一輪の花を君に

 これはあくまで持論だが、これから死ぬ人は2つの種類に分けることができると思う。

 1つは死に迷いがない人、もう1つはこの世に未練が少しでもあったり、ほんの少しの気の迷いで起こる死の衝動に駆られた人である。

 そして俺が聞こえる声は後者の方であることは、今までの経験でわかっていた。


 では、死の声というのはいつ聞こえなくなるのだろうか。


 わかっているのは気持ちの変化によって死ぬのをやめた時、もう一つは死ぬ瞬間まで声が聞こえる場合である。

 俺がその声の人に話しかけるようになったのは、もう死ぬ瞬間の声を聞きたくないという個人的な理由もある。


 今までのケースはこの二つのみだった。


 しかし、もし他の場合があるとするのなら、、、それはとても出会いたくない部類だなと過去の自分は思っていた。


 

「知ってる?ワスレナグサって花、私を忘れないでって花言葉なんだってさ。」

 学校帰りのファミレス、私は彼女と何回この席に座り、何回目と目を合わせて話をしたんだろう。

 初めの頃の彼女はとても綺麗な瞳で、それはもう美しいという言葉では言い表せない程のものだった。

 私の友達の友達の男と上手くいっているみたいだった。

 彼女が熱心に話していることを興味津々に聞いているフリをして、ずっと見ていたのは紛れもなく彼女の瞳だった。


 次に彼女の瞳が変化したのはその男と付き合ってから三か月もしない内だった。


 今まで彼氏自慢の聞き役だった私は、その日から相談役として彼女と席を向かい合わせていた。

 私は、彼女が自分のアドバイスがないとやっていけなくなっていく姿を見て、この上ない幸せを感じていた。


 そう、自分が他の普通の人と違うことはわかっている。


 最後に、ここ最近の変化だ。


 彼女はなかなかその男と別れなかった。どうやら彼に執着しているとかなんとか言っていて、顔色も瞳も、誰もがわかるほど憔悴していた。

 私は彼に激しい憤りを感じた。私なら彼女をこんな姿にさせないのにどのくらい彼女の傷つく事をし、これほどまでに追い詰めることができたのだろうか。


 極めつけに彼女は自殺すると言い始めた、それも彼のバイト先のビルで。

 ワスレナグサを落として。


「先にワスレナグサを落としてそれに続くように落ちるの、ロマンチックでしょ?」

 この話は知っている。ドイツのドナウ川の岸辺に咲くこの花を、騎士ルドルフが恋人ベルタのために採ろうとした時、誤って川に落ち、その時にこの花を投げながら〝私を忘れないで〟と言い残したという悲しい逸話。

「あなたは彼にバレないように隠れて店の中を見てて、あの人はいつも開店するときcloseの吊るし看板を引っくり返すから、その時が一番のタイミング。頭から、彼と目が合うように落ちるの。」

 もうこの時の彼女は、頭のどこかの大事なネジが外れてしまっていたのだろう。私が何を言ったところで聞く耳を持たなかった。

 なぜかって、その時の彼女の瞳はもう私を捉えていなかったからだ。


 だから私は、彼女と一緒に死ぬ。



「あの、先ほどから死のうとしてるのはあなたですよね?」

 俺は木陰に隠れてる一人の女性に話しかける。

彼女は俺の方に体を向けると、訝しげにこちらを見てきた。

「えっと、誰だかわからないけど、、今私これから死にます!みたいに見えちゃってる?」

「いいえ、普通の人はそもそもあなたに気づくかどうかもわかりません。」

「そっか、なら良かった。それで、私に何か言いに来たんでしょ、もしかして死神?だとしたら早いわ、まだ店が始まるには少しあるもの。」

 死神、、か、考えたこともなかった。他人の死に、しかも生死の境目に現れる人なんて死神にしか見えないのだろう。

「いいえ、違います。」

 俺は現状言える最大限の言葉で彼女に訴える。

「それよりも、彼女はあなたに生きてほしいと思ってるんじゃないんですか?」

 目を閉じ呼吸を整え、次の言葉を言おうと顔を上げようとした時。


 俺の脳内に語りかけるそれが消えた。


「生きててほしい、か。」

 彼女は俯いたままつぶやく。


「君の言う通りそうなのかもしれない。でもね、私は諦めたくないんだ。」

 店の中から人影が見えたが、俺はもう彼女止めることができない。


 もう、目の前の彼女から俺に訴えかける声が聞こえなくなってしまったから。


「せっかくだから教えてあげるよ。」

 彼女はポケットから淡紫の花を取り出し、髪に飾る。


「恋人を亡くしたベルタは生涯この花を髪に飾っていたんだって、だから花言葉には真実の愛っていう意味もあるんだよ。」


 そう言い残し、彼女はビルに向けて駆け出す。


 俺が咄嗟に伸ばした手と彼女の間には、決定的な何かがあった。


 まるで生と死の境目ようなものを。




 やっとこの時が来た。


 今までの苦しみから解放される瞬間、初めて会った時の儚い恋心が活気を取り戻す時。

 小学校の頃、純粋に告白した親友の女の子に気持ち悪いと言われ、周りにおかしい人間として扱われた。

 中学校は誰とも同じ学校に行きたくなかったので、私立を受験してそこに通った。

 世間の常識を見習い、告白してきたクラスの男子と付き合い始めたがすぐに別れてしまった。どうしても男を恋愛の対象として見れなかった。ベッドに押し倒され、普通の女はその時この上ない幸せを感じ、留まること知らない欲があふれ出すのだろうか、私はそう思えなかった。


