エピローグ

第41話

エピローグ


 午後三時頃、けたたましいブレードスラップ音を轟かせ、麓の町の方から救助ヘリが飛んできた。恐らく、迎えにきたバスから通報が入ったのだろう。

 救助ヘリは、ペンション前の広場に着陸した。降りてきた救助隊員を全員で出迎え、これまでの経緯を説明して無線で警察を呼んでもらった。

 それから、少ない荷物を小脇に抱えた葛山先輩が真っ先にヘリに乗り込む。さっきまでならその行動にイラついたりしたかもしれないが、精神的に余裕のある今は「あの人は本当にブレないな」と変に感心してしまった。

 自分の荷物を玄関へ運ぶと、二階から荷物を持った二宮が下りてきた。


「荷物はそれで全部か?」

「うん」

「それじゃあ、俺はこの後に来る警察のヘリで戻るから」

「うん……」


 警察に雨沢を引き渡すまで見張る人間が要る。狂ったオーナー一人にその役目を任せてはおけない。二宮にはさっきそう説明したが、やはり俺だけを残してゆくことに引け目を感じているようだった。


「二宮、お前は俺が隠し事をしてるって言ったな。だが、それはお前もだぞ」

「えっ……?」

「分かってるよ。まだ完全に本調子ではないんだろう?」

「……うん」


 じわりと涙ぐみ始めた二宮を抱きしめ、その唇にそっとキスをする。


「今日の夜、落ち着いたら連絡するよ。だから、後は俺に任せとけ」

「待ってるから……絶対だからねっ!」


 彼女と約束をして、玄関前で別れる。そして、俺は二宮と葛山先輩を乗せた救助ヘリが広場から飛び立つのを見送った。

 さて、救助隊員の人が言うには早くて三十分後、遅くとも陽が落ち切る前には警察のヘリが到着するとのこと。それまで、しっかりと雨沢を見張っておかなくては。

 折れた右脚に苦労しながら食堂に戻り、雨沢を見張っていたオーナーに声をかける。


「見張り、交代しますよ」

「……ああ」


 犯人が雨沢だと判明してから、オーナーはどこか上の空だった。まあ、あれだけにょげんさまが犯人だと推しておいて、結果見事に大外しをしたのだから気まずくはあるだろう。

 だが、オーナーの様子のおかしさは、それだけが理由ではないような気がした。


(このまま何事もなく別れられれば、それで良いんだが……)


 食堂を出ていったオーナーに代わり、縄で縛り付けられた雨沢の隣に俺は座った。

 これで、食堂には俺と雨沢の二人きり。ほんの二日前にも同じシチュエーションがあったが、あの時のように取るに足らない雑談に興じるような気は起きなかった。

 自然、重苦しい沈黙が場に訪れる。

 俺は特に気まずいとも思わなかったが、雨沢の方は違うようで、居心地が悪そうに何度も座り直しながら泣きはらした目でチラチラと俺の顔色を窺ってくる。そんな彼女を見ていると、いつの間にか話題を探し始めている自分がいることに気が付いた。


(どうしたものかな……)


 雨沢に対して、含むところは当然ある。

 だが、もうこれは俺の手を離れたことなのだ。

 警察に身柄を引き渡した後は法の裁きに全てを委ねれば良い。俺がこの後にすべきことは、精々が警察の取調べに協力するぐらいのことで、何者でもない俺が無理を押してまで正義の審判者を気取る必要はもうないのだ。


(罪を憎んで人を憎まず――か)


 孔子も良い言葉を残している。

 その方が、気が楽そうだ。

 俺は、最後に一つだけ確認しておきたかったことを最初の話題として提供した。


「一つ聞きたい。首輪を確保する時、檜垣先輩を殺したのは本当に偶然か?」

「な、なんだい……? 藪から棒に……」


 戸惑いながらも、雨沢は俺の質問に答えてくれた。


「……あ、あの時は首輪を確保できればいいとしか考えてなかったから、手前にいた北条……さんか、檜垣さんを殺そうと、水で作ったにょげんさまをまっすぐ突っ込ませたよ。でも、いきなり葛山さんが二人を押し出したものだからさ、ボクの操るにょげんさまが檜垣さんにぶつかって、彼を殺さないと不自然な感じになっちゃったんだよね」

