かっこ悪い彼氏なんて

 彼女が出て行った。

 溢れ出る涙と結ばれた唇、全ての気持ちを俺にぶつけた眼。


 翌日、白紙と言うにふさわしい壁に囲まれた部屋。俺がそこで目にした彼女は、記憶の奥底までもがからっぽになったかの様に、きょとんとした姿をしていた。



 病室だ。

 俺は目覚めてすぐ映る風景で自分が今どこにいるかを把握する。

「あ、起きた。調子はどう?」

 隣で座っていたのは、俺の幼馴染のナツだった。

「ナツがいるっていうことは、もう夕方頃か。父さんから聞いたのか」

 彼女は俺と目を合わせず、スマホと見つめ合いながら頷く。

「そう、出張中だからお見舞いに寄って行ってほしいって、というかハルが日中外にいるなんて珍しいね。しかも事故現場でぶっ倒れてるとか。一体何があったの?」

 確かにあの状況で気を失ったのなら事件に関りがあると思われてもおかしくないだろう。まぁ関わっていることに変わりはないが。

「いきなり目の前であんなことが起きたら、誰もが腰抜かして失神するだろ」

 まぁ確かに、と聞いておきながらどうでも良さそうに返事を返す。

 そして何か思い当たったのか、意外そうな目を俺に向ける。

「そもそもハルが外で歩いてる自体驚きだけど、そんな不運までついてくるなんて、、モモちゃんも呆れちゃってるだろうね」


 突然の名前に俺は、ぐ、っと掛布団の中で拳を握る。その名前を出されたくなかったが、最近人助けと言う名のありがた迷惑をしていく内に薄れていっていたから、思い出すには良い機会だった。

「その名前は出さないでくれ」

「なに、まだ引きずってるの?お兄ちゃんなんだからケジメつけて学校ぐらい来なさいよ。私だって、少し寂しいんだからさ」

 少し俯き加減に俺を見つめる。前髪が少し視界にかかったのだろうか、手で前髪をいじっている。

「学校には行きたくない、それと今でも俺は死ぬ気で.......」

 それを遮るようにガタッっと椅子が動く。

 後ろに倒れると思ったそれは、あと少しのところでこちらに戻ってくる。ガタン、、と椅子が鳴り、部屋の中が静かになる。

 視界から消えた彼女の顔を追うために、俺は上を見上げる。

「死ぬなんて、そんなこと言わないでよ。最近元気になってきたと思ってたのに。死ぬならせめて...」


 その時、俺の頭に直接何かが流れ込んできた。

「.......声がする」

 俺は反射的に体を跳ね起こす。彼女は急なことと共に、今までにない動きを見てビビっているが、今はそれどころじゃない。いや、でも、人の最後の思いを知っているだけでその人の生死に関わっていいのだろうか。そして助けられるのだろうか。

 俺はつい前に、話しかけた人を死に誘導し、もう助からない死にたくなかった人を見るだけしかできなかった。結果的に、一緒に死ねなかった人と一緒に生きていたかった、もうこの世にはいない人が生まれてしまったのだ。

 頭を抱える、、その頭の中では今もなお声が聞こえる。そして悩んだ末に、俺は答えを導き出す。

「あぁ.......俺はもうこうするしかないみたいだな」

 素足で地面の上に立つ、想像以上に冷たかったが走る分にはあまり関係のない事だった。

 元々声をかけるだけでその後のことは気にしなかった自分だが、いざ自分の一言でこのようなことが起こると考え方は変わらざるおえなかった。自分のしていることがどれだけ禁忌なことで、軽はずみな行動ができないということかを改めて実感し、自然と足の指がぎゅっと内側に寄せられる。

 そして俺は急いで病室から飛び出る。後ろから何か叫び声が聞こえる。彼女には後で感謝と謝罪をしっかりしておこう。

 上から聞こえるため、階段を使おうと曲がり角を曲がると、そこに一人の車いすに乗っている女性が、階段の上を見上げていた。



 病室にいた彼女は、俺のことを全く覚えていなかった。

 先日の夜、事故にあったらしい。意識の回復は予想よりも早かったが、一部分の記憶がすっかり抜け落ちていて、両親ことや親友などは覚えているが、恋仲だった俺のことは全く覚えていないらしい。


 病室に入ったのはいいものの、他人の俺と会話はできるわけがなく、俺はまず自己紹介をしようと一歩前に出る。

 しかし体は前に進むのに喉から音が発せられることができず、一言も絞り出せずまま彼女の目の前まで来てしまった。

 気まずい沈黙を破ったのは向こうの方からだった。


「ごめんなさい、私記憶が曖昧みたいで、、男性の面会はお父さん以外初めてで、もしかしてあなたは...」

 次に彼女が言うであろう言葉をどうしても聞きたくなかった俺は、後ろに持っていた厚さの薄い箱を顔の前に突き出す。せっかく話を持ち掛けてくれたのに申し訳ないと俺は思う。

