逆襲の悪役令嬢物語1 〜むりやり悪役令嬢にされたので、極悪令嬢になって思い知らせます〜

藍条森也

逆襲の悪役令嬢物語

一の扉 罠にはまる伯爵令嬢


 「どうして⁉ どうして、こんなことをしたの⁉」

 雷鳴が轟き、寝室の窓を透して稲光が降り注ぐ。嵐が吹き荒れる暗い夜。わたしは侍女のハンナによって隷従の紋を刻まれた。

 一五歳の春の日のことだった。

 「どうして? 決まっているでしょう。すべてはあたしが成り上がるためよ」

 ハンナは笑いながらわたしを見下ろす。その笑みはいままでわたしが見たことがないほど悪魔的で邪悪なものだった。

 ――ああ、ハンナ。いつだってあんなにかわいくて、妖精のように朗らかだったあなたがこんな笑みを浮かべるだなんて。なにがあったの? きっと、何かのまちがいよ。ねえ、そうなんでしょう? そうだと言って、ハンナ!

 「おあいにくさま。まちがいなんかじゃないわ。あたしは最初からこれが目的だったのよ。あんたを踏み台にして、あんたのかわりに貴族の令嬢に成り上がる。そのためにあんたに取り入った。あんたと、あんたのお人好しの両親にね。あんたはこれから、あたしの命令通りにあたしをイジメるの。あたしが健気に耐える侍女を演じて周りの人間の歓心を買い、貴族の娘となるためにね。そして、あんたは意地の悪い、非道な令嬢として誰からも相手にされなくなり、あたしが栄華に包まれていくのを指をくわえて見ているのよ」

 「……友だちだと思ってたのに」

 「友だち?」

 ハンナの右手があたしの頬を思い切り張り飛ばした。恐ろしいほどむき出しの憎悪でわたしを睨み付けた。

 ――ああ、なんてこと。まさか、人間がここまで他人を憎むことができるだなんて。

 それも、あのハンナが。

 わたしにはとても信じられなかった。

 でも、ハンナはわたしに言った。その口調も、わたしに向ける視線も、そのすべてが信じられないほど激しい憎悪に染まっていた。

 「友だち? ふざけるんじゃないわよ。何不自由なく育った貴族のお嬢さまのくせに、なにが『友だち』よ! あたしが飲んだくれの親父の酒代を払うために毎日まいにち皿洗いや花売りの仕事をしている間、あんたは優しい両親に愛され、いつだっておいしいものを食べ、きれいなドレスを着て過ごしていた。あたしが小さな手をあかぎれだらけにし、足を棒のようにして働いていた頃、あんたは椅子に座って多くのメイドにかしずかれ、優雅にティータイムを楽しんでいた。そのあんたがあたしの友だち? ふざけるんじゃないわよ。生まれつき、何もかももっていたあんたがあたしの友だちになんかなれるわけがない。その上、さらに、第二王子のアルフォンスさまとの婚約まで決まって……どれだけ、自分ひとりで独占すれば気が済むわけ?」

 「そ、それは……。アルフォンスさまとのことは家同士の決定だから……」

 「だから、ね。セレン。少しばかりあなたのものを分けてもらうことにしたの。それの何がいけないの? いけないわけなんてないわよねえ。だって、あなたは生まれ付きなんでももっていて、あたしはなんにももっていなかったんだもの。でも、それも今日で終わり。今日からはあたしがあんたのすべてを奪ってあげる。伯爵令嬢の地位も、アルフォンスさまとの婚姻も全部、あたしのもの。あんたはあたしがそうなるための踏み台になるの。あたしの命じるままに意地悪で傲慢な令嬢となりなさい」


二の扉 裏切られた思い


 ……友だちだと思っていた。

 ハンナとはじめて出会ったのは一〇歳のとき。貧民街で子供たちを集めてひどい商売をさせている老婆を摘発した。その際に保護した子供のひとりだと言って、父さまが連れてきたのだ。。

