第4話 ワタシの選択

 カルテは言っていた。

 三つ目の選択肢『鈴里蘭子の身体を乗っ取る』は、必ず成功する訳ではないと。

 一度彼女の身体を乗っ取っても、蘭子に強い意志で拒絶されたらまた追い出されてしまう。そして追い出された場合は、強制的に二つ目の選択肢『新しい人生を始める』になるらしい。


 スズランだって、誰かのレプリカではない自分だけの人生を送ってみたい。

 だから、普通だったら選ぶのは二つ目の選択肢だ。でも、少しでも空良に感謝を伝えられる可能性があるのなら――。


「ほう?」


 カルテに選んだ道を伝えると、彼女は心底意外そうに小首を傾げた。

 腹黒い道を選んだ、とでも思っているのだろうか。

 でも、そうではない。むしろ逆なのだとスズランは笑う。


 自分は幼馴染達と、鈴里蘭子のことを信じている。

 ただ、それだけなのだと。



 ***



「……っ! こ、ここは……」


 目を覚まし、スズランはきょろきょろと辺りを見回す。

 草木も花も光るキノコもない、ただの屋上だ。隣には夏輝がいて、蘭子と手を繋いでいる。きっと、彼の告白は成功したのだろう。


(っていうか未だに屋上にいたんだ……。めちゃくちゃ二人で余韻に浸ってるじゃん……)


 学校の中を彷徨ったり、『レプリカルテの庭』でカルテと会話をしたり。わりと長い時間が経っていたはずだが、二人はまだ屋上に留まっていたようだ。


「あっ、ご、ごめん」


 しかし今の自分はもう、蘭子ではなくスズランだ。

 手を繋ぐという行為にビックリしてしまい、反射的に手を振り解く。すると夏輝はショックを受けたように「え」と漏らした。


「いやっ、ていうか今はそんな場合じゃなくて! 織部くんってどこにいるかわかる?」

「え、いや、陶芸部にいると思うけど…………蘭子、君……まさかまた」

「ありがとう! あとごめん、もう少しだけ蘭子の身体借りる……っ」


 勢い良く頭を下げ、スズランは駆け出す。

 心の中では、はやる気持ちと不安な気持ちが混ざり合っていた。だって、蘭子は優しすぎるが故に記憶喪失になった女の子だ。どうか、その優しさをスズランに向けてしまう――という展開にはならないで欲しい。

 このまま彼女の身体の乗っ取るのは、スズランにとってバッドエンドでしかないのだから。



 ***



「え……あっ」


 スズランは陶芸部の場所がわかる訳ではない。だけど部室棟があるのは知っていて、まっすぐ向かっている最中だった。


「…………スズランか?」


 部室棟に向かう途中の渡り廊下で、スズランはピタリと足を止める。

 高い身長に、三白眼なのに優しい視線。

 彼は確かに織部空良で、スズランの鼓動は一気に跳ね上がった。


「あ、の……ワタシ…………もうすぐ、お別れになりそうで」

「…………そうなのか」


 微かに空良の眉が動く。

 気のせいかも知れないけれど、心なしか彼の声は寂しい色をしていた。


「あのさ、織部くん。ありがとうね」


 その言葉は、意外と早く自分の口から零れ落ちていた。

 すると何故だろう。ただそれだけで、信じられないくらいに心が軽くなっていくのがわかった。

 空良と最後に会えたのが嬉しくて。彼が寂しそうな顔をしてくれたのが嬉しくて。そして何より、「ありがとう」と伝えられたことが嬉しくて。

 気付けば、前のめりになって空良に気持ちを伝えていた。


「蘭子には大切な人がたくさんいて、ワタシは早く記憶を取り戻さなきゃって必死になってたから。そんなワタシを救ってくれたのは織部くんだった。織部くんがいなかったら、スズランとしてのワタシの心はとっくに壊れてたと思うから」


 だからありがとう、とスズランは空良に力強く伝える。

 一瞬だけ、空良は驚いたように目を瞬かせた。スズランの想いが強すぎたのだろうか? と思ったものの、どうやらそうではないらしい。

 空良は少年のようにニッと笑い、いつもの優しい瞳を向けてくる。


「……いや、お礼を言うのは俺の方なんだよ。高校生になってから蘭子と夏輝が両想いになって、音羽が応援して……。なんとなく俺は、幼馴染との距離感がわからなくなってたんだ。スズランと接するのをきっかけにまた皆と話すようになって、ようやく俺はずっと寂しかったんだという事実に気付いたんだ」


 空良は語る。

 幼馴染であり友達でもある三人のことを。

 見ているだけで眩しいと感じてしまうくらいに、嬉しそうで楽しそうな空良の姿がそこにはあった。


「だからありがとうな、スズラン。お前に出会えて良かった」


 ありがとう。出会えて良かった。

 言葉自体は単純なもののはずなのに、心の真ん中をぐっと掴んで離さない。


 ――あぁ、こんなワタシにも存在理由があったんだ、と。


 ぐわんぐわんに揺さぶられる。

 ただのレプリカじゃなかった。少なくとも、空良にとっての悪者ではなかった。

 そう思うだけでじわりと視界が滲んでいく。

 まさか自分が、嬉しいという気持ちで涙を流せる時が来るなんて思わなかった。


「…………あ、ぐっ……!」


 すると今度は頭が痛くなった。

 割れそうなほどにズキズキと痛むこの感じ――スズランには覚えがある。

 あれは屋上で夏輝に告白された時のこと。急に頭が痛くなって、目が覚めたら誰もいない教室だった。

 つまりは、蘭子の意識がスズランを拒絶しているということで……。


(……まったく、どこまでも優しいんだから)


 頭を押さえながら、スズランは必死に笑顔を浮かべる。

 鈴里蘭子。実際に会話をしたことはないけれど、彼女の幼馴染達と接するだけでわかるのだ。

 彼女はどこまでも優しい人だと。

 でも、同時に強い心を持っていると思うのだ。

 空良に「ありがとう」と伝えられただけじゃなく、「出会えて良かった」とまで言われて、スズランの中にあった後悔は完全に消え去った。


 そんなタイミングで現れるなんて、優しいにもほどがある。



「ありがとう」



 最後にもう一度、スズランは囁く。

 生まれ変わったら今の自分よりも幸せになってやるのだと心に誓いながら。


 スズランだった『ワタシ』は、鈴里蘭子とバトンタッチをした。



                                     了

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レプリカルテの庭 傘木咲華 @kasakki_

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