第23話 水仙
高台にある小学校が唯一残ったO町では、校舎が避難所となり体育館が遺体安置所となった。家族の行方がわからない人々が、ずらっと並べなれた遺体を一体一体確認して回り、見つけた時にはその場で誰もが泣き崩れた。遺体を覗き込む一人に藤井たゑの息子、健司がいた。あの日、健司はタクシーで客を乗せO町を離れI市中心部にいた。一週間ほど経ってようやくO町へ戻った時のショックは言葉にできない。母を探し遺体を見て回るも、必死になればなるほど、もうどれが母なのか頭が混乱してわからない。
「ケン!」
自分を呼ぶ声に振り向くと平蔵の息子が近づいてきた。健司はすがるように言葉を発した。
「おっちゃん、おら戻んの遅くなっちまって、こんな、こんなこと…」
「I市も結構被害あったそうだから、戻んの大変だったべ。…ケン、悪がったな。無理矢理にでもタエちゃん連れて逃げればよかった」
「しょうがねぇことだから、気に病まねぇでけろ。おっちゃん、おら母ちゃん見つけられねくて。どごにいんだべ」
「ほれ、あそこにいるべ」
指で示された遺体に近づき膝をつく。健司は浮腫んで傷ついた遺体の顔が本当に母なのか確信が持てなかった。体もいつもの母より恰幅がいいように思える。膨れ上がった腹部に手を当てると、カタッという音と共に固いものが手に当たった。健司は遺体の服をめくった。大事そうに腹に巻かれているものを見た瞬間、言い様のない怒りが沸いた。
「死んだ者守るために、何で自分が死んでんだよ!」
健司は大声で泣き叫んだ。
五月。
警察署の取調室には一人の老婆が座っていた。老婆は耳が不自由であった。手話通訳と共に取り調べをしていた刑事が一旦部屋を出てきた。
「手話、わからないようです。普段は手話というか、ただの身振り手振りや筆談でコミュニケーションしていたようですね」
桜井は矢野に報告した。
「そうか。で、何て?」
「山村家がO町を出る日に山村フミに渡したそうです。六神丸だと言って」
取調室に矢野と桜井の二人が戻った。机の上には沢山の紙とペンが数本用意された。矢野は紙に『おなまえは?』と書いて見せた。すると老婆はペンを掴み、矢野の書いた字の脇に『山村雪乃』と書いた。
雪乃と雪乃の夫とで経営していた山村荘は、フミとタケ子を追い出した後、下降の一途を辿った。夫とは随分前に死別したのだが、元々は裕福な娘であったため、贅沢癖が抜けず生活はいつもギリギリどころか、いつしか近所の住人に借金をするようになっていった。そこに目を付けたのが志津であった。土地や家屋、年金を使った借入を指南し、手にしたお金は『半分あげる』と言って半分は志津が手に入れていた。
『しずちゃん。やさしいひと。おかねくれる』
本人はそのお金がどうやって作られたかわかっていなかった。自分の財産が抵当に入ってる事も理解できていない。
矢野は次に『ドクは?』と書いた。
『むかし、もらった。くすりのぎょうしょうのおきゃくさん』
その昔、雪乃が耳が聞こえないことをいいことに襲ってくる客が時々いたという。それを見かねた薬の行商人が『悪いやつをやっつける薬』と言ってくれたものだった。
『しずちゃん、いってしまった。ねえさんがわるい』
雪乃は騙されているとも知らず志津を慕っていた。フミのせいで志津がO町から離れてしまうと思い込わだ。そして志津からフミが六神丸を飲んでることを聞いていた雪乃は、山村家がO町を離れる日、去り際のフミをつかまえ、空に『く.す.り』と描き渡した。そして山村家の親族会議のあの日、フミは罵倒し合う自分の子供達に心を痛め、動悸が起きた際に雪乃から受け取った瓶を六神丸だと信じ、自ら青酸カリを服用してしまったのだった。
『ねえさん、きらい。ぜんぶわるい』
山村雪乃は認知症診断を受けることになった。
矢野刑事はO町を訪ねた。
崩れた家、家ごと津波にさらわれ土台しか残ってない土地、船が乗り上げた物産店、瓦礫の山等々、未だ痛々しい町の姿であった。
矢野は藤井たゑの自宅跡に着いた。たゑの家は古い家屋だったためか、全て流され土台だけが辛うじてのこっていただけだった。畑の向こうを流れる小川を津波は登って来たのだろう。そう思いながら畑の方へ目を向けると一輪の水仙が鮮やかな黄色をまとって咲いていた。
「まるでタエさんが微笑んでいるようだなぁ」
矢野刑事はそっと手を合わせた。
落魄 佐藤柊 @d-e-n
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