第39話

 雨沢は、俺の推理がおおむね正しかったことを認めた。


「ボクが殺人という大罪を犯した理由……それは彼女たちが『邪魔』だったからさ」

「彼女たち? それは南先輩と……北条先輩のことか?」


 雨沢はコクリと軽く頷いた。


「さて、どこから話したものかな……」


 時間ならありあまっている。


「最初から、全部話してくれ」

「それじゃあ、まずは『どうして覚醒者のボクが普通の学校にいるのか』……というところから話そうか」


 そして、雨沢は自分の過去について語り始めた。


「異能研究センターへ連れて行かれたボクだけど、当然ながら研究に協力する気なんてサラサラなくてね」


 俺や両親と引き離されたことに反発した『椎名雫』は覚醒の事実を隠そうとした。


「普通の異能者を装って覚醒などしていないと主張したんだ。それは今思えば稚拙な偽装で、まさに子供騙しに過ぎなかった。けど、きっと研究員の人がボクの必死さに同情してくれたんだろうね。ボクの覚醒反応は機器の誤作動ということになった」


 そうして、思惑通り雨沢は晴れて自由の身となったわけだ。

 だが、それで全て元通りとはいかなかった。


「名字が変わってることから察してほしいけど、ボクの覚醒を巡るゴタゴタで両親は完全に対立してしまってね。ボクはその二人に振り回されて……今は親戚の家でお世話になっている」


 その間に時は無情にも流れ去り、気が付けば椎名雫改め雨沢雫は高校生となっていた。


「普通、遥か昔に一ヶ月程度過ごしただけの奴を覚えちゃいない。キミの住所は知ってたけど、訪ねる勇気はなかった。『重い女』だなんて思われて拒絶されたら……ボクはきっと立ち直れない。それなら、美しい思い出として胸にしまっておこうと思っていたんだ」


 雨沢が聖灘高校に入ったのは「親戚の家から近いから」で、それ以外に理由らしい理由はなかったという。

 つまり、そこに俺がいたのは全くの偶然だった。


「運命が――ボクとキミを再び引き合わせたんだよ!」


 雨沢は爛々と目を輝かせて続ける。


「キミと再会したあの時、ボクは生きる気力を失っていた」


 希死念慮というほど強烈なものではないが、これからの人生に夢も希望も持てないでいたと雨沢は言う。


「中庭で脚立を踏み外した瞬間、ボクは反射的に異能を行使したわけだけど……それはすぐにやめた。だって、ただ覚醒者ってだけでボクの家族は……人生は滅茶苦茶になったんだよ。そんな異能で助かったところで、ちっとも嬉しくないなって思ったんだ。落っこちて、頭を打って死んだなら、別にそれでも良いかと思ったんだ」


 だから、傍目には普通の異能者レベルで異能を行使したように見えたのだろう。


「そこへ――キミが現れた」


 熱のこもった視線が俺を捉える。


「古めかしい言い方だけど、颯爽と駆け付けてきてボクを抱き上げたキミは、まるで白馬の王子様のようだった。惚れ直したよ。キミと出会えたのも異能のおかげと思えば、少しは自分の異能も好きになれそうだった……」

「……やっぱり、雨沢は俺に気があったんだな」


 勘違い男にならなくて良かったと、この場合はそう喜んで良いものかどうか。


「気付いていたのかい?」

「……なんとなく、薄々そうじゃないかと……」

「じゃあ、南の方にも?」

「いや、残念ながら南先輩の方は……気付いていなかった」

「ふーん」


 雨沢は、先程とは打って変わって冷めきった目をして、淡々と南先輩について語る。


「南はストーカーだった。キミと運命の再会をしてから……ボクは、キミに話しかける機会を求めて暇さえあればキミを探した。そして、どこへいってもキミの周りには金髪頭の小さい奴がいることに気付いたんだよ」

