第3話 レプリカルテの庭

 スズランは織部空良に恋をしてしまった。

 だけど元々、鈴里蘭子と坂下夏輝は互いに惹かれ合っていて――。


「屋上……」


 幼馴染達との記憶を見てきて、スズランは気が付いた。

 スズランとしての最後の記憶は学校の屋上にあるということを。


 夏輝はある日の放課後、スズランを屋上へ呼び出した。

 同じクラスなのにわざわざ別々のルートで屋上へ向かって、謎の緊張感もあって……。まるで告白みたいなシチュエーションだなと思った。でも自分は蘭子ではなくスズランだ。だからそんな訳がない――と思っていたのに。


「僕は、蘭子のことが好きなんだ」


 彼は告白した。

 スズランではなく、蘭子に向かって。


 あぁそうか、と思った。

 想いを伝えるだけで。気持ちが大きく動くだけで。今まで散々悩み続けていたものが全部、溶け出してしまう。

 まるで私も好きだと叫ぶように、蘭子の意識が顔を出して……。


 スズランは、気付けば誰もいない教室で目覚めていた。



 ***



 屋上に行けば何かが起こるかも知れない。

 淡い期待を胸に屋上へ向かう。幸いなことに鍵は開いていて、スズランは一瞬だけ深呼吸をしてからドアノブを回した。


「え……?」


 呟く声が震えを帯びる。

 咄嗟に思い浮かんだのは「何で」という疑問だけだった。


 ――庭。


 確かにそこに広がるのは庭だった。

 学校の屋上だと思って扉を開けたはずなのに、まったくもって意味がわからなくて。スズランはただ、口をポカンと開く。

 屋上庭園と言ってしまえばある程度納得はできるのかも知れない。でもここは学校だったはずだ。少なくとも、夏輝に告白された時の記憶では何の変哲もない屋上だった覚えがある。


 いったいここは何なのか。

 草木が生い茂り、色とりどりの花が咲き誇り、巨大なキノコはまるで照明代わりのように光り輝いている。

 あまりにも幻想的なこの空間は、ファンタジーという言葉が似合ってしまうほどに現実離れしていた。

 だから、だろうか。



「――おぉ、ようやく来たか」



 庭の中央に鎮座する少女の姿を見ても、そんなに動揺しなかったのは。


 むしろ「やっとか」と思うほど、スズランの心には余裕があった。だって、ずっと気になって仕方がなかったのだ。居場所をなくした偽物の鈴里蘭子が、これからどうなってしまうのか。

