手術室で蘇生措置を受け一時間半。現在は点滴や人工呼吸器のチューブを繋がれ、心電図その他の医療器具のコードが伸びる集中治療室に移されて眠っている。彼女の小さな体を中心に伸びるそれらが蜘蛛の巣のようにも見えて、いよいよ寝不足に目頭を押さえた。


「・・・お疲れ様です」


 手術着のまま、マスクを外して担当医が私のもとへやって来た。明らかに疲れをにじませた充血しきった目でこちらを見据えているが、それよりもゴム手袋を外すことすらままならないほど震えている手にどうしても視線が向いてしまう。


「お疲れ様です。・・・急の対応、ありがとうございました」


「まあ、それは。仕事ですから」


 互いに疲れた顔貌を一瞥して、ガラスを隔てた集中治療室むこうで眠る、病院服の少女を見遣る。心電図は一定のリズムを刻んでいるけれど、それが全くの安心材料になりえないことは、これまでの経験則から殆ど確定的だった。


「・・・、今回で六度目です。今月に入ってからは二度目。せめて容態が安定してくれなければ、根治手術に掛かる事もできません。日中であれば・・・という訳でもありませんが、深夜の対応には皆体力を使う。──、・・・」


 何かことを継ごうとして、代わりに力なく吐息して頭を振るった。


「分かっています。本当に、医師せんせいの献身には感謝しています」


 彼も私に言ってもどうしようもないことは分かっている筈だ。それでも口をついて出てしまったのは、きっともう彼も限界なのだと思う。


『このままでは』と続く言葉をつぐんでくれたことだけで、医師せんせいにこれ以上を求めることはできなかった。


「私は医療関係者ではなく、ただのカウンセラーにすぎません。あの子の身体については、貴方がたに委ねることしかできません。私ができることといえば──」


 医師せんせいと対面させていた体を、ガラス張りのはこへ向き直し。胸の位置に両の手を掲げて、冷えきった指先を交互に絡めて目を瞑る。願うのは、あまりに持て余す大きさのベッドに沈むあの子の安穏、そして一日でも長く、あの子の生が続くこと。


「──こうして祈ることだけです」


 現代の文明においては気休め程度、行為者の自己満足に過ぎない行いを、私は愚直に繰り返す。せめて安らかに眠れるように。神のご加護がありますように。


 背後の窓から覗く夜空が白み始める夜明けまで、私と医師せんせいは各々の形で、届きもしない祈りを捧げていた。


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駄作集 亡糸 円 @en_nakishi

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