春風のカノン

鹿衣 縒

春風のカノン

 物心ついた頃から音楽がそばにあった。私の母は楽団でフルート奏者を、父は会社員の傍ら作曲を趣味としている。そんな家庭だった。

 二歳上の姉はピアノを習っていて、私は三歳頃から教室の隅で見学し、たまに簡単な演奏をしていたらしい。二人で連弾の真似事をしては遊んでいたそうだ。幼い頃はだいたい記憶が曖昧なのですべてあとから聞いたことだが。


 小学校には音楽委員会というものがあり________全校集会の校歌や運動会のドラムロールやラジオ体操などを演奏するほとんど吹奏楽部みたいな委員会だ________小学生になってすぐに入ることを決めた私に対し、姉は学校ではそういった活動には参加しなかった。その頃からピアノ一本でやっていくと決めていたのかもしれない。もう既にコンクールでいくつかの賞を勝ち取っていた筈だ。この頃、姉が一人でどんどん先にいくので置いていかれるような気持ちで悲しくなったこともある。それでも憧れで、一種の戦友のように思っていた。私の負けず嫌いはまだ死んでいなかったのだ。


 姉は家で時々、パッヘルベルのカノンを弾く。それが姉の弾くどんな曲より好きだった。


「奏音の名前の曲だよ。カノン進行って言って音が重なり合うの」


 単純と言ってしまえばそれまでだが、姉に私の曲と言われて舞い上がらないわけがなかった。あとで父からカノンを捩って奏でる音、としたのが名前の由来であると聞かされてわくわくした。これは、姉の名前ももしかして、と調べて答えに行き着いて、意気揚揚として話しかけたことがある。


「お姉ちゃんの名前も音楽から取ってるんだね、それも聴きたいな」

 そう言うと姉は一瞬驚いて目を瞠り、ふわりと笑ったあとに弾いてくれた。セレナーデ、小夜曲。恋人の窓辺で歌い奏でられた愛の歌。のち演奏会用の歌曲になったという。ロマンチックであたたかい、姉にぴったりな名前だと思った。


 中学生になって、一緒だった寝室は別々に移っていた。共有していた部屋の本棚は移動されずそのままだった。姉の持っていた詩集の“春風のような人”という単語が酷く心に響いたのを覚えている。まさに姉のことだろうと思ったからだ。

 好きなものを食べた時、じんわりと。

 夕飯を食べながらテレビを見てる時、堪えきれないように。

 本を読んでいる時、静かに。

 演奏が終わったあと、静かな激情は鳴りを潜め満足感に裏打ちされて。

 そして、私の前でカノンを弾いてくれる時に。

 曇天が晴れるような、ふわりと柔らかくて温かい春のような。凍った心も溶かしてしまう、素敵な笑顔をするのだ。


 姉は三年間ピアノ教室に通い、中学三年生ということもあり、高校のパンフレットをたくさん取り寄せていた。留学も考えて調べているとか資料を片手に言っていたはずだ。私は吹奏楽部で、小学校の時にもやっていたホルンを担当していた。その傍ら惰性のようにピアノ教室へ通い、いくつかのコンクールにも出ていた。特に賞を取ることを目標にしていたわけでもなく、本当に上達しようと思ってやっていただろうか。記憶が判然としない。ピアノを辞めないことが姉との唯一のつながりのように思っていたのは確かだ。それでも、本当にやりきるつもりがないのならとっとと辞めてしまえばよかったのだ。


あの人、お姉さんはあんなに上手いのにコンクールで賞も取れてないんだね。なんか可哀想。そんな声が聞こえたのは先生に楽譜を渡した帰りだったか。メインの教室にいなかったことは確かだ。

 もともと同世代のコミュニティで上手くやっていけている自信はなかった。ただ彼女らの惰性で語られる一つの世間話に選ばれただけだった。彼女らは本人が近くにいながら話すことに恐れを抱かないのか、私がいるのなんてどうでもいいようであった。

 私が吹奏楽部に入っていることも知っているようで、ピアノがそこまでうまくないから転向してみたんじゃない、個人の上手さより全体の協調の方が大事とかあるのかな等々勝手に評されている。話題が変わる前にそっとその場から離れた。あの人、と言うことは名前を覚えていないのだろうな、と思ったところで私も彼女らの名前を覚えていないことに気付く。此方も、本質的に変わらない俗物なのだ。中途半端な行動をとっていることは自分が一番自覚していた。その日、私は年度末最後のコンクールで賞を取り、それを区切りにピアノをやめようと決めた。


