最終話 通い妻vs後輩


 8月16日の朝。


 俺は盆休み最後の朝をひなのと共に目覚めた。


「……はよーパピー……」

「おはようひなの……」


 まだぼんやりとした視界の中、昨日の疲れからか重だるい体を引きずってリビングへ向かう。


 廊下を歩く中、俺達は気付く。


「! パピー……!良い匂い……!!」

「今日はえらく気合いが入ってるみたいだな」

「行くぞ!突撃ーー!!」


 嗅覚を刺激されたひなのがダッシュでリビングのドアを開ける。


 そこには──


「あ、ひなのちゃんおはよ!それに諒太さんも!!」

「うぃっす!!じぇーけー!今日の朝飯はなんだ!?」

「おはよう佐々倉さん。えらく手が込んでるな」


 テーブルの上には彼女の手料理が数多く並んでいる。

 

 あかりのエプロンを巻いた佐々倉さんがキッチンに立つ姿に安心感さえ覚えるな。


 やっぱ、1日の始まりはこうじゃねーと。


 ようやくいつもの日常が帰って来た気がする。


 さてと、早速頂戴するか!


「佐々倉さん、いただきます!」

「いただきやす!」

「はいどうぞ」


 笑って答える佐々倉さん。


 彼女も一通り準備が終わったのか、俺達と少しだけ遅れてテーブルに着いた。


 俺は食事を進めながら彼女に話し掛ける。


「そう言えば佐々倉さん、昨日のEmoの配信はどうだったんだ?」

「それが大変なんです!!」

「?」


 昨日は静に配信するよう頼んだが内容までは知らんからなぁ。

 あいつ、何かとんでもない発表したのか?


「Emo様、個人事務所立ち上げて私を加入させる事発表しちゃったんですぅ!」


 ん?なんだそんなことかよ。

 何をそんな大慌てしてるんだ?


「別に良いじゃないか。どうせ今日顔合わせなんだし」

「で、でもでも!私……まだ全然売れてないから……コメントも誰?とかでいっぱいで……」

「……」


 要は自分の実力に見合わない舞台に引っ張られた事で自信がないわけだ。


 しかしそんな事で落ち込んで貰ってては困る。


「おいおい、覚悟は出来てたんじゃないのか?打ちのめされる覚悟はさ」

「そう、ですけど……やっぱり現実が近付いてくるとどうしても……」

「やれやれ──」


 俺は食事を中断し、佐々倉さんの後ろに回った。


 そして優しく彼女の肩に手を置いた。


「大丈夫さ君なら出来る。君にはEmoを越えるような存在になって貰わないといけないからな」

「そ、そんなEmo様を越えるなんて……」

「出来るさ。出来る、絶対だ。俺もついてる」

「ひなもな!」


 ぴょん、と手を挙げたひなの。

 優しい子に育ってくれてパピーは嬉しいぞ。


「諒太さん……ひなのちゃん……」


 俺達の激励を受けて気を持ち直したのか、佐々倉さんは明るい笑顔を取り戻してくれた。


「ごめんなさい、ちょっと弱気になってました。せっかくEmo様にも会えるって言うのに……!」

「そうだそうだ!」

「だな。君の憧れの人物なんだろ?もっと喜べよ」

「そ、それはもう凄くすっごく嬉しいんですけど、畏れ多いのが勝っちゃって……」


 まぁ自分の夢を見付けさせてくれた相手と同じ事務所に入んだから仕方ないか。


 緊張するような相手じゃないんだけどなー……


 こんなんで上手くやっていけるのかな。

 少しだけ不安だ。


 静も自分の認めた相手以外には結構冷たい所があるし。


 ん?

 あれ、そう言えば忘れてたけど俺佐々倉さんがMiyaBiだって事教えて無かったな。

 

 んん?

 ……そ、そう言えば……佐々倉さんと静って一回会ってるな……?


 そう、あれだ。

 佐々倉さんが通い妻宣言をしたあの日に──


 俺は身震いと共に奴が到着した事に気付く。


 ピンポーン、とインターホンが鳴ったのだ。


「あ!!ももも……もしかしてEmo様!?」

「おぉ!天才様か!ひな見てくる!!」

「あ、ちょ待てひなの!!」


 俺の制止も聞かず、ひなのは足早に玄関へと向かっていた。


 ま、まずい!

 何の説明も無しにこの2人を引き合わせたら──


「やほーひなひな」

「お待たせしました天才様!!」

「……遅かったか」


 玄関のドアを開けて挨拶を交わす2人。

 俺は開け放したリビングからその様子を見ていた。

 佐々倉さんは後ろでガチガチに固まっている。


「あわわわ……!と、とうとうEmo様と……!!」


 だ、大丈夫かな!?

 こんなに緊張してたらあの時の事なんか思い出さないよな!?


 ったく……何で俺は一番大事な事を伝え忘れてたんだ!


