第40話

(感情の整理が上手くできない……)


 ひねくれ者で、からかい好きで、人見知りで、でも素は人懐っこく、よく見ると人形のように整った顔つきをした美少女で……そんな雨沢の中にこんな狂気が眠っていたとは、この場の誰も想像だにしていなかったことだろう。


(あの雨沢が……あの、しいちゃんが……)


 その狂気の根源が俺への恋心だというのだから、俺の内心はもう整理のつけようがないほど荒れていた。


 雨沢は全てを赤裸々に告白してくれた。理解しがたい物言いではあったが、俺を愛してくれたことだけは疑いようもないだろう。彼女の愛がどれだけ歪んだものであれ、俺は一人の人間としてそのことを嬉しく思う。

 だが、やはり雨沢の行った身勝手な殺人は到底許せるものではない。


「雨沢……柊先生が、なぜ俺たちをサマーキャンプに参加させたか分かるか?」

「参加させた……? 参加者の選定は抽選じゃなかったのかい?」

「抽選にしては、参加者に知り合い同士が多すぎると思わなかったか? 実は、柊先生は参加者を自分で選んでいたんだ。今なら、俺にも一人一人その理由が分かる」


 俺の場合、優等生だからご褒美にと言っていた。二宮はそのオマケみたいなものだろう。二人で仲睦まじくサマーキャンプを楽しんで、ということだ。

 檜垣先輩と葛山先輩も俺と同じだ。檜垣先輩は、スポーツ特待生から普通の特待生になったという努力の人。俺と同様、葛山先輩と二人でどうぞ楽しんで、ということだろう。

 南先輩と北条先輩は過去に体育祭でケンカして以来、仲直りができずにいた。二人の担任である柊先生は、このサマーキャンプが仲直りの一助となればと考えたのだろう。そして、北条先輩の証言と生前の二人の様子を見るに、その目論見は成功していた。

 そして、雨沢は……。


「教師なら、お前の過去までは知らずとも、家庭環境やクラスで浮いてるってことくらいは知っていてもおかしくない。同僚の教師なんかから聞いてな。そんなお前が、サマーキャンプなんて社交的なイベントに参加希望を出したんだ。柊先生は、ここでお前に友達を作って欲しかったんじゃないか?」


 柊先生が、雨沢を選んだ理由について口を噤んだことを思えば、この考えは恐らく当たっているだろう。


「祠へ手伝いに行った時、柊先生は俺に『雨沢と友達か』とも聞いてきた。担任でもないのに、それだけお前のことを気にかけていたんだよ」

「……柊先生が、ボクのことを……?」

「お前はそんな人間まで殺してしまったんだ! 身勝手な殺人を隠蔽するためだけに!」


 雨沢は、言葉も出ないという風に目を伏せる。


「なあ、お前……どんな気持ちで俺と話していたんだよ」


 何を考えていたんだ?

 二日目の夜、どんな気持ちで俺に寄りかかってきた。


「あの時、お前は――!」

「――とても、幸せだった」


 顔を上げた雨沢の表情を見て、俺は絶句した。

 そこにあったのは、慙愧の念など一欠片も感じさせぬ恍惚とした笑みだった。


「キミと過ごした一瞬一瞬が全て星のように輝いていた。キミの肌に触れている時、キミの声を聞いている時、キミの息遣いを感じている時、ボクはずっと天にも昇る夢見心地だった! 世界の全てを許せるような気がした。そして、世界の全てを愛するように……キミを愛した。欠けていた心の器が満ちてゆくような感覚……あの時、あの瞬間を生きるために、ボクの人生は存在したんだと思う!」


 駄目なのだ、もう。

 雨沢は既に常人と同じ思考では生きていない。

 一線を踏み越えてしまった人間に、もはや凡庸な俺の言葉は届かない。

 俺は途方もない無力感に打ちひしがれた。素直に謝罪の言葉が聞けるとは思っていなかったが、まさかここまで隔絶した感性が現実に存在するとは思わなかった。せめて、今のが強がりか何かであればまだ救われた。けれども、陶酔の情を呈しつつ滔々と言葉を重ねる雨沢は、とても演技をしているようには見えなかった。

 今のは全て、嘘偽りなき雨沢の本音なのだろう。


「そうか……お前の気持ちは十分に伝わった」


 俺は諦めた。狂った殺人鬼を教え諭し、反省を促すなんて無謀を。


「だが、その想いに応えることはできない」

「は、はは……分かっているとも。例えどんな美貌の持ち主だろうと、こんなイカれた殺人鬼、普通は願い下げだ。……なんて言いながら、ボクはちょっぴり期待してたんだけどね。全部、正直に打ち明けたら、もしかして受け入れてもらえるんじゃないかって……そんなわけないのにさ」


