それは小さな恋でした

葉羽

明日ちゃんと返して

 最初の印象は、チャラくて怖い人。


「おい桜木ぃ、黒田はどうした? またサボりか?」

「あーハイ、朝はいたので。今どこにいるかは知りませんけど」


 飄々として、先生相手にも同等に話をする。でもちゃんと敬語を使って、他の不良やチャラい人たちとは違って授業にもきちんと参加していた。毎日一人で窓際の机に向き合って、一挙一動にビクビクと反応する隣の席の子なんて気にもせずノートだってとっている。なんなら教室のみんなよりも真面目に授業に取り組む姿は先生からも評判が良くて、その見た目さえ良ければ、と嘆いているのを稀に見かけた。生徒の耳が届く場所で愚痴を言うなと言ってやりたいところである。まぁ本人はとっくの昔に知っているだろうけど。


 その人、桜木葵くんは、発音からかわいらしい名前とは似合わないチャラい見た目の優等生だ。チャラいと優等生の二つが重なると違和感が半端ではないが、その言葉の限りなく狭い相似点に位置する珍しい人間である。金髪で隠れているけど耳にはたくさんピアスが空いて、制服は着崩され目つきは鋭く、その見た目は間違いなくヤンキーや不良と分類されるであろうもの。だがその内面はといえば、詳しく断言はできないが、酷く優しくて楽しい人だとだけ知っている。


 私が桜木くんをこんなふうに話すのは、儚くて希薄な限りなく短い、でも私の記憶に深く根を張る出来事に見舞われた経験があるからだ。


「なぁ、それ捨てるの? 余ってんなら俺にくれよ」


 最初の会話とも呼べない恐喝まがいの発言は、入学して半年が経とうとした夏の中庭でのものであった。それまで桜木くんとは一言も話さず目も合わせたことすらなかったのにも関わらず、軽い調子で声をかけてきた。唐突に訪れたエンカウントは私に焦りを植え付けるのに十分だった。


「……私? この、お弁当のこと?」

「そー、それ。ひっくり返そうとしてるように見えたから声かけたんだけど、もしかして俺の勘違いだった?」

「いや……それは、その、勘違いではない、けど」


 桜木くんが指差す私の手の中のお弁当は、彼氏のために作ってきたものだった。以前作ったときにオーバーじゃないかと言うほど大きなリアクションで喜んでくれたから、単純な私は毎日お弁当を持ってくるようになった。


 だけど数日前から彼氏と会う機会が少なくなり、学校でも一緒に過ごす時間が減った。お弁当を二人で食べなくなって、休み時間にすれ違っても目を合わせてくれなくなった。持ってきた二人分のお弁当は一つ無駄になり、持て余したそれを家に持ち帰るのが虚しくてたまらなくなった。


 毎日毎日、お弁当一つ分の重みを背負って帰るのに嫌気がさした。前々からその気持ちを自覚して、それでもお弁当を作るのをやめられないのが私という女だった。飽きられたのだと、嫌われたのだと言う事実をいつまでも受け入れられず、また「美味しい」と笑ってくれるのではないかと夢にも近い幻想を毎朝抱いた。


 でも夢はいつかは醒める。それが丁度桜木くんに話しかけられた日だったというだけ。

 小説や漫画で使われるような表現でいうシャボン玉が弾けるように、とはいかなかった。もっと前から気がついていたけど、必死に目を逸らしていただけだから。流石に彼氏と知らない後輩の女の子の姿を見た瞬間は驚いたけれど、それだけだった。悲しくて、辛くて、苦しいけど、それだけ。私は自分の知らないうちに見切りをつけていたのだろう。冷たい人間だとつい自笑したくなる。


 桜木くんは吃る私の手から今にもこぼれ落ちそうだった唐揚げを掬うようにしてお弁当箱を奪った。


「同じクラスの神崎だよな」

「うん。名前知ってたんだ」

「そりゃ覚えるだろ。入試一位だとか全国模試一桁だとか色々聞くから。あ、色々っつっても悪い噂じゃない」

「へぇ……ところでホントにそれ食べるの?」

「食べる」


 優しい人だなと少し話しただけで分かった。威圧的な見た目で体もそれなりに大きな桜木くんだが、やわらかいトーンや身をかがめてまで目を合わせて話す姿勢は正直とても好ましいと思う。自分の見た目が人に恐怖心を与えると自覚して、私を怖がらせないために少しもの配慮をしてくれている。それが嬉しかった。実質彼氏に振られたばかりの私には、特に。


「別にいいけど。それ、その……他の人にあげる予定だった、っていうか。実際その予定は無くなっちゃったんだけど、なんとなく、嫌じゃないの?」

「んー、考えてすらいなかったわ。まぁ美味しそうだし食べれば同じだろ。それに、こんなうまそうな弁当貰わないなんて勿体無いやつのために捨てられるより、今ここで俺が食ったほうが弁当も喜ぶ」


 んじゃ、いただきます。そう言いながらパンっと手を合わせて目を輝かせた。でも葵くんの手にまだ箸はない。本当に食べるらしいから、とお弁当袋から箸を出そうとしたら、その間に葵くんは素手で卵焼きを摘んで口へ運んでいった。


