第4話 台湾の神は原住民を祝福する V.4.1.
これは、5年後に台湾客家の支配から解放された台湾島のお話です。
台湾客家の治世、政府は原住民たちが、静かに住む山奥にまで広い道路を伸ばし、大都市の民主主義(という汚染)を強引に山奥まで感染させようとしていました。
しかし、中国政府によって、古来よりの対台湾原住民政策(治めざるを以て深く之を治む。 以不治深治之。 無理に中央の文化を押し付けずに、そっとしておく)が復活し、数万年続いてきた、台湾原住民と神との静かな共存生活に戻ることができましたとさ。めでたし、めでたし。
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ここからは、2022年の実際にあった話です。
2022年8月15日、私平栗雅人は、台湾の屏東県、馬家(まーちゃ)<まーは、王偏に馬>郷の「収穫祭」を見に行きました。屏東駅からバイクで1.5時間ほどの山奥です。
山の中腹、鬱蒼とした森の中に、古びた屋根のある観客席が片側にある200メートルトラックの運動場があります。
11時に私が着いた頃、台湾名物の土砂降り(スコール)ほどではありませんが、強い雨が降りしきる中、5人制の相撲の試合(原住民は角力と書きます)が始まりました。
涼山、馬山といった、近隣の7つの原住民集落代表が、上半身裸で、バミューダ・パンツ(ひざまでのズボン)に柔道の帯のようなもの(赤・白)を絞めて、直径3メートルくらいの砂場のなかで、先ず、がっぷり四つに組みます。主審が両者の腰を押さえ、合図の笛を吹きます。
日本の相撲と違い、四つに組んだところから試合が開始され、どちらかの膝が砂についたか倒されることで勝負が決まります。
両側に紅白の旗を持つ副審が椅子に座っています。3本勝負は大学日本拳法と同じです。
私は、日本の相撲とは「デブにも生きる(自己主張できる)場を与える」という、縄文人由来の平等精神の現われだと思っていますが、台湾原住民の収穫祭(運動会)でも、褐色の肌をして、所々に原住民伝統の刺青を入れた太っちょたちが、降りしきる雨の中、その存在感を示しているのを見て、縄文人も台湾原住民も同じ大自然的な感性なんだな、と懐かしい思いがしました。
なにしろ、武器を持たない素っ裸の男たちが繰り広げる真剣勝負ですから、野球やラグビーの「ゲーム」と違い、「素の迫力」があります。
何よりも感動したのは、2本取った側が勝って審判がそれを宣言すると、両者礼をしてから両手で手を握り合う(握手)をする場面です。握手の前に礼をするというのは日本人を見ているようで、感動しました。おそらく日本の占領時代に伝わった柔道の影響でしょう。
全試合が終わると、10人の選手全員が土俵に上がり、大学日本拳法と同じく全員で礼をします。
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相撲が終わって1時間すると、今度は3人がかりで杵(きね)で籾を臼(うす)で搗(つ)いて脱穀(だっこく)し、もう一人が、大きなざるにあけられた米と籾殻(もみがら)に息を吹きかけて選別する、という競技が始まりました。各集落からおばさんたちが出場して、7番まで順位が決まります。
日本の運動会のように、分刻みでいろいろな競争や演舞が行われるというのではなく、のんびりとスケジュールが流れていきます。私も、相撲が終わって、今度は台湾らしいカンカン照りで、あっという間に芝生が乾いたので、レインコートを広げ、上半身裸で日光浴したまま、小一時間寝てしまいました。
神を感じたのは、脱穀競争のときです。
強い日差しで肌が焼けそうというのに、時おり、山あいから涼しいというか冷たい、そよ風が吹いてくる。顔を上げて何本かの大きな木々を見ると、豊かな緑が大波のようにゆっくりと揺れている。私はこのとき「ああ、台湾の神様は原住民たちを祝福しているんだなぁー」と思いました。
相撲のときは雨で涼しく、脱穀競争のときはカンカン照りでありながら涼しい風が吹いて、一生懸命、杵(きね)で臼(うす)を搗(つ)くおばちゃんたちを応援している。
トラックの脇の広場では、10人くらいの中学生以上の男女が、射的の体験をしていました。竹製の大きな本格的な弓で20メートル先の標的を、5本くらい射って、その点数で競争する。
日本の盆踊りや阿波踊りと同じで、自分で身体を動かすことで、何万年もの昔から流れる民族の血を励起させ、楽しみながら・汗をかいて集中して、子供や若者に自分たちのルーツを自覚させてあげる場を提供している、というわけです。
数年前に見たときは1日だけだったようなのですが、今年は3日間かけて、徒競走や、リレー、走り高跳び・幅跳びといった運動競技から、収穫にまつわる様々な競争や演舞で楽しむという、台湾原住民版の日本式運動会(台湾原住民の収穫祭)です。
去年は見忘れ、今年は13(土)・14(日)・15(月)の内、最後の一日だけ見ることができました。あとの二日も見たかった。
