浴衣フェチは浴衣に想いを包み隠す

風花レン

浴衣フェチは浴衣に想いを包み隠す


「お願いだ『凛』‼。浴衣姿を見せてくれ‼」


 十八時のチャイムが鳴り、夕焼けが街を照らす中。


 俺は一軒家の前で、一人の少女に向かって土下座をしていた。


 額を必死に地面へ擦り付け、頭の前には豪華フルーツの盛り合わせを置いて。


「なにしてるのアンタ……。嫌って言っているでしょ?」


「そこをなんとか……一生のお願いですっ‼」


 なんで俺がこんなことをしているのか。


 それは半日程前に遡る……。






 季節は夏。そして学生たちが舞ってやまない八月のある日。


「ふうぅ……開けるか」


 クーラーが付いた自室で横になりながら、俺は雑誌とにらめっこしていた。


 俺の名前は『磯野三津留』。まあよくいる男子高校生の一人だ。


 勉強もそこそこで、運動は得意ではない。友人は数えられる程度には居て、よくゲームをして遊んだりしている。


 ただちょっとだけ他の人と違う部分があった。


 それは……、


「テイちゃんの浴衣、可愛い過ぎだろ‼」


 袋とじを開け、視界一杯に広がる浴衣を着た女性の写真。


 そう、俺は大の浴衣好き。


 いわゆる『浴衣フェチ』というやつだ。


「はぁ……やば過ぎる……全身がはちきれてしまいそうだ……」


 なんで浴衣はこんなにも愛おしいのだろう。


 世の中は露出の多い水着派の方が多いが、全く理解できない。


 古き良き日本文化である浴衣に勝るものはないのに……いや、いけないな。


 人の感性はそれぞれだしな。


 それにイラついたところで浴衣フェチ仲間が増えるわけじゃない。

 

 コンコン。


「入るわよぉー」


 ノック音と共に入って来たのは母さんだった。


「これ、アマーソンで届いていたから」


 どうやら荷物を持ってきてくれたらしい。


 両手で大きな段ボールを持っていた。


「ありがと」


 俺は段ボールを受け取る。


 すると母さんは読んでいた浴衣の雑誌を覗いてきた。


「三津留、ほんと浴衣が好きねぇー」


「ふっ……それほどでもないさ」


「褒めてないわよぉー」


「もしかしたら前世浴衣だったのかもしれない」


「その発想力を別のことに回して欲しいわぁー」


 母さんも俺の浴衣に対する愛の前には顔が上がらないようだ。


 理解してくれる親を持って嬉しいよ(半泣き)……。


「何時から三津留は浴衣が好きになったんだっけぇ?」


「え? うーん……そういえばあやふやだな……思い出せない」


 言われるまで考えたことがなかった。


 俺は一体何時から。


 何故浴衣を好きになったのだ?


「……あっ! 思い出したわ! 確か小学生中学年くらいの時に、『凛ちゃん』の浴衣を夏祭りで見た時からじゃなかったかしら」


 凛……だと……?


 突如脳内に思い出が蘇る。


 遠い夏祭り、まだ視線が低い時に見た、ある少女の浴衣姿に、俺は心を打ちぬかれたのだ。


「……っ、そうか……そうだったな……なんで俺はそんなことを忘れていたんだ」


 自分が馬鹿馬鹿しくなる。


 思わず笑いが漏れてしまった。


「気持ち悪いわぁー。母さん行くねぇー」


 扉の閉まる音が聞こえるが、そんなことどうでもよかった。


「凛の浴衣がもう一度見たい……」


 ああ……もう一度凛の浴衣が見たい‼







「という訳で来た」


 善は急げ。


 早速凛の家に訪問するが、


「どういう訳よ。意味が分からないんだけど」


 と苦い顔をする長髪の少女。

 

 彼女が『岡本凛』。


 透き通った黒色の長髪に、凛々しい顔立ち。


 胸は大きく、体の細さからそれが余計に目立つ。


 誰が見ても美少女と言うだろう。


 可愛いと同時にカッコよさも兼ね備えているので、男女問わず人気らしい。


 俺にとっては幼馴染であり、浴衣の道に目覚めさせた例の少女だ。


「俺の要望はただ一つ。浴衣を見せてくれ!」


「嫌よ」


「なんで!?」


 二つ返事で否定されたんだけど!?


「浴衣を着る理由が無いわ。さあ、帰った帰った」


 そう言って庭にすら入れてもらえない。


「嫌だー‼ 浴衣を見せてくれるまで帰らない‼」


「浴衣に割いている労力を精神年齢に割いた方がいいと思うわ……」


 その後も駄々をこねていると、なにやら荷物を纏めてきた。


「私これからバイオリンの習い事があるから」


 そう言うとバイオリンの入ったケースを手に、去って行く凛。


 後を追いかけたいが、予定を邪魔する訳にはいかない。


 一度俺は家に戻って、思考の海に落ちた。


 どうすればいい……?