 高校に上がり、完全に孤立していた私に話しかけてくれたのが彼女だった。

 一目惚れだった。しかしいつまでも私のものにはならなかった。彼女の彼氏の話を聞くたびに自分は孤独に蝕まれていった。

 彼女が死ぬと言った時、チャンスはここしかないと思った自分もいた。


 人生を終わらせてでも、私はこの恋を諦めたくない。


 上から舞い降りてくる私の天使が徐々に近づいてくる、その間が妙に長く感じた。


 久しぶりに合わせたその目は、この上ないほどに美しく、私の今までの孤独を包み込んだ。


 視界に彼女の顔が埋め尽くされた瞬間、私は目を閉じる。



 これから死ぬ私が、これから死ぬ君にこの花を。



 この花を君に捧げる。





 濁り切った暗雲に対し、地面には鮮やかな緋色の何かが黒いアスファルトを侵食していく。


 声が聞こえる。


 液体の様なものの一部が地面のでこぼこの隙間を伝ってこちらに這い寄っていき、俺のスニーカーの下を通る。今頃俺の靴の白い底は真っ赤に染まってしまっただろう。


 声はまだ....


 俺は自分の靴から顔をあげる。見たくても目に入り込んでくるこの惨状に俺は息すらも忘れる。


一人の女性が、まだ.........。


 店から現れた男が腰を抜かして叫んでいるように見えた。髭を生やした、いかにも店長らしい大人が。少なくとも、彼女が言っていた彼氏では無いということが一目でわかる。

 声は聞こえない、後ろを走る車の音も、鳥のさえずりも、何もかも。


 ただ先程から俺の耳に、いや脳に直接声が流れ込んでくる。


 それはついさっきまで自分と話していて、今もまだ何が起こったかわからず立ち尽くし、息をしている女性の隣にいる。その……


 その声はひどく、悲しそうに聞こえた。





 あなたが私に好意を感じていることは薄々気づいていた。


 しかしそれはあくまで友達の延長線上だと思っていたし、多分そのまま大人になって同じ関係を保ったとしても、変わらない平穏な日々の一部として、いつまでもあり続けていただろう。

 このまま私は彼と上手く行って、いずれ結婚式でブーケトスをして彼女に花束が渡り、私とは別の人とこれから続く長い道を歩いていく。


 そう、始めは考えていた。


 しかし自分は、自分で思っているよりも彼を愛し、彼女をそばに置きすぎてしまっていた。


 初めて彼女に相談したのは、彼女が私の服装に対して指摘した時だった。


「もう夏なのに、なんでまだ長袖を着てるの?」

 気づかれたくなかった、でも心の何処かで気づいて欲しかった。


 それからその日の記憶はあまり覚えていない。

 覚えているのは、口のチャックが壊れ、中の色々なものが止め処なく溢れて出てしまったことだけだ。

 それ以上でもそれ以下でもない、なんの面白味もない話。


 私は最低の人間だ。


 彼女が私の事を好きでいてくれる事を利用し、彼の弱みを探らせていた。

 浮気、金銭面、上司など様々なことを調べ上げたが何も有益な情報はなく、わかっていくのは露骨な私への愛だけだった。


 それからはどんどん私は彼に執着していった。

 何をされようとそれは彼なりの愛情表現だと受け止め、それさえも愛した。


 人に見せられないものが増えていった。


 体というものが人間において必要のないものなのではないかと思い始めた。


 彼と一つになりたい、一時的なものではない。ずっと彼の中に居続けれるように、、



 そして私はビルの上に立つ。今日という日を祝福するかのように、神は私の味方をした。

 風のない、穏やかな午後。


 片手に持っていたワスレナグサをそっと放り投げる。


 小さい花は揺り籠のようにゆらゆらと宙を舞い、日が沈むように私の視界から外れていく。


  私はそれを追いかけるように飛び降りようとしたいがそこをなんとか我慢し、落ち着いて体を傾ける。

 勢いよく頭が下を向き、落下が始まった。


 なんの恐怖もなかった。



 私が下を向くまでは。

 さっき落とした、今じゃ私よりも上で悠々と落ちてきている淡紫の花と同じものを頭に付け、満面の笑みでこちらを見上げる彼女を見るまでは。



 何が起きたかわからない。自分が地面に打ち付けられたことはわかった。ややあって男が叫んでいるのがわかる。声は私の好きな人の声じゃない。


 やっぱり神は私に味方をしてくれないようだ。

 その代わりと言わんばかりに、隣には私を愛してくれた一人の女性がいる。


 彼と付き合ってから一番頭が冴えている今、一番に浮かんだ顔も彼女だった。

 今では、なんで彼にそこまで執着する必要があったのかもわからない。


 それよりもずっと私の隣には、私のつまらない自慢話も、憂鬱だったであろう相談も親身に聞いてくれて、その都度一緒に喜び、悲しみ、慰めてくれる。だめだめになっても愛してくれた人がいたというのに。


 あぁ.......今すごい死にたくない。


 まだ、彼女と話していたい。


 彼が好きだからって屋上から落ちるなんて馬鹿みたいだよねって、今日もあのファミレスで言いたかったな。


 きっと、これから落ちる花は彼に渡すものじゃない。


 どうか私を忘れないで。


 そして私よりも、もっとあなたを見てくれる誰かと真実の愛を築いてください。



 これから死ぬ私から、これから生き続ける君にこの花を。




 この花をあなたに捧げます。



 一体に広がった鮮血の泉に二輪の花。


 一つは横に枯れ果て、もう一つはその花の側で寄り添うかのように。


 美しく花が咲いていた。


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