「南先輩がストーカー、か……」

「おや、ちっとも不思議そうじゃないね」


 もしかして――と、雨沢は妖艶な笑みを浮かべる。


「ボクがテーブルの上に残しておいたあの気色悪い日記を読んだのかな?」

「まさか、お前……俺に読ませるためだけに、わざとあの日記を残しておいたのか?」


 驚きを隠せない俺に対し、雨沢は肩をすくめて「そうだよ」とあっさり肯定した。


「メモやメールでも残されてたら困ると思って見に行ったらビックリだよ。ボクに呼び出された、ってことを実際に書かれてたのもビックリだけど、そのついでに切り取った部分が、また……」


 雨沢は嫌悪の情を滲ませつつ、その動機の核心を打ち明け始めた。


「話が一足飛びになってしまったから、少し戻そう。南の殺害前――祠から戻ってきた時、キミはボクに『人見知り』だと言ったね。その言葉にボクは多大なるショックを受けた。分かっちゃいたけど……やっぱり、ボクのことなんか覚えちゃいないんだって。ショックはショックで。ボクは、心を落ち着かせるために一度キミから距離を置く必要があった」


 だから――「それ」を見たのは偶然だったと彼女は言う。


「二階へ上がった時、ボクの頬を風が撫でた」


 見ると、廊下の窓がほんの少しだけ開いていたという。失意と落胆の中にあった雨沢は、何となくその些細な隙間が気に障って、窓を閉めようと近付いた。

 そこで、偶然にも南先輩が俺に抱きつくところを目撃してしまった。


「――ストーカー風情がッ!」


 雨沢は、これまでに見たこともないほど激しい敵意を剥き出しにした。


「ボクが切り取った日記のページにはなんと書かれていたと思う? そこには、ボクに呼び出されたってことだけじゃなく、キミに抱き着いた時に感じた匂いや触り心地や体温まで詳細に記されていたんだ。どうだ、気色悪いだろう!?」


 これが他人事であったのなら、簡単に同調することもできたのかもしれない。

 だが、どうしようもなく当事者である俺は、どう反応すれば良いか分からなかった。


「……落ち着け、また話がズレているぞ。それは後から知ったことだろう? 事件の動機じゃない。当時のお前はどう思って、何をしたんだ?」

「ふぅ……まあ、怒りのままに二階に上がってきた南に食ってかかったのさ」


 そして、人目に付かないペンション裏へ来るよう言ったという。

 南先輩は「着替えてから行く」と言って、一度部屋に入っていったらしい。恐らく、雨沢が切り取ったという日記の記述はこの時に書かれたものだろう。


「ペンション裏で待っていると、十五分ほどして南が裏口からやってきた。そこで、ボクは『透が好きなのか』と問い詰めたんだ」


 すると、南先輩は自分の恋心が関わりのない一年生に知られていたことを驚いた後、こう言ったという。


『確かに……貴方の言う通り、私のやってることはストーカーじみてるかもしれない。けど、この想いを止められないの! 私、このキャンプ中に告白しようと思ってる……勝ち目のない横恋慕だってことも分かってる。――けど、やっぱり諦めきれないから!』


 想像はしていたが……やはり、南先輩は俺に告白をするつもりだったのか。

 できれば、こんな形ではなく本人の口から聞きたかった。


「それを聞いた時、同じ男を愛するシンパシーゆえにか……ボクには分かってしまったんだ。彼女――高梨南は、一人の女として全身全霊でキミを愛している。その愛は、恋敵であるボクの目にも美しく、この世の何よりも尊いものに見えたんだ」

「それじゃあ……! どうして南先輩を殺したりなんかしたんだ!?」

「分からないかい?」


 そう言って、雨沢は悍ましいほどに晴れやかな笑みを浮かべた。


「――そんな奴はもう殺すしかないだろう」


 雨沢は、やはりそこで衝動的に南先輩を崖下に突き落としたそうだ。


「あの愛はキミの心に届き得た。ボクは……それが心底恐ろしかったんだ」

「……だから、崖下で生きていることが分かってもその殺意は鈍らなかったのか?」

「そうだよ。キミは『トドメを刺した時に真の殺人鬼になった』と言ってたけど、それは違う。ボクが殺人鬼だというなら、それは最初からだよ。南の存在を許せず、衝動的に崖下へ突き落とした時からだ」


