勝負

「では、持ち時間は一時間。部長はいつもどおり、完成した作品をAIに認識させるまでが制作時間です。青海君は……」

「わかってます。完成したら提出ボタンを押せば、AIに自動送信される」

「じゃあ大丈夫ね。準備は?」

「いつでも構いません」

 美術室の一方の角に、モニターとタブレット端末。その前に神妙な趣で座る青海君。前髪で隠れかけているが、その目つきは鋭い。明らかにさっきまでとは、顔が変わっている。

 反対側の角に部長。いつもの練習時と変わらず、机上にはポスターサイズの画用紙に色とりどりの水彩絵の具、そして太さの違う二本の筆。『0か1かの世界では絶対に表現できないものがある』とこのアナログスタイルにこだわり続ける部長の勝負前の姿は、他の誰とも違う独特の光景だ。

「部長?」

「こっちも問題ないよ。……ああ、お題は二人で決めてくれたまえ」

 AIマシンの前に座る俺と仙崎が指名される。

「え……ああ、はい」

「仙崎、なんか部長が有利そうなお題、無いのか」

「駄目よ。それじゃあ不公平じゃないの。部長の応援はそれはそれ、これはこれよ」

「むむ……」

 もちろん、部長に勝ってもらいたい。ただ同時に……確かに、公平な勝負をした上で、その上で俺は、二人の作品を見たい。大好きな部長の作品もだし、青海君のあの……常識に反するような魅力。そこに、AIの評価は一旦後回しだ。

 青海君のあの夏山がもう一度思い起こされる。あのような作品でこそ、青海君の真価は発揮されるのか。

 窓の外に目がいく。綺麗な青空だ。陽光が、美術室の中のモニターに、机に陰を作る。……よし。

「じゃあお題は……『美術室』です。ここを描いてもいいですし、もちろんそうでなくてもかまいません」

 これなら普段からここにいる部長の方が有利だろうけど、青海君は美術室の入口側の角、すなわち部屋全体を見通せる位置に座っている。描きやすさはあるはずだ。

「それでは、カウントダウンを行います。5,4,3,2,1……スタート」

 仙崎が手元のキーを叩くと、AIにつながったモニターにタイマーが映し出された。『01:00:00』から表示が動き出す。


 スタートと同時に、青海君は電子ペンを手に取った。素早く端末の設定を行い、薄くて細いラインで大枠の下書きを始める。なお、青海君のタブレット端末は画面を複製し、俺と仙崎の手元で確認できるようにしてある。実際の試合と同様だ。

「なんか、出だしは普通だな……」

 青海君の描き出しは、至って普通だ。一時間というのは、公式大会では最も持ち時間が短い部類である。人によっては下書きなしでいきなり描き始める選手もいるが、さすがに大枠程度の下書きは済ませてから色を置いていくというのが一般的なやり方だ。

「でも、下書きにしてもかなり細いね」

「そうなんですか?」

「確かに、気をつけてないと見失いそう」

 俺と仙崎の隣に緑屋君が移動してくる。

「景は、いつもこんな感じで描き始めるので……これぐらいが普通と思ってました」

「緑屋君は、イラスト競技の経験は?」

「無いです。でも、景の作品をずっと見てて……すごいですよね」

「……こちらとしては、是非入部していただきたいところなんだけども……」

 仙崎が手元の画面に目を落とす。

「青海君が入部したくないっていうのは、絵そのものをもう描きたくないってことなのかな?」

「そんなことは無いと思います。さっきも言いましたけど……あいつは、絵を描いてるときが一番イキイキしてるんです。……ほら」

 緑屋君が小さく青海君を指差す。

 忙しく右手を動かす青海君は……前髪の間から、はっきりと目が見えた。その目は輝いてる。

「……いいな、ああいう目。桜庭君も最初はあんな感じだったんだよ。それが今や、描いては悩み、描いては悩み……」

「何だよ、別に悩むのは誰だってそうだろ」

 仙崎と違い、初心者だった俺は本当に一からのスタートだ。AIの評価軸に合わせることの難しさ。頭でわかっていても、それを端末に作品の形として表現することは簡単じゃない。

