第16話 異世界母娘と競馬

「想像以上の量だな」


 購入した衣服はかなりの大荷物になったので、一度車まで運ぶことにした。

 せっかく初めてショッピングセンターにきたのだ、このまま帰るのは勿体ない。

 なので今度は本屋に向かう。

 国語や簡単な算数のドリル、子ども向けのひらがなで書かれた絵本や童話などを買う予定だ。


「リオくん、ここはなに?」


「本屋さん。エルヴィラが勉強を頑張ってるみたいだから、新しい勉強道具を用意しようと思って。あっ、アナさんも必要なら、アナさんの分も買うから」


「わたし、ケンさんくれたお勉強道具、あるです」


「あれはアナさんとじいちゃんの思い出だから、大事に取っておこう」


「ケンさん、思い出……」


 そうでも言わないとアナスタスアが遠慮すると思い、羅王は思い出という言葉を出して彼女を封じ込めた。


『お母様、本はとても高価なものでは? いくらリオ様がこの国の王子様であるとしても、あのような仕立ての良い高価そうなお洋服もたくさん買っていただいて、さらに本まで……』


『リオくんが王子様かどうかは別にして、お金持ちなのは確かなようなの。それにこの世界は、紙がとても安いから本も安価なのだそうよ』


『やはりこの世界は神界なのでは?』


『わたしもそう思ってしまいそうなのだけれど、ここは神界ではないのよ』


 なにやら深刻そうな顔で異世界母娘は会話を交わしていたが、面倒くさいことを言い出される前に先手を打ち、羅王がそれっぽい本を手に取ってさっさと会計を済ませてしまう。

 そして駐車場が近かったこともあり、再度荷物を車に乗せ、今度は食品売り場へ向かうことにした。


 当初は緊張しっぱなしだった異世界母娘。

 それでもそれなりの時間、洋服屋や本屋に滞在していたこともあり、少しずつ慣れたきた感じがする。

 その証拠に、今の二人は目をキラキラさせ、忙しそうに右へ左へと首を動かしているのだ。


「今日は野菜を買う予定だったけど、他の食材も買っていこう。アナさん、何か食べたい物ある?」


「う~、日本、食べるもの、たくさんたくさん。リオくん、選ぶ、お願いです」


 アナスタシアは料理できると言っていたが、異世界と日本では食材や調味料が違うのだ、何を食べたいかと聞かれても、むしろ困ってしまうのだろう。

 こういった部分も考えてから質問しないといけない、と羅王は感じた。


「今回は俺が適当に選ぶから、見てて気になる食材とかあったら言ってね」


「わかるしたです」


「あっ、今日は冷凍食品じゃなく、俺が唐揚げ作るね」


「からあげ?!」


 唐揚げという言葉に、エルヴィラが即座に反応していた。

 どれだけ気に入ったんだよ、と羅王は苦笑いを浮かべる。


 買い物かごを乗せたカートを押しながら、広い売り場をガラガラと進む。

 大量購入する予定なので一台は羅王が押し、エルヴィラにも一台押させている。

 十六歳のエルヴィラは実年齢より大人びて見えるのだが、カートを押す姿は年相応のかわいらしさが見て取れた。


 途中、カートを押すエルヴィラを、羨ましそうに見ていたアナスタシア。

 彼女にカートを預けると、年齢不相応な笑みを浮かべていたが、楽しそうであり、なによりかわいらしかったので、羅王は黙って見守った。


 そんなこんなで、肉や魚も冷凍してしまえばそこそこ日持ちするのだからと、羅王はあれやこれやと買い物かごに入れていく。

 アナスタシアも何やら気になった物があれば、「リオくん、これなに?」と聞いてくるので、彼女に味を確認させるために買ってみることにした。



 ◇ ◇ ◇



「随分と買ってしまった……」


「重いでした」


「…………」


 古民家に戻って軽バンから荷物を下ろすと、三人でぐったりしてしまう。

 かなりの時間をショッピングモールで使ってしまったため、すぐに夕食の支度しないといけないのだが、すぐにすぐ動く気にはなれない。


「アナさんごめん、今日も冷凍食品でいいかな?」


「リオくん、疲れるした。ごはん食べるできる、わたし嬉しい。無理よくない」


「ありがと。それから、エルヴィラに唐揚げは明日作るって伝えて」


「はい……」


 羅王の「唐揚げ」という言葉にピクリと反応したエルヴィラだが、アナスタシアから唐揚げは明日だと伝え聞き、残念そうな表情を浮かべるも、わがままを言わずに聞き入れてくれた。


