第4話 絶望

「ケホッ、ケホッ、ケホッ!」


 喉の奥に何かがつっかえたような違和感が残り、何回かせき込む。私は、のどに詰まっていた食べ物の欠片を、何とか吐き出した。


「はぁっ、はぁっ、はぁ、はぁ~」


 息を整え、床を見る。そこには、吐しゃ物が、放射状に広がっていた。掃除しなければ。そうして、足を動かそうとしたところで、衣服に付着した吐しゃ物に、私は気が付いた。そっか、床だけじゃなくて、服も汚しちゃったのか。


「後で着替えるか」


 何を感じるでもなく、淡々と、吐しゃ物の後始末を行っていく。そして、装着していたゴム手袋や、マスクを外して、吐しゃ物の入った袋の中に入れた私は、入り口をきつく締めたことを確認して、ゴミ箱の中に捨てた。早く、ゴミ収集の日が来てくれないかな。吐しゃ物の入った袋を上から見下ろしながら、そんなことを思った私は、まっすぐに脱衣所へ向かった。


 脱衣所の中に入り、洗濯機の中を覗く。何も入っていない。他の服と一緒に洗ってしまうなんてことは無さそうだ。吐しゃ物のかかった洋服をゆっくりと脱ぎ、裸になった私は、塩素系漂白剤で、汚れた部分を消毒してから、水でよくすすいだ。これで問題ない。消毒の終わった服を放り投げ、洗濯機のボタンを押した私が、浴室に足を踏み入れる。


「私、こんな顔してたんだ……」


 浴室に取り付けられた、大きな鏡。その中に映る私は、生気のない目をしていた。心が死んだ人たちはみんな、こんな顔をしながら生きているのだろうか。だとしたら、まるでゾンビみたい。他人事のように、私はそう思った。


 シャワーを浴び、全身を洗い流す。やはり、私の心は変わらない。癒えないほどの大きな傷が奥深くに刻まれ、私の精神をすり減らしている。これから待ち受ける、絶望や恐怖に耐えながら生きる人生に意味はない。この苦しみから解放され、早く楽になりたい。そんな思考が私の脳内を支配していく。


「死のうかな」


 独り言のように出た言葉。それが自殺による死であることを、私は理解していた。怖くないわけがない。でも、生きることで、知らない人からSNSで、セックスを提案されたり、自分の家を特定され、強姦されたりすることを恐れるよりは、自殺して、フェイクポルノを起因とした問題から逃れる方が、遥かにマシに思える。


「ミッカーチルドレンのみんな、本当にごめん……」


 私は、大きな鏡に手をついて、両目から涙を流していた。


 シャワーが終わり、浴室から上がる。身体がいつもより重たく感じるのは、濡れた髪のせいだけではないと思う。髪をドライヤーで乾かし、全身をバスタオルで拭いた私は、それを首にかけたまま、廊下をペタペタ歩いて、自室に移動した。


「えーっと、あった」


 クローゼットから外出時用の服を見つけ、下着の上から身に着ける。そして、さらにその上から、メガネなどの変装アイテムを装備。これで、外にいる時でも、私が甘濃ミカだと気づかれる可能性は、限りなく低い。私は必要なものを調達するため、家を留守にして出かけることにした。


 ホームセンターに行くはずが道に迷い、デジタルマップを表示させる。通知には、何十件もの卑猥なメッセージと、数件の留守番電話。全て、全く認識がない人から届いている。いつ、私の電話番号が特定されたのだろうか。


「ホームセンターは、あっちの方向にあるのか」


 デジタルマップに搭載された、ルート案内機能で、目的地までたどり着く。私は、ホームセンターの入り口を通り抜けると、店内をぐるっと一周した。ホームセンターの中はとても広く、お目当ての商品は、簡単には見つかりそうにない。私は、店員に場所を尋ねることを最終手段と決め、端の商品棚から順番に見ていった。


「あ」


 店内のやや中央付近に、縄やロープが並ぶコーナーを発見する。家で使うのに、丁度いい長さの物はあるのか、自分で丁寧に調べていく。


「流石にないか」


 どれも長すぎる。でも、長さを調整すれば、使う分には問題ない。私は、麻ロープと書かれた商品を1つ手に取り、レジでお金を支払うと、そのまま店を出た。


「他に寄るところは……。あ、スーパー」


 家の冷蔵庫に食料がほとんど残っていないことを思い出し、ホームセンターに行ったその足で、スーパーに入った。食料品の買い出しのためではあるけど、正直、私の食欲はあまりなく、料理を作るような気力もないに近い。


 結局、私は、幾つかの野菜や果物、総菜弁当を買って、家に帰宅した。総菜弁当を買ったのは、手軽に食事を済ませられるから。他に理由なんてない。


 SNSを開くと、またもや、私の新しい偽動画で、多くの人々が盛り上がっていた。


【甘濃ミカのセックス動画、第二弾!リンクは下記URLから】


 本当は抗議したい。だけど、私の偽動画をオンライン上から完全に削除することなんてできないし、抗議すればするほど、人々の注意がこれまで以上に、私の顔で作成されたフェイクポルノに集まってしまう。


「何やっても無駄だから、もう終わりにしよ」


 私は、インターネットでやり方を調べながら、買ってきたロープを適度な長さに切ると、それを、家のドアの取っ手部分にくくり付けた。


「これでいっか」


 一仕事を終えた気分になった私は、動画ポータルサイトを開いた。チャンネル登録者数は、前と同じく約68万人で微増だが、本当に彼らは、私のファンなのか。いや、自殺すると決めた私が、そんなことを気にしたとしても仕方がない。


「それよりも、メッセージを書かないと」


 そうしなければ、一部の熱狂的なファンが、いつまでも私のライブ配信を、待ち続けることになる。それだけは、何としてでも避けたい。私は、今まで、甘濃ミカを応援してくれた本当のファンに向けて、遺書を兼ねた最後のメッセージを、長文で綴ることにした。


 手が震え、文字を上手く入力できない。間違いなく、私は死が怖いのだろう。それを示すかのように、心臓の鼓動が、速いリズムで動いているのが分かる。


「はぁ~、やっと完成した」


 大きく息を吐きながら、文章全体を読み直す。見た限りにおいて、特に誤字や脱字は見当たらない。写真2枚分の文量となった遺書を予約投稿すると、私は、麻ロープで作った輪っかに、自分の意識を恐る恐る向けてみた。


 ゴクリ。輪っかを見て、思わず唾を飲み込む。死ぬ覚悟は充分に出来ているはずなのに、ロープを持つ両手が、絶えず小刻みに震えてしまう。輪っかを持つ手を一旦離し、深呼吸で心を落ち着かせる。大丈夫。意思を固めた私は、今度こそはという思いで、握ったロープの輪っかの中に自分の首を入れ、静かに両目を閉じた。

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ディープフェイク ~拡散する、同意なきポルノ~ 刻堂元記 @wolfstandard

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