「あ、桜木くん、お箸……」

「うわっ、なにこれちょーうまい!」


 先ほどよりもハイライトの増えた瞳は近くで見なくともキラキラと輝いて、なんてオーバーなリアクションなのだろうと不意に笑いがこぼれた。堪え切れなかった笑みを顔に浮かべながら差し出せば、ニカッと笑ってお礼を言う。おいしそうすぎて忘れてた、と唐揚げを頬張りながら顔を上げる桜木くんはまるで子供みたいにみえる。


 思っていたより、というと失礼だけど、私が想像していたより何倍も接しやすい人だ。そして思っていたよりも怖くなくて、優しくて、いい人なのだろう。こんな短時間でこれほどまで人を信用してしまう私はやっぱり不用心で、だから将来詐欺に合いそうだなんて親に言われるのだとまた笑う。


「神崎。そういえば、俺の名前知ってたんだ」

「それはまぁ。桜木くんも、色々有名だし」

「悪い噂は?」

「……まぁ。ないとは言えないけど、そこまで悪い噂は聞かないよ。いい噂の方が多いくらい」


 今までは桜木くんの悪い噂もいい噂も適当に流して信じたことなんてなかった。それでも無駄に優秀すぎる私の脳みそは何もかもを忘れることを許してくれなくて、ずっと脳の片隅では記憶していた。

 クラスメイトの中に私の友人だと大っぴらに自慢できる人はいない。でも噂好きなクラスメイトの一人は誰かのスキャンダルを流すのが楽しくて仕方がないらしい。なぜかその情報通のクラスメイトに特別好かれたために、私までそれなりの情報を握る情報通になってしまった。それに、聞いた情報を全て覚えているので、ちょっとした会話をするだけでも多種多様な噂を思い出して勝手に気まずくなる。いいこともあるが、悪いことの方が多い気がする。


 クラスにいるのは私と学力を競いたがる学年2位の負けず嫌いと、なぜか寄ってくる噂好きと、あとはまっさらな課題を埋めたいその他大勢。課題なんて自分でやればいいものを、それすら面倒臭がる人はこれから社会でうまくやれるのかと心配になる。いや、そういう人たちほど上の人間に好かれやすく世渡りが上手で、能力がなくとも生きていけるのだろうか。単純な能力だけでなく世渡りのうまさが問われる社会はきっと息がしずらい。私はそれが顕著だから余計にそう思う。


「俺って意外と評価高い感じ?」

「先生からすっごく人気でしょ。特に体育と国語、私より点数高いってどこかで聞いたことある」

「あー、体育と国語は自覚あるわ。流石に贔屓されすぎだなって思う。ただの教科担任が生徒をご飯連れてくとかおかしいよな」

「そんなことあるんだ。すごいね、先生となに食べたの?」

「回転寿司でネギトロだけ食べた」

「なにそれ。生徒一人を特別扱いの先生はダメだから、桜木くんは一皿三百円くらいの高いお寿司いっぱい食べて先生のお財布空っぽにすればいいよ。それか違う生徒に見られて学校にチクられちゃえばいいんだ」


 脳裏に浮かぶ体育の教師の顔。比較的若くて生徒からの人気も高いが、私は正直好きではない。そもそも運動が嫌いだからそういう観点も含めて苦手意識を抱いているのだが、人間個人として見ても好ましいとは言い難い。よくいるお気に入りを贔屓してそれ以外はその他大勢、という認識の先生なのだ。


「桜木くんがあの先生好きだったら申し訳ないけど、絶対あの先生は結婚できないと思う。他の先生とも仲悪いし、関係を続けるのに向いてないよあの人」

「…………ん、っふふ、あはは! 神崎っておもしろいな。そんなこと言う奴だって初めて知った。変な偏見持っててごめん……というか、今さっき初めて話したんだから知らないのは当たり前か」


 ゴクンと最後の一口を飲み込んだ桜木くんが声を上げて笑う。数週間前新しく買った黒のお弁当箱が空になったのを久しぶりにみた気がする。なんだか清々しいというか、清々するというか。よくわからないけど頭のどこかで絡まり合っていたケーブルが解けたように何かが解決した心地だ。息がしやすくて体が軽くて気持ちがいい。


「私も桜木くんがこんなに話しやすいと思ってなかったからおあいこだよ」


 もう一度お弁当箱を一瞥して、つい口元が緩む。桜木くんはキョトンと瞳をまん丸にして、そのままの姿勢で固まった。どうしたのかと目の前で手を振れば、ハッとしてなんでもない、と微笑まれる。


 急に具合でも悪くなったのだろうか。心配になって声をかけようとした瞬間、狙ったように予鈴が鼓膜を揺らした。その音を聞いて桜木くんは一言、忘れてた、と顔を引き攣らせながら呟き、バッと立ち上がってそのまま私に背を向けた。そのまま忙しなさそうに走り出そうとして一度踏みとどまる。


「今日はいきなりごめん! ごちそうさま! さいっこうにおいしかったから、もっと前向いて自信持てよ!」


 そう叫ぶなり走り出した桜木くんは、視界からすぐに姿を消した。


「……お弁当箱、返してよ」


 呟いた声は自分の想像より大きくて、夏らしい青空にこだました。

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それは小さな恋でした 葉羽 @mume_21

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