 結局、夕食は冷凍パスタで済ませることに。

 だがそれはそれで二人は気に入ったらしく、彼女たちはそれぞれ二人前ずつ完食し、羅王にいたっては三人前を食べてしまうのであった。


 その後、異世界母娘が先に風呂に入り、羅王は居間でぐったりしている。

 危うく寝落ちしそうなところで、二人が居間にやってきた。

 風呂上がりのアナスタシアは落ち着いた紺色のパジャマを、エルヴィラは淡いピンク色のパジャマを着ている。

 頬を上気させている二人を見いて、自然と羅王の眠気は吹き飛んだ。


 とはいえ、やましい気持ちからではない。

 息を呑むような美しさと言うのだろうか、ただただ二人に魅入っていたら目が冴えてしまったのだ。

 当然のことながら、母娘の膨らみの頂きが、ピンと存在を主張するようなことはもうない。

 変に気を遣う必要がなくなった現状に、羅王は胸を撫で下ろしたくらいだ。


「二人とも疲れただろうし、今日は勉強しないで早めに寝たほうがいいよ」


「ダメです。お勉強毎日頑張る、エルヴィラと決めるしたです。新しいお勉強の道具、リオくん買うしてくれました。もっと頑張るします」


「そうなの? 無理しないようにね」


「はいです」


 居間で勉強しはじめる二人を背に、羅王は風呂場に向かう。

 その背中には二十代半ばとは思えぬ、平日の仕事で疲れた体に鞭打ち、休日に家族サービスで遊園地に出かけてさらに疲労を増幅させたお父さん……的な物悲しさを感じさせるものがある。

 だがそれ以上に、何かをやり遂げたような充足感に満ちた男の背中でもあった。



 ◇ ◇ ◇



「リオ様ぁ~」


「おう、エルヴィラ。昨日の分の採点か?」


「はい! ハンコちょーだい」


 にこにこ顔のエルヴィラが、国語のドリルと赤ペン、”たいへん良くできました”や”良くできました”などの判子が入ったセットと朱肉を引き出しから取り出し、家主らしく居間の上座に座る羅王に、手にしたそれらを渡してきた。

 もちろん彼女の後ろには、ドリルを持ったアナスタシアもいる。


 彼女たち異世界母娘が古民家で暮らすようになって早一週間。

 アナスタシアから覚えが早いと言われていたエルヴィラは、想像以上の速度で日本語を覚え、すでにちょっとした会話が交わせるくらい日本語を覚えている。

 そして今は、朝食後の恒例となった前日の成果を採点するところだ。


 約二十年ほど昔、大伯父が羅王とアナスタシアにドリルをやらせ、その結果に応じて判子を押してくれたのを思い出した羅王は、その判子を見つけたのでエルヴィラのドリルにも押してあげていた。

