第26話 通い妻が帰ってきた。


「今日くらいついて来なくて良かったのに」

「そういう訳にはいきません。せっかく母からお泊まりの許可も出たのに」

「……あぁ」


 ……思い出すだけで胃が重くなる。


 俺とひなのが佐々倉家を出る時、佐々倉さんが急に「私も一緒に帰る!母さん、泊まってくからね!」と、いきなり門限はどこへやら、とんでもない事を口走ったのだ。


 そこでまた一悶着あったんだよ……

 もう説明したくもねぇ……


 家へと帰る足取りが重くなるのも仕方ないってもんだ。


「あれ許可が下りたってって言うかもぎ取ったが正しいからね?」


 俺は眠ってしまっているひなのを背に抱えながら佐々倉さんに半目を向ける。


「いえ、あの人はあれくらいじゃないと駄目なんです。もう良く分かるでしょ?」

「まぁ……それは……」


 雅子さんには強引なくらいで丁度良い、か……


 もうそんな風にしなくちゃいけない展開なんてごめん被るよ。いやマジで。


「それより、諒太さんお腹空いてるんじゃないですか?私が居ないとご飯を用意して、洗濯してって大変じゃないですか?」

「……間違いないな。やっぱり君が居ないと俺は駄目なようだ」

「へへ、私は諒太さんの"通い妻"ですからね!」


 全くこの子は……


 俺が苦笑いしていると、佐々倉さんがパタっと立ち止まる。

 そしてペコリと頭を下げた。


「諒太さん、改めてありがとうございました。諒太さんのおかげで私はまた頑張れます」

「お礼を言うのが少し早いな。本当に大変なのはこれからだぞ」

「……はい。でも、ありがとうございました……!」

「……おう」


 再び歩き出してから、俺は夜空に煌めく星を眺めた。


 ──あかり、これで良かったかい?


「諒太さん……?」

「ん、悪い何でもない。それより早く帰ろうぜ、マジで腹へったわ」

「そうですね!腕によりをかけて作らせて頂きます!」

「楽しみだ」


 俺は愛娘と家出JK──いや、通い妻と夜道を往く。

 盆の終わりは涼しく、通り過ぎる夜風が少し肌寒い。


 明日は五山の送り火。

 安心してあかりが帰れるようにちっとはマシな結末になったかな?


 あかり、全部お前のおかげだ。

 お前が居たから俺は佐々倉さんの居場所を守ってやれた。

 ま、大変なのはこれからだけどな。


 ……なぁ、あかり。


 お前の方こそ向こうで幸せに暮らせよ。


 俺の事殴る為だからっていつまでも待ってんなよ。

 早く俺の事なんて忘れてしまえ、嫉妬くらいはしてやるからさ。


 だけどどうかひなのの事だけは忘れてやってくれんなよ?


 ──星を眺めながら心に決めた相手に願う。


 どうかいつまでも俺達の娘が幸せであるようにと。





「……で、これはどういう事? 」


 夜も深まった午前0時。

 日付が変わってそろそろ眠ろうかという時に、我が通い妻様があかりの部屋で寝転ぶ俺の上に股がっている。


「へへ、決まってるじゃないですか。夜のお勤──」

「帰れ」

「ひゃぁ!?」


 何度目だよこの展開。


 俺が勢い良く体を起こすと佐々倉さんが後ろへと転がって行った。


「ったた~……もう!何するんですか諒太さん!」

「それはこっちのセリフだ。何回言ったら分かってくれるのん?俺は君には手を出さん」

「……」

「……?」


 あ、あれれ?

 佐々倉さん急に俯いて黙っちゃった。

 もしかして傷付けてしまったか?


 だが普通にオッサンが少女を抱くわけにはいかんのだ。分かってくれよ。


「あ、あの佐々倉さんや……?」

「……うぅっ……」

「泣いてる……!?」


 ちょちょちょ、なんで!?

 ついさっきまで元気に俺を襲おうとしてたよな!?


「わ、悪い!もしかしてどこか打って痛かったか!?」

「ち、違いっ……ますっ……だって。だって諒太さんが……!!」

「え……何かな……!?」


 俺はベッドの上で泣きじゃくる彼女の傍に寄って顔を覗き込んだ。


 すると──


「えい」

「!?」


 月明かりが優しく差し込む薄暗い部屋の中、年若さ故なのかみずみずしい唇が俺の唇に重なった。


 一瞬の事で一体何が起こったのか分からず固まってしまう。

 そしてその一瞬は致命的だった。


「……んんっ」

「!?!?」


 俺は唇を押し付けられたまま体勢を崩され、再び佐々倉さんが俺の体の上に乗っかった。


 ──今だキスは継続中。


「……っ!?」


 そして俺の顔を両手で挟み込み、彼女は重なった唇の奥から──


「って、おい待て待て待て待て待てーーー!!!」

「あっ」


 俺はガバッと佐々倉さんの肩をベンチプレスのように持ち上げた。


 ……あ、危ねぇ……一体何考えてんだこのガキぃ……!


