織鶴と三度目の恩返し

七種夏生(サエグサナツキ

第1話


 私の前世は鶴である。


 怪我を手当てしてもらった恩を返すために自身の羽で高価な布を織っていた『鶴の恩返し』という昔話に出てくるあの鶴だ。

 人間としての生を受けて五年目、私は母方の祖父があの翁だということに気がついた。同じ物語に出てくる、傷ついた鶴を助けたあの翁だ。

 なぜそんなことがわかるのかと言われても、記憶があるからとしか言いようがない。

 証拠といえば一つ。

 祖父はいつも私の目を見て「とてもキレイだ」と言ってくれる。私が前世で鶴だった時、翁に言われていたのと同じ言葉を。


「里美の目を見ていたら元気が出るよ。あいかわらず、とてもキレイだ」

 祖父が入院する病院の一室。ベッドから身を乗り出した祖父が私の目をのぞき込んだ。

 現世の私が五歳という幼女ゆえか、もしくは前世が鶴だったせいか、どう応えていいかわからず、私は黙って俯いた。

 祖父や母は私の態度を、恥ずかしさゆえと思ったらしく「ふふっ」と笑った。

「そろそろ帰りましょうか」

 穏やかに笑っていた母が、私の頭に手を乗せて祖父に向き直る。

「じゃあね、お父さん。また来るから、元気にね」

「あぁ、ありがとう。里美もまたな」

 祖父の言葉に私は声もなく頷き、しかしはっとしてベッドへ駆けた。

 祖父の耳に、口を近づける。

「おじいちゃんにね、プレゼントがあるの」

「プレゼント?」

 首を傾げる祖父の視線が、私の瞳を捉えた。

 前世の、私が鶴で祖父が翁だった頃の光景が脳裏に浮かぶ。

『決して覗かないでください』

 そう言って私は翁のためにせっせと布を織った。だけど結局、最後には鶴であると正体を見抜かれたため、私は翁の前から姿を消した。

「あの時、鶴は翁へのプレゼントを作っていたの。売り物じゃない、翁が手元に置いておいてくれるようなものを。だけど私、びっくりして逃げ出しちゃったから。今度はちゃんと恩返しを……おじいちゃんにプレゼントを渡したいの」