 俺だけの力じゃ足りない。


 ここはネットの情報を頼りにしよう……。


「好きな人に振り向いてくれる方法三選……?」


 調べている途中である動画が目に止まった。


「これを見れば貴方は好きな子を堕とせる……」


 凄い自信だな。


 好きなのは凛じゃなくて浴衣だけど、参考になるかもしれないから見てみよう。


「どうもこんにちはー! 今日はみんなに恋愛の極意を教えちゃうよー‼」


 網タイツを着たおじさんが出てきた。


 本当に大丈夫か? これ。


 半信半疑になりながらも、俺は動画を見続けた。

 

 気付けば夢中になり、十分弱の動画を見終わっていた。


 ふむふむ……。


 そうすれば凛を堕とせるのか……。


 凛のバイオリンレッスンは夕方に終わるはず。


 それまでにおじさんが言っていた、三選の準備をしなければ……。


 俺は財布に入った全財産を手に、必死に街を駆けまわる。


 買い物をし、買い物をし、買い物をし……。


 どうにか準備は完了し、再び凛の家へ向かう。


 時間は十八時前。


 空はオレンジ色に染まってきている。


 家についてインターホンを押す。


 すると習い事が終わっているか心配だったが、先に終わっていたらしく、出てきてくれた。


「なによ……」


 しぶしぶといった表情をしている凛。


 俺はフルーツの詰め合わせ(八千円)を差し出し、土下座を敢行した。


「お願いだ『凛』‼。浴衣姿を見せてくれ‼」


 額を地面へゴリゴリする。


 うん……痛い。


「なにしてるのアンタ……。嫌って言っているでしょ?」


「そこをなんとか……一生のお願いですっ‼」


「なんなのほんとに……アンタが浴衣好きなのは知ってたけど、やりすぎよ。顔を上げて」


 言われた通り顔をあげる。


 すると凛は呆れた顔をしていた。


「街中で土下座するとか、馬鹿でしょ……」


「ふっ……それほどでもないさ」


「褒めてないわよ」


 どっかで聞いたことのある返答だな。


 立ち上がっていると、凛があることに気が付く。


「ちょっと!? なにこの雑誌たち‼」


 凛の視線の先、そこにあったのは今朝俺が見ていた浴衣の雑誌だった。


「え? 浴衣の雑誌です」


「違う違う‼ なんで浴衣の雑誌が私の家の周りに置いてあるのか聞いているのよ‼」


 ん?


 なんで?


「俺がそうすべきだと思ったからだ」


「そうすべきに至った理由よ‼ なんで家の塀に等間隔で雑誌が置かれているのよ‼」


 確かに俺は凛の家を囲む塀三百六十度に、等間隔で雑誌を置いた。

 

 それだけなのに、なんでそんなに怒っているんだ?


「凛の浴衣姿を見る為に、家ごと祀ってしまおうと思って」


「――なに、が……祀ってしまおうよ‼」

 

 凛はそれぞれの手で両頬を引っ張ってきた。


「痛いっ‼ 親父にも抓られたことがないのにっ‼」


「アンタがっ……変なことっ……するからでしょっ……!?」


 浴衣の愛を伝えようと思っただけなのに。

 

 おかしいな……。


 あの動画で、好きな子を祀るのが一選だと言っていたのに……。


 腕を叩くと、抓るのを辞めてくれた。


 相変わらず凛の目は冷めていますけどね。


「三津留、早く片付けなさい‼ あと……家の中入ってくれるっ……?」


「なんで。お誘いですか?」


「違うわよ‼ 周りを見て見なさい‼」


 周りを見てみると、見知らぬ人たちが俺たちに視線を向けていた。


「ふっ……俺の浴衣愛が伝わってしまったようだ」


「違うに決まってるでしょ!? 見世物になってるの! いい加減にして? 変な噂立っちゃうでしょ!?」


「えー、……って頬引っ張らないで‼ 痛い痛い! ちゃんと言うこと聞きますからっ‼」


 痛みに負けて雑誌を回収し、凛の部屋へ上がる。


 淡い色で構成された、ザ・女子高生といった内装だ。


 ぬいぐるみとか沢山置かれている。


 幼馴染だけど何気に凛の部屋へ上がったのは始めてかもしれない。


「こちら貢物でございます」


 上がってもやることは変わらない。


 改めて買ってきた物を捧げる。


「はぁ……それで受け取るなら浴衣着ろと?」


「ええ……凛様に最高に似合う浴衣を用意していますので……」


「なんでそんなに準備万端なのよ……どんなに良い物を積まれても、私は浴衣着ないわよ」


「なんでだよ!」


「嫌だから」


「着れば好きになる」


「嫌だから着ないって言っているのに、着ればっておかしいでしょ。本末転倒よ」


 おかしいな……。


 動画の三選のうち、一選は貢ぐだったのに……。


「はぁ……トラウマなのよ」


 凛が露骨に嫌な顔をした。


「浴衣が?」


「……昔のことよ……。小学生の時に浴衣を着て夏祭りに行ったの」


「……うん。それで?」


「……自分で言うのもなんだけど、私って……胸大きいでしょ?」


 そうですね。

 

 ナイスバディにございます。


 首を縦に振りまくっとく。


「小学生の頃も同年代と比べて大きかったのよ……それで浴衣姿の私をクラスの男子が『花魁』って呼んできたの。その時、『鬼滅のマイカー』っていうアニメの二期、遊郭編がやっていたせいで」