 江本静がEmoであると!

 そしてMiyaBiが佐々倉みやびであると!


 頼む!

 どうか、穏やかな邂逅を……!!


 ──が、しかし俺の切実な願いは泡のように消し飛んでくれた。


「諒太先輩!お邪魔しまーす!!さてさて、Emoが来ましたよ~MiyaBiちゅわ~ん♡」


 まるで挑発するかのような物言いでリビングへ入ってきた静。


 そして静の顔を見た瞬間、佐々倉さんの時間が止まった。


「……………………え?」

「きゃー!あなたがMiyaBiかー!!どうもどうもよろしくね、家出JK・・・・さん♡」

「……」


 にっこにこの笑顔で握手を求める静に反応を示さない佐々倉さん。


 ……あれ、マジで目を開けたまんまフリーズしてんだけど。

 

 しかしそんな硬直も長くは続いてくれなかった。


「……諒太さん、これ何の冗談ですか?Emo様を呼んだんじゃなくって……どうして後輩さんがここに?」


 声に温度がない!?何なら表情にも!!


「あ、あのな佐々倉さん!!じ、実は静が──」

……?へぇ……いつからか下の名前で呼び合うようなご関係になっていたんですね……??」

「いっ!?」

「おぉ……ひな……この空気知ってるぞ……デジャブ……」


 だからお前はどこでそういう言葉を覚えて来るんだよ。


 だがひなのに意識を向けている場合じゃない!


 俺は佐々倉さんの方に駆け寄って静がEmoで間違いない事を説明した。


「佐々倉さん本当に彼女がEmoなんだ!君の憧れの!!」

「へぇMiyaBiちゃん、そんなに私の事推してくれてたんだぁ嬉しい~!!そんな子紹介してくれてありがとうございますぅ諒太先輩~♡」


 猫なで声でそう言いながら、ぴとっと静が俺の背中に体重を預けて来た。

 

 それと同時に表情の死んでいた佐々倉さんの眉間に、ぴきっと血管の筋が入る……


「ちょ、おまっひっつくなーー!!」

「やーだー諒太先輩の背中超あったかいんですも~ん♡」

「…………ハハッ」

「佐々倉さん……!?」


 佐々倉さんはユラリと体を揺らしながら、空いていた俺の懐の入り込んで来た。


「よ~っく分かりました諒太さんっ!!!今の猫なで声、間違いなくEmo様です!!何度も配信で聞きましたからっ!!」


 静の奴、配信の時とリアルでは若干声が違うからそりゃ初対面の時は気付かんだろう。

 だがしかしだ。


「そ、そうかいそれは良かった!!だ、だがそれならどうして俺の体にしがみつく!?」

「そんなの決まってるでしょう!?この泥棒猫さんに諒太さんを奪われないようにです!!」

「泥棒猫って……憧れの相手じゃなかったのか!?」

「それはそれ、これはこれです!!」

「パピー……ハーレム……」


 なっにがハーレムじゃ!?

 あかりにぶっ飛ばされるわ!!


 俺の後ろには静が、前方には佐々倉さんが抱き付いて来ているこの状況……誰か何とかしてくれぇ!!


「はっ、子持ちVtuberちゃんはまだ現状が分かってないみたいね」

「な、何がですか!?」

「あなたはこれから私の事務所に入って、私の指導の元活動していくの。お分かり?立場的には私の方が上、そのままの態度だと諒太先輩と会う時間なんて作らないからね?」

「なななっ!?」


 ……おい、どうでも良いけど俺を挟んでやり合うなっての。


 2人はそんな俺の気持ちも余所に、喧喧囂囂けんけんごうごう言い合っている。


「だ、駄目ですそんなの!私は……私は諒太さんの"通い妻"なんですから!!」

「諒太先輩、もう通い妻なんて要らないですよね?これからは私が毎日お世話しますから。ね!ね!ね!?…………ね?」

「ひぃ!?」


 なんだか見覚えのあるやり取り!!


「諒太さんっ!!私が居ないと俺は駄目だって言ってくれたじゃないですか!!私の事、ずっと大事にしてくれるんじゃないんですか!?」

「は、はぁ!?ナニソレ!!諒太先輩、詳しく聞かせて下さい!!!」

「ひな……限界……」 

「ひ、ひなの!?」


 またしてもド修羅場に限界を迎えたひなのが泡吹いて倒れてしまった!!

