第42話
警察航空隊のヘリは、救助ヘリが飛び立ったちょうど一時間後にやってきた。
それに乗って、俺たちはまず病院へ向かった。
二人とも崖から落ちているので、その怪我の検査だ。結果は異常なし。雨沢が心配していた俺の後頭部も、どうやら今のところは大丈夫とのことだった。
それから雨沢は拘置所へ、俺は骨折した右足首の手術を受けてそのまま入院することになった。手術後、俺は約束通り二宮に電話をし、その日は通話したまま寝落ちした。
入院生活は存外に退屈しなかった。毎日の診察に、入れ代わり立ち代わりやってくる見舞客、警察の取り調べに、空き時間は夏休みの宿題、と結構忙しくしていた。
気が付けば二週間が経ち、医者から退院の許可が出た。
術後の経過は良好、これからはリハビリのための通院だけで良いそうだ。
それを聞いた俺は、真っ先に二宮に報告することにした。
電話をかけると、ワンコールですぐに繋がった。
「透っち、おはよー!」
すっかり元気を取り戻した二宮の声を聞くと、俺まで元気になってくる。
事件後、二宮は暫く塞ぎ込んでいた様子だったが、犠牲者の合同葬――俺は出席できなかった――を終えた辺りから吹っ切れたようだった。
「ああ、おはよう」
「うぇいうぇーい! 透っち、何か用だったぁ?」
「実は、退院できるようになったんだ」
「え、もう!? やったじゃん!」
二宮の、人の不幸も幸福も、まるで自分のことのように感じて一緒に悲しんだり喜んだりするところが、俺は好きだ。だから、退院のことは家族よりも誰よりも先に彼女に伝えたかった。
「そんじゃま、快気祝いと行きますか! 皆も呼んでパァーッと派手にやっちゃう?」
「いや……お前と、二人きりが良いな」
「うっ、今の……あたし的にめっちゃグッと来た……!」
二宮は、幸せいっぱいに元気な声を響かせた。
「行こう行こう、二人で! どっか、その辺でもブラブラしちゃう!?」
「おいおい、俺の脚が折れてるってこと忘れてないか? どこか落ち着けるところで――」
その時、不意に病室のドアがノックされた。
「二宮、ごめん。お客さんが来たみたいだ。続きはまた後で」
「うん! 待ってるね」
電話を切って、「どうぞ」とドアの向こうに呼びかける。すると、もはや顔馴染みとなってしまった二人組の刑事さんがそろそろと入室してきた。
「いやぁ、空理透さん、何度もすみませんね。先日の事件のことで、またお伺いしたいことがありまして。今ぁ、お時間よろしいでしょうか」
「大丈夫ですよ」
刑事さんは椅子を引っ張り出してきて、ベッドに寝そべる俺の隣に座った。
「それで、話ってのは……?」
「あぁいや、単なる確認ですから。すぐ済みます。そう固くならなくて結構です。今日は、たまたま近くに寄ったもので、そのついでにね」
刑事さんは、俺の緊張をほぐすように丁寧な口調で優しく言った。
「お聞きしたいのは死体の状態です。透くんは、事件の最中に死体を調べたと言っていましたが……その時、死体の首元はよくご覧になられましたか?」
「首元、ですか? 見たとは思いますが……それが何か?」
「そこに――『歯型』のようなものはありませんでしたかね?」
歯型……そんなものがあるとすれば、俺が見ていない檜垣先輩の死体ぐらいだろう。殺す時、雨沢の操るにょげんさまが喉元に噛み付いたそうだから。しかし、刑事さんだってそんな分かりきっていることを改めてわざわざ聞きに来たりはしないだろう。
俺は、三日目の夜に二宮が語った言葉を思い出していた。
『この後……奥さんは、滑落死体として発見されたんだって。その首には歯型がついてたらしいよ……』
これは確か「オーナーから聞いた話」という触れ込みだったはず。
ならば、答えは簡単だ。
「歯型があったのは柊先生か北条先輩のどちらか、或いは両方ですね?」
「……そうです。お二人の首元にそれぞれ一噛みずつ歯型がありまして」
「俺は二人の死体を隅々まで調べましたが、そのような歯型はどこにもなかったはずです。獣が弄ったのでなければ……それは、オーナーが後から付けたものでしょう」
オーナーは、食料の蓄えもあるし水も電気も通っているから、そのままペンションに留まると言ってどちらのヘリにも乗らなかった。つまり、オーナーであれば警察が捜査を開始する前に死体に細工をすることができたわけだ。
刑事さんたちは困ったように顔を見合わせた後、こう言った。
「ありがとうございました。またもう一度、お話をさせてもらうことになると思います。詳しいところは、その時にでも」
おじゃましました、と言って刑事さんたちは帰っていった。本当に用件は確認だけだったらしい。俺はベッドに寝そべったまま彼らを見送った。
(歯型……か)
考えられる可能性は二つ。
一つは現実的な可能性、先程刑事さんたちにも語った【オーナー犯人説】。
もう一つは非現実的な可能性――【にょげんさま犯人説】だ。
奥さんの日記の記述からすると、にょげんさまは直接人をどうこうする力はないタイプの怪異なのかもしれない。だからこそ、風やノック音という遠回しな手段で人心を狂わせ、餌となる死人を作る必要があった。
『今日も窓を叩く音がする』
『その時、ボクの頬を風が撫でた』
奥さんの時も、雨沢の時も、きっかけはそんな些細なことだった。
つまり、死体の首元にあった歯型というのは、そうして作り上げた死体からにょげんさまが血を啜った痕跡なのではないか……。
(……阿呆くさい)
考えていて、自分で馬鹿馬鹿しくなってきた。せっかく無事に帰ってこられたというのに、いつまであの時の恐怖に囚われているつもりだろう。
頭を振って意識を切り替えた俺は、二宮に電話をかけなおした。
「二宮か? 今、テレビを見ていたんだが……映画なんてどうだ? 座れるし。ほら、あの新作アニメ映画とか」
「あー、アレね! ちょうど見たかったかも!」
「それじゃあ、次の週末辺りに――」
電話の向こうから快諾の声が響き、俺の頬が独りでに緩んでゆくのを感じた。
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