 冷たいようだが、当たり前だ。


「そもそも、俺には二宮がいる。もし、事件前に南先輩やお前に告白されていたとしても、振っていたよ」

「……それ、どういう意味? どうして、そこで二宮さんが出てくるんだい……?」


 雨沢が困惑気味に言葉を漏らす。しかし、戸惑ったのは俺の方だ。

 どういう意味とは、どういう意味だ。少し考えて一つの可能性へと至る。


「そういえば、お前は二宮を襲う直前、『キミを殺すつもりはなかった』とか言っていたな。しかし、やっぱりそれはおかしい。南先輩と北条先輩を『恋路の邪魔だったから殺した』と言うなら、二宮はまっさきに殺すべき対象のはずだ」

「だっ、だから……! どうして、そこで二宮さんが出てくるんだって……!」


 尋常ではない取り乱しようの雨沢は、きっと頭では既に察しが付いているのだろう。

 だが、心が理解を拒んでいるのだ。

 考えてもみれば、俺と雨沢が再会したのは夏休みに入るたった一、二週間前。あの頃は俺も二宮も忙しかったから、あまり会えていなかった。つまり、俺たちが一緒にいるところを雨沢が目撃する機会はなかったのかもしれない。

 そして、雨沢はクラスでも「浮いてる」そうだから、クラスメイトから俺と二宮の仲を聞く機会もなかったのだろう。

 サマーキャンプに来てからも、体調不良や事件などが重なったせいで、俺と二宮の関係を皆に明かすタイミングをずっと逃し続けてきた。

 だから、雨沢は気付けなかった。


「二宮は――俺の彼女だぞ」


 雨沢は目を見張り、餌を求める鯉のように口をパクパクと開閉させた。


「だってキミは……だってキミは、二宮さんみたいな派手好きな女子を邪険にしていたじゃないか! だから、キミは二宮さんみたいなのは好みじゃないんだと……そう思って……」


 その途端、青すぎる過去の思い出の数々が脳裏に蘇り、俺は堪らず赤面した。


(……そうか)


 雨沢の抱く俺への憧憬は……一部分、未だ小学生の頃のままなのだ。


「……あの頃は、俺も未熟だった」


 俺は、さっきからずっと気まずそうに黙りこくっている二宮を隣に招き寄せた。

 そして、愛しい彼女をぎゅっと抱きしめる。


「違うよ、まるっきり逆なんだ。二宮みたいな子が気になっていたから……昔の俺は馬鹿げた意地悪なんかしていたんだ」

「……ごめん、雫ちゃん。話が重すぎて言い出せなかったんだけど……本当なの。あたしと、透っちは……中学の時から、付き合ってる」


 気の抜けたような顔をした雨沢の口から、乾いた笑いが零れた。


「南の言ってた『横恋慕』って、そういう意味だったのか……! ストーカーの戯言だと深く考えては……ふふっ、そういえば、ずっとヤケに二宮さんには甘かったね! そりゃそうだ! だって、彼女さんだったわけだから……当然だよ! あーっははははは!」


 雨沢は四肢を投げ出し、床に寝転がって痛々しいほどに大笑いを始めた。

 そして一頻り満足するまで笑った後、赤く腫れた目を閉じて長い嘆息を漏らす。


「……それじゃあ、ボクは何のために……こんなこと……」


 雨沢は、俺に二宮という恋人がいることを知らなかった。

 そのせいで南先輩に対して見当違いの危機感を抱き、その脅威を過大評価してしまった。

 そうして、殺人へ――。

 軽挙妄動というほかない。

 一世一代の殺意はものの見事に空回りし、全ての罪過は何ら実りを得ることなく無為に終わった。


「全て……自分のためだ。そうだろう?」


 今回、行われた殺人の全ては雨沢が自分自身のためだけに行ったものだ。

 恋敵を排除し、過去の愛執を実らせるため。

 また犯行を隠蔽し、自己保身を図るため。


「そして、その企みは失敗に終わった。この事件は……それで、全てだ」


 雨沢は潤んだ目で俺を見上げた。

 その憂いを帯びた表情は、自分が犯人だと告白した時よりも、俺が逆上して怒鳴り付けた時よりも、遥かに悲壮な色合いをしていた。


「透、キミが好きだ。人を殺してしまうぐらいに……どうしようもなく、好きなんだ」

「……ごめん。俺にはもう彼女がいるんだ。だから……ごめん」

「二回も言うなよ……」


 雨沢は、縛られた腕で目を覆った。


「失恋、かあ……」


 断続的に聞こえる啜り泣きの音はやがて激しい慟哭へと変わり、食堂の中を響き渡った。


「ああああああああああああああああああ!」

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