死にたい俺とこれから死ぬ人々へ

石動 朔

死ねない沼か死ねる地面か

 九月一日 とある私立高校の屋上にて。


 先日、彼女と別れた。

 遠距離だったが、相思相愛で、普通のカップルなら別れることもなかったのだろうと思う。

 別れた原因は、俺にある。


 単純に将来が見えなかった。

 自分は私立で大学に進み、彼女は高卒で働く。一軒家の俺は、彼女の地元で住むことなど考えていなかったが、彼女は地元を離れる気がなさそうだった。

 趣味、話の掛け合い、話せる時間帯など、これほどに合った人はいなかった。


 ただ、住む場所と環境さえ良ければ幸せだったのだ。


 しかし神様はそう上手くはやらせてくれない、別の生き方をしていたら出会えなかったというのは、なんとも憎たらしい世界の構造である。


 結果俺はそれに負けてしまった。


 いや負けたとは思っていない、むしろ俺は正しいことをしたと思っている。将来がわからない恋よりも先が明確に見える恋の方がよっぽど彼女は幸せになるだろうと思った、思っていた。


 問題なのは、それによってお互い得られたものは果たしてあったのだろか。


 一日経った今、俺には失ったものしかなかった。彼女は今、どうなのだろうか。

 

「あれ?」

 

 つい声が、外に漏れる。

 

 俺がしたことは本当に彼女のためになったのか?彼女は俺のことが好きだったんじゃないのか?俺は、、俺は好きだった。じゃあ何故?


 

 、、何故俺は今、死のうとしているんだ?


 

 歩みを着実に上へ進めていた足が止まる。

 こつこつと聞こえていた自分の足から音が消えると、そこはまるで世界のすべてが一瞬にして氷の世界に閉ざされたように凍り付いて静まり返ってた。

 そしてその静寂を壊すかのように、油蝉の滾るような鳴き声が世界を溶かしていった。


 階段のスロープを汗ばんだ手で掴み、自分が今現実にいることをしっかりと感じた。ちゃんと理性を保てていると胸を撫でおろした俺は、改めて階段を上がって行った。


 これから死ぬつもりだった俺に与えられた力は、これから死ぬであろう人の心の声が勝手に脳に流れてくるというものだった。

 この不思議な声を聞くのは十一回目、一か月に二回のペースで聞こえてくる。

 聞こえる範囲は決まっているらしく、それを聞いた瞬間にその声のもとに走れば間に合うくらいだ。原理も条件もわからない、ただ俺にだけ聞こえる声。


 そして今日、十一回目の声で俺はついに我慢できず、気づいたら走り出していた。 


 屋上へと続く扉の取っ手をゆっくりと捻る。

 この扉はまさに、選ばれたものしか開けれないかのように重く、そして今にも外れそうなぐらい弱々しい音で開く。


 フェンスの奥、先ほどから俺に何かを訴えてきている者がそこにいた。


 その者は生きる意味をとうの昔になくし、たった一人の愛する人のために生きていた男。

 そしてその女性を、先日自分の独断で捨て、その罪も含めて今までの人生を償うと共に、この不条理な世界から解放されるため、今日をもってこの体を神に返そうとしている男。

 端から見たら、そんなことで?と思う人がいるのかもしれない。

 

 しかし、そんなことを言える資格を持った人などこの世には存在しないと俺は思うし、正直これからすることを他人の俺がして良いわけがない。


 でも


 もし俺の頭の中に流れ込んでくるこの声が、まだ未練がある者たちのSOSなのだとしたら。

 それならば俺はこの能力がある限り、これから死ぬ人達の物語の最終話を引き伸ばしてあげたい。

 その結果が良い方向に行っても、悪い方向に行ったとしても。


 生きて生きて、生きまくって、それで体に何にも残らなくなってから自由になれ。

 

 後ろから扉が開く音にも気づかない彼に俺は、声をかける。


「底がわかりきった地面を一人で落ちていくんじゃくて、底が見えない沼を二人で進んで行きたいんですよね?」


 その男はゆっくりとこちらを向く、その眼はまだ枯れ切らずに生暖かいものを流し続けていた。


「彼女がそれでも良いと言ってくれるから、あなたはまだそこに立っているんじゃないんですか?」


 死にたい俺がこれから死ぬ人に向けて放った声は、彼の心を動かしたのだろうか。

 


 男はフェンスに手をかける。


 始業の合図は、そう遠くないようだ。

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