挑戦

 翌日。

「……暇だな」

「……うん」

 新歓二日目。俺と仙崎は、美術室でくつろいでいた。

 昨日と交代で、部長と十条先輩は外の新歓用ブース、俺と仙崎は美術室で新入生を待つ。入口に近いところにはAIにつながったモニターとタブレット端末が机上に2台あって、新入生に触られるのを待っているわけだが……放課後の新歓タイムが始まって三十分、ただの一人も一年生はやってこない。

「え〜? イラスト競技って、そんな影の薄い部活?」

「まあ、少なくともうちの学校では仕方ないだろうな……」

 俺は窓の外を見下ろす。三階建ての校舎の一番北の端の角。用が無ければ絶対に人が来ないような場所に、美術室はある。

 窓の下はプールとフェンスに挟まれたちょっとしたスペースになっていて、いくつかの運動部が練習場所にしている。野球部が素振りをしながら、まだ真っ白な体操着の一年生に金属バットを持たせて色々教えている。

 その横をオーエスオーエスと掛け声をかけながら走っていくのはどこの部活だろうか。こちらも、一年生の真っ白な体操着が数人混じっている。

「仕方ないだろ。運動部はやっぱり強いよ。経験者もいるだろうし、やっぱり技術を教えやすい。人数もいる」

「イラスト競技だってスポーツだよ。運動神経は良い悪いあると思うけど、絵はそういうのは無い。才能……に関しては否定しないけど、少なくとも運動よりは差は小さいと思う」

 ――運動神経も良い仙崎に言われても、いまいち納得しづらいが。

「まあでも、人数はどうしようもないよ。物量差は正義だ」

 俺は美術室を見回す。選択科目の授業でも使われる美術室だが、三十人近くは入れる広さがある。普通の教室と同様の広さだが、イラスト競技部で使うのは、一度に多くても四人だ。自分のスペースが広いのは、良いことではあるが……

「……まずは、この美術室を部員でいっぱいにするところからか……」

「お前、相変わらずすげえ自信だな……」

 


「やっぱり、僕は嫌だ」

「ここまで来たのにそんなこと言うのかよ。景はやっぱり、絵を描いてるのが一番だって」

「何でだよ。何をするかなんて僕の自由だろ」

 ドアの向こうの廊下から声が聞こえてきたのはその時だった。二人の男子が言い争うような声。

 ……ん? 片方の声に聞き覚えがある。

「別にイラスト競技部に入れとまでは言ってないじゃん。良いだろ、俺も景の絵が見たいんだよ」

 やっぱり。この声……


 ウィーン

 入り口の自動ドアが少しきしんで開く。二人の男子が立っていた。

「昨日はありがとうございます。友達を連れてきました」

 低めの声でそう言ったのは、昨日俺がビラを渡した一年生だった。変わらぬ学ラン姿、広い肩幅。

 そしてその隣には……ああ、昨日喋ってた子だ。身長は……160センチぐらいだろうか。ちょっとぼさぼさした髪で両目が隠れかけている。もちろんこちらも一年生だ。

「ああ、来てくれてありがとう。そっちの君も……」

「ああ! やっぱり!」

 俺の声を遮って、仙崎が大声を上げる。

「君、青梅景君でしょ!」

 その言葉に、昨日ビラを渡した彼の顔がぱっと輝く。

「景を知ってるんですか?」

「うん! 中学の時、いろんな大会で活躍してたよね? 昨日見て、見覚えあるなと思ってたんだ〜」

「ほら、景。せっかくお前の活躍を知ってる人がいるんだ。お前はもっと胸を張れ」

 と言うが、景と呼ばれた小さい方の子は何も言わず、自動ドアの後ろに隠れようとする。

「えっと……二人共座る?」

 俺はとりあえず、二人に椅子を勧めた。


「一年二組の緑屋みどりや 明日也あすやです。で、こいつが……」

「一年三組の、青海おうみ けいです……」

 背の高い方が緑屋君。で……

「青海君って、イラスト競技経験者なの?」

「うん。ほら、ニュースにも載ってるでしょ?」

 俺は仙崎のスマートデバイスを覗き込む。一昨年の全国中学生大会の記事だ。

「……ああ」

 俺は顔写真と目の前の一年生の顔を見比べる。大会前の注目選手として、顔写真付きで青海君は紹介されていた。『常識の外からきた新星』……そんな見出しとともに、インタビューの様子が記事になっている。