 姉がポーランドの高校を目指すらしいと知ったのはその数日後だ。現地の音楽学校に大会の伝手で知り合ったピアニストに推薦状を送ってもらったと。ピアノ専門のコースも、一般教養学部も充実し日本語は少しだけだが英語、ポーランド語も学べるとか、作曲を学んだりもできる、などなど。姉は英検二級を持っていて中学三年生にしては早く進めていた方だろうが、それだけで現地では足りないだろう。三年間をあちらで過ごすというのはものすごい決断だと思った。そして私にとっては運の悪いことに、面接のあるのがコンクールと同日だった。どこかで勝手に見に来てくれるだろうと期待していた私がいてすこし悲しかったけど、私の小さなけじめは姉の人生の岐路と比べるまでもない。馬鹿らしくて笑えてくる。気付けばもう姉は遠いところにいて、私と一緒に競い合ったのはどのくらい前だろうかとぼんやりと感傷に浸った。いや、一度たりともそんな時はなかったかもしれないな。姉はただただ眩かった。コンクールに招待するのを躊躇っていて良かった。気を使わせないで済む。かすかに傷んだ心には気付かないふりをした。きちんとお祝いしなくてはいけないのだが、姉がこの家から離れるのが嫌だった。共用の本棚にはポーランドの観光や歴史の本がふこしずつ増えていく。どこか浮き足立つような家庭の雰囲気には乗れずにいた。そうやって逸らし続けて、あっという間に数ヶ月が過ぎることとなる。


 姉が面接の日、私はひっそりとコンクールを終え______優秀賞を貰えたがそこよりも演奏に満足し、最後なんだな、という淡い感想を抱いていた。

 付き添いでポーランドに向かっていた母からお疲れ様、こっちも終わったとのメッセージが入り、直後に映像が送られてくる。姉がワルシャワ・ショパン空港にあるピアノを弾いている映像だった。透明なガラスで囲われていて、上には鳥の装飾のガーランドがぶら下がって、外の景色が見えるような位置に置かれたピアノ。その日も姉はまた、カノンを弾いていた。演奏が終わると周囲から拍手が起こって、あぁ、素敵だ、と純粋に思った。気付いたら視界が歪んでいて、どんな曲よりも私は姉の弾くカノンが好きだ、と改めて思う。姉が大好きで、誇りに思った。知らずのうち抱えていた拗れた気持ちがすう、と溶けていくようだった。


 姉は難なく合格していたらしい。流石としか言いようがない。高校の三年間、おそらく大学になっても日本では生活しないのだろう。悲しいけれど良い門出だと思った。


 日本を発つ日、空はかがやくように晴れていた。思い出深い日はいつも晴れていたな。姉の影響だろうか。早めに到着したので一緒に少し散策して、宣伝の目に付いた小ぶりのチョコレート菓子を買って渡す。

「頑張ってね」

「うん」

 お姉ちゃんの演奏大好きだから、大丈夫、という言葉を口の中で転がして、ようやっと口にした。姉を前にすると緊張するようになったのもいつからだったかな。姉は笑いながら少し泣きそうになって、メールするよ、奏音も頑張って、と言ってくれた。姉の進む未来を本当に信じていたのだ。


***


 鍵盤に指を滑らせる。

 カノンを弾いたのは数年ぶりだった。中学二年に入る前にピアノを辞めたし、そもそもこの曲は弾いてもらうほうが好きだった。五分程度の曲だから結構長かっただろうに、よく弾いてくれたものだ。久しぶりすぎてすこし弾き間違える。そういえば姉の演奏で最後に聴いたのはきっと、メールで送られていたあの空港での演奏だ。映像は保存してあるはずだけど、あの後聴いていなかった。現地で聞きたかったな。


 目の前には壺が置いてある。先程棚から下して持ってきた、白い紐に装われたそれ。

 ねぇ、夏には帰省してくると言ったでしょ。お土産を沢山背負ってただいまって言ってくれるはずだったでしょ。母が泣きながらおかえり、と妄言のように繰り返し、抱き抱えていた骨壷を見て呟く。そんなところにだって姉はいないけれど。その時は姉はまだ向こうでピアノを弾いている気がしていた。でも、もう受け入れてしまった______いや、出来ていないからこうして遺りに縋ってしまっているのだったな。薄く乾いた笑みが漏れる。

 もう、私が高校を卒業するのが近いくらいの年月が経っていた。


 最後の音を弾く。柔らかに響くその音を聴きとどけて、小さく呟く。


「おかえり」


少し肌寒い小春日和の、澄み渡るような青空の光が燦々と差し込んでいた。


Fin.

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