 「セレン。お前は普段、おとなばかりに囲まれていて同世代の子供と過ごすことが少ない。このハンナはお前と同い年だ。きっと、お前のいい友だちになってくれるよ」

 そう言う父さまに手を引かれてやってきたハンナはまるで、傷ついた野良猫のように暗い目をしていた。でも、本当のハンナはとってもかわいくて朗らかな女の子だった。わたしはすぐにハンナのことが大好きになった。ハンナもわたしを気に入ってくれた。そう思っていた。

 それからはいつだってハンナと一緒。おやつも同じものを分け合って食べたし、お風呂に入るときも、寝るときも一緒。父さまと母さまもハンナのことを我が子のように可愛がった。そうして、ハンナが幸せそうにしているのを見るのとわたしも嬉しかった。

 たしかに、伯爵令嬢とそのお付きの侍女という立場の違いはあった。でも、そんなことは建前だけのこと。本当のわたしとハンナは最高の友だちで、実の姉妹以上に強い絆で結ばれている。わたしはそう信じていた。いえ、ちがう。信じていたんじゃない。ごく自然にそう感じていたのだ。それなのに――。

 あの日々のすべてが嘘だったと言うの?

 すべては、わたしに隷従の紋を刻み、奴隷にするための機会を得るための演技だったと言うの?

 そんな、そんなことって……。


三の扉 悪役令嬢


 「なに、この紅茶は? 五年も侍女を務めているくせに主人の好みも把握できていないの? 鈍くさい使用人ね」

 「まともに主人の髪を結うこともできないの? そんな役立たずの手は必要ないわね。両手を出しなさい。罰を与えてあげる」

 「ああもう! なんて鈍くさい使用人なの⁉ 躾が必要ね。たっぷりと鞭打ちしてあげる」

 ……その日からわたしは、ハンナの望む通りにハンナをいじめ抜く意地悪で非道な伯爵令嬢となった。人前で事ある毎にハンナを侮辱し、傷つけ、いたぶった。何もないときでさえ『そう言う気分だから』という理由で罰を与えた。

 周りの人たちは皆ハンナに同情し、気遣った。そのたびにハンナはちょっとさびしそうな微笑みを浮かべて答えた。

 「お嬢さまはむずかしい年頃なんです。誠心誠意尽くしていればいつかきっと、もとのお優しいお嬢さまに戻ってくれると信じているんです」

 そうしてハンナは『健気な侍女』としての立場を確立し、屋敷のなかでの人気を高めていった。一方のわたしは……。

 「……お優しい方だと思っていたのに。しょせん、貴族の令嬢だよ」

 屋敷の人たちからの人望をどんどん失っていった。


四の扉 本当の関係


 「今日のいじめはなかなかのものだったわね。でも、まだ甘いわ。あたしがみんなの同情の的になれるよう、もっともっと励みなさい」

 ハンナが勝ち誇った笑顔でわたしを見下しながら言う。人前では意地の悪い伯爵令嬢と健気に耐える侍女。でも、ふたりきりのときは立場が逆。いいえ、これが本当の関係。だって、ハンナによって隷従の紋を刻まれたわたしはハンナに逆らうことなどできないのだから。ハンナこそが女王さま。わたしは奴隷。それがわたしとハンナの本当の関係……。


五の扉 侍女に飼われる令嬢


 「さあ、セレン。今日の餌よ」

 ふかふかのカーペットに覆われたわたしの部屋。そのなかでハンナは盆に載せられた黒パンとチーズの食事をカーペットの上に落として見せた。

 「さあ、床に直接、口を付けて食べなさい。あたしの飼い犬にはそれがふさわしいわ」

 ハンナはそう言うとテーブル席に座った。わたしとハンナが何度となく一緒に座り、お茶を飲み、おやつを食べ、おしゃべりしてきたそのテーブルに。たったひとりで。

 わたしはもうそのテーブルに着くことは許されない。床の上に直接、座り、床の上にぶちまけられた食べ物を食べる。それしか許されないのだ。

 四つん這いになり、床に捨てられた食べ物に直接、口を付けてかじり、飲み下す。本当に犬にされたよう。辛い。悔しい。そして、悲しい。だけど、逆らうことはできない。ハンナから『犬のように食べろ』と命じられた以上はそうするしかない。それがハンナによって刻まれた隷従の紋の力。そうして、わたしが犬のように食事をしている間、ハンナはテーブル席について、本来はわたしのために用意されたディナーを優雅に楽しむ。