「悩むのは仕方ないよ。私だっていつも悩むもの。でも、それを楽しんで描きたい。勝負する前に、作品制作が楽しくないと。そのうえで、勝てる作品を描く」

 仙崎は部長を見据える。アナログ制作の部長の作品は、俺たちも完成するまで見ることができない。


 ウィーン

「部長……本当にやってるよ……」

 三たび、入り口の自動ドアが開く。

 十条先輩の高身長が見えた。眼鏡の中の両目は、完全に呆れ果ててしまっている。

「十条先輩、あの……」

「ああ、わかってる。仙崎がメッセージで連絡してくれた。……いくら有望な新入生がいるとはいえ、勢いでやらなくてもいいだろ……」

 そう言いながら、俺と仙崎の後ろに座る。

「さっき入りたいって女子がいたから、後で美術室に来てって言ったのだが……」

「本当ですか?」

「ああ。初心者のようだけど、結構真剣に考えてくれてるみたいだ。だからこっちに来たら桜庭と仙崎に説明して欲しかったのだが、これじゃあなあ……」

 目の前では、青海君が一心不乱にタブレット端末に向かっており、反対側では部長がいつもどおりの集中力で画用紙に向かっている。今ここに新入生が来ても、『ここをこうやって……』と声を出しづらい雰囲気だ。

「……部長は、どうしてこんな勝負を持ちかけたんでしょう?」

 仙崎が振り返って十条先輩に尋ねる。

「ふむ……例えば青海君が競技経験があるなら、その負けん気に火をつけられると考えたとか」

 青海君の進捗が映し出されるモニターに目を落としながら、十条先輩が考え込む。

「でも……青海君はそういうタイプの子じゃないよな……」

 そうだ。きっと青海君は、勝負よりも自分の表現を優先する。ちょうど、部長と同様に。

「だけど青海君は最終的に勝負を受け入れてくれましたよね」

「それはきっと……景も絵が描きたいんですよ」

 仙崎の疑問に、緑屋君が答える。

「あいつだって、本当は絵が描きたいんです。絶対に……」

「もしかして、部長はただ単に、青海君の作品が見たかっただけ……?」

「かもな。部長のことだから、本当に何も考えてない可能性すらあるが」




 ピピピッ

「そこまでです。……二人共完成してますね」

 あっという間に1時間が過ぎた。仙崎がモニターを触って、二人の作品を既にAIが認識していることを確認する。

「では、判定の前にお二人の作品を公開します。まずは……」

「青海君、こちらは後攻めで良いかな」

「別に良いですけど……」

 もちろんここで作品を公開する順番は、AIの認識に何ら関係しない。それでも先攻め、後攻めと言うのは、きっと人が審査していた頃の名残だ。先後による運を無くすのもAIによる審査の目的……だというのに、競技界に染み付いた言い回しはなかなか変わらない。

「では、青海君の作品から」

 その仙崎の言葉とともに、一番大きなモニターに作品がぱっと映し出される。


「うわあ……」

「……ほお……」

 仙崎と十条先輩の声。

 やはり、綺麗だ。

 ちょうど青海君のいる、美術室の入り口から全景を捉えたようなカット。色と色の境界線にある輪郭によって、美術室の中のごちゃごちゃした感じ、窓枠、天井のライト、奥の空が描き出されている。そして、やはり色使いは独特だ。空は青が多めだが、赤の原色が混じり込んでいる。窓枠は迷彩気味で、天井のライトは白と黒の色が交互に混じっている。一瞬、デザイナーズマンションか何かと見間違うような色合いだが、輪郭と全体的な雰囲気が、今俺たちがいる美術室であることをわからせてくれる。

 全体的にとても完成度が高いが、それでいて独特の色使いもある。青海君らしい……

「……景……」

「緑屋君?」

「いや、少し前の景なら、こう、もっと景らしい世界だったというか……」

「ふむ……確かに、今までの青海君の作品に比べると……」

 ……緑屋君と十条先輩の声が漏れる。

 ……そう言われると、さっき見た『夏山』は、もっと抽象性が高い、というか現実離れ感が強かったように思える。輪郭もはっきりしているし、よく見ると美術室の内部は結構細かく描き込まれている。具体性が高く、その分見やすい作品にはなっているのだが……

