第3話 成功
29XX年4月1日、日本時間午前9時。
世界中のありとあらゆるスピーカーが一斉に音を出した。跳ね起きる者やゆったりと窓の外を眺める者、慌てて装置をつける者、全員がスピーカーに耳を立てて聞いた。
「只今より呼吸税が適用されます。只今より呼吸税が適用されます。只今より...」
放送は5分間全く同じ内容を繰り返し告げた。
胸につけられた呼吸測定器が起動する音が各地で聞こえた。測定器は大人であれば、一呼吸するごとに約0.5ℓのメモリが加算されていく。個々で表示されている数字が異なり、1人ずつ測定されているのは明らかだった。最初の動揺ということもあり、人々の呼吸はすぐに10ℓを超えた。
某国では壁に貼り付けられた大きな白紙に針が世界の総人口の約8割分の呼吸を示した。正確に音を刻む時計と同じく、呼吸測定値の値を表に刻む針が動き出した。
ひと時の静寂の後、どこからか人の怒号が聞こえてきた。
どうやら違反者の元に制裁者がきたようだった。
暗い団地の中に入っていく黒いスーツの男。彼が入ってすぐにもう1人出てきた。スウェット姿の男性は黒いスーツの男に組み敷かれ、補導されていった。
彼が制裁者と言うのは一目でわかった。胸には桜の形をした警察バッジと腕章に呼吸課と書かれていることから明らかだった。
呼吸税が執行されてからこの税は、人々の生活に大きな変化をもたらした。全人類に呼吸測定器が取り付けられ、個人の呼吸の数、量がリアルタイムで計測された。月に一回請求書が届き、人類は皆それを支払う。家族4人ともなると、その値段は都心部のタワーマンションのひと月の家賃よりも高かった。その請求は大抵の人の月給の半分を占めるようになっていった。
その代わり生活は断然楽になった。インターネットも5Gなど当たり前に6G、7Gが開発され、福祉も充実し、AIつきお世話ロボットが全員に贈呈された。
その一方、高額な税を支払うことのできない者はあの制裁者によって補導されていく。
補導されていった人が帰ってくることはなかった。代わりに、テレビでは連日「お悔やみ申し上げます」と言う言葉とともに名前の序列が流された。
人々の生活は徐々に怠慢になっていった。疲れてしまうと必然的に呼吸量も増えるので、家事などは全て贈呈されたロボットに任せ、仕事はリモートで行い、連絡もデータ上で行った。
ついには、部屋の中での会話も同様に画面を介して行われた。部屋の中には画面をタップする無機質な音のみが響き続けた。
日本の真夏の最高気温は50度をゆうに超えた。電車のレール、看板、アルファルトは灼熱の業火の中にあり、人が出歩いたら1分もしないうちに熱中症で死に至るだろう。そのため、人々は出歩くなどと愚かな考えは捨て、部屋に寝転び、あるいは画面と対面して仕事をしていた。
どの部屋の温度も人類が生活するのに適温で設定され、中の人は動く気配がなかった。
また呼吸税が導入されてから変化があったのは人間の日常生活に限る話ではなかった。死因にも変化があった。
世界総人口は最盛期で100億人を超えた。しかし、現在人類は1億人と絶滅の危機に瀕している。原因として挙げられるのが謎死、肥満、自殺だ。21世紀前半ではこんなことで亡くなる人は50億人といないはずである。この原因の中で最も大きな割合を占めるのが、謎死であった。
謎死というのは制裁者による行為から亡くなることを指す。制裁者によって連れて行かれた人々は粛清という名の下、「処分」されていっている。彼らに連行される者は後をたたなかった。身内を制裁者によって殺されたもの。高額な税を支払えないもの。税徴収に反抗する者。
そして、国民は怠慢な生活を送ったため肥満体型のものが続出した。しかし運動をすると必然的に呼吸量が増えてしまう。動かなくても痩せることのできる商品を作ろうとしてもそれにも体力、呼吸を要するため叶わない。その結果肥満によって死亡する人が後をたたなくなってしまった。
政府はこれらの問題に頭を悩ませていた。しかし、研究者も同様に、活動をすると呼吸量が増えてしまうので、政府は強制もできず、人々の活動と数は徐々に減っていった。
そして、世界中で人の発する音は一音も聞こえなくなった。
呼吸のデータは日々更新され、蔦まみれの茶色になった紙に赤い針が突き刺さりガリガリとその数値を刻み続けている。
呼吸税が適用されてから50年、呼吸量を刻む針は0を示した。
西暦3000年。ついに人類は地球温暖化を止めることに成功した。
呼吸税 小林 @kobayashi0221
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