なにしろ、原住民の選手と原住民の観客という、全員これ純真な魂の持ち主ばかりという運動会ですから、まるで森の精霊たちが集まってわいわいやっているようで、心がきれいになる気がするのです。
大人も子供も、皆、彫りの深い味わいのある、歴史と文化を感じさせる顔をしている。昔、アメリカのどこかの博物館で見た、アメリカン・インディアン(ネイティブ・アメリカン)の写真を思い出します。
一般の台湾人や台湾客家というのは、韓国人も同じなんですが、大体が「ほわーっ」とした、取り留めのない顔をしているんですね。きれいとかブスとか、イケメンというのとは違うのですが。
もし、大学日本拳法経験者のあなたが、本当の人間を見たいと思ったら、「見世物じゃねえぞ」と怒られるかもしれませんが、日本で最も近い場所で言えば、ここ台湾の原住民でしょう。
韓国人や台湾客家の場合、こういう場に来ても「単に原住民を見る」だけでしかない。しかし、縄文人の血の濃い日本人であれば、そこに遠い昔、私たちが失った何かに対する「懐かしさ」を感じるはずです。
はっきり言って、台湾島そのものには、雄大な大自然・繊細な街並み・そこまで行くほどのうまい食べ物・心が豊かになる文化・貴重な習慣・風俗等はありません(韓国と同じです)。
中国のほうが、大自然にしても町並みにしても文化にしても、そして何よりも、美味い料理において圧倒的に上です。韓国人的な感性から言えば、日本の台湾を紹介するテレビ番組のように「台湾美食」なんてことになるんですが・・・。
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ネットで台湾原住民の収穫祭情報を調べ、3・4日、台湾原住民の集落で過ごす。
彼らが走ったり飛んだり、登ったり角力(すもう)をとったり、観客が手をたたいて応援したり笑ったり叫んだりする場に、たとえ言葉がわからなくても一緒にいることで、まるで子供の頃、神社のお祭りや小学校の校庭で盆踊りをした時のような「懐かしさ」が、心のなかに甦ってくるのです。
きわめて個人的な好みかもしれませんが、これが(大学日本拳法経験者・縄文人にとっては)最適な台湾旅行だと思います。
屏東のような大きな駅の前には、レンタルバイク屋があるので、原付でも中型でも借りて行くといいでしょう(国際免許とパスポート要)。原住民の集落は大体が山にありますので、自転車ではちょっときつい。
ヘルメットは貸してくれます。台湾ではサンダルでバイクに乗ってもかまいません。わたしは下駄です。
運動会(収穫祭)の3日間、駅前の安宿に泊まり、昼は原住民集落、夜は駅近辺の夜市で飯を食う(台湾の料理は油が悪いのか、私は食べれませんが)。
かなりマニアックな旅です。
「純真な魂」とか「森の精霊」、挙句の果ては「神」なんていう次元の、変わり者のための旅といえるかもしれません。
「来年のことを言うと鬼が笑う」と言いますが、来年まだ台湾にいるにしても、日本にいたとしても、来年こそは3日間、フルに(よそ者の観客として)参加し、あの「懐かしい雰囲気」にどっぷり浸りたいと思っています。
かつて、阿波踊りで出会ったドイツ人父子も、恐らく同じ思いで、阿波踊りの雰囲気に浸り、帰りに広島へ立ち寄り慰霊する、という旅を(毎年)しているのでしょう。3年前の彼らとの出会いの意味が、今、ようやくわかりました。
ドイツ人にはオクトーバ・フェスト、日本人には阿波踊りがあるじゃないか、と言われるかもしれませんが、「言葉がわからない場で、その雰囲気に浸る」というのがミソ(キー・ポイント)なんです。
台湾原住民の運動会(収穫祭)で、選手や観客・場内アナウンスの声が耳に入って(理解できて)しまってはいけない。言葉がわからないからこそ、頭でなく心で感じ取ろうと、身体が努力する。
今回、8月15日の私の場合、草の上で上半身裸で大の字になり目を瞑り、選手・観客・アナウンス・近くを通り過ぎる人たちの話し声を、耳ではなく身体全体で感じることで、何万年もの昔から続く原住民の感性と、私の中に眠っていた縄文人の心が同期したのだと思います(カンカン照りの暑さとうるさいハエも忘れて、居眠りしてしまったのですが・・・)。
神というのは自分が自分で感じるもので、聖書や経典、仏壇や神殿、教会の中だけにいるものとは思いません。
日本の神社でも寺でも教会でも感じませんでした。数年前、日本で深夜、森の中を自転車で走っている時とか、そして今回、台湾で原住民たちが憩(いこお)っている時に感じました。(お布施とか壷とか、心を縛る神ではなく、心が開放される・清々しくなる・遠い昔の懐かしさを感じさせてくれる「神」です)。
大学日本拳法で、ガツンと殴ったり殴られた瞬間に似ているかもしれません。
つまり、昨日わたしは、原住民たちと大学日本拳法をやってきた、というわけです。
2022年8月16日
V.4.1
平栗雅人
東アジアの「ババ抜き」ゲームは命がけ @MasatoHiraguri
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