最終章 転校生が来た
八月が終わり、新学期が始まった。
ライナは既に帰国していた。もう二週間前のことだ。
向こうは九月から新学年なのだ。その準備があるので、少し早い出立となった。
ライナが高校生――
いやあ、感慨深い。お父さんの目線になってしまう……何故だろう?
ヴェイサンさんのケガも、帰国までにはほぼ完治していた。あの年齢を思うとすごい体力だ。
医者の許しが出る前に退院し、ライナの世話に戻っていたのだから驚きであった。
あの川上村占領事件から帰国までの二週間は、息つく間もないほど忙しかった。
僕のクラスメートたちが遊びに誘ってくれたからだ。
プールや海、遊園地はもちろん、名所や観光地だけではなく、僕とは馴染みの少ない人が自分の田舎に招待してくれたのだ。
日本を遊びつくした――という感じだ。
僕も当然参加だが、宣言通り礼結も全てにつきあった。
それだけではなく、なぜか村崎さんまで一緒だった。あえて彼女には教えていないのに、行く先々にいたのだから驚きだ。
誘ったクラスメートは誰? となる。まあ当たり前だ。
今は休学中で、通い出せば同じ学年になるのだからと、村崎さんは理由を無理やりこじつけていたが、紹介すれば『ああ、あの人か』で済む有名人なのであった。
占領事件の放送をほとんどのクラスメートが見ていたのだ。
変な名乗りと、時々漏れる妙なつぶやきさえ目を瞑れば、至って普通の常識人であった。
なるほど。そうやって考えると、クラスメートたちは放送を見て事件を知り、気を使ってくれたからこそライナを誘ってくれたのだろう。
ありがたいことだ。
それでこそ事件を解決した甲斐があるというものだ。
そう。占領事件は完全解決していた。
逃げた隊長は、その日のうちに捕まっていた。
警察と自衛隊による山狩りに追い詰められ、使われていない山小屋に逃げ込んだ隊長は、奪った『魔法の指南書』に名前を書いて魔法を登録したらしい。
勇んで警官たちの前に出て、隊長が使った魔法は――子守唄が上手く歌える魔法――だった。
子守唄で相手を寝かせるものではない。あくまで唄が上手くなるだけだ。
戦闘に使える魔法なんて、僕はリュックに一切入れていなかった。
魔法で世界が迷惑することはない――
その理由がここにあった。
ここまで上手く引っ掛かってしまうと、逆に同情してしまう。
まあ、これも、伯母さんが人質になる時に、へたな芝居を打って、そのリュックを隊長に気付かせたおかげではある。
必死に追いかけて、人質が伯母さんだった時には膝が折れそうになったが、落ち着いて考えると、そうしなければ礼結が人質にされたかもしれなかったのだ。
隊長が神社へ来た時、礼結は気絶していた。担ぎ上げるだけで容易く人質にされるところだったのを、伯母さんが機転を利かせ、礼結から隊長の気を逸らしたのだ。
遠隔操作の隊長機に、僕が撃たれそうになったことが、礼結の気絶の原因らしい。
「これでまたハイパーミルクが人質になってたら、ワイルドダイブは責任取らないとね」
村崎さんはのたまった。
僕だって好きで危機一髪になったわけではない。撃たれる直前には死を覚悟したくらいだ。もう少し、いたわりの言葉があっても良いと思う。
ところがどっこい。現実は厳しい。
礼結が気絶したため、後半の放送は実況無しであったが、あの中継はかなり反響があった。それもワールドワイドで。
つまり僕の失態をかなりの人が見たということだ。
あの二人のワルキューレに付きまとっている仮面の男は何をしてるのか――で、話題になっていた。
放送を見て、僕が魔動兵器にとどめを刺していたと分かった人はいなかったろう。
礼結が気絶の寸前に叫んだ『ねいちゃん』が転じ、『ネイチャー』と仮呼称されていた。
『ワイルドダイブ』といい、もう好きに呼んで――って感じ。
この中継が一番好評だったのは他でもない、フェリエッタ家であった。
謎の魔動兵器部隊が、フェリエッタ家に脅しをかけて魔法の書を要求したことに対し、ライナが自ら戦って叩きのめしたのだ。
正義のフェリエッタ家は面目を保ち、更に名前を世界へ知らしめたのだから、ライナはべた褒めされたらしい。
軍といえば、犯人たちに見覚えは無い――と尻尾切りしたという。
追及は続いているが、証拠は残されていないため、どこまで追い詰められるかは分からない。
これはベルベットエコーの推測だ。
追及といえば、魔法で戦った僕らも拘束を覚悟していた。
戦いが終わった後、橋を修復して警察が、空から自衛隊が、村へ到着した。
犯人たちを確保しつつ、僕らも取り調べを受けた。
魔法を使った僕らに、どの程度の過失があるのか――。
覚悟をしていたにも関わらず、結果的に問題なしであった。
取り調べは一時間もかからず、すぐに解放された。
どうやら伯母さんのおかげらしい。
警察も軍も、伯母さんには顔パスレベルで『お咎めなし』との判断を下していた。
あなたは何者ですか?
