4周年記念日

まる

第1話

9月5日。

その日が私達の記念日だ。

正確には、9月4日の夜中なのだが、時刻は日を跨いでいたかもしれない。そうでなかったかもしれない。

翌日には2人とも正確に思い出せなくなっていたから、語呂合わせの良い5日を記念日とした。


今日は4周年の記念日だった。

月曜日だったから、相手は日中仕事に出ていた。

私は生理と戦いながら、家でワンピースを観ていた。フィルムレッドが公開されている間に映画館で鑑賞したいと思い立ちアマプラで履修を試みているが、まだシーズン1の100話に差し掛かる前である。道のりは長い。


夕方近くなり、生理期間特有の抗えない睡魔に襲われた私はベッドに横たわった。

時計が表示していた時刻は17時17分。

相手の終業時刻まで、おおよそ40分。

あ、炊飯セットしてない。

内鍵開けたっけ、開けた気がする。閉まってたらごめん。


そこで私の意識は途切れた。


目が覚めると、相手がベッド横で仕事着を脱いでいた。

まずは内鍵を開けていたことに安堵して、慌てて飛び起きた。

時計に表示された時刻は19時30分。

しまった寝すぎた。

それにしてもいつもより相手の帰宅が遅い気がする。

帰宅して荷物を置いたら、脱衣してシャワーを浴びるまでがルーティンの人が、今脱衣中ということは、今しがた帰宅したということだ。


定時ダッシュがポリシーのこの人が遅く帰ったということは、やむを得ない残業があったに違いない。

おはようとおかえりを言ってから、記念日にも関わらず疲れている相手をいたわるどころか、爆睡をかましてしまったことを詫びた。今から炊飯すると伝えると、相手は笑った。


「今日はピザを買ってきた。」


驚いて机に視線を移すと、明らかにピザが入っている大きな袋が置いてあった。言われてみればチーズの香りもする。


「シャワー浴びてくるから開けてていいよ。」


そう言って相手は廊下に続く扉を閉めた。

私は驚きながらも、袋を覗き込んだ。

言わずもがな、ピザは2人の好物である。

どのくらい好きかというと、買い出しの度にお惣菜コーナーで、店内製造のピザを今回は何枚買うかを真剣に話し合う程だ。そして大体2枚買う。


今日は記念日だ。もしかして奮発してくれて、3枚買ってきてくれたのかもしれないとワクワクしつつ、袋の中に手を伸ばした。


そして違和感を覚えた。

いつものピザは、プラスチック容器に入っている。だがしかし、この手触りは明らかに紙だ。しかも厚みがある。


はてと思い中身を取り出してみると、やはり段ボールのピザ箱が出てきた。しかもかなり温かい。

いつものお惣菜ピザは常温で、トースターで温めないと温もりを感じない。

まさかと思い、小走りで廊下を進んでシャワールームの扉を叩いた。


「どうしたの?」

「ピザがいつものじゃないよ」

「そうだよ。」

「どこで買ってきてくれたの」

「職場近くのピザ屋さん。釜焼きの。」

「美味しい所のやつじゃない」

「ふふふ。好きでしょう。」

「好きよ。そしてびっくりしたよ。てっきりいつものだと」

「今日はトースターで温めなくても直ぐに食べられるよ。」


もうすぐ上がるから食べる準備しててと言われて、私は直ぐに部屋に戻った。

机の上を片付けて、消毒して、ピザの箱を広げた。広げたカリカリベーコンと、とろりとしたたまごが乗ったものが1枚。ピザ生地のほとんどが、数種類のチーズで埋め尽くされたものが1枚。こちらにはハチミツのパックが付いていたから、食べる順番は自ずと決まった。


