第3話

アリシアが倒れてしまっては、ギルバートは無力だった。

彼女を抱きかかえ、必死で走るが、苦しそうに肩で息をする彼女がユーリクスまで保つだろうか?

いや、保たない。

神官であるギルバートは、少しの医療知識なら備えていた。

だからこそ、彼はわかった。

このままアリシアをユーリクスまで連れて行くということは、彼女の死を意味すると。



眼が覚めたとき、アリシアは、見覚えのある部屋の中だった。


自室。


そのことに気がついたアリシアが跳ね起きようとすると、侍女がそれを止めた。


「姫様。病み上がりのお体で無理をしてはいけません。」

「病み上がりですって…!?」


アリシアは一週間前、父王とガイウスと共に、城に帰ってきた。

いや、帰ってきたというよりは、虫の息のアリシアを、父王が必死に抱えてきたという方が正しかった。


「ギルバートは…!」

「その名を口にしてはなりません!姫様を誘拐した大罪人として、処刑が決まっているのです!」


ギルバートの名を口にしたとたん、侍女の顔つきが厳しく変わる。

以前は、城にまだギルバートが居た頃は。エリザベータが居た頃は。

ギルバートの名が、こんな風に扱われることはなかった。

むしろ、好ましく人々の口にのぼったものだ。

若く眉目秀麗な神官と、人々はこぞって彼をたたえた。

それが、自分の勝手な行動で、この始末だ。

人の心の恐ろしさを、アリシアは思い知らされた。

目の前の侍女とて、以前はギルバートに熱を上げていた。もしかしたら、侍女よりアリシアを選んだことが、彼女を対ギルバートに変えてしまったのかもしれない。


「姫様がお目覚めと、王様にお伝えしてまいります。」


侍女が辞去し、すぐに父王とガイウスがやってくる。

申し訳なさと憎しみとが、入り混じった、複雑な感情で、アリシアは二人と相対した。


「アリシア。お前のやったこと、わかっておるな?」

「…間違ったことをしたことは、わかっているわ。」

「そんなに、私のことがお嫌であれば、お断りくださればよかったのに。」

「そのようなこと、できるわけがないとわかって、よくそのようなことが言えますね、ガイウス様。」

「…どういう意味か理解しかねますが。」

「私に、拒否権など最初からないということです。」

「当たり前だ!お前は一国の姫としての立場をなんと心得ている!我が娘として、我が国の娘として、国のために尽くすのが王族!それすらも放棄したのだぞ!お前は!」


いきり立つ父に、アリシアは、それ以上何かを言う気にはなれなかった。

父の言うことは、王族として、正しい。

それは、わかっている。

でも、一人の娘として、そんな風に自分を扱って欲しくなかった。

ただの、道具として、自分を扱って欲しくはなかったのだ。


「お父様は…何も分かってくださらない…。」


小さくつぶやいた。両目から、涙があふれ出し、止まらなかった。

一度それを口にしてしまえば、決壊が切れたかのように言葉は止まらない。


「王位は継ぐと、申し上げていたのに…。それだけでは何故不満なのですか…。エリザがいれば…エリザは…私の後が傍系でもいいと言ってくれたのに…。私は…私は!ギルバート以外を愛することなどできません!」

「それが傲慢だというのだ!お前は何もわかっていない!国を守るということがどういうことかわかっていない!子を成し、その子が王位を継いでいくということの、血統の大切さを知らない!」

「子を成すのであれば、ギルバートでなければ嫌です!」

「あれは平民だぞ!平民の血をいれるわけにはいかぬ!」

「だから、私は一生独身でいると決めていたのです!なのに…なのに…っ!」


アリシアの視線は、父王だけでなく、ガイウスにも移る。

その瞳は、強い憎しみを宿していた。

その視線にあてられた父王は、これ以上何かを言うことができず、ガイウスを残して退室した。

残ったガイウスは…笑っていた。


「…なにが、おかしいのですか…。」

「いえ?一国の姫ともあろうお方が、随分夢見がちだと思っているだけですよ。」

「夢を見ることさえ許されませんか!?」

「そんなことは言っていないでしょう。でも、夢を現実にするのは、いささか乱暴すぎたのではありませんか?この結果が、このザマだ。お美しいアリシア様は、まるで気がふれてしまったかのようで、このガイウスも心を痛めているのですよ。」