「俺が聞きたいのは、なぜ下山組を狙ったのかということだ」


 誰でも良かったという割には、もっとも近くにいた二宮をスルーして、わざわざ遠い下山組の方にまで殺しに出向いている。その理由を、雨沢の口から聞いておきたかった。


「ああ……二宮さんを殺したら、ペンションにはキミとボクの二人だけしか残らないだろ? キミにまた怪しまれたら嫌だと思って……」

「そうか。じゃあ、やっぱり檜垣先輩は……」


 俺が情報の整理のために黙りこくると、雨沢がすぐさま抗議の声を上げた。


「おいおい、自己完結しないでくれよ。ねえ、何に気付いたのかボクにも教えてってば」


 縛られたまま肩を俺に押し付けてじゃれてくる雨沢は、もうすっかりいつもの調子だ。その変わり身の早さに呆れつつも、俺は同時に安心感のようなものを覚えた。


「……誰にも話すなよ? 話しても、誰の得にもならないから」


 そう前置きしてから、俺は気付いてしまった『檜垣先輩の真意』について語った。


「檜垣先輩は……たぶん、北条先輩を『生贄』として差し出すことで生き残ろうとしていたんだと思う」


 犯人――雨沢は、履歴を誤魔化すために別の首輪を欲している。

 そして、その首輪は他の誰のものでも良い。

 誰よりも早く『予定外の殺人』に気付いていた檜垣先輩は、単なる『確率』では困ると考えたのだろう。

 恋人を殺されるわけにはいかない。

 当然、自分を殺されては元も子もない。

 その率、『五分の二』で訪れる不幸を回避すべく、できる限り自分で状況をコントロールしようと試みた。

 それが、檜垣先輩が下山を選択した本当の理由だ。


『透くんは駄目! それ以外なら良いよ!』


 思い返してみれば、葛山先輩にこう言わせたのは妙手としか言いようがない。

 この発言の意図は俺をペンションに残すことではなく――俺を厭う北条先輩を下山の選択に導くことにあった。

 なぜ、そんなことをしたか。

 それは『生贄』を常に側に置いておくためである。

 三人ひと塊となって進む下山というシチュエーションは同行者の動きを監視しやすく、いざ犯人雨沢が襲ってきても、肉の盾として『生贄』を差し出しやすい。また、雨沢がペンション居残り組を遅い、そのまま無事に下山できたのならそれはそれで良し。そして、下山自体が葛山先輩の心を慰める行為も兼ねているという――まさに一石三鳥の策。

 この推理は、まずまず当たっていると思う。

 実際に襲撃を受けた際、伝え聞く檜垣先輩が取った行動はこうだった。


『そこで翔くんは勇敢にも私の肩を掴んで庇うように前へ出たわ!』


 この時、本当は北条先輩が逃げないように彼女の肩を掴んで確保していたのだろう。

 そのことに気付いた時、俺はぞっとした。無辜の被害者とばかり思っていた檜垣先輩が、まさかそんな恐ろしい計画を企てていたなんて……。

 とはいえ、檜垣先輩にも迷いや葛藤はあったはずだ。


『絶対に事件の真実に辿り着いてくれ』


 自分と恋人さえ生き残れば良いと思っていたのなら、そういう託すような言葉は出てこない。それに『履歴』のメモやマスターキーをこっそり俺に渡したりもしない。

 しかしまさか、何をおいても守ろうとした葛山先輩の保身クズさが原因で、その葛藤も非情な生存戦略も全てご破産になろうとは、さしもの賢い檜垣先輩でも予測できなかったことだろう。


「へえ……面白い考察だね」


 俺の話を聞いた雨沢は関心したように頷いた。


「でも、確かに……あの時の檜垣さんは全く逃げる気配がなかったよ。それどころか、北条さんの肩を掴んだまま、ボクの操るにょげんさまをじっと睨み付けていた……」

「証拠も何もないから、誰かに話せばただ檜垣先輩の名誉を毀損する結果になる。お前に話したのは、何か殺人の時に気付いたことでもないかと思ってのことだったが……」


 どうやら、それは空振りに終わりそうだった。


「悪いね。何も助けになりそうなことはないよ。あの時のボクは、キミのことで頭がいっぱいだったからね」

「俺のこと?」


 聞くと、彼女は犯行当時考えていたことを教えてくれた。


「にょげんさまに自分を襲わせた時、本当は自分だけ崖下に落ちてキミと体よく別れるつもりだったんだよ。でも、キミが格好良く庇ってくれたものだからさ、咄嗟にキミの後頭部へ衝撃を与えて気絶させたんだ」


 加減を間違えてうっかり殺してしまったんじゃないかと、雨沢は気が気でなかったという。


「もし、キミが目を覚まさなかったらボクも後を追っていた」


 雨沢は真面目くさった顔でそう言い放った。

 全く……彼女に呆れるのはこれで今日何度目だろう。


「なあ、一体、俺のどこをそんなに好きなったんだ?」

「どこがって……全部だよ」

「そりゃ、アバタもエクボってヤツじゃないか? そう思うようになったキッカケとかないのか? ほら、小学生の頃の俺って、そう褒められた人間じゃなかったと思うんだが」


 すると、雨沢は愉快そうに目を細めた。


「ふふっ……そうだね。あの時のキミはとんでもない乱暴者だった」

「乱暴者……」

「或いは、ガキ大将ってやつ?」


 彼女はからかうようにクスクスと笑った。


(……俺が怖がりなのは昔からだった)