 それが当たり前の日々になっていた。


六の扉 令嬢は誰にも助けてもらえない


 「いったい、どうしたというのだ、セレン? 最近のお前のハンナに対する振る舞いは目に余るぞ」

 「そうよ、セレン。前はあんなにハンナと仲が良かったのに」

 「あら、父さま。母さま。わたしが何かいけないことをしていまして?」

 「何を言っているんだ、お前は。お前はたしかに貴族であり、ハンナは平民だ。しかし、それは単に立場がちがうと言うだけのこと。人間として本質的な差があるわけではないぞ。それを立場を笠に着て侮辱するなど許されざる行為だ」

 「まあ、父さまったら。伯爵家の当主とも思えないお言葉ですわね。貴族は貴族。平民は平民。その差はかわるものではありませんわ。わたしは勘違いしたあの娘にそのことを教えてあげているだけですわ」

 ――ちがう、ちがうの、父さま、母さま! わたしはあんなことはしたくない、全部、ハンナのせいなの!

 「セレン。君はいったい、どうしてしまったんだ? あんなに優しかった君がいじめを行うなんて。まさか、それが本当の君だったとでも言うのか?」

 「まあ、アルフォンスさま。おかしなことを仰るのね。貴族が平民を支配するのは当然のことでしてよ。それがわからないなんて、第二王子とも思えませんわね」

 ――ちがうんです、アルフォンスさま! すべて、ハンナが……!

 父さま、母さま、そして、アルフォンスさま。わたしのハンナに対するイジメを見かねた人たちがわたしに意見し、問い詰める。けれど、わたしはハンナから命じられたとおりのことしか言えない。心のなかの必死の叫びは決して届くことはない。わたしは誰からも助けてもらえない。誰からも……。


七の扉 令嬢は忘れ去られる


 すべてはハンナの思い通りに進んでいた。

 父さまと母さまはハンナに同情し、以前にも増してハンナを可愛がるようになった。そして、婚約者であるアルフォンスさまも。

 最初のうちこそわたしの変貌振りを心配してうちにやってきていた。でも、回数を数えるうちにだんだんとハンナと会うことが多くなり、いまではハンナとの逢瀬のためにうちに来る始末。わたしに会いに来ることなどすっかりなくなった。

 忘れ去られたわたしはアルフォンスさまとハンナが逢い引きするさまを見つめているしかなかった。


八の扉 叶わぬ願い


 「もういいでしょう、ハンナ! もうこんなことはやめて! あなたの目的はアルフォンスさまとの結婚なんでしょう? だったら、もう充分じゃない。アルフォンスさまはもうわたしの事なんて見ていない。あの方の心にあるのはあなただけ。どうせ、最初から家同士の取り決めでしかなかったんだもの。あなたがアルフォンスさまと結ばれるというなら喜んで祝福するわ。決して、邪魔をしたりはしない。だから、もうわたしを解放して!」

 「冗談でしょ。なんで、あんたを解放したりしなきゃいけないの。あんたは一生、あたしの飼い犬。あたしが『守ってあげたい』存在でありつづけるために、あんたはあたしをいじめつづけるの。そう。一生ね」

 ――一生?

 わたしは一生、こんな日々を送るというの?


九の扉 令嬢は重大なことに気が付く


 ――わたしは一生、ハンナの飼い犬。

 ハンナに命じられるままに、ハンナの望む通りにハンナをいじめ、ハンナへの同情を集める奴隷。

 わたしだってやりたいことはたくさんあった。いっぱい、いっぱい、やってみたいことがあったのだ。そのどれひとつできないままに、ハンナをいじめることしかできない人生なんて。

 そんな、そんなことって……えっ? ちょっとまって? ハンナをいじめることしかできない?

 そう、そうだ! わたしはハンナをいじめることしかできない。でも、ハンナをいじめることなら出来る! そう言うことじゃない!