「……で、青海君はどうなったの?」

「ベスト8敗退……だったかな。でも、それ以上にインパクトを残したのは、彼の作品だった」

 仙崎はスマートデバイスを操作して、中空に投影する。ぱっと映し出されるイラスト。

「……何だこりゃ」

 俺は思わず声が出た。

 ……いったい何を描いたのか、全く想像できない。

「このときのお題は、『夏山』」

 ……そう言われると、輪郭はそれっぽい。なだらかな曲線がいくつも重なって見えるのは、山の上から周りの景色を眺めた図……には見える。

 だが、問題は色使いだ。なぜ夏山が、紫だったり青だったり赤に染まっている? それもほぼ原色だ。塗りつぶしたわけではなく、様々な色の点がいくつも重なり合っているのだが、色は混ざり合わず、無数の原色によって、山々に色がついている。

 空も同じだ。青い部分もあるが、黄色や黒の原色が至るところにある。雲でもないだろう。とても、この世界の景色とは思えないのだが……

「これを青海君が?」

「そう。審判AIは、この作品に最も高い点数を付けた」

「……」

 プロの大会から、学生やアマチュアの全国大会、果ては地域の小さな大会に至るまで、イラスト競技の勝負はAIに委ねられる。人間よりもはるかに公平で、正確な採点ができるからだ。導入当初は色々な意見があったというが、今ではAIによる採点自体に異を唱える者は一人もいない。どうせ人間が審査したところで審査員との相性や、その時々で評価にムラが出る、だったら人間より優れたAIに全部決めてもらった方がわかりやすいし、統一の見解になる……他のスポーツ同様、審判AIなしではイラスト競技は成り立たない。

 だから、審判AIに何より求められるのは、常に同じ評価基準であること。使われるAIによって結果が違うのでは、人間が採点していた頃と何も変わらないからだ。

 そしてその評価基準に合致した作品……すなわち世間一般に上手いとされる作品と比較したときに、青海君のこの作品は、明らかに異質だ。

「……再確認したいんだけど、これ抽象画部門じゃないよね?」

「間違いなく、一般イラスト部門の作品よ」

 ……なら、このときの審判AIは、この無数の色による山々を、夏山と認識したということである。黄色や黒い空も。AIの中では、このイラストは間違いなく、夏山を描いた作品なのだ。

「……すげえ」

 しかし。それでも俺は、これをすごいと思ってしまった。

 ――なぜなら、この絵は美しかった、から。現実では絶対にありえない色の使い方。どこか遠い世界の風景画のような。それでも、これが夏山だというのなら……これは夏山なんだ。例え異世界のものだったとしても、俺はこれを冬山だと言うことはできなかった。

「ですよね。景のイラストは……絶対に景にしか描けない。景にしか見えてない世界を、私達は見ることができる」

 緑屋君がそう言って、隣の青海君の首をぐっと持ち上げる。

「でも……駄目です。こんなのは……評価されない」

 青海君の小声。

「……うん。このときは、審判AIが不良だったんじゃないか、とまで言われた」

 仙崎がそう言って投影をやめる。向こうの景色と……窓の向こうの空と比べても、あの絵は言ってみれば……まともじゃない。

「それだけじゃありません。一回戦で景がこの絵で勝ち上がった後……たくさんの誹謗中傷が景に来たんです。不正とかインチキとかって……そんなことできっこないのに。大会運営に賄賂出して、AIのチューニングいじってもらったんじゃないかって声も……SNSでも言われてました」