「……でも、これは青海君にしか描けない作品、だとは思います」

「桜庭の言うことは間違いないな。ただ、それでいてAIからも評価を得そうな作品だ」

「高得点が出そうですよね、普通なら……」

 そうだ。AIなら、お題である『美術室』に合っている作品であることはわかるだろう。色合いは変わっているが、小道具として配置された紙束や絵の具、画材は容易に認識できる。ただ、これはあの『夏山』を描いた青海君の作品なのだ。



「なるほど……これは強力だ。味があるが、紛れもなく美術室であることは伝わる。うんうん」

 部長はそう言って頷く。口元が、少し笑っている気がする。

「えっと、そろそろ部長の作品に行ってよろしいでしょうか?」

「ああ、大丈夫だ」

 仙崎が手元で操作すると、一番大きなモニターに映った作品が切り替わる。


「あっ……」

「えっ……」

 緑屋君と十条先輩の声。

 俺はひと目見て……言葉が出なかった。

 ――おそらく、今いるこの美術室の全景を、少し見上げた画角で捉えたもの。だろう。だけど、普通じゃないところがいくつもある。

 まず、平衡感覚が微妙に変だ。天井は明らかに下から見上げた画角なのに、なぜか床は画面の奥に向かって下に下がっている。結果として、教壇がある正面の壁が実際の倍ぐらいの大きさに引き伸ばされてしまっている。同様にドアのある右側の壁は少し縮んでしまい、左の窓が広く取られている。

 その輪郭もとても曖昧だ。どこもグラデーションのように、少しずつ色が変わっている。中には水彩絵の具を使っているのにも関わらず、塗りつぶさずに点によって色の変わり目を表現した箇所もある。

 そして広く取られた窓の向こうの空は赤と紫。それも夕焼けのようになっているのではなく、無秩序に両方の色が混ざっている。アクセントのように入った白点が、まるで差し込む光のようだ。

 そして正面の壁はさらに雑多だ。無数の原色。よーく見ると、石膏像にも似た白点の塊が宙に浮いていたり。虹のようになっているのは……何なんだ?

「部長……また……」

 仙崎が口を閉じて結ぶ。またAIが評価に困りそうなものを、と言いたげなのだろうか。

 しかしこれは……

「……すごく綺麗……」

 綺麗だ。これでこそ部長だ。俺なんかには発想から思いつかないような作品。

 でも……

「部長さん……これ……」

「うん。青海君、少し発想を取り入れさせてもらったよ」

 やっぱりそうだ。原色の点を使った描写。曖昧な輪郭。青海君の『夏山』と同じ特徴だ。

「やってみたかったんだ。私はやったことない発想だったのでね」

「どうして……ですか?」

「それは、良い発想だなと思ったからさ。時間があればもっと色合いを工夫したかったんだけどね」

「でも、僕のやり方なんて評価されないですよ」

「そうかな。現に君は全国大会で成績を残した。一定の評価は得ているんだ」

「ですが……」

「勝つために、他人のアイデアを取り入れるのは、何の問題も無いだろう」

 確かにそうだ。AIの評価した作品を、皆真似して描いている。

「それよりも青海君。……君、評価を取りに行ったよね?」

「……」

「景……」

 青海君が、座ったままうつむく。

「……本気の勝負がしたい、と言ったんだけどなあ……」


「……えっと、部長、青海君、判定良いですか?」

 少し静かになった美術室に仙崎の声が響く。

「ああ。そうだそうだ。頼む」

「……お願いします」

 青海君の、元から小さめの声がさらに小さく、消え入りそうになる。

 一方部長は何一つ普段と変わらない。ペットボトルのお茶をズズッと飲み干す。

「……では、判定を行います」

 仙崎は手元でAIを操作する。即座に結果が出た。

「……」

「……」

 俺と仙崎は顔を見合わせる。

「どうした、二人共?」

「いえ……結果を出します」

 先程まで二人の作品が映っていたモニターが切り替わる。


『八百津 創一 662

 青海 景 692』


 1000点満点の採点。判定基準は明らかにされず、こうして各作品の得点のみが表示され、それで勝敗が決定する。

 ……30点差は、結構な僅差だ。

「……駄目だったか……」

 十条先輩が悔しがる。僅差でも、部長の負けは負けだ。

「ただ……結構競ってましたね」

「……見やすさという点では、結構違いましたよね」

 俺と仙崎の言葉。

 AIの常識的な基準に照らし合わせたら、青海君の今回の作品は、部長のものよりかなり完成度、わかりやすさが高い。これが青海君の勝ちだというのなら、もっと大差がついてもおかしくないとは思ったが……