「えぇっと……」

 虚を突かれたような顔をしていた祖父だが、しかしすぐに穏やかな笑みを浮かべる。

「恩返しならもう十分だよ。里美が生まれて来てくれたことがなによりの嬉しいプレゼントだ」

 ふふっと笑った祖父が、私の頭に手のひらを乗せる。

 大きな手で私の髪を撫で、そして言った。

「でも、里美がそう言ってくれるなら楽しみにしておこう。里美はいい子だね。お前の目は本当に、とてもキレイだ」

 その時の祖父に前世の記憶があったかどうかはわからないし、今となっては確かめようもない。

 約束を交わしたその日の夜、祖父は急逝した。

 プレゼントする予定だった千羽鶴はあと二十羽というところでその意味を失い、祖父に届けることは出来なかった。


 十年経って十五歳になった私の中で、前世の記憶が薄れつつある。そもそも私の前世は本当に鶴なのか、祖父は翁だったのかということすら曖昧に。

 忘れたくない、忘れてはいけないと思うのに。

 鶴の恩返しという物語には続きがある。

 正体を知られて逃げ出した鶴はその後、猟師に撃たれて命を落とす。直前に織っていた布は、売り物ではなく翁へのプレゼントだった。

 助けてくれた翁のために、最後にして最大のプレゼントを、恩返しをしようと思っていた。だけど翁の元へ帰ることはできなくて、勘違いそのまま昔話として伝えられた。

「違うよ、おじいちゃん……私はただ、びっくりしただけなの」

 もう翁のそばに居られないと思ったのは事実だが、撃たれて、薄れゆく意識の中でやはり彼のところに戻りたいと思った。

 彼の膝の上で息を引き取りたかった。

「恩返しもまだ、十分に終わっていなかったのに」

 だけどきっと、何を後悔しても遅いのだろう。過ぎた時間は戻らないし、今という瞬間はその時しか、チャンスは一度しかない。

 だから人は、命あるものは一刻一秒を大切に、今という時間を必死に生きなければならない。

 顔をあげると、眼前を桜の花びらが舞った。

 制服のポケットに手を入れて、中に入っていたものを外に出す。手のひらを開くと、桜の花と同じ色の折り紙でできた鶴がぴんっと首を伸ばして立ち上がった。

 十年前、祖父のために作っていた千羽鶴の中の一つ。九百七十九羽は祖父と共に天国に送り、最後に折った一羽だけ手元に残した。

 勇ましく前を向く折鶴の上に桜の花弁が落ちる。と同時、バサッという羽音とともに目の前を黒い影が横切った。慌てて顔を背け、再び目を開くと手のひらの折鶴が消えていた。カァーッと鳴く声の先には、前脚で器用に折鶴を掴んだカラスの姿。

 漆黒の瞳と目があったかと思うとカラスはカァーッともう一鳴きし、青空の向こうへ飛び去ってしまった。

「うわっ、お姉さん大丈夫?」

 呆然と立ちすくむ私のそばに、一人の少年が駆け寄って来た。小学生、九歳くらいの男の子。

彼はカラスの去った方向を見つめ、「あーぁ」とため息を吐いた。

「この公園、カラスのいたずらが酷くてさ。お姉さん、何をとられたの?」

「私は……折鶴を……」

「おりづる?」

 不思議そうに首を傾げる少年の視線が、私を捉えた。

 委縮してのけぞる私の瞳を、背の低い可愛らしい少年がじっと見上げて来る。

 しばらく見つめあったのち、少年が吐息を漏らすように言葉を発した。

「お姉さんの目いいね……とてもキレイだ」

 その言葉を聞いた途端、私の中で様々な記憶が蘇った。

 雪山の中、怪我をしている私の羽に触れた翁の優しい眼差し。

 線香の匂いのする仏間で、手を合わせている私の頭を撫でる祖父の穏やかな笑み。

 お前の目はいい、とてもキレイだ。と、同じ言葉をくれた大切な人たち。

「後悔を、していたの……」

 言葉が勝手に、口をついて出た。

「ん?」と首を傾げる少年だが、私の言葉を遮ったり逃げ出したりすることはなかった。

 私は安心して、言葉を続ける。

「一度目の織物は、私が逃げ出したせいで未完成のままで。二度目の折鶴は、退院に間に合わなかった。今というチャンスは一度しかないのに、それを掴むことが出来なくて……」

 あの時、私との約束を破って障子を開けてしまった翁。

 たった一度の失態で、一時の感情に負けてその先共に過ごすはずだった全ての時間が消え失せた。羞恥ゆえに逃げだした私だけじゃない、きっと彼もずっと、後悔していた。

 耐えればよかった、もっとちゃんとがんばればよかった。

 今という時間の大切さを、相手を思いやることを、二度の失敗から私はちゃんと、学んできた。

「三度目の恩返しの機会を……私と出会ってくれて、ありがとう」

 ぽろぽろと、私の目から涙がこぼれ落ちた。

 それを隠すようにしゃがみ込み、俯く。

「えぇっと……」

 同じようにしゃがみ込んだ少年が、私の顔を覗き込んだ。

 鶴だった頃、人間が恐ろしくて暴れ回る私の目を見つめて「大丈夫」と声をかけてくれた翁。

 母に叱られて大泣きする私の頭を撫で、「大丈夫だよ」と慰めてくれた祖父。

「大丈夫?」

 そして今、目の前の少年が私の手を握りながら言った。

 カラスに折鶴を奪われ空っぽになった私の手のひらに、少年の小さな手。

 温かい感触。

「プレゼントを贈りたいの、あなたに。楽しみにしていてね」

 私の言葉に虚をつかれた顔をした少年だが、すぐに穏やかな笑みを浮かべる。

 初対面のはずなのに、記憶がないはずなのに、彼は嬉しそうに笑った。

「わかった。楽しみにしておくね」

 その笑顔がいつかの翁と、最期に見た祖父と、二人の姿に重なり、思わず私も笑みを浮かべた。

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織鶴と三度目の恩返し 七種夏生(サエグサナツキ @taderaion

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