 わたしはやっと、そのことに気付いた。

 そして、笑った。

 大声で。

 思い切り泣きながら、笑ったのだ。


一〇の扉 逆襲の極悪令嬢


 「あら、いらっしゃい、ハンナ」

 「な、なに……?」

 いつも通り、わたしの食事と使用人用の粗末な食事を運んできたハンナは、わたしの言葉にビクッと身を震わせた。わたしの態度が普段とちがうことに気が付いたのだろう。わたしは笑みを浮かべながらハンナに近づいた。そして、キスでもするかのように顔を寄せ、耳元にささやいた。

 「わたしはね、気付いたの、ハンナ。わたしはあなたに刻まれた隷従の紋によってあなたをいじめることしかできない。でも、あなたをいじめることなら出来るんだっていうことにね」

 「な、なにを言って……」

 「わからない? つまりね、ハンナ。わたしはあなたをいじめ殺すことが出来るのよ」

 ハンナの顔に怯えが走る。ハンナもようやく気が付いたのだ。自分のしたことの恐ろしさに。

 「楽しみにしていなさい、ハンナ。念入りにいじめ殺してあげるわ」


一一の扉 極悪令嬢は恐怖で皆を支配する


 その日からわたしの行動はまさに常軌を逸したものとなった。

 些細なことでハンナを叩き、殴り、鞭で打った。それはもはや『いじめ』などと言うものではなく、純粋な暴力以外の何物でもなかった。いままでハンナに同情して、わたしのことを白い目で見ていたメイドたちも怒りを通り越し、恐怖の目でわたしを見るようになった。

 ハンナへの同情的な態度はすっかり消えてなくなった。

 ――ハンナに味方したと思われて目を付けられたら自分も同じ目にあう。

 その恐怖がメイドたちをハンナから遠ざけ、わたしに尻尾を振る従順な子犬の群れにかえた。『狂気の極悪令嬢』という恐怖はハンナの最大の武器である『守ってあげたい』を超えたのだ。


一二の扉 極悪令嬢は高らかに笑う

 

 「あら、どうしたの、ハンナ? いつもみたいに勝ち誇らないの?」

 いつも通り、わたしの部屋に食事を運んできたハンナを、わたしは余裕の笑みを浮かべて迎える。ハンナの顔にはもういままでのように主人面した傲慢な笑みはない。そこにあるのはわたしへの怯えだけ。その両頬には大きな痣。わたしに思い切りぶたれてできた痣がクッキリと残っていた。

 怯えるハンナにキスするかのように近づき、わたしはささやく。

 「いままでみたいには行かないわよね。わたしに仕返しされるだけだもの。かと言って、隷従の紋を使ってわたしに同じように危害を加えることはできない。令嬢であるわたしに傷が出来ていたらおかしいものね。そして、父さまや母さまに訴え出ることもできない。だって、わたしが罪に問われれば修道院に送られる。神さまの力に満たされた場所に行けば、わたしに魔法がかけられていることはすぐにわかってしまう。その魔法をかけたのが誰なのかもね。よりによって、主人である貴族の令嬢に向かって、それも、禁忌にしてもっとも邪悪とされる隷従魔法を使ったなんて知られたら……どんなことになるかしらね。最低でも火あぶりは免れないわよねえ。クスクスクス」

 わたしの言葉にハンナは真っ青になる。

 クスクスクス。

 やっと、自分のまちがいに気が付いたみたいね、ハンナ。自分に対する行為に制限をかけなかったのが命取りになったのよ。きっと『温室育ちのお嬢さまにそれほどひどいことができるわけがない』ぐらいに思っていたんでしょうね。

 『自分が同情を引く存在になれる程度のぬるいいじめしかできるわけがない』なんてね。

 でも、おあいにくさま。鼠だって、猫にいたぶれらつづければ牙をむくのよ。そのことに気が付いても、もう遅い。隷従の契約は済んでしまっているのだもの。いまさら、契約をかえることはできない。

 さあ、ハンナ。

 あなたはわたしにいじめ殺されるのよ。


一三の扉 極悪令嬢は止まらない


 「まったく、使えないメイドね。いままでみたいなお仕置きでは足りないみたいね。あなたにはもっと本格的なお仕置きが必要だわ。みんな! ハンナを取り押さえて、服を脱がしなさい」