「ひどい……確かに私もこのAIの採点はびっくりしたけど、不正が無かったことは大会側からちゃんと発表があったし……」

「だから、これはまぐれだったんです。僕の絵は……たまたまそのAIにあっていた。現に、次の大会は初戦で最低評価だったですし」

「次って……秋季総合芸術大会の県予選?」

「そうです。そしてそれ以降、景は……イラスト競技の大会に出なくなった」

 緑屋君が隣の青海君を見てうつむく。

「……青海君はこの大会を最後にばったりとイラスト競技の世界から姿を消した。消えた注目選手として、イラスト競技の業界じゃちょっと噂になったんだよね」

「そうなのか……」

「桜庭君はまだイラスト競技始めてないもんね、知らなくてもしょうがないよ」

 確かに知らなかった。……が、これはチャンスだ。貴重な経験者の部員候補である。

「でも、青海君ここに来てくれたってことは……」

「嫌です。僕はもう、イラスト競技の大会には出ません」

 ……ええ……

「えっと、緑屋君は……?」

「俺も、実は他に入りたい部もう決めてて……今日ここに来たのは、景を引っ張ってくるためです。こいつに……もう一度イラスト競技をさせたい」

 そう言ってまた、緑屋君は青海君のうつむいた首を強制的に上げさせる。

「こいつは、絵を描いてるときが一番楽しそうなんです。そしてこいつは、絵しか描けない。成績も下から順の方が早いし、運動もからっきし。甘えん坊で友達も少ない。でも……絵を描いてるときだけは、滅茶苦茶輝くんです。景の居場所は……絵なんです」

 友達ならしれっとディスるなよ。

「なんなら大会に出さなくても良いです。景を、イラスト競技部に入れてやってください」

 そう言って緑屋君は、座ったまま深々と頭を下げる。

「明日也が頭を下げても、僕は入らないぞ」

 青海君がまた小声でぽつり。前髪がちらちらしていて、どこに視線が向かっているのかいまいちわかりづらい。

「……仙崎、どうする?」

「どうって……そりゃあ入ってほしいよ」

 あれだけの作品を描ける新入部員は強力だ。既に俺より上手い。それに、青海君の作品には……不思議な魅力を感じる。どことなく、部長の作品を見たときに似ている。

「本当は今ここで、入部届にサインさせたいぐらい。でも……」

 青海君は、下を向いたままだ。緑屋君が学ランの襟を抑えてなかったら、そのまま出ていってしまうんじゃなかろうか。



 ウィーン

 その時、また入り口の自動ドアが少し音を立てながら開く。

「桜庭、仙崎、調子はどうだ……っておお、さっそく来てるじゃないか新入生」

「部長? どうしたんですか?」

「いやあ、龍磨に『ここは自分に任せて、後輩の様子を見てきてください』って言われちゃってなあ」

 ……おっちょこちょいな部長のことだ、何かどじって十条先輩から怒られてないかが心配である。

「それよりそっちこそ、新入生に何か教えてないのか」

「あっ、えっと……」

 部長をこちら側に引っ張り込み、俺と仙崎は小声になる。

「部長、あの右側の子、わかりますか? 青海景君ですよ」

「あおみ……? う〜ん、聞いたことあるような……」

「この子ですよ、ほら」

 仙崎は部長に先程のニュース記事を見せる。

「……ああ、思い出した。って、なんで彼ほどの実力の持ち主がここにいるんだ!? まさかお前ら、知り合いだったのか?」

「違いますよ! 隣の緑屋君っていう友達が連れてきて、彼を入れてくれって言うんですよ」

「そんなの、渡りに船じゃないか。こっちから頭を下げて入ってもらいたいところだ」

「そうなんですけど、その……本人が入りたくないって……」

「はあ?」

「……あの、皆さん、聞こえてますよ」

 青海君の声。俺たちはびくっとして身体の向きを正す。

「えっと……」

「僕は、絶対にイラスト競技はもうやりません」

「……」

 青海君の声は小さいが、しっかりと芯が通っている。決意が伝わるかのように。

「……青海景君」

 部長は学ランの襟を正す。

「私はこのイラスト競技部の部長をしている八百津やおつ 創一そういちです。差し支えなければ……なぜ、あなたがイラスト競技をしないと言うのか、教えていただけないかな?」

