空模様

よぎぼお

空模様

「空がどうして青いか君は説明できるか?」


 放課後の淡い光が窓から差し込む文藝部の部室の一角で、先輩はそう言いながらじっと私を見つめてきた。


「ええ、青色は波長が短いので他の色に比べて光がより強く散乱されるからです」

「違うな」


 先輩の声のトーンが下がった。

 どうやら先輩のお気に召す回答ではなかったらしい。


「じゃあ質問を変えよう。空はなぜ黒色になるのか」

「太陽が沈むから?」

いな、違う」


 先輩は首を横に振った。私は小さく溜息を吐く。そこまであっさりと否定しなくていいじゃないか。私の回答は世間一般に言えば正しいのだから。

 まあ、ここは殺人も転生もなんでもありの小説をつかさどる文藝部。きっと彼が求めているのはそんなアクチュアリティに染められた陳腐ちんぷな言葉ではなく、オリジナリティに溢れたもっと個性的な言葉なのだろう。

 だが、私はまだこの文藝部に所属してから1年も経っていない、いわば小説家の端くれ中の端くれなわけで。そんな人に、こんな無理難題を押し付けるなんて、そっちの方が間違っているというもんだ。

 まあ、普段から太宰やら芥川やら明治の文豪を好き好んで読んでいるような奴にこんな私の気持ちなど分かってもらうのを願うほうが馬鹿馬鹿しいといえばそれまでなのだが。


「じゃあ、先輩は何をもって空の色が変わるというのです?」


 私はそう語気を強めて尋ねた。自分でも可愛げがないなと思う。もっと上目遣いで、粘り気のある声で彼の制服の裾を掴みながら聞くのが華のJKのやり方なのかもしれない。だけどそうしたところで、きっと先輩は眉をひそめるだけで出す答えは変わらないだろうし、私自身もない。

 それよりは、こう単刀直入に聞いたほうがよい。変に自分を隠そうとせず、ありのままの自分をみせるのだ。すると、ほら。先輩は嬉しそうにふっと口角を持ち上げながら答えを教えてくれる。


「空の色は僕のココロと連動しているんだ。

僕のココロが晴れていれば空は青くなるし、

逆に僕のココロが曇っていれば空は黒くなる」


 相変わらずの先輩劇場だ。訳が分からぬ論理だが、不思議と先輩の発言というだけで納得できる。特別先輩がハンサムとかいったわけじゃないのに何故だろう。なんというか先輩が言うとさまになるのだ。


「じゃあ先輩は『超』がつくほどの昼型人間なんですね。

先輩の論理で言うと、先輩は太陽が沈んで空が暗くなると気分が悪くなってしまうのですから」

「空が暗くなると気分が悪くなるのではなく、僕の気分が悪くなると太陽が沈み空が黒く染まるんだ。だから僕が昼型というのに異論はないが、この違いはちゃんと抑えておいて欲しいね。君だってパンにバターを塗るのであって、バターにパンを塗るわけじゃないだろう?」

「はいはい」


 どうでもいいところにつっかかってくること。


「でも、先輩は夜型だと思っていましたよ。というか、今の高校生って私含め大体、夜型ですよね? ほら、深夜に布団の中でゲームしたり、SNSをついつい見ちゃったり。先輩だって、ゲームやSNSとは言わずとも、小説とか夜遅くまで読んでいて、夜、好きそうじゃないですか」

「いや、違うね」

「どうして?」

「だって君に会えないじゃないか」

「…………え?」


 ダッテキミニアエナイジャナイカ。

 頭の中で何かがぐわんと揺れた。簡単な単語の羅列なはずなのに意味を理解できない。言葉と言葉が線で結びつかない。

 彼はいま何と言ったのだ。


「……すみません、ぼうっとしていて聞き逃しました」

「何度でも言おう。僕は君に会えないから夜は好きじゃないんだ」

「私と……会えないから?」

「そうだ」


 どうやら私の聞き間違いではなかったらしい。彼は恥ずかしげもなくそう先程まで読み進めていた小説を片手に言い切った。私は思わず目を逸らす。顔が焼けるように熱い。日焼け止めクリームを塗り忘れたから? そんな誤魔化すような御託を頭の中に並べていく。