 わたしはその日、ハンナに睨み付けながらそう言った。その理不尽な命令を、だけど、わたしへの恐怖からすっかり従順な子犬と化したメイドたちは忠実に実行する。

 わたしは厨房からもってこさせた真っ赤に燃えた火かき棒を振りかざした。裸に剥かれ、ちょっと前まで自分の味方だったはずのメイドたちに押さえつけられたハンナが恐怖に顔を引きつらせる。溶けるほどに真っ赤になった火かき棒をわたしはハンナのなめらかな背中に押し当てる。ジュウジュウと肉の焼ける音がして、肉の焼けるおいしそうな匂いがあたりに立ちこめる。そして――。

 屋敷中にハンナの絶叫が響いた。


一四の扉 極悪令嬢は仕上げにかかる


 「何と言う真似をするのだ! 抵抗できない立場の相手をいたぶるなど。人間としてもっとも恥ずべきことだぞ!」

 「よりによって真っ赤になった火かき棒を押し当てるなんて……もういじめとさえ言えない、ただの犯罪ですよ! かわいそうに、ハンナの背中はあんなに爛れてしまって……あの傷は一生、消えない。ああ、何て言うこと、わたしの娘がこんな悪魔に育ってしまうなんて……」

 「セレン……それが、それが、君の正体だったと言うのか? 優しく、可憐な女性だと思っていたのに……。残念だ」

 父さまが怒り、母上が嘆き、アルフォンスさまは黙って拳を握りしめる。さすがにあの一件は問題になり、こぞってわたしを責め立てた。

 そのすべてをわたしは無視した。

 いまさら、何を言っているの? あなたたちはわたしがいくら心で訴えても気付こうともしなかったじゃない。ハンナに操られているわたしを、本当のわたしだと信じていたじゃない。そんな人たちにあれこれ言われる筋合いはないわ。

 「あくまでもダンマリか。あれほどのことをして反省しないどころか、口先ばかりの謝罪すらしないとは。そんな外道を我が家に置いておくわけには行かん。修道院に引き取ってもらい、矯正してもらうしかなさそうだな」

 無言を貫くわたしに対し、父さまはついにそう言った。

 けれど、ハンナが必死になってそれを止めた。

 「お待ちください、旦那さま! お嬢さまにはきっと訳があったんです。修道院送りなんて、そんなひどいことをなさらないでください!」

 必死になるわけよね。わたしが修道院に送られて困ったことになるのはハンナだもの。わたしに隷従の紋を刻んだことが知られればあんな焼きごてどころじゃない、全身が火に包まれることになる。

 ハンナの必死さに父さまは呆気にとられた。

 ――あんなひどいことをされながら、ここまでかばうのか?

 さすがに父さまたちも何か尋常でないことが起きていることに気がつき始めた。

 さあ、いよいよ最後のクライマックスと行きましょうか。


一五の扉 極悪令嬢は檻のなか


 この日のために特別に注文した檻。そのなかにいま、ふたりの人間がいる。ひとりは手足を鎖で拘束され、恐怖に顔を引きつらせているハンナ。そして、もうひとりは――。

 燃え盛る松明を手にしたわたし、極悪令嬢セレン。

 檻の前に集まった人たち。父さま、母さま、アルフォンスさま、そして、屋敷の使用人から町の人たち。そのすべての人々の前でわたしは言った。

 「さあ、皆さん。二度と見られないショーをお見せしますわ。この若くて可愛らしいメイドが、その自慢の顔を炎で焼かれるという一大ショーをね」

 「やめろ! 何と言う真似をするのだ、セレン!」

 「そうよ、やめて! 生みの母が手をついて頼んでいるのよ、そんな恐ろしいことはしないで!」

 「もう許さないぞ、セレン! そんなことは僕が許さない!」

 父さま、母さま、アルフォンスさまが口々に叫ぶ。わたしはそのすべての叫びに対して狂気の笑みで応じる。そして、燃え盛る松明をハンナの顔に近づけた。ハンナが恐怖の悲鳴をあげた。