「もう!もう少しだったのに!」

「何がもう少しだ!?」

「え?それは勿論ディープ──」

「言わんでいい!!」

「……聞いたのは諒太さんなのに」


 俺は持ち上げた佐々倉さんを半目で睨み付け、その目元を観察した。


「……で、君涙は?」

「へ?うーんと、へへへ」

「嘘泣きか……」


 俺は「はぁ……」とため息を吐き、先程のキスについて言及する事にした。


「……あのな佐々倉さん、俺は君とそういう関係になるつもりはないって何度も言ってるだろ。お礼も別に要らない」

「……そう言うと思いました。ねぇ、諒太さん」

「ん……?」


 俺の真上で髪を垂らしながら笑顔を作る彼女の瞳から俺の頬に冷たい雫が一つ。


「……本当に泣いたら私を諒太さんの女にしてくれますか?」

「……」


 俺は……


「……答えて……くれないんですね。諒太さんはずるい人です……普通あんな事されたら女の子は心動いちゃいますって……その責任も取ってくれないんですか……?」

「それは──」


 佐々倉さんは俺の両腕に支えられながら、着ていたシャツのボタンを外し始めた。


 彼女の下着、さらには深い谷間が露になる。


「よ、よせって……!」

「私……諒太さんになら全部捧げられます。この母さんみたいに大きな胸も隠すことなくさらけ出せます。だから……」


 佐々倉さんは涙で濡れた瞳で俺の頬に手を伸ばす。


「私を諒太さんの女にして下さい」


 俺の体の上で微笑む佐々倉さん。


 部屋に入り込む月明かりが彼女を照らす。

 白く柔らかい肌が良く分かる。

 

 あまりにもあかりに酷似したその全てを抱き締めたくなる衝動に駆られる。

 

 ……あの日もこんな風に君にドキドキさせられたっけな。


 君と出会ったあの日。

 まだ僅かな日数しか経過していないというのにもう懐かしい。


 あの時はひなのが俺を止めてくれたっけな。

 今日はそんな気配はない。


 俺を止める者は居ない。


 唯一、あいつを除いて──


『やほー皆聞こえる?Emoだよぉ~。今日は緊急配信!!ちょっとヤバい事があってさ~』


「Emo様!?」


 俺はEmoの配信が始まると同時に画面が付くように設定していたパソコンに視線を向ける。


 同じように佐々倉さんもそちらを向いた。


「ど、どうして!?今日は何も告知無かったのに……!」

「緊急だって言ってたろ。そういう事もあるんじゃないか?」

「! 諒太さんさては……」


 ……気付かれたか。


 実は佐々倉さんが泊まると分かった時に静にお願いしてたんだ。


 きっとこういう展開になるだろうと予測してたからな……


 ありがとう静……


「ぐぐぐ……Emo様ファンとして緊急配信は見逃せないっ……い、いや後で見れば──」

『今から話す事はアーカイブにも残さないからね!勝手に他の所にアップとかしないよーに。これ約束だよ??』

「な、なんでEmo様ーーー!?」

 

 俺の腕に支えられながらバタバタと暴れ出した佐々倉さん。

 てかいい加減しんどいなこの姿勢……


 俺はそっと彼女をベッドに下ろし、優しく頭を撫でた。


「ほら、今しか見れない映像だぞ。見てこいよ」

「い、いや、でも、私……!!」

「これから君の上司になる女だ。この配信を見て勉強するのも大事じゃないか?」

「……や、やってくれましたね諒太さん……!!」

「さて、何のことやら」


 年相応に拗ねた顔をする彼女に不意にドキっとさせられる。

 本当、困った子だよ。


「……仕方ないので今日は諦めてあげます」

「そうしてくれ。出来れば今日だけじゃなくな」

「ふふ、それは無理ですよだって私──」


 佐々倉さんはベッドから離れ、パソコンの方へと向かう。

 そして俺の方へ振り向くと同時に、眩しいばかりの笑顔で俺の心臓を跳ねさせる。


「──私、もう諒太さんの事大好きなんですもんっ!!」

「……やれやれ」

「へへへ。っとと、うわ!もう何か話し始めちゃってる!」


 彼女は慌ててまたパソコンの方へと向き、熱心にEmoの配信に聞き入っていた。


 俺はそっとあかりの部屋から出てひなのの眠る部屋へと向かう。


 いやーマジで大変な1日だったよ……

 ゆっくり寝たい……


 俺はこの1日の疲れを癒す為にひなのの隣で穏やかに眠りについた。


 今日とはまた別種の波乱が待ち受けてるとも知らずに──

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る