「っ…!」


からかうように、歌うように話すガイウスの言葉から、アリシアへの労りの気持ちは感じることができなかった。

むしろ、彼から感じるのは、憎悪。

笑みを絶やさぬままベッドに近づいてくるガイウスに、アリシアは恐怖を覚えた。


「あなたに、現実を見せてさしあげましょう。」


そうアリシアの耳元で囁いたガイウスは、今や自由に動かすこともままならないアリシアの体を抱き上げ、連れ去った。


ギルバートの、処刑の場へ。


冷たい牢獄に、彼はいた。

首をはねられる。

リールでアリシアに再会したときに、すでに覚悟はしていた。

彼女の姿を見て、もう、長くはないと気が付いていた。やせ細り、土気色だった顔色。どのような生活をしてきたか、すぐにわかった。弱り切った体に鞭を打ってリールまでたどりついたアリシアに、生命力を感じることが出来なかった。

だからせめて、少しでも彼女の生きるよすがである希望を、繋ぎ止めてやりたかった。

そして、万が一、一緒にディレシアまで行けたならと、甘い夢を見ていた。


夢想、だな。


『あなたは甘いのです、ギル。動くなら、もっと先の先まで考えておかねばなりません。』


そう言ったのは、尊敬する魔法使いで、アリシアの乳母、エリザベータ。


「そうですね、エリザベータ様…。私はやはり、甘いままでした…。」


石で作られた牢獄の天井は、やはり、何も答えてはくれなかった。


「でも、エリザベータ様。私は、最後に手に入れました。姫様を。姫様のお心を。生きている間では、きっと無理だと思っていた、あの気高きお心を。だから、私は、幸せなのです。姫様の命と引き替えに、自分の身が散ろうとも。あの方さえ無事であれば。生きてくれさえいれば。それだけでいいのです…。」


嘘だ。

死にたくない。

まだ、彼女が足りない。

口づけも交わしていない。

彼女を抱いてもいない。


嫌だ。

嫌だ。

嫌だ。


神とは。

私の信じている神とは。

かくも残酷なものだったろうか?


ああ。

違う。

私が神に背いたのだ。

あのとき。

残れと言った姫様の言葉に従わず、姫様に付き従った。

神とも崇めた姫様の言葉に背いた。

その罰なのだ。


自嘲気味に、ギルバートの口から笑いが漏れる。


姫様にはもう二度とお会いできない。

私があなたに背いたから。


でも、愛しています。アリシア様。

死すとも。

この身が滅びても。


気が付くと、ギルバートは、ロザリオを握りしめ、牢獄の天井窓に祈っていた。


彼女に。

アリシア姫に。

幸いあれ、と。


アリシアが連れてこられた時、ギルバートの処刑はまさに始まったばかりであった。

ガイウスの腕から降りようともがくが、さすがに、エドリアから旅の扉までの長距離移動が祟り、その腕から逃げることはできない。

ガイウスは、黙ってアリシアを処刑場の最前列へ連れてゆく。


「あなたは…何を…!」


憎しみのこもった目でアリシアがガイウスをにらみ付けるが、ガイウスは歯牙にもかけない。


「あなたの愛した男の、最後を。それくらいは、見せて差し上げようと思いまして。」

「…っ!なんて…ひどい…!なんて悪趣味なの…!」


そうアリシアが呟くと、ガイウスは眉間に皺をよせ、不快さを表す。


「あなたこそ、悪趣味でしょう。こんなにも私はあなたを慕っているというのに、婚礼の前夜に男と逃亡だなんて。」


その言葉に、アリシアは凍り付く。


ガイウスが、自分を…!?


「ねえ、悪趣味だとはお思いにならないのですか?我が新妻よ。それとも、そんなにも私がお嫌いですか。だからこそ、今まで私はあなたに触れることも叶わなかったのでしょうか?」