「……うん! やっぱり青海君は強かった! AIに合わせにいってこの点数だとは!」

 部長はそう言って、手を叩き始めた。

「青海君。まずは、勝負してくれてありがとう」

「あの……先輩方に聞いていいですか?」

 部長の言葉を聞かず、青海君はこちらを向いた。

「はい?」

「部長さんは、いつもこのような作品を描くのですか?」

「そうですね。とても独創的というか、発想が新しいというか……」

「言ってしまえば変わり者ですね。一人だけ他の選手と全く違うことをやることも珍しくありません」

 俺と十条先輩が答える。

「……どうしてです?」

「それは……我々もわかりません」

「私も不思議なのよね……」

「それは、その方がより理想の作品を創れるからに決まっているだろう」

 部長が青海君に向かって歩み寄る。

「描きたくもないものを描いて点数という数字を取るよりも、自分の描きたいものを描く方が、真っ当だとは思わないかな?」

「でも、それじゃあ評価されない……」

「確かに優劣を付ける以上、統一の評価軸は必要だ。でも、それは人間、ないしAIが後天的に付けたものに過ぎない。それに……つまらないだろう? 美術館に全部同じ絵が並んでいたら」

「……」

「……こんな人、初めて見ました」

 俺の隣で、緑屋君が立ち尽くしている。まあそうだろう。ある意味、AIに反旗を翻しているのだから。

「……そしたら、部長さんはどうしてイラスト競技をしているんですか? AIに評価されない絵を描いて?」

「理由は二つ。まず、自分の作品をより多くの人間に見てほしいから」

 部長は美術室の中央に立つ。

「もう一つ。自分と世間との距離を測りたいんだ」

「距離?」

「気にならないのか? 自分がどれくらい、世間と違っているのか」

「……」

「そして、自分の評価軸で、人と勝負したい」


「……」

 青海君は黙りこくってしまった。十条先輩はため息をつき、仙崎はどうしていいかわからず部長と青海君を交互に見比べる。

「……部長さん、すごいですね……」

 ややあって、青海君の小さな声が聞こえてきた。立って、部長を見上げる。

「初めてです。そんなことを言う人に会ったの……いるんですね、こんな人……」

「まあ……大会での勝利を目指す我々からすると、少し困ってしまうところもあるのですが……」

「こら、仙崎! 変なこと言うな!」

 仙崎の言葉を十条先輩がブロックしようとする。

「でも、実際良い部長です。普段はふわふわしてますけど、私たち部員に元気を与えてくれます」

「……まあ、部としての手続きを全て私に丸投げしてしまうような人間ですが、ついていくべき部長であることには同意します」

 ……そうだ。部長がいなかったら、このイラスト競技部は成り立っていない。

「部長はすごい人です。今回は風景画でしたが、特に抽象的なお題では、本当に面白い絵を描いてくれて……」

「わかりました。僕、入部します」



 ……!!!

「景!」

「自分以外で、評価されない絵を描く人に……初めて会いました」

「評価されないって……」

 仙崎が苦笑いする。

「でも、勇気が出ました。実は今ちょっと部長のことをデバイスで調べたんですけど……県大会上位に安定して入り続けているってことは、部長はきっと……評価と自分の描きたいものを両立できている」

「私からすると、かなり不思議なんですけどね」

 十条先輩が肩をすくめる。

「僕も……測りたいです。自分の評価軸」

「……景……」

 緑屋君が、青海君をひしと抱きしめた。


「……良かったですね、部長」

 俺たち部員は部長に声をかける。

「いや、決めたのは青海君自身だよ。自分はただ、同じ土俵で青海君と勝負したかっただけだ」

 部長はひょうひょうと言い放った。

「皆も、たまにはこういう勝負をしてみたらどうだ? 意外と、AIの点数も上がるかもしれないぞ」

「そうですかね……」

「だって、我々は誰も、AIの評価基準を知らないんだから、なんとでも言えるじゃないか。皆、AIを推測しているに過ぎない。……どうする? もしAIが乱数生成で点数を決めているとしたら」

「そんな……」

 さすがにそんなことはないだろう。……でも、そう言い切れない迫力が、部長の言葉にはあった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

illusports! しぎ @sayoino

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