とはいえ、残りの夏休みを普通に過ごせたのも、伯母さんのおかげと言えなくもない。
ライナも楽しく遊べたのだから、僕の中でも伯母さんへの追及はしないことにした。
ライナの『魔法のフィナンシェ』探しを目的とした来日は、八月半ばに終わりを迎えた。
見送りの日には、登校日かと思うほどクラスの全員が参加していた。
わざわざ空港まで来てくれたのだ。
僕の前では平気だったライナが、嬉し泣きに頬を濡らした。
一人一人が囲むように挨拶するから、僕と礼結と村崎さんはその輪から外れ、遠巻きに見ていた。
搭乗アナウンスが響くと、ライナが僕の方へと歩いてきた。
手には色々と渡されたお土産を持っている。
それ持ってゲートを潜れるのか――なんて場違いに思っていると、ライナが真正面まで来ていた。
「ライナ、元気で――」
色々別れの言葉を考えていたのだが、時間も迫っていたし、結局そんなことしか言えなかった。
ライナは頷いた。
僕がハンカチで涙と鼻水を拭いてあげると、今度は村崎さんを向いた。
「世話になったな、レナよ」
「うむ。我々の契りは、未来永劫続くのだ」
いつそんなものを結んだのだ?
ライナが礼結へ近付いた。
「ワタシはまだ負けを認めておらんからな」
「私も譲る気はないわ」
こいつらも何か勝負をしてたのか?
「だから、また来てね」
礼結に抱きしめられ、ライナは声を上げて泣き出し、礼結もつられて泣いていた。
抱擁はいつまでも続きそうであったが、出発の時間が迫っていた。
まだしゃくりあげるライナを、僕がゲートまで送った。
手に持っていた土産はヴェイサンさんがバッグに詰めて、もうゲート内に入っている。
「ワタシは偶然を信じておらん」
無言だったライナが、ゲートの直前でやっと切り出した。
「そうなのか?」
「偶然も人が引き寄せる必然なのだ――と思っている」
「ふむ……」
「ワタシがネイと出会えたことは、きっとネイのお爺さまが用意していてくれたことなのだ」
「出来すぎた偶然を、必然と呼ぶのかね」
「運命――と呼ぶのだよ」
ライナは涙目で微笑んだ。
碧い海に僕が揺れている。
「ネイ――」
「ん?」
「もし治療法が見つからなかったら、ワタシのパートナーとして一緒に戦ってくれるか?」
「その時にはちゃんと考えるよ」
ライナは嬉しそうに、顔を崩して笑った。
冗談と取られたのかもしれない。
本当は今すぐにでも本国へ連れて帰りたいのだろう。
思いっきり魔法で戦うためには、僕の魔力分散魔法が必要なのだ。
その想いはずっとライナの胸に消えず、日を追うごとに増していったに違いない。
切り出せないまま、やっと口にしたのは『いつか』という約束のみ。
分かっていながら、僕も冗談と思えるような返し方しかできていない。
今はこれが精一杯なのだ。
あの事件で僕は二度死にかけている。
どちらも隊長機に銃口を向けられた時で、どちらもライナに助けられている。
ライナのための魔法を持っていても、僕はまだ戦いを乗り越える力がないのだ。
ムリについていっても足手まといにしかならず、命が幾つあっても足りない。
互いにそれが分かっているからこその、『約束のみ』なのだ。
僕の達観的な顔付きは、真剣になればなるほど間が抜けて見える。だからこそ今の会話も冗談に聞こえるだろう。
しかし、この件に関して、僕は三択で決心していない。
魔法を知り、僕を知り、世界を知って、ライナの本当のパートナーになろう――その一択であった。
ライナの良い笑顔を引き出し、帰国の途につかせた言葉は、いつか彼女自身を戸惑わせるかも知れない。
小さな背中が消えた後も、僕はそこに立ちつくしていた。
気付くと、他のみんなは既に解散していた。
礼結だけが残っていた。