「腹減った。食べよう。」


私が写真を撮っていたタイミングで、相手が戻ってきた。

もう4年の付き合いである。お皿に出して綺麗に取り分け、フォークとナイフで食べるのは外だけだ。

私達は我先にと箱に入ったままのピザを手でちぎり分けてそのまま食べた。

こんがり焼けたベーコンの香ばしい油がじゅわりと口の中に広がって、思わず頬が緩む。


「美味しい」

「美味いな。」

「これ初めて食べる。」

「今日のおすすめだったんだ。好きそうだったから買ってみた。」

「好きな味よ。とても美味しい。でもいつものマルゲリータかと思った」

「マルゲリータを買う予定だったけど、品切れだったんだよ。だから悩んだ。2枚は絶対でしょ。本当に悩んだんだよ。」


そうぼやく相手の顔が真剣なことに愛おしさを感じながら、私は脳内シャッターを切った。この人はカメラを向けると表情が固まるのだ。ピザをもぐもぐと食べながら、想定外の事態に出くわした大変さを、眉をひそめながら語る表情なんて、絶対に撮らせてくれやしない。


「マルゲリータが品切れとは想定し難いね」

「そうなんだよ。でもこれ美味しかったから良かったよ。」


言いつつ相手はもう1つのピザを千切りだした。

空腹度合いと食事のペースが比例する相手である。相当お腹が空いていたらしい。


「お仕事忙しかったの?」

「いや今日はそんなに。」

「なのにいつもの夕方の間食はしなかったの?」

「うん。だって今日は夜ご飯とケーキが本番だから。」

「我慢してたんだね。美味しく食べよう」

「うん。美味しい。ケーキは冷蔵庫に入れてる。」

「予約してたの取ってきてくれたんだ。ありがとう」

「忘れないように頑張ったよ。」


ケーキとは、前日に2人で選んだベリータルトのことである。相手が伝票を忘れないようにと、財布の見つけやすい場所に綺麗に折ってしまい、共有スケジュールにリマインドをしていたことを思い出して、私は嬉しくてつい微笑んだ。


