第43話
後日、オーナーが死体損壊の容疑で逮捕された。
つまり、警察は死体の歯型をオーナーが付けたものだと判断したのだろう。
また、逮捕に際して行われた家宅捜索によって、例のノック音の正体についても判明した。なんでも、裏口側の壁の中で配管の一部が宙ぶらりんになっており、それが壁の隙間から吹き込んできた風によって揺れ、壁を内側から叩くことによってノックに似た音が鳴っていたらしい。
道理で、正面玄関側の部屋に泊まっていた北条先輩が音を聞いていなかったわけだ。
(あれだけ怖かったにょげんさまも、知ってみればこんなものか)
幽霊の 正体見たり 枯れ尾花
肩透かしを食ったような感情を抱きつつ、俺は外出の支度を整える。
「さて、そろそろ二宮が着くころだな」
今日は約束していた映画デートの日だ。俺の脚がまだ全快ではないので、彼女が迎えにきてくれるとのこと。涙が出そうなくらいに嬉しいね。
ピンポーン、と時間通りに呼び鈴が鳴る。
松葉杖をつきながら玄関へ向かうと、ドアの磨りガラス越しに彼女の金髪が揺れていた。
「透、きたよー」
「ああ、今行く」
コンコン。
磨りガラスの向こうにいる彼女が急かすようにドアをノックする。
全く、返事をしたというのに……俺の声が聞こえなかったのだろうか。
「おーい、二宮! あんまり怪我人を急かすなよ。今行くって!」
もう一度、大声で呼びかけてから俺は急いで靴を履く。
その間にも、彼女は何度もドアをノックした。
繰り返し、繰り返し。
何度も、何度も。
コンコン。
コンコン。
コンコン。
「透、きたよー」
さっきと寸分たがわぬ声音に身体が強張る。
だが、俺はもう目を背けたりしない。
「ああ……今、行く」
あのペンションで初めて不審なノック音を聞いた時……俺は、恐怖から逃げ出した。見て見ぬフリをして、どうにか平静を保とうとした。
だが、それこそが恐怖の根源なのだ。
怖いのであれば、なおのこと立ち向かうべきなのである。
靴を履き終えた俺は松葉杖をつきながらドアの前に立った。
「にょげんさまなんて存在しない」
そのことを確かめるために、俺は迷いなくドアノブを引っ掴み、勢いよくドアを開け放った。
「わっ! びっくりしたー……」
そこにいたのは、にょげんさま――などではもちろんなく。
めかしこんだ私服姿の二宮だった。そのすっとぼけ顔を見て思わず笑ってしまう。
「透っち、どしたん? まだインターホン鳴らしてないよ?」
「いや、お前が来たのが見えたものだからな」
「えー、どんだけ楽しみだったのー? あ、荷物持つよ!」
「ああ、ぜひ持ってくれ」
二宮にカバンを押し付け、俺は外の世界へ踏み出した。
抜けるような雲ひとつない夏空のもと、慣れない松葉杖の扱いに苦労しながら近くのバス停まで歩く。そして、降り注ぐ暑気から逃れるべく、俺たちは歩道の上に突き出したバス停の屋根に潜り込んだ。
さて――。
「で? さっきの不謹慎なイタズラに関して、何か釈明は?」
ギクッ、と二宮の肩が跳ねる。
正体を知ってしまえば、なんてことはない。
枯れ尾花よろしく、あの懐かしき恐怖は幻の如く消え去った。
結局、俺の「怖がり」をからかう、いつもの友人間のノリ――悪ふざけだったわけだ。
(二宮も……日常を取り戻そうと必死なんだろうな)
しかし、それにしても今回ばかりは些か不謹慎な出来だったのではないかと俺は抗議の視線を送る。
すると、二宮はバツが悪そうに照れ笑いを浮かべて舌を出した。
「……てへっ!」
「いつまでも、俺が下らないイタズラでビビるような男だと思うなよ?」
俺もまた二宮に微笑みを返し、彼女の頭に軽くゲンコツを落とした。
メスガキ、渓谷に死す。 ―完―
メスガキ、渓谷に死す。 塩麹 絢乃 @raimugipoi
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