 だけど、どんなにそんな思考を続けても最後に辿り着くのは決まっていて――


「……それは私のことが、好き、だからということでしょうか?」

「そう受け取ってもらって構わない」

「……どうして」


 純粋な疑問。素朴な質問。こんな後輩、どこが良いというのだ。無愛想で可愛げもない。リアリストで、なんら面白味もない。きっと先輩のことだから、沢山の女性を見てきたはずだ。ぶっちゃけさっきはハンサムじゃないとか言ったが、それなりに顔は整ってはいるし、同じクラスの友人から先輩の隠れファンは多いと聞いたこともある。それに、それに。先輩はいっぱい小説の可愛いヒロインを知っているはず。ほら、ツンデレとかクール系美女とか、ああ、でも先輩はそういったたぐいの小説は読まないのかな。でもでも、いっぱい小説を読んでいたら確率論的にそういったものとは当たるはずだし……。とにかく、どこをどう勘違いしたら先輩は私にそんな感情を抱くというのだ。


「どうして、先輩はこんな私のことを……」

「決まっているさ」


 彼は手に持っていた小説をぽんと机に戻した。


「君との会話が好きだ。そのテンポが気持ちいい。それは沈黙も同じだ。安心する。君との世界が好きなんだ。その空間は、僕にとって君にしか創れないかけがえのないもので、だから僕は夜が嫌いなんだ。君に会えるのは学校にいる昼間だけだからね」

「……そう、なんですか」

「ああ」


 そして先輩はじっと私に目を向けた。


「さて、今度は君の番だ。僕のこの気持ちに君は何という解を出す?」

「私は――」


 ふうと息を大きく吸い込んだ。


「好きですよ、先輩のこと。もちろん、恋愛的な意味で」

「そうか」


 先輩はそうあっけらかんと言った。いつもと変わらぬ様子。私はと言えば、緊張の解放からかどっと疲れが押し寄せてきて、力が抜ける。いや、先輩の言葉に身体がいまだ火照っているだけなのかもしれない。それほどに私は彼の言葉が嬉しかったのだ。だって彼は本当に凄い人だから。たった二人しかいない文藝部だけど立派に部長を務めているし、小さくない小説のコンテストで賞も取ったりしている。それに、何よりも彼との会話が私は好きだ。彼の小難しい話に時々茶々を入れて「うるさいなあ」と愚痴られるのも好き。彼の一見ありえなそうな夢物語を想像するのも好き。彼の全部が好き。

 そんな彼からの愛で紡がれた言葉。

 嬉しすぎるに決まっている!

 だけど、ちょっぴり寂しいのは彼のこの態度。

 なによ、いつも通りのポーカーフェイスって。

 一応、私も彼に「スキ」だということを伝えたわけだしもうちょっと可愛げに恥ずかしがってみたっていいじゃない。


「先輩、もうちょっと照れてみてくださいよ」

「さっきも言っただろう。僕のココロは空色と連動していると」

「……え?」


 部屋に取り付けられた小さな窓から覗く空を見ると、空は真っ赤に染まっていた。ふと窓の横にかかっている時計を見るともう六時を回っている。


(そういうことか)


 私は思わずくすっと笑みを零した。

 よく見れば先輩の顔も真っ赤ではないか。


「先輩も意外と可愛いところあるんですね」

「お互い様だろ」


 そうして文藝部の部屋にけらけらとした笑い声が鳴り響いた。

 


 果たして私たちの空模様はこれから一体全体どうなることやら。

 きっと待つのは青色に染まった春の空。






〔完〕


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