 「さあ、ハンナ。その自慢のお顔を焼いてあげるわ。二度と見られぬ顔になってもまだ、アルフォンスさまはあなたを愛してくださるかしらねえ?」

 「うぬう、もう我慢ならん! 衛兵、もはや、あれはわたしの娘ではない! どんな手を使ってもあの犯罪者を取り押さえろ!」

 「弓をもて! 檻の隙間からあの怪物を射殺いころしてくれる!」

 父さま、そして、アルフォンスさまが叫びをあげる。でも、もう遅い。何をしようと間に合うはずがない。松明はジリジリとハンナの顔に迫る。ハンナの白皙の頬が真っ赤に照らされ、脂が滲み、表面にプツプツと火ぶくれができあがる。ハンナの顔がこれ以上はないほどの恐怖に染まる。

 ――さあ、どうするの、ハンナ? わたしはいいのよ、どうなっても。修道院送りでも、死刑でも、どっちにしてもあなたから解放されるんだもの。でも、あなたは? 自慢のお顔が焼かれることにあなたは耐えられるのかしらねえ?

 松明が近づく。

 ハンナの髪の毛が炎にふれ、ジュッと音を立てて焼き切れる。

 ハンナはついに叫んだ。

 「やめてえ、セレン! もう操ったりしないからあっ!」

 ――操る?

 ハンナの叫びに――。

 その場にいる全員が呆気にとられた。

 そして、わたしの胸から隷従の紋が消えた。

 ――やっと。

 わたしはその場で気を失った。


一六の扉 そして、すべては明かされる


 ハンナの隷従の魔法から解放されたわたしは、ようやくすべてを語ることができた。

 一五歳の頃からずっと、ハンナに操られていたこと。その呪縛から解放されるためにはああするしかなかったこと。わたしはすべてを語った。泣きながら、ではない。淡々と、事実だけを語ったのだ。そんなことに流す涙はとうに流れ果てていた。

 わたしの証言に伴い、すぐに審査が行われ、わたしに禁断の魔法がかけられていたこと、それが、ハンナの仕業であることはすぐに判明した。実はハンナにひどい商売をさせていた老婆というのはハンナ自身の祖母だったそうだ。貧民街ではちょっとは名の知られた呪い屋であり、ハンナは祖母から隷従の魔法を習ったのだと言うことも明らかにされた。

 そして、即日。

 ハンナは火あぶりの刑に決まった。


一七の扉 伯爵令嬢は処刑場に立ちはだかる


 そして、刑の当日。十字架に磔にされ、足元に大量の薪を積まれて泣き叫ぶハンナの前に、わたしは立っていた。

 ハンナを焼き殺そうとする人たちに向かってわたしは叫んだ。

 「ハンナを殺すことは許しません! ハンナはわたしが引き取ります。どうしてもと言うならハンナよりも先にわたしを殺しなさい!」


一八の扉 伯爵令嬢は逃がさない


 「ああ、ありがとう、ありがとう、セレン! あなたはやっぱり、友だちだわ!」

 被害者であるわたしが助命したと言うことで、ハンナは死罪を免れることができた。ただし、これから先、一生、わたしの監視下に置くと言う条件で。

 自慢の顔を涙でくしゃくしゃにして、鼻水まで垂れ流しながらハンナはわたしに感謝する。そんなハンナをわたしは冷ややかに見下ろす。ハンナの首には支配の首輪。わたしに逆らうことが出来ないよう特別に調整された魔法の首輪がかけられている。

 「立場が逆になったわね、ハンナ」

 その一言に――。

 ハンナの顔が恐怖に引きつる。でも、すぐに媚びへつらう笑みとなった。

 「で、でも、あなたはあたしにひどいことはしないわよね? ねえ、そうよね? だって、あなたはあたしを助けてくれた。生命を救ってくれた。そのあなたがあたしをいじめるなんて……」

 「助ける? 何を言っているの? わたしがあなたを助けたりするはずがない。わたしがあなたを死なせなかったのはこれから先、一生をかけてあなたに自分のしたことの意味を理解させるため。そして、自分で自分を裁かせるため。覚悟しておくことね、ハンナ。わたしはあなたを逃がしはしない。必ず、あなたに自分のしたことの意味を思い知らせてみせる」