 南先輩を殺してからの流れは俺の推理通りだという。

 証拠隠滅の一環で柊先生を殺し、首輪のために檜垣先輩を殺した。

 それで……終わりにするつもりだった。


「どうして北条先輩まで殺した? あれは無用な殺しだった」

「……まあ、言い訳はしないよ。これもまた衝動的な犯行だった」


 三日目の夜、雨沢はまた俺の部屋に行こうかどうか迷っていたという。殺人の後処理について段取りを考えていたら、すっかり夜も更けてしまったからだそうだ。

 そんな時、廊下から物音がした。


「ドアを開けて廊下を覗いてみれば、そこには北条がいてね。彼女はキミの部屋の前に立ち、その豊満な胸に手を当てて深呼吸をしていた。まるで高鳴る鼓動を落ち着かせるかのように……」


 その瞬間、雨沢はカッと目を見開いた。


「――許せるわけがないじゃないか。ボクが遠慮しているのにッ!」


 もしかして、俺のせい……なのか?


「俺は、北条先輩にダイイングメッセージの解読を頼んでいたんだ。つまり、そのタイミングで俺の部屋に来たのは、抜け殻の答えである『ヘビ』のことを俺に教えようとしてくれたんだろう。それを、お前は……!」

「キミは『あの顔』を見ていないからそんなことが言えるんだよ! あれは紛れもなく女の顔だった……!」


 そうして勢いで北条先輩を殺してしまってから、必死に誤魔化す策を考えた結果があの一連の会話と内線電話なのだという。


「無用な殺しだからこそ内部犯から容疑を逸らすにはうってつけだと思って、これまでの流れを汲んで恐怖を煽る演出に利用したんだ」


 話しながら、雨沢は「ふふ」と思い出し笑いを浮かべた。


「特に、あれ……4番目の指示に合わせて北条を喋らせたのは傑作だった。キミの察しが良いものだから楽しかったよ」

「楽しかった……?」


 何を言っているんだ? こいつは。

 今目の前にいるのは……本当に俺の知っている雨沢なのか?


「……あれは、どうして分かったんだ? どこかから見てたのか?」

「御名答! 一旦、死体を操るのをやめて廊下の窓から外に出たんだ。雨が降ってたから、足場にする水には困らなかったよ」


 そして、俺が3番目の指示を終わらせたのを確認し、急いでペンション内へ戻って再び北条先輩の死体を喋らせたという。確かに、1~3番目の指示を行っている間、北条先輩は一言も言葉を発さなかった。


「北条先輩を喋らせたというが、あの声は間違いなく彼女のものだった。どうやった?」

「そりゃあ、本人の声帯を使ったのさ」


 雨沢は、事もなげに恐怖演出の猟奇的な内幕について教えてくれた。


「まず寝巻きと胸を切り開いた。肺を露出させて操作しやすくし、呼気を確保するためにね。異能でやるのは肺を傷つけそうで怖かったから私物のナイフを使った。そして、次に自分と彼女の口を水で繋いだ」

「……どういうことだ?」

「言ってみれば口パクの逆だよ。ボクの口の動きを模倣するように、彼女の口を動かしたんだ。初めての試みにしては中々上手くいっていたろ? 水越しで、ちょっとくぐもった感じの声になってたかもしれないけどさ」


 開き直ったのか、雨沢は最初の頃に逡巡していたとは思えないほど饒舌に語ってゆく。

 もはや言葉もない。

 呆れて物が言えないとはこのことだ。


「なあ、お前は本当にそんな理由で人を殺したのか……?」

「……まあ、改めて人にそう言われるとね。自分でもやばいなって思うよ。でもさ、気付いちゃったんだよ。殺したら邪魔者がいなくなるって、この世の真理にさ」


 何が真理だ!

 単に幾度となく『一線』を踏み越えたせいで、倫理の枷が外れてしまっただけだろう。


(こんな身勝手で狂った動機……常人が、ましてや小心者の俺が分かるはずもない)


 彼女は、喋り疲れたとばかりにふうと一息ついた。


「こんなところで良いかい? ボクの『動機』は」

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