2022年9月9日
葦空 翼
日本の某所
〘今どこにいんの?〙19:30
〘近所のセブン〙19:30
〘まーた買食いしてんのか〙19:41
〘だって今日暑くてさー。これで9月9日ってヤバいよ。東京は9月も夏なの?狂ってんの?〙19:45
〘北海道から来た奴には辛いかもな。
とりあえず帰ってこい。女子高生が夜にうろつくな〙19:46
〘だいじょーぶだよ、私空手有段者だから〙19:46
〘だからヤなんだよ。お前が問題起こしたら俺が警察から怒られるんだからな?〙19:48
〘へーい。そろそろ帰る〙19:55
ラインの返事がほぼ秒で帰ってくる。2022年9月9日、東京都新宿区歌舞伎町。貧乏社会人の彼、彩人の前に、田舎出身の『ねこ』と名乗る女子高校生が現れたのは、8月初めのことだった。
「東京って人がいっぱいいるね!」
「ここどこ?え、歌舞伎町??あの!?歌舞伎町?!すごーい!!」
「私今まで北海道の田舎で暮らしてて。わぁ〜〜東京ってすごいなぁあ」
いかにもお登りさんでキャッチ相手に困ってた彼女を助けたら、すっかり懐かれてしまった。知人のツテがあってここに来たと思っていたのに、どうやら「とにかく人のいる所」を目指していたらしく、どうにも危なっかしい。仕方なく彩人のアパートで寝泊まりさせてたのだが……まさかの新学期ブッチ。もう絶対学校始まってる。なのに帰らない。
待って、今俺がやってるのって未成年略取って奴じゃない?最近日本の成人年齢が18歳になったから、今日19歳になった俺はしっかりバッチリ犯罪者だ。……やだ……怖い、警察に捕まりたくない。
「たっだいまー!!セブンでアイスたくさん買ったぞぉ!」
彩人がガクブル震えていると、アパートの安っぽい扉がガチャン!と音を立てる。件の不良女子高生が帰ってきた。手には山盛りのアイスが入ったコンビニの袋。
「わ〜アイス美味そう!……じゃなくて、お前!いつになったら家に帰るんだ?!東京観光に来てる学生だと思ってたのに、いつまでもここに居座って9月になって……学校はどうした!?お前高1なんだろ?!」
「あー………」
「目を!逸らすな!!!」
大きなツリ目が、しかし困ったように泳いでいる。彩人とて、人に説教出来るような高尚な生活などしていない。日々日雇いのつまらない仕事しかしてないが、一応成人している彼と「ねこ」は違う。15だか16だかの女子高生が学校に行かないのは大問題だ。説教の一つでもしたくなる。ずっとなぁなぁで一緒に暮らしてきたが、そろそろビシッと言ってやらねば。彩人は心を鬼にして目を吊り上げた。
「も〜〜甘やかさないからな。ねこ、お前北海道帰れ。絶対学校始まってるだろ。新学期に入ってるのにずっと無断欠席か?先生も家族も心配してるはずだぞ。見ての通り、俺は底辺貧乏社会人だ。いつまでもお前置いとけるほど、金持ってないんだよ。……な、いい子だからちゃんと帰れ」
「…………、」
「今まで一緒にメシ食ったり話したり出来て楽しかった。でもお前がまだ子供な以上、俺が今やってることは未成年の誘拐になっちゃうんだ。お前は俺を犯罪者にしたいのか?」
「………彩人」
「最後に飛行機代くらい、出すから。帰ろう、ねこ」
「………私、私は……」
俯いた顔は綺麗な黒髪に隠れて見えない。元々前髪長めの奴だったけど……その胸中は悲しみか、寂しさか。小さく肩が震えて、
ぐしゃり。
ずっと握りしめていたコンビニの袋が落ちた。細いのに大食いのねこはいつも山程おやつを買い込んでいた。今日も彩人と一緒に食べるつもりで、端から端までという勢いで買ってきている。それが落ちて、床でとろける。9月9日のまだまだ暑い日。
「……金が、あれば。まだここに置いてくれるか」
「……そういう問題じゃない。学校は?って聞いてんだけど」
するとねこが顔を上げた。長い前髪の隙間から覗く瞳は、生まれつき色素が薄いのか明るい色をしている。
「本当は、学校なんて行ってないんだ。学費を払ってくれてた唯一のばあちゃんが死んだからな」
「えっ」