歩み寄ると、彼女も笑顔を見せた。
変顔の域に達しそうなほど、涙顔で微妙な笑みだった。
僕の一択は、いつかその笑顔を曇らせるかもしれない。
しかし、今においては、二人を笑顔にしている。
我ながら卑怯だが、それで良いのだと思うことにした。
そして二週間後の教室。二学期の初日だ。
どんよりと暗い。
夏休みが終わった寂しさではない。
放課後に走ってくる足音がもう無いことを、みんなが知っているからだ。
夏を経て、誰もが変わっていく。
ライナも、礼結も。そして、僕も。
以前の僕は、目立たないほど少ない魔力を、魔法には使いたくなかった。
魔法そのものと関わらないようにしていた。
それは、礼結と距離を取らないようにするためでもあった。
彼女にはいらない心配をかけたくなかった。
ところが、礼結の魔法に対しての認識が変わった。
いや、彼女自身が強くなったのだろう。以前のように取り乱すことがなくなっていた。
「もし、いつかねいちゃんがライナさんの所へ行くなら」
突然切り出された。
「え?」
「私もついていこうと思ってるんだ」
笑いながら言われた。
女の子って強い――。
元々礼結が持っている力だったのだろう。僕が気付いてなかっただけだ。
『マリちゃんの代わり』という歪んだ関係が、少し修復された気がした。
もう一つ、僕が気付いていなかったことがある。
それは魔法と僕との関係だ。
僕は幼い頃から魔法と深く関わっていたのだ。
先天性魔力増大病――通称来暮病は、じいちゃんが発見し、治療したことになっている。
国語の先生だったじいちゃんが、何故魔法の病気の先駆者に――と思っていたが、聞けば納得の事実だった。
その病気に僕が罹っていたのだ。
四十万人に一人の割合で発生する病気だが、魔力を持っていなければ発症しない。だから確率はより低くなる。
僕がそれに罹り、じいちゃんが治療し、命を救う事で、その病気に名前が付いたのだ。
来暮病――と。
これは伯母さんから聞いた話だ。
村を占領された日――そう川で水遊びをした時にベルベットエコーから連絡を受け、僕らは襲撃に備えることにした。
しかし伯母さんが、
「普通にしていないと不自然だ」
と注意され、僕らは夕食後、花火をすることにした。
日本のおとなしめの花火を愉しむライナと礼結。火の精霊云々とか言いながら花火を持っている村崎さんを、僕と伯母さんは縁側に腰掛けながら見ていた。
「お前は魔法に対して一線を引いて接しているようだが、どうしてだ?」
と訊かれた。
僕は礼結との歪んだ関係を説明した上で、
「僕は拙い魔力を魔法に使わずに、普通の人として生きることにしたんだ」
と答えた。
「魔法は人を傷つけるからかい?」
「伯母さんもそう言ってたでしょ」
「それはうちの考え。お前はどう思うのかと聞いている」
僕は指南書の魔法が攻撃用だけではないことから考え、
「優しい魔法だってあるよ」
そう答えた。
伯母さんは口元を緩めて微笑んで、真実を明らかにしたのだ。
僕が来暮病であり、じいちゃんによって治療されたことを――。
「治療とは少し違うわね」
伯母さんは付け加えた。
生まれたばかりの僕は原因不明の熱で死にかけた。
魔力が増大していることが分かったが、解決方法はなく、治療は諦められていたのだ。
それをじいちゃんが、魔法の指南書から解決法を導き出してきた。
そう。治療ではなく、解決方法なのだ。
増える魔力を常に魔法を発動させることで消費する――というものだ。
僕はピンときた。
「もしかして僕が魔力を見られるのって――」
伯母さんは頷いた。
魔力可視魔法が僕に登録され、常に発動して消費しているから、魔力は増えることがない――ということだ。
僕の魔力が少ない理由もそこにあった。