 ただ、過去の未熟な俺はその恐怖を攻撃性に変えて周囲を威嚇していた。さながら、ハリネズミの針のように。

 思い返すと、かなりこっ恥ずかしい。


「――でも、ボクはそんな乱暴者のキミに救われたんだ」


 雨沢は、懐かしい記憶を掘り返すように遠い目をしながら語った。


「転校生って、来た時はちょっとした人気者になるだろう? でも、知っての通り昔のボクは酷い人見知りで、あんまり上手く対応できなかった。それでも転校生特権で構われるうち、一部女子のやっかみを買うようになっちゃってね」


 言われてみれば、確かにそんなこともあったような気がする。

 俺は、遠い記憶の彼方に引っかかるものを感じていた。


「彼女たちから『服がダサイ』とか『髪型がヘン』とか『クサイ』とか、色々と悪口を言われたものさ。今思い返すとくだらないことだけど、当時のボクはギャン泣きしてたね」

「そこで……俺の登場?」

「そう!」


 雨沢は好きな映画の話でもするように、目を輝かせてイキイキと俺の活躍を語った。


「『つまらないことで人を見下してマウント取ってんじゃねーよ!』って、キミはその子たちをぶん殴って三対一の大喧嘩をしたんだ。それが、キミとの馴れ初めだった」


 確か、当時の俺は誰もやりたがらなかった学級委員をくじ引きで押し付けられていたはずだ。それで、担任から転校生の面倒を見るよう命じられて……というのが、俺の覚えている雨沢との馴れ初めだ。そういう理不尽に対するイライラを、当時の俺はその意地悪な女子たちにぶつけていたのかもしれない。


(……何をやっているんだ。昔の俺は)


 過去の行いを恥じ頭を抱える俺を見て、雨沢は「ふふっ」と少女らしく笑った。


「暴力的だし、短絡的だし……結局、それで悪口が止むこともなかったし」

「全然駄目じゃないか」

「でも、ボクのために怒ってくれて……嬉しかった」


 一瞬、俺は呼吸を忘れた。

 あまりにも――彼女が、美しくて。

 諦めと未練が綯い交ぜになった胸中を、溢れんばかりの恋心で包み込んでいる、そんな微笑。そこには隠しきれなかった後悔が仄かに滲んでいる。

 まるで、一つの完成された絵画の如き美しさだった。


「あの時言えなかったお礼を今言うよ」


 ――ありがとう。

 助けてくれて――ありがとう。

 こんなボクと友だちになってくれて――ありがとう。


 言い終わると、雨沢は目尻に浮かんだ光る物を拭って顔を俯けた。

 どこで、道を違えてしまったのか。

 何か……何か一つでも違えば、こんな誰も幸せになれない結末にはならなかったはずだ。

 二宮が体調不良にならなければ、俺は二宮を自分の恋人だと皆に紹介していた。当然、その場合は雨沢が南先輩を殺すようなことはなかったはずだ。失恋もその時に経験していたはずで……もしかしたら、勢いで『一線』を踏み越えてしまうことなく、破れた恋心に決着を付けたり、殺人とは別のアプローチを模索する未来もあったのかもしれない。

 或いは、小学生の雨沢が別の学校に転校していれば……。

 雨沢が昔の俺なんかに惚れなければ……。



 俺が、しいちゃんに告白していれば――。



 絶対に、絶対に口にはすまい。

 俺の初恋相手は――しいちゃんだった。

 好みとは外れていた。だが、恋とは得てしてそういうもの。

 ――救われたのは俺の方だ。

 俺の方こそ、しいちゃんの優しさに救われていた。

 乱暴者として周囲から敬遠され距離を置かれていた俺にも、優しく微笑みかけてくれた彼女をどうして嫌うことができるだろう。憎からず思うのは当然のことだった。

 だが、一ヶ月という過ごした期間の短さが俺を躊躇させた。

 あの時、勇気を出して去りゆくしいちゃんに思いの丈を伝えていれば……。

 けれども、そんな「もしも」の話をいくら空想したって意味はない。

 時計の針を戻すことはできない。

 愛に狂った雨沢の凶行を今更なかったことにはできないのだ。

 留めようのない哀切の情は涙へと変わり、俺の頬を静かに伝い落ちていった。

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