「親戚はいない。両親なんか会ったこともない。行くとこが、ない。だからせめて一人で暮らせるようにこの街に来たんだ」
「………な、な」
「私はお前に捨てられたら今度こそ行くとこがない。あとは身体を売って金を稼ぐくらいしか──」
「ま、待て待て!!?それならそうと言え、なんか…、なんか手はあるはずだから!現代日本ならなんとかなるはずだから、一緒に考えよう!」
「なんとか?なんとかってなんだ、私はもう学費も払えない状態で夜逃げしてきたのに」
「………、〜〜〜ッ!」
生活に困窮した学生は、頼れる親戚のいない10代は、こういう状況になったらどうしたらいいんだ。思いつかない。ネットを漁れば出てくる?俺に何が出来る?成人してなんぼも経たない、しがない貧乏人の俺に。
「………俺、だって、今日19になったばっかで……なんとかしてやりたい、けど、どうすりゃいいんだ……。区役所、警察、あとは……一緒に行けるとこはなんでも行くから……頑張ろうよ……」
「………」
長い沈黙が落ちる。するとしばらく後、ねこがぴょこんと顔を上げる。
「あれ?彩人、今日誕生日なんだ?今日19になったんだ??」
「そうだけど。それがどうかしたかよ」
「じゃあ誕生日プレゼントを用意しなきゃ」
「いや、それよかお前の今後の方が大事だろ……」
「ううん。だったらいいこと考えた」
「は?」
そこでねこがにっかりと歯を見せて笑う。態度はともかく、押しも押されもせぬ見事な美少女の彼女が次に言った言葉は、
「私達結婚しよう。そしたら私の身分は安泰だ」
「は???」
「で、仕事はあとから考えよう。とりあえず女子高生じゃなくなれば、日中そのへんうろついてても大丈夫だろ?」
「待って?俺はともかく、とりあえずお前未成年なんだけど?」
「だって私今ガチで天涯孤独の身だから。この場合、誰が保護者として結婚を認めてくれるんだ?」
「ええ………えええ………」
「よし決まり。明日区役所行こう。おっけーおっけー」
「ま、待て!全然おっけーじゃないぞ?!」
「なんでだよ。さっき行けるとこはなんでも一緒に行く、区役所だって警察だってって言ったじゃないか」
「そういう意味じゃねーーーよ!!!!」
にこにこ笑みを浮かべながら、勝手に話を進めるねこ。いや、こいつは誰に紹介しても恥ずかしくない美少女だけど、料理上手いし大体なんでも出来るけど、だからって突然結婚??!話がぶっ飛びすぎだろ!!!
「だめ……?彩人……。もし結婚してくれるなら、私の身体も好きにしていいから……」
困惑する彩人を見て、瞬時に表情を切り替えたねこ。彩人はそのすがるような目に思わずたじろいでしまう。
「わぁーーー女ってずるぅい!!ここぞで身体を餌にしてくる!!!」
「食いついてくれるならなんでもいい」
「最低!!!!!」
血相を変えて声を荒げる彩人に対し、ねこは「てへ☆」程度のテンション。なんて卑怯な奴なんだ。女って怖い。
「……ほら、とりあえず溶けちゃうからアイス食べよ。新商品の芋の奴が美味しそうでさ〜。外はまだこんなに暑いのに、商品だけ秋感押し出してくるのウケるよな〜〜」
「もーー、話逸らすなよ!!!もし明日以降役所行くなら、まずは戸籍のチェックだろ!北海道!行くぞ!そんでお前の親を探し出して、養育権をちゃんと整理してそれから……」
「それから?」
「……結婚云々は、保留!全部片付けてそれでもお前が本気なら、かん、がえるから……」
「おっ、さっすがお人好し〜〜。彩人大好き♥」
「お前!!」
上手く相手の手のひらで転がされたと気づいてももう遅い。2022年、9月9日。東京で迎える誕生日。それは波乱と驚きの連続の日々の、ほんの序章に過ぎなかった。
「ああ、そうだ。将来の旦那様候補なんだ。お前にだけは私の本名を教えてやるよ。
私の本当の名前は………」
黒髪の「ねこ」が微笑みながら呟いたその名前は、とても彼女に似合っていた。
2022年9月9日 葦空 翼 @isora1021
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