第十四話『敬語?ため口?』
――深く眠っていた俺を現実に引きずり出したのは、大きなノックの音だった。
「朝ご飯をお持ちしましたー。用事があると伺っております、そろそろいい時間ですよー?」
それに続いて、心地よい高さの声が俺に呼びかける。朝ごはん……なるほど、まだ朝ごはんを食べるような時間か。それなら、二度寝しても大丈夫そうだ。
「ん……あと一時間……」
俺がそう叫んで、もう一度ベッドに潜ろうとすると、
「一時間もしたらもう午後ですよ―⁉用事間に合うんですかー⁉」
なんとしてでも声の主は俺を起こしたいらしく、もっと大きな声がドア越しに聞こえてきた。……くそ、まだ眠いってのに……
「あーわかったわかった、朝ご飯は受け取るから――」
……と、俺が寝ぼけ半分でドアを開けると。
「おはようございます、お客様――って、ヒロト⁉」
トレイを持ったままの姿勢で固まっている、きれいな赤毛をした少女と目が合った。
「……って、ネリン⁉待ち合わせって話じゃなかったのかよ!」
「あたしだってそうしようって思ってたわよ!まさかママに頼まれたルームサービスの配達先がアンタの部屋なんて思いもしないじゃない!」
確信犯ね……?とネリンは唇をかんでいる。いや、そんなに悔しがる必要もないとは思うのだが……
「まあどうせ後で合流するつもりだったからな。むしろナイスタイミングなんじゃね?」
「アンタにとってはそうだけどあたしは恥ずかしいのよ!あーもう、知り合いには働いてるところは見られないように頑張ってきたのに……‼」
やっちまった、みたいな感じでネリンは頭を抱えている。トレイを持ったままそれをやるとはなんとも器用なことだが、あえてそこには言及しないでおいた。
「……別に恥ずかしがることでもねえと思うけどな。制服も似合ってるし」
その代わりといってはなんだが、俺はそうフォローをさしはさんでおく。しかし決してそれはお世辞などではなく、白を基調とした制服は冒険してる時の活発な印象とは打って変わっておしとやかな印象を与えている。ここに泊まっているうちに同じ服装の人を何人か見てきたが、ネリンが一番うまく着こなしているんじゃないだろうか。
「そりゃそうよ、ママがデザインした衣装だもの。……って、そこは問題じゃないのよ!」
ネリンは一瞬だけ胸を張ったが、すぐに首を振ってこちらに身を乗り出してくる。ちなみにトレイは微動だにさせていなかった。どういう原理なんだそれ。
「そんなに働いてるとこを見られるのが恥ずかしいか?」
トレイの謎は増すばかりだがそれは置いといて、俺はネリンにそう投げかける。今の一瞬だけでも、恥ずかしくないくらいのクオリティはあると思うのだが――
「そりゃそうよ。たとえ知り合いでもお客様だし、敬語で接さなきゃいけないじゃないの」
「……あー……」
真顔で放たれたその一言に、俺は思わず納得の声を上げてしまう。……そう言えば、バイトしてる友人も家の近くでは絶対にしたくないとか言ってたような……俺はバイトとかはしたことないが、その気恥ずかしさは言われていると何となく理解できる気がした。
そりゃ見られたくないわ……と、納得しようとしたところで、
「……っておい、途中から俺に敬語使ってなかったじゃねえか。一応お客様だろ?」
俺とのやり取りの間にあった矛盾を見つけて、俺は抗議の声を上げた。……しかし、ネリンは涼しい顔をして、
「だってあたし、ママから『そのトレイ届けたらその足で手伝い終わっていい』って言われたもの。呼びかけしてアンタが出てきた以上、それで仕事は終わり。でしょ?」
と、そんなことを言ってのけて見せるのだった。……いや、それは詭弁が過ぎないか……?
「……トレイはまだお前の手にあるんだが」
「なによ、いちゃもん?約束しといてこんな時間までぐっすりしてたやつがよく言えたもんね」
俺がネリンの手の中にあるトレイを指さすと、はんっと鼻で笑いながらネリンはそう返してくる。……くそ、それに関しては何も言えねえ……!
と、俺が次の反論を探してもごもごしていると。
「それともなに、アンタはあたしに敬語で接してほしいわけ?それならそうしますけど……どうなさいますか、ヒロトさん?」
そうやって、とどめと言わんばかりに爆弾を投げ込んできたのだった。……どうしてだろう、こいつに敬称付けで呼ばれるとすごく背筋がぞわぞわっとする。
「……ため口で頼む……」
「それでいいのよ、ヒロト」
ため息をつきながら俺がそう返すと、ネリンは上機嫌に笑いながら満足げにそう言った。……ちくしょう、今回は完膚なきまでにやられた……
いや、なんの戦いもしていないんだけども。
「でもこいつに言い負かされるのはなんか癪なんだよな……」
「なんか言った、ヒロト『さん』?」
「いや何にも」
俺のつぶやきに反応して飛んできた視線に、俺は超高速で首を横に振る。……いや、どんだけ地獄耳なんだよ……
「ヒロトが負けず嫌いなのはいいとして、ほらこれ。ママの手作り朝ごはん、冷める前に食べないと損するわよ?」
「……ん、それは確かに損だな」
ちゃんと聞かれてたことはともかくとして、俺は差し出されたトレイを受け取る。スープとパンに飲み物というオーソドックスな組み合わせだが、それでも途轍もなくおいしそうに見えるのだから不思議な話だ。
「んじゃ、私は先に着替えて下で待ってるから。アンタもすぐに降りてきなさいよー」
トレイを渡し終わると、ネリンはこちらの返事も待たずしてくるりと背を向けて立ち去ってしまった。……もしかしたら、あの制服で知り合いの前に立つのも結構恥ずかしい事なのかもな……
「……ま、とりあえず飯食うか」
ネリンもいってた通り、朝ご飯は冷めないうちに食べなきゃ損だ。そしたら着替えて下に向かおう。あまり待たせるのも良くないからな。
「……ん、美味い」
パンをほおばりながら、軽く体を回す。その何気ない作業が心地いい。
異世界生活二日目は、慌ただしくものんびりと始まるのだった。
図鑑片手に異世界スローライフ――今調べるからちょっと待ってて!―— 紅葉 紅羽 @kurehamomijiba
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