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ゆーえんみー大統領
1
ピッ、ピピッ。しきりに鳴るアラームを止めてベッドから這い出る。水面から顔を出すような起床だった。浅く息を吐く。
寂しい朝だな、心の中でそう呟いた。
小さな頃から夢を見るのが好きだった。昔は見られたとしても、寝る前に母さんに読んでもらった絵本の夢しか見る事ができなかった。それでもそれが好きだった。
歳が上がるにつれて、見られる夢も回数も増えていった。
夢の中は自由だった。空を飛びたいと思えば、手をパタパタさせるだけで飛べるし、ステーキを食べたいと思えば牛が出てくる、そしてこれが美味いのなんのって。
中学校に上がる頃には見知りもしない人々が夢に出てくるようになった。そして俺はそれが嬉しかった。
知らない国の白い街で王様に会って旅をして、ドラゴンを倒しお姫様を救う。ドラゴンの肉はまずかったっけ。あるいはタイムマシンに乗って近未来の文化に触れる。犬型ロボットがいないのは残念だったけど。
毎日が映画だった。席は自分のだけだし、俺は主人公だった。
ある日スパイの夢を見た、親友と祖国を救う。そのミッションの途中、親友は敵に撃たれ死んだんだ。
結局祖国は救えたけど、俺はその日からある悩みに囚われてしまった。夢の中で死んだ人はどうなるんだろうって、いや夢が終わったらあの人たちは死ぬんだろうかと。一度見た夢をもう一度見ることはほとんど無かったから、夢の終わりが一生の別れだった。
その日から、寂しさを抱いて朝を迎えることになった。
ぐちゃぐちゃになった髪をセットして、俺は階段を降り一階のリビングルームへと向かった。
部屋に入ると「おはよう」とテレビを見ている父がいつも通り言った。
母さんが焼いてくれたトーストにバターとジャムを塗りホットミルクで一気にお腹へと流し込む。今日も昨日で、明日もきっと今日な、そんな毎日だ。
身支度をすませ、玄関から外へと勢いよく飛び出した。黒いクロスバイクに乗って高校へと漕ぎ出す。去年の誕生日に買ってもらったこの自転車は、手に馴染むと言えば変かもしれないが(だって漕ぐのは脚なんだから)とにかく漕ぎやすく『相棒』なんて呼んだりして大切に使っている俺の宝物だ。フレームをぽんぽんと撫でて、さらにスピードをあげた。
青い空にかかった浅い白色の三日月。葉のない木々がなすトンネルの隙間を冷たい風が吹き抜けて、道端に落ちているオレンジブラウンの葉をふわりと宙に舞わせる。俺はそれを見て、今日みた夢が自分が宇宙飛行士になる話だった事を思い出していた、それがどうした訳でもないのに。
社会の時間。第二次世界大戦の事をやってる。
「先生、ギャグ言っていいすか」
「おー、いいぞ」慣れた口調でさばくのは、俺が毎授業ギャグを言うからだ。
「杉原千畝の自己紹介。『ワイの名前は
「お前はやっぱりおもしろいなあ!」幼馴染のタクが一つ後ろの席から俺の肩を叩く、授業後のこのやり取りも毎時間の恒例だった。けど今日は少し違った。
「カイ君、いっつもギャグ思いつくなんて、頭いいんだね」笑っていう彼女、俺の席の左隣の神崎さん。
はっとして「だろ!俺天才だから」と急いで返す。タクと神崎さんに見られないよう後ろに振り返って、小さくガッツポーズした。「なにしてるの」とまた神崎さんは笑った。
朝の寂しさを足したとしても俺の毎日は決して悪くない、楽しい日々だと思う。クラスの人気者で顔も悪くはないし、男女どっちとも仲がいい。けどやっぱりそれは日常だし、映画とは程遠くて何かが足りない。夢を見るときに味わったあの興奮はもう味わえないんだろうか。
1日目。
「今日は皆んなに嬉しいお知らせがあるぞー」
「なんだよ先生ー!早く教えてー!」唯一の幼馴染のサトルがまた馬鹿みたいな声ではしゃぐ。
「はいはい落ち着いて。今日からうちのクラスに転校生が来ることになった」
教室のそこかしこでちらほらと話し声が沸き立つ。そういえば筆箱を持ってくるのを忘れてしまった。今日は何かが違った。
先生はドアの前まで歩いていき、ガラガラと引いて、ひとりの生徒を連れてきた。背はすらりと高く、短く黒い髪。整った眉毛が瞳に凛とした印象を与えている。学ランがよく似合っていた。「ちぇ、男かよ」後ろからぼやき声がする、小さなその声は先生や転校生に聞こえてないといいけど。先生はゴホンと咳払いして、構わず続けた。
「ほら、自己紹介してちょ」先生は緊張をほぐすつもりなのかも知れないけど、真顔と相まって微妙な空気になってる。それに関係なく転校生は喋り始めた。
「皆さん初めまして、僕の名前は久保 誠で神奈川から来ました。趣味はピアノを弾く事です。よろしくお願いします」
さーっと音が遠のいていって、耳に心臓を押し付けられているみたいにどくんどくんという音がうるさい。すぐ音は元に戻ろうとした。けど戻ったときには何かが違っていた。