 何をしたいのかと反応に困る彼女に、俺は告げる。

「君にもう会うことはない。このハンカチ好きに使っていいから」

 箱と俺を交互に見てくる彼女は、初めて俺が彼女にプレゼントと渡したときと似ていて、込み上がって来る涙をこらえる。初めてのプレゼントも、今渡した中身と同じものだった。他の人とは違っていて、だけど気持ちが伝わってほしくてめっちゃ考えたプレゼントを彼女が本当に嬉しそうな表情をして受け取ったときも泣いてた気がする。

 回想は終わりだ。結局のところ、昨日渡すつもりだった記念日のプレゼントは、これから別の道を歩む俺を忘れた新しい君との最初で最後の送りものになってしまった。


 この病院の屋上は前にも飛び降り自殺した人がいたらしい。その人はなんでここで死んだんだろう。そう思いながら、俺は片足を上げてよろけながら靴を脱ぐ。

 きっとその人にも何か大切なものがあったんだ。本当に大切なものは例え量産されている玩具だとしても替えがきかなくて、人だったらなおさら一つしかないから替えれるわけがない。そして人というのは玩具と異なり、感情がある。その一つ一つの感情は思いが強ければ強いほど自分の中に残り、大きくなっていく。大きくなった感情の塊は記憶として残り、それを見返しては懐かしいな、嬉しいな、恥ずかしいなと思う。

 しかしそう思えるのは彼女が隣にいるからだ、一緒に大きくしていった思い出は二人だからこそ持っていられる。

 もちろん彼女の外見も大好きだった。しかし俺が本当に大切にしていたのはその奥にある彼女のとの繋がりだ。今、俺だけに残っている感情の塊は誰とも共有できず、虚しさと後悔だけ侵食している。


 俺は今からその大きくなった塊と一緒にここから落ちる。


 気がかりなのは彼女の将来だけだ。ちゃんと俺より良い人と結婚して幸せな家庭を築けるかなと思うと少し心配になってしまう。しかし彼女が新しい一歩ずつ進んで行く世界に俺がいる資格はない。俺が彼女を殺したも同然、死んで当たり前だ。

 靴を揃えて屋上の端っこに立つ。あと半歩のところで落ちそうなところだ。

 そしていざ下を向くと足が震えてしまって、自分があまりに意気地なしかを死ぬ前に改めて思い知らされる。


 びゅう


「あ、やばい」


 足に力を入れてなかった俺は少しの風で前によろける。その前方に倒れることのできる地面はない。

 結局俺は、自分で決断もできずに死んでいくのか。落ちるしかない自分は半ば諦めて目を閉じる。気を失うの方が先にならないかな、地面痛いし、はやく、はやく、落ちたからにははやくこの世界から.......


「だめ、まだこっちに来ちゃだめだよ」

 朝や夜、ソファーの代わりに使っていた布団。お互い地面にひくタイプの硬いやつで育ってきた身だったので布団だけでもちょっといいのにしようと二人でお金を分け合って買った思い出の一つ。

 その布団に何故か俺は寝っ転がっていた。横には彼女がいる。

「気が早いって、まだ私死んでないよ?」

 彼女の拗ねる顔。なんだこれは、死ぬ前になんてひどいものを見せてくれるんだ。

「もしかして、私がもう戻ってこないとでも思ってるの?」

 お互い仰向けで、顔だけ横にしている状態。繋がっているのは双方の片手だけ。

「大丈夫、私は必ず戻ってくるからさ。今はなんにもない私を見捨てないであげてほしいな。確かにあなたを覚えている私はここにいるけど、現実で積み重ねてきた私と君との全ての思いを持っているのは現実の私だけなんだよ。だから、これは私からのお願い。私が帰ってくるまで、私のそばに居て欲しい。いつもヘタレで私がいないと生きていけなかったあなたでも、私のお願いだけはちゃんと聞いてくれたから信じてるよ。私が帰って来たときに、あなたは今みたいに私の隣にいるの。無責任なのはわかってる、ごめんね」


 そんなことない。

 今まで俺は何度も誤った決断をし、そのたびに彼女に助けてもらった。いつしか俺が間違った道を行こうとしても彼女が助けてくれると思っていた。

 しかし、彼女がそばに居なくなった途端これだ。落ちてから、自分がとてつもない愚行をしていることに気づく。死んだわけでもない。まだ彼女は生きているのに、単純なことなのに俺はまたこんな取り返しのつかないことをする。そんな自分が情けなくて。

