いち夫の生涯

久路市恵

いち夫の生涯

 僕はいち夫、五人兄弟の長男として生まれた。岡山県の西よりの田舎の村に両親と弟三人、妹一人の七人で住んでいる。趣味は釣りと歌を歌う事、自宅から徒歩3分のところにある高梁川で晩飯のおかずの足しにするため魚を釣りに行くんだ。釣りをしながら鼻歌を歌う。将来歌手になるのが夢だった。歌手になりたくて、中学校を出てから直ぐに真山師匠の弟子になって歌手になるために修行を始める。流しの旅に着いて回り主に荷物持ち、ようは付き人をしながら常に師匠を見て学び歌い方を学ぶんだ。希望を胸に抱き邁進していた。金のないのは当たり前で日々大変だったけど、夢を追う者にとって金なんてなくても屁の河童、それなりに楽しく過ごせるんだ。


 だけど、そんなある日、突然、母ちゃんが白血病で死んだと一報が入ってきた。気づいた時には既に進行していて、手のつけようがなかったらしく、どうにもならなくてそのまま逝ってしまったらしい、すぐに僕は帰郷した。


 自宅では葬儀の準備で近所の人が慌ただしく世話をしてくれていた。それなのに親父ときたら相変わらず酒を飲んでいる。ずっと酒浸りで身体を壊してしまい働けなくなった。それなのに酒をやめようとしない。


「おめえ、どうするんじゃ、夢を追いたい気持ちはわかるけどな。あいつがあんな状態で下の弟や妹はどうなんで、そんなんじゃよう、みな餓死にするで、和美が仕事しとったから飯食えとったけど、その和美が死んでしもうたらどうにもならん、のう、いち夫、おめえ帰ってこんといけんわ」


 親戚の叔父さんに言われてため息しか出なかった。夢を諦めるって事だ。


 こんな親父の息子に生まれて、僕は……。言葉さえ見つからない。結局僕は歌手になる夢を諦めて家に戻るしかなかった。


 本心を言えばこんな家を捨てて夢を追い続けたかったけど一番下の弟はまだ小学生だ。


 その弟を見てると涙が出てきた。自分の人生を謳歌するなんて夢のまた夢、


 食べ盛りだもんな。誰かが食わしてやんなきゃこいつは死んじまう。誰が食わせるんだ。僕しかいない。とめどなく流れる涙を見せられないから高梁川まだ走って行って叫んだ。


「ばかやろー。僕の人生ってなんなんだよ!」


 たった一部屋の我が家では子供たちが大きくなるにつれて手狭になってきた。だからと言って家を建てられる金なんてない。


 次男の照夫は中学を出ると直ぐにこの家を出て行くと言った。


「勝手だな」


 次男というだけで責任を持たなくていい、自由なんだ。長男なんて損な役回り。あいつはどこへ行ったのかさえわからない、どこへ行くとも言わずに出て行った。


 長女の祥子も中学を出て就職するため京都へと上京、この家の一部屋には親父と僕と弟二人になった。人数は減ったけど住めたもんじゃない。弟の正夫と昭夫も段々と成長してきている。体格が変わってきた。背も伸びた。


 そう思って僕は家を建てることにした。建てるといったって金なんて全く無いのだから大工に頼むなんてことできやしない、だから働いて稼いだ金で材料を仕入れ、少しずつ造っていくことにした。コンクリートで基礎を作り休みの日には見よう見まねの家造りに明け暮れた。


 金がないから完成するまでに相当時間がかかったんだけど、それなりに住める家はできたと思う。正夫も昭夫も手伝ってくれた。六畳二間の部屋ができた。そこに三人で住む。

 

 元々あった六畳の部屋は親父が寝ていた。その頃、親父はほとんど動く事さえできなくなっていた。医者に見てもらう金がなかったから、どうにもしてやることができない。そして親父も病院に行こうとはしなかった。


 風呂は五右衛門風呂だ。入り方を間違えると火傷する。そこに丸い木の板を沈めるんだ。それが結構難しい。山の枝を集めては火を起こし風呂を沸かす。トイレはもちろん外のぼっとん便所、僕の手造りだ。かなり貧乏一家だけどこんな時代だからと諦めている。だけどこの時代にも大金持ちはいるんだから、世の中不公平なんだよな。


 だけど、せめて親父がしっかりしてくれていたらと思う。そうすれば俺たちの食うものはそれなりに与えてもらえたと思うし、ギリギリでも食うことさえできれば生きて行けるんだから、けど恨んだところで仕方がない。ただ、ふとした瞬間、


「歌手になりたかったな〜」


 っていう思いが浮かんでしまう。


 真山先生の地方で流しのお付きで行ってる時、どこかで会った事のある男がドラマに出ているのを見て感動した。あの人だ!


