残された者

高黄森哉

禁止

 森が鬱蒼としている、とは思わなかった。だが、母は、この森林の様子をそう表現している。ということは、昔は今よりも、ずっと木々が少なかったのだろう。なんて、かわいそうな時代があったんだ。だって、木材が無ければ家は出来ないじゃないか。その日、母や父はホームレスだったのだろうか。

 その両親はとても厳しかった。人を疑え、信じるな、自分を曲げるな、がモットーであり、時折、非合理的なところが目立った。それでも、憎めないし、実際、悪い親ではない。私がしたいことは、手放しで、賛成してくれた。例えば、衣服のこと、例えば、料理のこと、農耕、釣り、沢山ある。そんななか、禁止していることもあった。例の墓石に行くことと、針状の器具に触れないことだった。後者は特に厳しく、何度も、そのイラストを見せ、体罰じみた刷り込みをした。

 母はこういった。「体に、さしてはいけない。昔、多くの人が、それを刺した。私は、中身が得体も知れなく、また不完全にも思え、刺さなかった。皆、私を無教養だと笑った。しかし、私は間違っていなかった。それは、確かに不完全で有毒だった。人々は絶望した。そして、死を選んだ」、と。



 〇




 「随分遠くまで来てしまったな」


 隣にいる、兄が、私に言う。家からずっと離れたどころだが、羅針盤があるから、帰宅には困らない。ここも相変わらず、樹木が並んでいる。私たちは、遠くに来てしまった、といった実感はなかった。どこも、変わらず、似たようなところだ。


「それにしても、なんで、父は家から離れるのを、禁止しているのだと思う」

「それを、今、確かめてるんじゃないか」


 父親は、村から離れるのを固く禁じた。私は嫌だった。そもそも、生まれた時から、いや、物心ついた時から、村の雰囲気が、肌身に合わないと感じていた。暗く、閉鎖的で、特に偏見的なことが、原因だ。村は猜疑心にまみれているようだった。それは、村の教えにある。私も教育されたものだ。疑うことが美徳なのだと。それがなにゆえかというと、遠い昔、私達の先祖は、疑問を持つことで、災禍から身を守ることが出来たのだという。それで、その災禍でほろんだ愚者と、同じ運命を辿らぬ掟を立ち上げたのだとか。

 愚かでもいい。人を疑わぬ人間でありたい。そういう、願いを持ち続けた我々は、夜が開けぬうちに、村を出て、ここまで来た。


「墓石は、あちらの方か」

「ええ、そうよ。お兄さん」


 墓石、というのは、村から見える、巨大な石のことだ。村人から、墓石、とよばれているそれは、愚者を弔うために先祖が建造したという。縦に長く、側面には穴が無数に開いている。形は多彩だが、おおむね長方形をしている。遠くに霞むそれを、近くで拝むのが我々の目標であった。

 あそこにいくのは、特に禁じられていた。それは、穢れがゆえ、とのことであったが、本当かどうかは、不明であった。こういうことを考えていると、村の教義の根が深いことが知れる。私の疑う心は、沁みついて取れないらしい。



 〇



 そして、三日が過ぎた。蛙や、鳥を煮たり焼いたりしながら、森を抜けると、開けた場所に出た。それは、かたい、黒々とした大地だ。ところどころに草が生えている、大地の上には、白く真っ直ぐな模様が走っている。


「木々が、途絶えている」

「分かったわ。お母さんやお父さんが、森が鬱蒼としている、なんて奇妙な言い回しをする理由。ここで育ったのよ」

「そうだろうか」


 墓石は、近づいてみると、中に入れるようになっていた。中は薄暗く、乾燥している。一番下は、机がまばらにあるのみである。階段を登ると、中には机やら、椅子やらが規則正しく並べられている。また階段を登ると、同じような構造が現れる。さらに上にも、そのような部屋があった。そこにはぎっしりと、女性の遺体が詰め込まれていた。皆、安らかな顔をしている。


「墓地だったのかなあ」

「そうでしょう。きっと、そうでしょう」


 墓石の隙間を歩くと、よくわからない物の類が点在している。それは、何にも似ていない。沢山あり、独立したもののようである。落書きがしてあったり、丸焦げになったりしている。

 お兄さんはそれを触ったり、開いたり、壊したりして、検査する。私は、やめなさいと、叫んだがそれでも、探究心をとめることが出来なかった。ある、物の扉を開いた時、轟音と共に炎が噴出した。お兄さんの顔は千切れ、身体だけが地面に横たわった。


「おい、なんだこいつ。ホームレスか。くそ。爆弾を無駄にしちまった」

「そっちに、女がいるぞ。これでちゃらだ」


 私は外部の人間を初めて見た。


「あなたたちは。味方なの、敵なの」

「何馬鹿なこと言ってるんだ」

「あれはなんなの。お兄さんを殺したのは誰なの。爆弾ってなんなの。その服はどうやって作るの」


 何かを話しつつ、男たちは、ポケットから針を取り出す。それは、イラストで見たのと、そっくりであった。私は必死に抵抗した。しかし、腕の手首の辺りに針はさされた。

 すると、じんわりと頭の中に、痛みが緩くにじむ感覚がした。それは、明るい昼のジャングルだった。ジャングルのなかに、巨大な蛇がいて、それが目の前を滑るように走る。蛇の頭はトンネルに続いている。そのトンネルにぴったりと嵌まった蛇を、なんとか抜こうとするが、離れない。隙間に体を捻じ込んで、奥へ奥へ進むと、トンネルの中には私がいた。私は暗がりで蛇に睨まれながら泣いていた。

 はっと気が付くと、辺りは一面暗かった。兄の死体は既にそこになく、私は体中に疼痛がした。また失禁もしていた。一瞬、あれは全て夢だったのではないか、と考えたが、悲劇の跡として、地面に焦げと焦げた物が残されていた。



 〇



 私はテントを目指した。月明りで辛うじて見える巨大なテントだ。机の上にあったマッチを擦って、ランタンを点ける。その中は、荒らされていた。沢山の針が箱に入っていて、それは破壊されていたりした。ただ一つ、針が残されていた。私は、あの時の体験が忘れられなくて、針を皮膚に刺して、頭を強く押した。しかし、あの強烈な妄想は押し寄せてこなかった。

 それから、発熱があり、テントから動けなくなった。自分が弱っていくのを感じた。それは、三日で収まり、三日目の朝には回復した。村に戻って、事件の一部始終を話した。母は、卒倒しそうであった。それは、兄の死に対してであり、私がワクチン、という名の針を刺したからでもあった。そして、母の言う通り、子供が生まれることはなかった。あの時の針のせいだ。



 三十の暮れ、墓石を目指す。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

残された者 高黄森哉 @kamikawa2001

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