一九の扉 伯爵令嬢は別れを告げる


 「やはり、お前はわたしの自慢の娘だ。誇りに思うぞ、セレン」

 「ああ、なんてこと。わたしの大事な娘が何年もの間、貧民育ちの娘に操られていたなんて。さぞ、苦しかったことでしょう。ごめんね、セレン。気付けなかった母を許して」

 「それでもそのハンナを許し、助けるとは。やはり、君は僕が思ったとおりの心優しい人だ。改めて、君に結婚を申し込む」

 父さま、母さま、そして、アルフォンスさまが、手のひらを返してわたしのご機嫌を取る。そのすべてに対し、わたしは拒絶の意を込めて頭を下げる。

 「父さま、母さま、そして、アルフォンスさま。あなたたちに会うのも今日が最後です。わたしはこの家を出て行きます」

 「なんだと⁉」

 「あなたたちは、わたしがハンナに操られている間、何をしてくれました? 何もしてくれなかっではありませんか。そんな人たちとこれから先の人生を一緒に送ることはできません」

 「そ、それは……ハンナに操られていることを知らなかったからで」

 「そう。あなたたちはたしかに、わたしがハンナに隷従の魔法をかけられていることは知らなかった。でも、以前のわたしのことは知っていた。それなのに、ハンナをいじめるわたしを見て、おかしいとさえ思わなかった。事情を知ろうともせず、ハンナの味方をし、ハンナを信じた。つまり、あなたたちにとってわたしはその程度の存在だと言うこと。そんな人たちと人生を共にする気はありません。それでは、ごきげんよう、父さま、母さま。こうお呼びするのはこれで最後ですけど、どうか、お健やかに。そして、アルフォンスさま。あなたと会うことも二度とありません。どうか良き女性をお見つけください」

 そして、わたしは家を出た。


終わりの扉 赦しのフィナーレ


 そして、わたしはいま、貧民街で暮らしている。貧民街の人たちの暮らしを少しでもよくするため、仕事を見つけ、斡旋するための協会を立ち上げ、活動している。

 ハンナのわたしを見る目、憎悪をむき出しに言った言葉か忘れられない。

 『あなたは生まれ付きなんでももっていて、あたしはなんにももっていなかったんだもの』

 その言葉でわたしは、わたしたち貴族が贅沢な暮らしをするなかで、いかに多くの人々が絶望の人生を歩まされているかを知った。そして、その人たちの人生を少しでも良くしていけるよう活動することに決めたのだ。第二、第三のハンナを出さないために。

 わたしは多くの協力者を募り、今日も貧民街を駆けまわる。

 そのわたしの傍らには常にハンナがいる。支配の首輪をかけられ、わたしに逆らえなくなったハンナ。わたしから離れれば即座に火あぶりにされるハンナが。

 ハンナはいまではすっかり従順な侍女となっている。でも、それは上辺だけのこと。ハンナの目にはいまもわたしへの憎悪が浮かぶ。もちろん、ハンナ自身は必死に隠している。隠した上で従順な侍女を演じている。以前のわたしならまったく気付くことはなかっただろう。でも、すでに一度、ハンナの憎悪を浴び、操られた身にははっきりわかる。ハンナがいまでもわたしを支配し、わたしのすべてを奪う機会をうかがっていることを。

 わたしはそれを承知で、ハンナを決して手放すことなく、側に置いている。

 そう。わたしは決めたのだ。これから先、一生をかけてハンナに向き合おう。そして、ハンナに自分のしたことを理解させる、と。

 かの人の罪とはわたしを支配したことでも、わたしに取って代わろうしたことでもない。友だちと思っていたわたしの思いを裏切ったことだということを。

 そして、自分で自分を裁かせる。

 できるかどうかはわからない。どんなに向き合っても、ハンナはそのことを理解しないかも知れない。理解したとしてもハンナが自分で自分に課す裁きはわたしの納得の行くものではないかも知れない。ハンナの逆襲を受けて再び、わたしが支配されることになるかも知れない。何しろ、ハンナは呪い屋の祖母からすべての技を伝えられた呪いのプロなのだから。

 それでも――。

 わたしはそう決めたのだ。

 そして、もし、すべてが果たされたとき、まだふたりの生命があったなら――。

 そのときこそ、本当の友だちになる。

                     終

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