「あの時、会った蟹丸敬二さんじゃないか、成功したんだな」


 僕もそっちで人生かけたかった。だけど、そんな事は言ってられなかった。二人の弟を食わせなきゃいけなかったんだから、


 最初は新聞配達、飲食店、トラックの運転手いろんな仕事をかけもちしていた。


 その内、世の中が経済成長してきた波に乗って給料も少しずつ上がってきたから、僕は運送業ひとつに絞って働くことにした。


 そんな時、僕は運送会社に出入りしている保険屋のおばさんに、


「どこかにいい人いないかな。僕も結婚したくなった」


 と言った。勧誘されその保険に入る条件を出したんだ。僕みたいな貧乏人には嫁さんなんて来てくれない。保険屋のおばさんはある人を紹介してくれた。彼女を一目見て恋に落ちてしまった。倍賞美津子似の美人だ。成美さんという。誰かを好きになったのは初めてで、バイクで2時間かけて何度も何度も彼女の住む街へ通った。


 だけど最初は全然会ってもらえなかったんだ。彼女も中学を出て家計を助けるために働いていたから、結婚はまだ考えていないと言って、会ってくれなかった。それでも2時間かけて通って行ったとしても留守ばかりだった。


「居留守?」


 一度結婚を前提に付き合ってくださいと、申し込んだけれど断られた。それでも諦めず何度も何度も申し込んだ。


 やっとのことで付き合ってくれると言ってくれた。嬉しかった。絶対に幸せにしてあげたいと思った。付き合い始めて一年後にプロポーズした。そして晴れて結婚、結婚と同時に正夫が中学を卒業して、この家から出て行った。


 家には父親と僕と妻の成美と昭夫になった。弟の昭夫は成美と気が合った。それは本当に良かったと思っている。結婚して一年してほどなく長女が生まれた。


「二人目は男の子だといいなぁ」


 なんて話をしていた。男の子が生まれれば安泰だ。そうすれば打ち止めできる。子供が増えれば食い扶持が増える。そうすれば生活が苦しくなる。自分の子供たちには同じ苦しい思いをさせたくなかった。


 そんな事を思っていたら女の子だった。そんなことを思っていたから女の子が生まれたのかな?


 二人目の子が生まれて三ヶ月経った頃、ある日、仕事から帰ってくると成美が、


義理父おとうさんがいないのよ。そのうち帰って来るかと思ってたんだけど、まだ帰ってこないんよ」


 外は薄暗くなってきているのに戻ってこないって、何処かで倒れているんじゃないかと心配になって昭夫と二人で探しに行った。


「兄ちゃん、もしかしたら裏山かもしれん」


 明夫がそう言うもんだから、懐中電灯を持って二人で山道を歩き少しばかり登ったところの木の枝に親父を見つけた。


 しばらく二人で親父を見上げたまま動くことができなかった。


 不自由な身体のくせに、ここまできて首なんか吊りやがって、何してくれんだよ。近所に住む親戚のおじさんを呼んできて手を借り親父を枝から下ろして寝かせ、その姿を上から見つめていると虚しさだけが湧き出てきた。その後の記憶は思い出そうとしても思い出せない。


 それからニ年後、待望の息子が誕生した。子育ては大変だったな。長男が生まれてこれで僕もやっと、安泰だ仕事を頑張って金を稼がなきゃな。なんて思ってた矢先、自分自身が病気になった。肝硬変だ。入院をして治療を受ける。妻にまた、迷惑かけてしまった。


 中学出ただけじゃあろくなもんじゃねえ。

子供たちが成長していくと金がかかるもんなんだな。働いた分はほとんどなくなる。妻が内職をしてくれて、なんとかぎりぎりでも生活はできていた。そのうち子供の手が離れて妻はパートへ行く様になった。