「そんなあなたが見てられなくて」


 手首を思いっ切り掴まれる。

「おい!手!」

 知らない男が俺の腕を引っ張っていて、その隣には。

 未だ横に居る彼女と姿が重なる。

「そんなあなたを正しい方向に導いてあげたくて」

 男の掴むその先で、君が伸ばすその手は今まで俺が触れてきた手であり、今回も俺を助けてくれるのだろう。

 俺は必死に握ろうと伸ばしたが、寸でのところで止める。


 だめだ、変わらなければ。

 喧嘩の原因も俺が死のうとした理由も、全部俺が考えなしでそのくせへたれで馬鹿だからだ。今俺を知らないはずの彼女の手を握って、もう一度彼女と会える権利があるというのか?


 いや、ない。


「っあぁああっ!」

 もう片方の手で屋上の角を掴む。自分の叫び声に自分でも驚いている。でも今はこの声が恥ずかしいとは思えない。変わるチャンスは、今しかないだ。

 その瞬間、全身の力が臨界点に達したのか、体が上へ上へ浮いているように感じた。




「階段の手前で上を見ながらそわそわしている彼女に、屋上に連れて行ってほしいと言われたので」

 地面に突っ伏して、屋上の空気をいっぱいに吸って吐いている男に言う。

「俺から言えることは一つだけです」

 彼の長々とした思いを感じてるときに絶対言おうと思ったこと。これさえ言えれば満足だった。

「ちゃんと、地に足つけて生きてくださいよ。その命、あなただけのものじゃないんですから。もちろん彼女の命もですよ。それじゃあ」

 未だに肩どころじゃなく全身で息をしている彼に背を向け歩き出す。階段を降りていると、その終わりのところにナツはいた。

 これは少々面倒臭くなりそうな気がして止まない。




 車いすに乗っている彼女は、俺の顔の前に手を差し伸べる。

「きっと記憶を失う前の私はあなたのことが好きだったんだと思います。そういう頼りなさそうで、誰かがいないとだめ、みたいな人を放っておけなっておけない体質みたいで、、」

 俺は自力で立ち上がろうとする。しかし体力と落ちる瞬間の恐怖で、膝が持ち上がらない。

「そんなすぐにかっこよくなんかなれませんよ、大丈夫です。落ちなかったということだけでも偉いので、今はおとなしく私の手を握ってください」

 こういうところは健在だなと思いつつ、俺は彼女に一つ尋ねる。

「ハンカチの意味、分からないのか?手切れ、別れって意味だよ。君が教えてくれたんだ。それで、俺は君と別れるつもりだったのに、なぜいるんだ?」

 言っている最中、彼女はくすっと笑う。そして笑いをこらえながらこう言った。

「手違いなのかわかりませんが、あの箱の中、タオルでしたよ?今治の」

 ギクッと俺は肩を震わす。そう、俺の初めてのプレゼントで、記念日のプレゼントでもある。そしてなによりも、、

「『嫌なことは水に流しましょう』って意味を知ってて、渡そうとしてたんですか?なんというか、私が事故にあったのも何日間か喧嘩して私が出て行ったからって聞いたんですけど」

 誰から聞いたんだ、、と思いながら俺はうなだれる。もう隠すことはない、正直に話そう。

「そうだよ。仲直りしたくて、記念日に初めて渡したプレゼントの新しいタオルを渡す予定だったんだよ」

 予定、そう本当に何から何までしくじった人生だった。

「でもね、今はその人はいないみたいだからさ。そのタオル、俺から君への初めてのプレゼントっていうことで......いいかな」

 まずい、調子に乗り過ぎた。と思い、下げていた頭を持ち上げると、そこにはボロボロと泣いている君がいた。

「こ、こんな、あなたのことを忘れてしまうようなろくでもない人なのに、それでも良いんですか?」

 俺は手を伸ばす。

「ろくでもないのは俺の方なんだ。でも今からはちゃんと地に足つけてお互いが支え合って生きていく覚悟がある。だから、もう一度俺とやり直しを、してくれませんか?」

 俺の、君を求めるその伸びきった手に、少しの温もりが覆う。それは今までの温かさと違うように感じたが、それもまた良いと、今は思える。彼女の手に変わりはないのだから。


 止まりかけた涙と少し開かれた唇、全ての気持ちを俺にぶつける眼。

 そして彼女は言う。


「はい、喜んで」

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死にたい俺とこれから死ぬ人々へ 石動 朔 @sunameri3

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