坂道
愛和 晴
第1話
長い坂道。周りは漆黒に包まれ、滑らかな白い坂道だけが天の川のように朧げに浮きでている。他には何も感じられない。独りだけ取り残されたような空疎な空間で、じっとしていても何もないので、なんとなく下りに向かって歩みを進めてみた。すると、ものの十秒ほどで、離れた先に人の立っている影が見えた。恐る恐る近づいてみると、その人の体格がかなりいいことに気づいた。背筋がきれいで、身長は190cm近くあり、真っ黒な背広にはしわ一つなく、髪も丁寧に整えられており、高級そうな時計と革靴を違和感なく身に着けていた。様子を見るにどうやらこちらにはまだ気づいてないようなので後ろから近づいた。
「大丈夫ですか?」とそっと耳元で囁いてみると、かなり驚いた様子で、バッ!と距離を取りながらこちらを振りかえってきた。精悍な顔を強張らせてこちらを凝視した後、呼吸を整えながら
「大丈夫です。」と一言だけ述べ、くるりと回って元の方向におもむろに歩みを進めた。特に怒ったりするわけでもなく、ただ逃げるように坂を下って行っていた。こんな反応は予想していなかったが、意図せずついていく形になってしまったので、少し気まずいが、しばらく黙って後を追いかけることにした。
それからその男性は坂を黙々と下り続けた。時折こっちを振りかえって確認するかのような仕草を見せるが、体を向けてくることはなかった。何時間も経っているが、いまだに革靴が快音を響かせながら一定のリズムを刻んでいる。さっきのいたづらで相当怒っているのか、それとも単にとんでもなく無口で無愛想な人なのか、とにもかくにもあれ以来完全に無言を貫いている。どんなに進んでも景色も変わらないし出口も見えないという状況で、ただひたすらに先へ進んでいく。刺激がなさ過ぎて退屈なことこの上ないだろうに一体何に駆られているのか。そろそろ話しかけてみるか、などと思案を重ねていた。そんな時だった。
「あなたはどうしてここに?」と唐突にその男性は言った。
「なんとなく下に向かおうと思って。」
この長い沈黙がようやく破られた。とても落ち着いた優しい口調だった。向こうから来るとは思いもせず、気を抜いていたので、返事がとても単調になってしまった。
「いやそういう意味ではなくて、なぜこの道にいるんですか?」と男性は聞いた。
「気づいたらいました。自分でもよくわかっていません。」
会話が滑らかに続かず、途切れ途切れになっている。また適当すぎる返事をしてしまったと思い後悔していたが、その男性は何か悟ったかのように歩きながら大きく頷き、話を続けた。
「そうか。何も覚えてないのか。」
「そちらは何か覚えてらっしゃるのですか?」
「ああ。あなたは何も覚えてないみたいだけど、逆に僕は自分が死ぬときまでの記憶が克明に残っているよ。」
そう言って男性はついに立ち止った。前を見てみると、男性と、全く同じ見た目の男性の像が互いに向かい合っている。そこには鏡があった。道を塞ぐように置いてある傷ひとつない大きな鏡は、とても荘厳な雰囲気を醸し出していた。男性は鏡に近づき手を当てた。
「多分ここは死後の世界みたいなところなのかな。刺激もなく、ただ自分の記憶に思いを馳せることくらいしかすることないこの場所は修行でもあり救いでもあるきがするよ。僕は短命ではあったけどね、趣深かった。」
そう言って男性はこちらを振りかえってじっくりこちらを眺めた後、手を鏡の中に伸ばし、腕から脚、胴体と吸い込まれ、そのまま霧消してしまった。道を塞いでた大きな鏡もいつの間にかなくなってしまい、そうしてまた坂道に取り残されてしまった。
長い坂道。周りは 漆黒に包まれ、滑らかな白い坂道だけが天の川のように朧げに浮きでている。他には何も感じられない。独りだけ取り残されたような空疎な空間で、じっとしていても何もないので、なんとなく上りに向かって歩みを進めてみた。
坂道 愛和 晴 @aiwasei
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