 鬼滅のマイカー。


 懐かしいな。


 主人公が鬼を駆逐する為に、鬼滅特殊機動大隊に属し、戦車に乗って鬼とカーチェイスをするアニメだ。


 一世を風靡する程の超名作で、今でも根強いファンがいるくらい人気だったな。


「なにが花魁よ。一年くらい言われ続けたわ。それで浴衣が嫌いになったの」


「そう……か」


 本当に嫌だったのだろう。


 だから動画の三選のうち、二選が通用していないか。


 それでも……俺は諦めきれない。


 今になってもう一度、凛の浴衣が見たいんだっ‼


「凛、聞いてくれ。俺は……」


 なんだ、この感覚は。


 凛の目に吸い込まれるようだ。


 目を離せない。


 体が勝手に……いや、意識すら乗っ取られていくようだ。


 凛のことしか見れない。


 凛のことしか考えられない。


 突如起きた自分自身の異変に、俺は困惑しながら顔を触る。


 


 触って気が付いた。


 俺の顔が笑っている。


 なんで……?


 どうして……?


 浴衣は見れてないのに……なん、で…………。



――ああ、そうだったのか。



 ようやく気が付いた。


 凛と会ってから感じていたこの高揚感。


 浴衣に対する情熱の表れだと自負していたが、違ったらしい。


 俺は……。 


「……どうしたの?」


「――凛。真面目に聞いて欲しい」


 この気持ちを、伝えるんだ。


「俺は浴衣が大好きだ。そのことに変わりは無いし、一番だと思っていた……けど違った。お前と再び出会って、ようやく気が付いたんだ」


「……」


「凛。お前のことが好きだ」


「なに……それ」


「正直……俺も今困惑している。心の整理がついてないし、この気持ちを言葉にするのが難しい……けど、お前のことが好きなのは、間違いないと言える」


「……三津留。馬鹿を言うんじゃ――」


「この際浴衣はどうでもいい……。俺と、付き合って欲しい」


 言い切った。


 俺の想いを。


 嘘偽りない、俺が今吐ける最大の言葉だ。


 場が静寂に包まれる。


 言葉を発したくなるのを我慢して、俺は凛から目を離さなかった。


 すると凛は深呼吸をし、口を開く。


「ほんとアンタ、馬鹿ね……脈絡が意味分からないし……告白の内容も変だし……」


「それは……自覚している」


「だから……断れないじゃない……馬鹿なアンタを……受け入れたいじゃない……」


「それは……」


「アンタの……恋人に……なってあげるわ……」


 あの動画で語られていた三選。


 一つは好きな子を祀ること。


 一つは好きな子に貢ぐこと。


 そしてもう一つは……気持ちを正直に伝えること。


 おじさん、俺、やったよ。


 帰ったら絶対いいねとチャンネル登録するから。


「……いいわよ。浴衣着てあげる」


「……え? い、今。なんて……」


「着てあげるって言ったの! 明日夏祭りでしょ? アンタが彼氏になるっていうなら……見せてあげなくもないわ……」


「ほ、ほんとか!?」


「その代わりっ‼ ……ちゃんとエスコートしてね」


 母さん、おじさん。


 間違いなく、今日は俺の人生で最高の日です。


 





 カップルになってから翌日の夜。


 昨日言っていたように、最初のデートは神社で行う夏祭りが舞台となった。


 ほんと人生って最高だな。


 青春万歳。


 浴衣万歳。


 現地集合ということで、俺は一足先に神社の入り口で待機をしていた。


 最初のデートで彼氏側が待たせる訳にはいかないからな。


 待っている間、浴衣の雑誌を見ていよう。


 なになに……最新の浴衣トレンドは、青の薔薇柄……。


 没頭して読んでいたが、なにやら人がざわざわしていることで現実に引き戻される。


 顔を上げると、そこには……浴衣姿の凛が居た。


 長髪はポニーテルにしており、浴衣は明るい色の花で構成された美しいもの。


 派手な浴衣だが、それ以上に凛の美しさが際立っていて、胸の大きさは浴衣を着ていても明白に伝わってくる。


 間違いなく、世界最高の浴衣女子だ。

  

「……どう? 浴衣……」


「……さいっこう……過ぎて……言葉が……出てこない……」

 

「……馬鹿」


 凛の頬が赤く染まり、俺の頬を優しく抓ってきた。



――あれ? 


 鼻から大量の血が……。


「三津留? 三津留!?」


 それと……意識が……どんどん遠のいてく……。


「どうしたの!? 救急車……救急車を呼ばないと‼」


「……大丈夫……だから」


「どうしてよ‼ 今にも死にそうじゃない‼」


 泣き出しそうな凛を抱きしめ、俺は言った。


「凛の浴衣姿を見て……衝撃のあまり……気絶しそうなだけ……だから」


「……三津留の馬鹿ー‼」


 俺は凛に突き飛ばされて地面に頭を打ってしまう。


 目が覚めたら、俺は病院のベッドの上に居た。

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