「……それは……」

「景は、評価されない絵なら、描いても意味ないと……」

「おい! 明日也、勝手に……」

 青海君が右手を振り上げてわあわあするのをブロックして、緑屋君は言葉を続ける。

「景は……自分の絵は評価されないと……言うんです……あんなに綺麗な絵を描くのに」

「……」

「……」

 俺と仙崎は顔を合わせる。

 大会で使われる審判AIに求められる、変わらぬ評価基準。人間よりもはるかに精密なそれがもたらしたのは、評価される絵とされない絵という、明らかな二分法だ。

 評価基準は基本的には全世界で同じだ。そうじゃないと国際大会では使い物にならないからである。イラスト競技団体は審判AI用のソースコードを厳重保管しており、それらは各団体間の相互チェックによって一文字違わず同じものになっている。団体の公認大会であれば必ずそのソースコードを用いた審判AIが使われるし、街なかで行われるようなちょっとした非公認大会でも、だいたい団体の関係者がいて同じAIを提供している。要は、国際大会だろうが市町村単位の大会だろうが、同一の採点基準である。

 もちろん、そのソースコードはトップ中のトップシークレットである。だが、今までの大きな大会の優勝作品なんかを見たり、それこそAIに描かせた絵を何千枚、何万枚と採点させてその結果を観察すれば、何となくAIの評価基準は見えてくるというものである。大体人間の感覚ともマッチするように作られているというのもあるが、俺みたいなイラスト競技歴一年もないような初心者でも、高評価を得られる条件を文章で述べるのは、さほど難しくない。

 ……となるとどうなるか? どの選手も評価基準にできるだけ即した絵を描いてくるようになった結果、どの絵も似たようなものになっていくのだ。他のスポーツでも、強豪選手や、大会で優勝した選手が使っていた用具、あるいは用いた作戦が一気に広まり、トップ層の選手ないしチームがその用具や作戦ばかりになる、というのは珍しいことではない。ただイラスト競技の場合、先述のように評価基準が比較的わかりやすいこと、全ての大会で共通であることで、その広まる規模が明らかに大きいのだ。日本なら小中高大、アマチュア、プロ……その全選手が、同じコツを取得し、ものにしていき、より評価される作品を目指す。その先に勝利がある。

 逆に言えば、その評価基準に合ってなければ……それは評価されない絵なのである。――例えどれだけ人の見た目に綺麗であっても。


「……青海景君。勝負しないか?」

 ?

 やや合って口を開いたのは部長だった。また学ランの襟を正す。

「勝負……?」

「ああ、私が勝ったら君は部に入る。君が勝ったら、私たちは君を一切勧誘しない。……どうかな?」

「お願いします!」

「部長! 何言ってるんですか!」

 緑屋君の食い気味の答えと、仙崎の悲鳴にも似た声が交差する。

「何、心配するな。負けたら、そのときはそのときだ」

「いやいや! もっと他に方法あるでしょ……」

 ……仙崎が肩を落とす。一度言い出すと、部長は基本曲がらない。

「なんですか、その勝負。僕に一切メリットないじゃないですか」

「そうかな? ここで君が逃げても、私たちはしつこく君を勧誘するよ? 見ての通り我が部は部員が少ないんだ。部費確保のためにも、団体戦出場要件である部員五人を満たすためにも、君にはぜひ入部して欲しい」

「嫌です。他の新入生を探してください」

「そうはいかない。実力者の君を入部させない選択肢は、私たちには無い。それに……」

 部長はその長い手を伸ばして、青海君の右肩に手を置く。

「……君に挑戦したいんだ。私は中学生の時、全国には行けなかったからね。君と、本気の勝負がしたい」

「……」

「……」

 刹那の沈黙。名も知らぬ鳥の声だけが、美術室内に響く。


「……わかりました。一回だけですよ」

「よし! 桜庭、仙崎、さっそく準備してくれ。私はいつもどおりアナログスタイルで頼むよ」

 ……部長、いったいどうする気なんだ……?

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