一定量が消費されているから、残った分が少ないのだ。
木や土の匂いに、花火の火薬の臭いが混じる。
火の光点が、縁側からの灯りより強く、夜に軌跡を描いている。
僕は彼女たちに心配をかけないように平然としていたが、実は心臓がバクバクしていた。
生まれてすぐに魔法を登録されて、それ以来ずっと魔法は傍にいたのだ。
一線を引いていたはずがこっち側に魔法がすでにあった――というマヌケさは置いておき、僕は魔法に助けられていたという事実だけを受け入れることにした。
「魔法は忌むべきものだけではない。人を生かすこともあるのだよ」
伯母さんの懐かしむような声に視線を向けると、
「じいちゃんの言葉よ」
そう教えてくれた。
ライナの病気は来暮病の亜種で、魔法を使うと魔力が増える。使わなければ増えず、時間を置いておけば元に戻るもの。
僕と同じ方法の治療法は使えず、まして魔力を消費するだけのムダな魔法を、フェリエッタ家が認めなかった。
そこでじいちゃんが提案したのは『魔力分散魔法』だった。
誰かに上がった魔力を下げてもらえ――ということだ。
魔力が見えなければ使えない魔法は、僕を想定している。
人を生かす魔法――僕がじいちゃんにしてもらったように、僕がライナを生かせるようになりたい。
だから、魔法を覚えることにしたのだ。
攻撃するのではなく、攻撃させなくする魔法。僕の魔力は増え続けるから、拙い魔力ながらずっと魔法を使えるということだ。
良いのか、悪いのか、全く分からなかった。
「その答えは自分で見つけるんだよ」
伯母さんは帰路へ着く僕にそう言った。
僕は、そのつもりです――と答えた。
伯母さんは笑顔で頷いた。
次の日、五つのダンボールが伯母さんから送られてきた。
中にはぎっしりと『指南書』が入っていた。
僕にどうしろと――?
そもそも魔法の書と同等なのだ。こんな所に置いておいて良いのだろうか……。
電話をかけて訊いたが、音色が答えを見つけるために必要なものだよ――と伯母さんは笑った。
本当かどうかは、今でも分かっていない。
ふと気付くと、教室が騒がしい。
「おい。今聞いたんだが、このクラスに転入生が来るってよ」
「来た――」
「これは、もしかして」
「来たぞ――」
「もしかするぞ」
みんなが沸き立っていた。
祈りを込めた目で僕を見ている。
いやいや。僕に期待されても困る。
礼結だけは不安そうな表情で振り向いている。
あんな友情たっぷりの別れをしていながら、ライバル再登場は困る――なんて心配をするのも女子の不思議だ。
そもそもそんなラブコメみたいな展開がありうるのか?
予鈴が響く。
みんなが席に着く。
こんな素直に座るクラスは初めて見た。
緊張からか、なぜか妙な静けさが教室に満ち、五分を長くしていた。
本鈴が鳴り、やがて先生の歩く足音が聞こえてきた。
足音は確かに二人分ある。
ドアを開けて、担任の先生が入ってきた。段上に上り、いつもの挨拶が終わると、
「突然だが、今日からクラスメートが一人増えることになった」
そんなセリフを言われ、みんなの期待が高まった。
僕も、まさか――と少しだけ期待する。
偶然とは、人が引き寄せる必然だ――ライナの言葉が耳に甦る。
「さ、入って――」
という言葉で、みんなの目がドアへ――
「フィナーレの音が聞こえるか? ナン! あたしにはエンドレスなワールドが続いている」
ドアの向こう側で声が響く。
嫌な予感しかしなくなった。
ガラッとドアが開いて、細身のシルエットが姿を見せた。
「彼岸の戦士、荒廃のニナ。ただいま推参!」
お前かあ……という空気が教室に溢れた。
(了)
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