記念日恒例のケーキは忘れたくないと、そう思ってくれる相手の気持ちが愛おしい。


ピザを1枚食べ終わり、箱を畳んで捨てて私もチーズにありついた。相手の分はもう無くなっている。


「そうそう、それからね。」

「うん、どうしたの?」


ティッシュで手を拭き終わった相手が、椅子の下から手探りで袋を取り出した。

見たところ普通のビニール袋だが、縦に長い。

そして私はその長さの袋をよく知っていた。


「これ、買ってきた。」


思わず食事の手が止まる。

中身を悟り、直ぐにティッシュで指を油を拭った。


袋のまま渡されたそれには想像通り、中にラッピングされた切り花が入っていた。

白い八重のカーネーションが、7つ咲いている。それぞれの開花度合いはまちまちだった。


付き合ってから、ずっとずっと、お花が欲しいと言い続けて4年。

ドライフラワーよりも生花が好きなこと。

白や黄色が好きで、花弁の枚数が多い八重咲きの花が好きなこと。

雄しべと雌しべが沢山見えるとぞわぞわするから、なるべく中心にも花弁がつまって咲く花がいいこと。

直ぐに枯れてしまうと寂しくなるから、なるべく7部咲きのものを買いたいこと。


「これ、買ってきてくれたの?」

「うん。難しかったよ。まさか1本にお花が7個もついてるとは思わなかった。」

「最初何本頼んだの?」

「3本。店員さんに、怪訝な顔されてさ。大分大きくなりますけど大丈夫ですか?って。」

「店員さん、確認してくれたんだ」

「うん。7部咲きのが欲しいですって言ったら、1本全て7部咲きの物は無いかもって言われてね。」

「なるほど。それで気づいたんだね」

「そう、だから、7部咲きのやつが多めのを1本取ってもらった。開ききっちゃってるのもあるんだけど。」

「うん。でもこれが嬉しい。嬉しい。ありがとう」


こういう時は、ビニール袋から出して渡すときっともっと格好いいんだけど。

それができないこの人がくれたこの花が、ビニール袋のまま渡されたこの花が、私は今まででもらったどのプレゼントよりも、1番嬉しかった。


2枚目のピザを食べ終わった後に、着替えて髪を少し整えた。

ラッピングされた状態の花束を持って、写真撮影をお願いした。

散らかった部屋の荷物が入り込まない場所を作って、部屋の照明を明るくして写真を撮ってもらうのは少し気恥しかったけれど、嬉しさが勝った。

スマホに映った写真を見て、化粧をすれば良かったと少し後悔したが、それよりもお花を花瓶に入れる事を優先した。


お腹が少し満ちて、椅子でゆらゆらしていた相手に、飲み物の注文を聞いた。

リクエストの紅茶とタルトを準備しながら、私は今日という日を、今のこの喜びを、覚えておきたいと思った。


「実はね、今日1回帰ってから、またピザ取りに行ったんだよ。」

「えっ、職場と家2往復したってこと?仕事帰りに?」

「だって、ケーキとお花で両手うまっちゃったんだもん。」

「うそごめん、私爆睡してたでしょう」

「うん、びっくりするくらい起きなかった。起きてたら、外食誘おうと思ったけど。」

「うわー、ごめん」

「生理だし、寝てるかもとは思ってたから、想定内。それでピザにしたよ。」

「だから帰り遅かったんだ」

「2回目の帰宅だからね。でもピザが温かいうちに起きてくれてよかったよ。」

「ねえ、いつの間にそんなに素敵すぎる人になったの?」

「4年の間にだよ」


喜びの感情は、1度寝て起きたら風化してしまうから。二度と同じ気持ちにはなれないから。

こんなに沢山の喜びを貰ったことを、忘れたくない。

そう思えた奇跡に感謝しながら、私は今日のことを書くことを決めた。


その後はキッチンでタルトにロウソクを差して、部屋に運んだ。照明を落としてキャンドルに火をつけてから、歌を歌おうとして、それは記念日じゃなかったと気づいた。


「じゃあ、かわりにちょっとお話をしよう」

「いいけど蝋燭溶ける時間気をつけてね。」

「それじゃあ短めに。4年間付き合ってくれてありがとう」

「こちらこそ。」

「5年目も宜しくお願いします」

「うん。宜しくお願いします。」

「2人で火消そうよ」

「いいよ。」

「せーの」


無事に1回で消えた火を確認して、相手は直ぐにキャンドルを引き抜いた。

私は食べられる前に、急いで写真を撮った。そうして2人で、プレートに載ったままのタルトをフォークでざくざくと切り崩しながら食べて、紅茶を飲んだ。


「美味しいね」

「凄くベリーが主張してくる。」

「タルト生地が分厚いね」

「分厚いの美味しいよね。」

「うん。美味しい」


5号のホールを難なく完食して、片付けた後、別で私が準備していた抹茶カヌレとほうじ茶カヌレを出した。お茶味のお菓子が好物の相手は喜んで、緑茶をリクエストした。


「これも美味しい。」

「美味しいね」

「香料じゃなくて、お茶の味がちゃんとするよ。」

「お茶の味が濃いの、好きだと思ったからこれにしたの」


さっきまでお腹が落ち着いていたはずの相手は、目を輝かせながらぱくぱくとカヌレを食べている。


「ねえ。最後、一口で食べていいかな?」

「贅沢だね。がぶっといきなよ」


そう言って、半分こした残りをまるっと口に入れた相手の満足気な顔を、私はまた脳内に焼き付けた。

こんなに惚けてスイーツの味を堪能する人とは、一見して全く予想できない人。

外では無表情でクールに振る舞うこの人の、こんな表情を見られるのは私だけ。

そんな優越感に浸りながら、私も残りのカヌレを一口で食べきった。


その後はいつも通り、各々動画を観て歯磨きをした。

携帯を握りながら寝落ちした相手の寝姿勢を整えて、毛布を掛ける。

照明を落として、携帯をそっと引き抜いて充電する。


「今日はありがとう。嬉しかった。大好き」

そう呟いて相手にそっとキスをした。


「喜んでくれて良かった。」

寝ぼけながら相手は笑って、もう一度とキスをねだった。愛おしいこの人は、また明日も頑張って仕事に行くのだ。

感謝の気持ちと、精一杯の愛を込めて、私はもう一度キスをした。


ふやけた顔でそのまま寝た相手の頭を撫でながら、私はまた脳内シャッターをきった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

4周年記念日 まる @maru0maru

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