 

「お、おい2人ともそこまでだ!!これから仲良くやっていかなきゃならないんだぞ!?」

『~~~っ……!!』


 ……そしてまた見えない火花を散らすと。


 本当大丈夫かな……頼むよマジで……


 これで上手くいかなかったら雅子さんに何て報告したら良いかもう分からん。


 俺はひなのをベッドへ寝かせてやる為に、体をブンブン振って2人を引き剥がそうとした。


 しかし、いち早く静が背中から離れひなのの体を抱き上げた。


「やれやれ……詳しい話し合いはひなひなをベッドに運んでからね。諒太先輩、あっちですか?」

「あ、あぁ……頼む」


 静はそうしてひなのを運んでくれた。


 ……ちなみに、佐々倉さんは俺に抱き付いたままだ。


「さ、佐々倉さんや……?そろそろ離れてくれませんかね?」

「……この浮気性」

「今何て言った!?佐々倉さん!?」

「何でもありませんバカ!!諒太さんの女にしてって言ったのに……大好きだって言ったのにぃ~……うぅーーー!!」


 唸りながら俺を抱き締める力を強くする佐々倉さん。

 まぁまぁ痛くなってきた……


 はぁ……これは失敗だったか?

 俺は声のトーンを少し低くして真剣に話し掛けた。


「……Emoとは上手くやっていけそうにないか?」

「! す……すみません……私、諒太さんの気持ちも知らずに……」

「あー……まぁこれは説明してなかった俺も悪い」

「い、いえ……私も少し熱くなりすぎました。すみません」


 ようやく血の気が引いたのか大人しくなったな。

 ただ……


「謝ってくれるならいい加減離れてくんない……?」

「嫌です」

「……頑固ものめ」


 この女、キッパリと言い切ってくれやがった。


 そろそろ静も戻って来るだろう。

 まだ抱き付いていられたらさっきと逆戻りしそうだ。


 そろそろちゃんとこれからについて話し合いたい。


「佐々倉さん、君はこんなくだらない事で目の前のビッグチャンスを逃しても良いのか?」

「……くだらなくなんかないです」

「君はそう言うだろうさ。けれどEmoと仕事出来るってのは本当に凄い事だ。彼女の機嫌を損ねて棒に振って良いのかって聞いてるんだ」


 俺のかなり真面目な言い方に、佐々倉さんは口をへの字にしながらもきちんと答えてくれた。


「私にとっては諒太さんとの事も本当に大事なんです。どっちかなんて選べません」

「……だが……」

「私は全部手に入れます。諒太さんが私に全部を取り戻してくれたから……!!」


 佐々倉さんが決意を秘めた瞳を向ける。


 それはいつだったか、そう、あかりがプロポーズを受け入れてくれた時の瞳と同じだった。


 確か──『あたしを世界一幸せにする覚悟は出来てる?あたしは諒太を幸せにする覚悟出来てるよ』──そう言っていた。


 これは要らない心配だったかな。


「へぇ、強欲だねMiyaBiちゃん。あなたにそんな事出来るの?」

「静……!」


 ひなのを寝かせてくれた静がリビングのドアを開けてこちらへ歩いてくる。


「出来ます……!私は──」


 佐々倉さんは俺の体からようやく離れ、静と面と向かって立ち合った。


 そして、堂々と宣言する。


「夢も、恋も、Emo様──いや、静さんには負けません……!憧れは今この瞬間捨てます……!!」


 その言葉を聞いた静はニヤリと笑って右手を差し出した。


「ふふっ、良いねぇやっぱMiyaBiを推して良かったよ。これからよろしく、一緒に地獄へ連れてってあげる♡」

「はい……!!」


 お互い握手を交わす。

 ようやく一段落か……


 俺はそんな2人を見て思わず微笑んでしまう。


 これから頑張れよ佐々倉さん……!!

 この先、何があっても俺だけは君の味方だからな……!!


 そう、俺はあくまでも保護者的な立ち位置でこれからの佐々倉さんを見守っていくつもりだった。


 だがしかし──


「諒太先輩、そんな所でなに笑ってるんですか。これからのスケジュール伝えますから早くメモって下さいよ」

「は?」

「いや、だからこれからMiyaBiのマネージャーとして頑張って貰うんですから。呆けてる場合じゃないですよ?」

「諒太さんがマネージャー!?本当ですか!!」

「人足りてないからね。諦めて下さい」

「な!?聞いてないぞ!?おいぃ!!マジでやんのか!?」

「はい」

「嘘……だろ……!?」


 こんな事、あまり考えたくはない。だが……


「諒太さんっ!これからも私の事、よろしくお願いします!!」

「ははは……やれやれ、仕方ねぇな……」


 俺と通い妻の物語はまだまだ続いていくようだ──



《作者あとがき》

 ここまでお付き合い頂き誠にありがとうございました!

 なろうでの連載もここで終了とさせて頂いており、いつかこの先も描くかもしれません。

 その時はぜひまた来て頂けると嬉しいです!

 今後の活動がまだ未定なのですが、なろうで上げた短編を連載版としてこっちで書こうかなとか悩んでますので、その際もぜひまた読んで頂ける事を願っております!!


 改めまして読者の皆様、本当にありがとうございました!!

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今年5歳になる愛娘が家出JKを拾ってきたが、飼うことは出来ないので通い妻にしてみた。 棘 瑞貴 @togetogemiz

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