さすがにアリシアも答えに詰まる。


「ああ、始まりますね。」


はっとその言葉に、処刑場を見る。

そこには、愛しくてたまらないギルバートの姿があった。

首にも、手にも、足にも錠がされている。

そして、彼の美しい顔は、血や砂で汚れきっていた。


「・・・・・・・・!」


あまりの衝撃に、アリシアは言葉も出ない。


「ふふ、色男も、台無しですね、我が新妻。」


ガイウスの言葉も届かず、アリシアはギルバートを見つめ続けていた。

目をそらしたくなかった。

そらしてしまったら、その瞬間に彼の命が消えてしまいそうな気がして。


断頭台へと歩を進めるギルバートが、アリシアに気が付く。

彼へと手を伸ばし、必死で彼女を抱きかかえている男から逃げ出そうとしている。


その姿を見ることが出来ただけで、ギルバートは満足だった。


「…姫様。愛しております。」


そうつぶやき、彼は、アリシアへ、微笑んで見せる。

その微笑みが、アリシアが最後に見た、ギルバートの微笑みだった。


直後、アリシアは意識を失った。

彼女が覚えているのは、断頭台に上ったギルバートが見せた笑顔と、その直後落ちてきた鎌によって落ちた、愛する人の首。


「いやああああああああああ!!」


処刑場に絶叫が響き渡り、そして、アリシアは意識を失った。

ガイウスが、悲しげにアリシアを見つめていることなど、知りもせず。



目覚めた彼女の傍に、父王とガイウス、侍女がいた。


「アリシア。気分はどうだ?」

「アリシア様。大変な失礼を…。」


しかし、彼女はその声たちに反応しない。

彼女は、心を閉ざしたのだ。

ギルバートの死によって。


侍女のはからいで、父王とガイウスが退室し、侍女と二人だけになっても、それは変わらなかった。

何を話しかけても、何をしても、アリシアは反応を見せない。

彼女の世界は、もう、全て、色あせていた。


「どうしろというのだ、アリシア!死んだ者は戻らぬぞ!」

「…処刑場になど、連れて行かねばよかった…。」


その言葉に、父王はガイウスにつかみかかる。


「何故処刑場などにお連れになった!?あの子の心は、壊れてしまった!もう、戻らぬかもしれないのですぞ!」


ガイウスは、自分より少し小さい父王の目を見ることが出来ず、目線を逸らし小さく答える。


「決定的な場面を見れば、諦めることができるかと…。」

「馬鹿なことを!ギルバートの死を見たことで、あの子の中でギルバートは永遠だ!見張りをつけておかねばならぬ…。何かしでかす前に!」


そして、父王の懸念していた、それは、その夜すぐに起きる。


どんなことにも反応を示さなかったアリシアは、寝台からそっと立ち上がり、鏡台からナイフを取り出していた。


「ギルバート…。」


彼女の小さなつぶやきは、誰にも聞こえることなく、闇に吸い込まれていく。


彼女の胸を、思い出が去来してゆく。

初めて出会ったとき。

彼の講義が難しいと文句を言ったときの、彼の困った表情。

彼の煎れる紅茶が美味しくて、いつも彼に煎れてもらっていたこと。

戦場に出るとき、反対したくせに、結局エリザと一緒についてきたこと。


…これなら、ずっと戦争をしていた方がましだったかもしれないわね。


あのときの心細さを支えてくれたのは、他ならぬ彼だったのに。

ケガばかりする自分を、いつも優先的に治療して、兵達から顰蹙をかったときの彼の恥ずかしそうな表情。


そして。

城へ戻り。

温かな日常が続いていた。

ずっと続くと思っていた。

幸せだった。


彼が去り、エリザベータが亡くなるまでは。


お父様は優しい。

でも、国のことしか考えていないの。

大臣は、もっとひどい。

私は、きっと、赤ちゃんを産む、いい牝馬だと思われているに違いないわ。

ガイウスは、恐ろしい。

侵略をしかけてきた国と婚姻だなんて、エリザが居たらきっと反対したわね。


だったら。


だったら。


ギルバートがもういないなら。


あなたがもういない世界なんて。


いらない。


アリシアが胸にナイフを突き立てたのと、不穏な空気を感じて部屋へ飛び込んで来た侍女がその瞬間を目撃したのは、同時。


侍女は言う。


「あの時のアリシア様は、本当に嬉しそうな表情をしてらっしゃいました」


と。


血に染まり、血だまりに倒れるアリシアは、もう、息を吹き返すことはなかった。


その後、エドリア。


婚約者を失ったガイウスは国へと戻り。

エドリアは、直系王女が急逝したことで、傍系同士の争いが激化し、国内が混乱。

その隙を隣国ベラヌイアに突かれ、ベラヌイア領となる。

巨大化したベラヌイアと、ユーリクスとの間で戦争が始まるが、それはまた、別のお話。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

すべてが夢のままで あずさちとせ @AzusaChitose

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