 それが彼女にはかなり好評だったようで、満点の”たいへん良くできました”を日々目指し、益々勉強を頑張っている。


「おっ、今日は満点だな。ほい、”たいへん良くできました”」


 ポンっとドリルに判子を押すと、エルヴィラは受け取ったドリルを見つめ、満面の笑みを浮かべる。

 次はアナスタシアの採点だ。


「あ~、アナさんはここが不正解だね。今日は”良くできました”だね」


「あう……」


 満点が取れなかったとはいえ、アナスタシアの不正解はたったの一問だったのだが、彼女は殊の外落ち込んでしまっている。


「大丈夫、アナさんはエルヴィラより先の難しい問題だったのに、ほぼ満点だったんだ。そんなに落ち込む必要はないよ」


 そんな言葉とともに、羅王はうなだれたアナスタシアの頭を、撫でるようにポンポンっとした。

 彼女らに会うまで女性に触れるのを大罪かのように思い、かなり気を遣っていた男の行動とは思えないほど、今は気軽に触れている。

 だがそれもそのはずで、この気安いやり取りは、うなだれた女性に容易く笑顔を取り戻させるほど、効果は抜群だったのだから。


 しかし一方で、そのやり取りを快く思っていない人物がいる。


「お母様ズルい! リオ様、あたし”たいへん良くできました”だたよ! あたしもごほーびほしい! リオ様、なでなでして!」


 満点だったのにご褒美がなかったエルヴィラだ。


 彼女は口先を尖らせ、すっと頭を差し出してきた。

 羅王からすると、自分が頭を撫でるのなどご褒美でもなんでもないと思っているのだが、エルヴィラからすると違うようだ。

 今も頭を差し出したまま上目遣いで見てくる琥珀色の瞳が、”早く”と言わんばかりにせがんでいる。


「エルヴィラもよく頑張った。これからも頑張ってね」


「はい!」


 元気な返事を返したエルヴィラは、頭を撫でられるとくすぐったそうに目を細め、刺々しい感じを一瞬で霧散させた。


 少しして満足したのか、エルヴィラが顔をあげて口を開く。


「リオ様、今日、お馬さんする?」


「いや、今日はやらないよ。競馬は一週間で、土日しかやってないから」


 一昨日と昨日は、羅王の本業である競馬が開催されていた。

 アナスタシアは羅王と一緒に大伯父につきあわされ、競馬中継を見させられた過去があるため、競馬観戦の経験がある……どころではなく、スポーツ観戦としてどっぷり競馬にはまっていた過去がある。

 しかし娘のエルヴィラは、サラブレッドが繰り広げる真剣勝負を目にするのは初めてだった。

 だが彼女は、母と同じようにすっかり競馬のとりことなっている。

 実に順応性の高い少女だ。


「いっしゅうかん、なに?」


「ああ、一週間って言うのは――」


「どにち、なに?」


「土日って言うのは――」


 こんな感じでエルヴィラは、自分の知らない単語などがあるとノートを取り出し、逐一羅王に質問してはメモを取ってく。

 そして説明が終わると、次に浮かんだであろう疑問を投げかけてくる。

 多分だが、国語ドリルなどより実践的なこのやり取りが彼女の物覚えの良さに拍車をかけ、いっそう日本語の覚えが早くなっている、と羅王は感じていた。


 ちなみに、アナスタシアは大伯父に日本語を教えてもらっていたわけだが、ですます調の綺麗な言葉を教わっていたようだ。――しっかり使えているかは別問題。

 だが羅王は、エルヴィラが自分以外の日本人と会話をすることはないので、丁寧な言葉遣いなど不要だと思い、口調は気にせず会話ができることを最優先で教えている。

 その結果、彼女の口調は少々ぶっきらぼうになっていた。


「リオくん、競馬でいぶいでい、あるです?」


「でいぶいでい?」


 エルヴィラとの会話が一段落すると、アナスタシアからよくわからない質問をされたが、少しだけ考えると彼女の言いたかったことが思い浮かぶ。


「あぁ~、DVDね。じいちゃんの部屋にあるよ」


「見るしたいです」


 大伯父は競馬年鑑的なものから、有名馬などのDVDを所持していた。

 居間のテレビにはDVDプレイヤーが接続されているので、リモコンの操作方法やディスクの入れ替え方法を教える。

 アナスタシアが日本にきていたのは二十一世紀に入ってすぐだったが、あの当時は第二次競馬ブームが一段落した頃で、羅王も過去の名馬の走りをよく見ていたのだ。


「アナさんはやっぱ皇帝のレースが見たい? それとも帝王?」


 彼女は史上初の無敗の三冠馬が大好きで、その息子の帝王も大好きだった。

 羅王も好きな系譜だ。

 だが彼は、白い稲妻二世から始まる芦毛伝説が好きで、取り分け芦毛伝説第三章と言われたターフの名優が一番好きだった。

 そのため、どちらを見るかでよくもめていたから覚えていたのだ。


「皇帝、見るしたいです。うぅ~、でも帝王、奇跡の復活、見るしたい……」


「今日だけしか見れない訳じゃないし、毎日の勉強時間を少し削って、いつでも好きなときに好きなだけ見るといいよ。それに勉強ばかりの毎日だったから、息抜きも必要だよ」


「はい。――エルヴィラ、競馬、見るします」


「は~い」


 こうして異世界母娘は、最近の日本人でもよほどの競馬好きでなければ見たことがないであろう映像を、じっくり堪能することになった。

 一方で羅王は、競走馬育成シミュレーションゲームを進めるべく、自室に戻っていく。


「最近はエルヴィラが”これなに?”って質問してくることが多くて、集中してゲームができなかったからな、今日は没頭できるぞー」


 エルヴィラに日本語を教えるのは、プレイしたことのない美少女育成ゲーム的な感覚で楽しいと思えていた羅王だが、日課となっていたゲームに没頭できるのは、やはりテンションが上がってしまうのだった。

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日本と異世界、行ったり来たりのドタバタ生活 ~異世界人だった初恋のお姉さんと、当時のお姉さんと同じ年頃の娘が古民家で一緒に暮らす事になった~ 雨露霜雪 @ametsuyushimoyuki

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