 中学になった長女は不良グループにいた友人に影響されて少しだけ、いう事を聞かない時期があったが高校入試の頃にはちゃんと勉強して進学校へ入学した。


 二番目の娘はどちらかというと、外に出たがらない娘で、


「外で遊びなさい!」


 と叱った事がある。内気な子で犬の好きだった。


 三番目の子は待望の男の子だ。手のかからない子だったが勉強が全くダメだった。

 そんなこんなで長女を送り出し、長男も綺麗なお嫁さんをもらって独立し、次女だけは結婚もしないで何気に僕のそばにいてくれたんだ。


 まだやりたい事がたくさんある。これからだ。人生後半に差し掛かり、僕も少し人生を謳歌したくなった。


 若い頃の夢はもう追いかけることはできないけれど、歌を歌う事が好きだった僕はカラオケ同好会なんてものを作ったりした。どれだけ人が集めるかは、わからないけれど一か八か募集したら八人集まった。夜な夜なみんなで集まってカラオケを楽しんでいた。


 それが今後の老後の娯しみでもあったのに、まだまだ働き盛りの52歳、突然脳の血管がプチっと切れた。風呂から出て次女の芳佳に、


「なんかおかしいんだ。掴もうとするけど掴めなくて」


「えっ!血管切れたんじゃない?」


 芳佳が叫んだ。成美は慌てて僕を支えた。


「救急車呼ぼう!」

 

 芳佳が叫んでいる。


「いや、車で連れて行ってくれ」


 芳佳は僕を車に乗せて病院に向かった。

主治医は倉敷中央病院へ手配してくれ、僕は初めて救急車に乗せられた。


 手術は無事に終わった。

プリンのカップほどの血液が脳内に漏れ出し神経が死んでしまって後遺症として右半身不随となった。


 目覚めた時は何が起きたのかわからなかったが、右側全部が動かなくて辛かったよ。長い入院生活になった。リハビリを済ませて自宅に帰った時、芳佳に言った。


「殺してくれないか」


 と頼んだ。だけど芳佳は


「刑務所なんか入りたくない」


 そう言って殺してくれなかった。当たり前だな。だけど頼めるのは、この芳佳しかいないんだから、


 それから23年の間、多少動けた身体は段々と動かなくなっていく、そして今度は違う病に侵されてしまった。気づいた時には手遅れだった。言語障害が仇となって、妻に痛みを伝えることができないままだった。


 なんの因果か母親と一緒の白血病だ。意識が朦朧としていくなか、遠くにいる芳佳に会いたくなった。あの子も結婚して福井県に嫁いで行った。遠い所からよく帰ってきてくれた。もっと話がしたかったな。会いたいな。


 とうとう最期の時が来た。


 僕が天に召させる日の夕方、


「お父さん、また、明日来るからね」


 妻が言ってくれた言葉に涙が出た。

長い間、迷惑かけたな。


「どしたん?涙なんか流して」


 幸せにするって思ったのに、大半苦労ばかりかけてしまった。全然楽をさせてやれなかった。23年もの間、ずっと介護させてしまった。僕と結婚した事、後悔してないかな。


 妻が病室から帰った後、感謝の言葉さえ言えなかった事、考えたら申し訳ない気持ちでいっぱいになった。


 僕はどうして人生の後半、こんな苦しい目に遭わなきゃいけなかったんだろう。


 悪いことなんてしてきていないのに、ただ懸命に生きてきただけなのに、


 生まれた時から辛いことだらけで、僕の人生はなんだったんだろうな。


 子供たちよ。後悔しない人生を歩むんだぞ。


 僕はそれから眠りについた。僕の心臓が止まったのは朝方四時だ。誰にも看取られることなく、静かにこの世を後にした。


 駆けつけた芳佳は僕を見て行った。


「これで、どこでも自由に行ける。身体軽くなったやろ。よかったね。お父さん。ありがとう、お父さん」


 もっとこの子たちといろんなところに行きたかったな。子供たちが小さい頃にあっちこっち行ったみたいに。芳佳の子供も見たかった

「人生なんてあっという間に過ぎてしまうんだ。後悔しないように生きるんだぞ、またいつか、いつの日か会おうな」



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