 それが、ついにわかるかも知れないのだから。


「意外と冷静なのだな。わらわに声をかけられても驚かないとは」

「驚いてるよ。……ただ、それ以上に知りたいだけだから」

「そうか」


 言って、少女は目を細める。

 蝶をかたどった椅子に座る少女は、容姿だけでは六歳くらいにしか見えないほど幼かった。ラズベリー色の腰辺りまで伸びた髪に、白い花をモチーフにした妖精のようなドレス。

 やっぱり、どこをどう見てもファンタジー世界の住人だ。


「ここは『レプリカルテの庭』。おぬしのような行き場をなくしたレプリカ達が辿り着く場所だよ」

「……レプリカルテの庭……レプリカ……」


 少女に告げられた言葉を、スズランは無意識のうちにオウム返しする。

 レプリカ、という言葉は思った以上にすんなりと頭に入ってきた。元々、スズランも自分のことを偽物だと自称してきたのだ。偽物もレプリカもそんなに変わらないだろう。


「あなたの名前は?」

「ん、わらわか? わらわには特に名前はないのだが……まぁ、呼び名がないのも不便だろう。カルテとでも呼ぶが良い」


 少女――カルテは、何でもないことのように答えた。

 容姿も、口調も、名前がないことも、やはり彼女は不思議に溢れている。

 なのに自然と親近感を覚えてしまうのは、彼女の『カルテ』と自分の『スズラン』が似ているからなのかも知れない。


 名前がなくて、呼び名がないと不便だから名前を付けた。

 そう思うと、もしかしてカルテも誰かのレプリカだったりしたのだろうか……なんて考えてしまう。

 まぁ、その前に今の状況を整理するのを優先しなくてはいけないのだが。


「それで、『レプリカルテの庭』……だっけ。ワタシはここで何をすれば良いの?」

「まぁそう急くな。まずはおぬしの診断結果からだ」

「……診断結果?」


 首を捻るスズランを無視して、カルテはすらすらと説明を始める。


 スズランは鈴里蘭子のレプリカであること。

 蘭子には三人の幼馴染がいて、そのうちの一人、坂下夏輝と恋人になる一歩手前だったということ。

 しかし、スズランは織部空良の優しさに触れ、恋に落ちてしまったということ。

 夏輝が告白をした時、蘭子の記憶が戻ったということ。


 ――そして。


「おぬしは一つ、大きな後悔をしておる」

「…………後悔、って」

「安心しろ、織部空良に告白することではない。そんなことをしたら彼を悩ませてしまうということは、おぬしも理解しておるのだろう?」

「それは……まぁ、うん」


 戸惑いながらもスズランは頷く。

 まるで、心の奥底にある想いまでもを覗かれているような気分だった。

 確かに自分は空良のことが好きだ。だけど告白したいとか、結ばれたいとか、そんな風には思わない。

 強がりとかではなく、スズランの中にあるもやもやは別のところにあるのだ。


「ありがとうって、彼に一言も伝えられてなかったから。あんなに助けられたのに、救われたのに、ワタシ……」


 声に出してみると、心のもやがますます濃くなっていくのがわかった。

 スズランは蘭子のレプリカであって、蘭子ではない。だから蘭子の意識が戻ったことは喜ばしいことなのだとスズランも思っている。

 だけど、空良の存在はスズランにとって特別になっていた。そんな彼にお礼の一言も告げられないまま別れてしまったこと。

 その事実が、大きな後悔としてスズランの胸にのしかかる。


「まぁ、そんな顔をするでない。解決方法ならある。レプリカの心を覗くことだけが、わらわの役割ではないからな」

「解決、方法……」

「そうだ。おぬしの前には、三つの選択肢がある」


 言いながら、カルテは得意げに微笑む。

 彼女のローズレッドの瞳に吸い込まれるように、スズランはただただカルテを見つめていた。

 解決方法。三つの選択肢。

 カルテの放つ言葉は自分にとっての希望でしかなくて、スズランは静かに息を吞む。


「一つ目はレプリカとしての記憶を抱えたまま、この世界で生きることだ。『レプリカルテの庭』は迷えるレプリカ達が旅立つためのスタート地点。この庭を抜けたらたくさんのレプリカが暮らしている。傷を分け合いながら生きることができる、ということだ」


 カルテは優しい笑みを浮かべる。

 思い出は思い出として胸に刻んだまま、自分と同じ境遇の人達と暮らすことができる――それは確かに、ある意味幸せな道なのかも知れない。


「二つ目は新しい人生を始めることだ。レプリカだった頃の記憶も『レプリカルテの庭』に辿り着いたことも全部忘れて、生まれ変わる。レプリカではなく、普通の人間として生きることができるということだ」


 カルテはまた、優しく笑った。

 スズランとして過ごした日々を全部忘れてしまう。そう思うと胸が苦しくなるが、決して嫌な道ではないと思った。

 レプリカじゃなくて、普通の人間として生きる。

 自分にとってそれがどんなに大きなことか。……そんなの、スズランが一番わかっていることだ。


「そして、三つ目だが……」


 言って、カルテは目を細める。

 先ほどまでの優しい表情とは違う、試すような笑顔。

 いったいどういうことなのか――と疑問に思う前に、カルテは口を開く。



「もう一度、鈴里蘭子の身体を乗っ取ることだよ」



 さらりと放たれた言葉に、息が止まりそうになる。

 爛々と輝くローズレッドの瞳は、まるで「どうする?」と訊ねているようで。


 スズランはただ、身動きが取れないままに彼女の瞳を見つめ続けていた。

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