おまけ 二人旅行・後編 【一万PV記念】
「おおー凄い立派な部屋だ」
旅館の部屋に入るなり椎本は感嘆の声を上げた。部屋の広さもそうだが、何より窓から見える川の勇壮な流れに目を奪われている。
「結構高かったでしょ?」
はしゃぐ椎本を眺めながら荷物を置いていると、振り返って彼女は少し心配そうに尋ねた。
「まぁそれなりにね。ほら、晩御飯まで時間あるからさ、お茶飲んでゆっくりしようか」
予定を詰めた訳ではなかったけど、あちこち見て回るうちに、結局一日歩きっぱなしだった。
普段運動することのない私は部屋に備え置かれているお茶を湯呑みに注いで椎本を手招きした。
「今度は柊も連れてこようか」
椎本はここのところすっかりシスコン気味だ。私の妹でもあるのだけど、やはり椎本の方が柊を溺愛している。
恋人として、柊の姉として、どちらに嫉妬すれば良いのかわからないけど、私も同じ事を思っていたのだからどっちもどっちなのかもしれない。
それに、三人旅行というのもそれはそれで楽しそうだ。
「いやぁ、結構量あったねぇ」
食べ慣れない高級料理に二人して翻弄されながら、何とか食べ終えると、中居さんが布団を敷いてくれたので椎本がお腹をさすりながら倒れ込む。
「あれだけ小皿があると、洗うのも一苦労だよね」
そんな感想がいの一番に出てくる私には勿体ない料理だった。とはいえ、椎本も美味しいとは言いながらも結局何の料理なのか分からなかったと白状していた。
こういう部分で、自分達は結局世の中を知らない高校生なんだなと思わされる。何となくバイトを始めて大人になった気分でいたけど。
「……ね、お風呂入ろうか」
「えと、どっちの?」
そしてまた、自分が大人になりきれていないなと改めて思った。この旅館には大浴場と、この部屋の一番の売りでもある温泉を引いた部屋風呂がある。
どっちの、と態々訊いたのは、私の子供っぽいズルい部分だ。
恋人が二人で部屋風呂に入るのは、つまりそういうことで。
変則的な椎本の誘いを、私は素知らぬフリで明言を避けたのだ。それは偏に、椎本の照れたような表情が見たかったに過ぎないのだけど。
「部屋の…お風呂」
もうこれまで何度も、そういう行為はしてきているのに未だに恥じらいを持っている椎本は可愛い。
というよりも、最初はそこまで恥ずかしがって無かったのに、回数を重ねる毎にどんどん椎本は無垢になっていく。
「じゃ、行こうか」
わざわざ言わせた私に多少なりとも不満があるのか、少し膨れっ面している椎本の手を取って浴場へと向かう。
常に源泉がかけ流されている大きい木桶のような風呂は、家族風呂とは銘打っているものの、三人家族でも厳しい大きさだろう。
そのため、二人で入っても身体の至る所が密着する。
「んと……江月?」
椎本は私に背後から抱き抱えられるような体勢になっていて、肩越しに私を見つめた。多分、湯船に浸かるなり椎本の白いうなじに唇をつけた私に対する批難の言葉だ。
もう少し温泉を堪能させろということなのだろうか。
でも、そんなのは関係ないとばかりに、椎本の肌にキスの雨を落とす。
椎本は私の名前を呼ぶが、段々艶っぽい声色に変化していく。両の手を、彼女の柔肌に伸ばす。
「今日は疲れたでしょ?マッサージしてあげるよ」
「馬鹿……っ。そんなつもり、ない癖に…ん…」
我ながら変態っぽい言葉を吐いてしまった。苦笑しつつ、椎本に顔を寄せて唇を塞ぐ。
理性が薄れていくのを、ボーッと感じていた。息苦しくなっていく。
息を吸う。息を吐く。
いつもなら無意識にしているこの行為が、呼吸という名の生存本能が、その時だけは大した行動では無いと脳が勝手に判断しているかのように、想像を絶するほどの困難な行為にまで優先順位を落としていた。
飛沫の音が、漏れ出るような小さな声が、私の息遣いが。
全てが繊細なまでに、湯気の中に溶け込んでいく。
椎本の顔を見る。
その上気した顔色は、温泉の効能なのか、それとも——。
「浴衣似合ってるよ」
「……」
むすーっと椎本はあからさまに不機嫌アピールをしている。そんなところも可愛い。
なんというか、やり過ぎてしまった。私のテンションが上がり過ぎていた。
「ごめん」
「……折角温泉まで来たのに、それどころじゃ無かった」
最終的に椎本はぐったりとして、自力で風呂から上がることすら困難な状態なっていた。今も布団の上で仰向けの状態だ。
「椎本が色っぽくてさ、つい」
「旅館のお土産コーナーで、柊にお土産も買いたかったのに、こんな時間じゃ閉まってるし」
見ると時計はてっぺんを幾らか超えていた。
熱に浮かされたように椎本を求めていた私も、すっかりのぼせ気味だ。
私も布団に倒れ込むと、椎本がゆっくりと身体を寄せる。
敷かれた二組の布団のうち片方は、椎本が着替えた服を畳んで置いていて。
当たり前のように一つの布団に寝るということが、嬉しかった。
「怒ってるのに、何笑ってるの?」
思わず顔に出ていたようで、椎本はまだ不機嫌そうな声色でそんなことを言う。
その癖、私が彼女の隣で横になると、すかさず手を握ってくるのは少しおかしかった。
「ね、明日はどうする?」
「……江ノ島でしらす丼食べたい」
「じゃ、それで機嫌直してよ」
「もう、仕方ないなぁ」
江ノ島へ行くのなら、明日は早い内にここを発たなきゃな。
スマホで江ノ島までの行き方を調べていると、余程疲れていたのか、或いは私が疲れさせてしまったのか、椎本は直ぐに寝息をたてはじめた。
そっとスマホのアラームをセットしてから、私も眠りにつくことにする。
——また、明日。
いつか君を想う季節【完結】 カエデ渚 @kasa6264
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