なぜだか分からない、明るいのか暗いのか、面白いのかつまらないのか、よく分からないやつなのに俺も皆んなにまざって拍手していた。あのとき吹き抜けた風が、今度は俺を宙に舞わせたんだ。
「はいはい質問!彼女はいますかー?」女版サトル。
「今はいないです」
「きゃー!女テニのマネージャーなってー!」何人かの女子は一緒にはしゃいで、他の女子は小さな声で話している。
「はいはい、それじゃいつも通り九時から授業だから。えーっと、久保くんはあそこの席ね」先生が指差したのはサトルの左隣、神崎さんの一つ後ろの席だった。
2日目。
久保の一人称が僕なのは、苗字が久保だからなんだろうか。とにかく僕というやつはめずらしい。今日は朝が寂しくなかった。それは夢を見なかったからだった。毎日見ていた夢がなくなるのは初めてだったし、それは寂しくなかった。
涼しい風がすっと肌を撫で、木漏れ日があたたかい。小鳥たちが春を歌い、花々は太陽へと向かい咲き誇っている。
河川敷のそばに立つ大きな古い木の影を轢き、すっかり散ってしまった桜を取り戻そうとするような葉桜のトンネルを一人駆け抜けた。
俺は久保のことをボクと呼ぶことにした。
3日目。
教室に入って、廊下を歩くときに感じた違和感の正体が分かった。
サトルや神崎さん、ほかのみんなも制服じゃなくて紫色のTシャツを着ている。サトルが駆けよってきて肩を叩いた。
「おいおいお前、クラスTシャツ忘れてないよな?」
クラスTシャツ。うちの学校で着る機会があるのは文化祭だけだし、文化祭は夏にやる。今は秋のはずだ。やっぱりボクは凄いやつだ、あいつが来てから俺は夢を見なくなって、そのかわり夢が日常にやってきた。別れることも死もない日常が非日常になるのは最高だ。もう夢はいらない。
もう一度自分の体を見下ろすと、俺はクラスTシャツを着ていた。あいつが宇宙人かどうかなんて事も、俺以外のみんな何にも気付いていないのもどうでもよかった。
俺たちのクラスは出し物で劇をやった。主人公が知らない国の白い街で王様に会って旅をして、ドラゴンを倒しお姫様を救うお話。さすがボクだ、主人公のあの剣幕はきっとあいつにしか演じられない。
スポッとドラゴンのかぶりものを脱いだのはサトルだった。汗で髪がびっしょりだ。舞台袖で小物係をしていた俺は、サトルにタオルをやった。
「いやぁ、つかれたつかれた」スポットライトがボクとお姫様を演じている神崎さんをうつす。
俺らのクラスの劇は大成功で、二人がお辞儀してたくさんの拍手を貰った。そんな神崎さんを見て、俺は少し緊張していた。サトルに「お疲れ」と肩を小突いて、俺は体育館裏に走った。
「それで話って」白いドレスを羽織った神崎さんも可愛かったけど、やっぱり普段の神崎さんも可愛いからさらに緊張する。
「あのさ、俺」ぎゅっと手のひらを握りしめる。
「俺、神崎さんのこと好きなんだ!だから付き合ってほしい」頭を下げて右手をつきだす。髪の先から滴る汗が、アスファルトにぽつりとシミを作った。
ダメだったかな。
「私も好きだった、お願いします」ばっと見上げた神崎さんの顔はあのいつもの笑顔だった。俺は嬉しくなってその場でガッツポーズをしてしまった。
「ねえそれ癖なの」また笑った神崎さん、どうやらバレていたみたいだった。
体育館裏の白く塗装された扉がガガガッと言ってその重さをアスファルトに響かす。段差に腰かけていた俺と神崎さんは立ち上がって繋いでいた手と手を引き離した。
「あ、神崎君とカイ君じゃん」中から出てきたのはボクだった。こいつには感謝しないとな、文化祭をしてくれた事。そう思って口を開こうとした瞬間、なにか悪いイメージがした、それに今は秋じゃなくて春だった。それに気がついて俺は神崎さんの方を振り返った。
ぐにゃり。
神崎さんが、変わった。そうとしか言いようがなかった。誰なんだ、誰だか分からない男子になっていた。
俺はとにかく走った。階段を駆け上がって、廊下を通って教室の前まで来た。「はあはあ」ここまで来ればきっと大丈夫だ。俺は教室の扉を開けて、いつもの席に座った。他の席にも鶏たちが座っている。それで日本語を喋っている。
もう何がなんだか分からない。窓ガラスにうつった自分の顔。外は電車がトンネルを通った時みたいに真っ暗だから、くっきり見える。
ぐにゃり。
そうか、俺のあの悩みは、半分正解の的外れなんだ。
俺が夢の住人だったんだ。
ピッ、ピピッ。しきりに鳴るアラームを止めてベッドから飛び出る。今日は久しぶりに夢を見た。自分は高校生で、ある日文化祭をすることになる。劇が成功して、それで…最後はどうなるんだっけ。
そう言えば、夢に出てくる人々は夢が終わったら死ぬのかな。まあどうでもいいけど。
ぐちゃぐちゃになった髪をセットして、僕は階段を降り一階のリビングルームへと向かった。
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