2
嗅いだ事のある異臭に目を覚ますと、周りを白い壁に囲まれていた。
けれどその狭い部屋は、内側に鍵が付けられていて、自力でどうにか外へ出られる。
扉を潜って、今まで居た場所を振り返ると、女子トイレのマークが見えた。
暗い廊下を一人で歩くが、どの教室にも明かりは点いていない。
不安になっていると、向かい側からバタバタとけたたましい足音が響いてきて、急に二つの人影が見えた。
「え!? 女子!?」
知っている人だと分かって、ホッとする。
けれど、すれ違いざまに首根っこを突然掴まれた。
「アンタ、何してるの! 危ないでしょ! 走るよ!」
ぐえっとなりながら、赤い髪の女の子にそのまま引っ張られる。
すると一緒に走っていた金髪の男の子の方が、申し訳なさそうに顔をしかめた。
「おい、もうちょっと優しく……って、うわ! でもごめん! 後で説明するから……!」
その二人の後ろに、ぞろぞろと何人も付いてきているのが見える。けれどその人達には、顔が無かった。
「まだ残ってる人、居たわ」
連れてこられた教室に入ると、もう二人、制服姿の人が居る。
「誰?」
「え? 知らないの? 絶対、お前と同じ一年だと思ったんだけど」
話し掛けられた青い髪の男の子は、首を横に振った。
教室に集まった私以外の四人は全員知り合いらしく、横に並んで話を続ける。その内容は、私は誰かというもの。
けれど私はこの四人を知っている。学内ではある意味、有名人だったから。
「三年には見えなくない?」
金髪の黄太くん。優しくて明るいから、いつも誰かが傍に居る。クラスのムードメーカー。
「けど、私達の学年には居ないでしょ」
三人の中では唯一の女子だけど、可愛げが無いと言われている紅さん。けれどその反面、とても頼りになる。
「別に何年でも良いけど」
青い髪の蒼くんは、紅さんの弟。この中で唯一の一年生。ヤンキーみたいな態度を取るけれど、根は凄く真面目。
「まぁ、蒼の言う通りかもな」
残りの一人はヒゲを生やして、余り学生には見えない黒田先輩。少し長い黒髪を後ろで束ねている。
そんな黒田先輩は気怠そうに床に座り、私の方をじいっと見つめてきた。
「……名前は?」
私はしばらく黙った後、今の状況を伝えた。
「え!? 自分の名前が分からない!? 何でここに居たのかも!?」
「その制服なら、うちの生徒で間違いは無いと思うけど……」
「さっきの化け物のせい? 困ったね……」
交互に話す黄太くんと紅さんを見つめていると、蒼くんが口を開いた。
「どうせ、やる事は変わんねぇだろ」
「そうだな……」
蒼くんの隣で、黒田先輩は腕を組み直した。
「ソイツも連れて行こう」
「うん。一人は心配だから、俺もそれが良いと思う」
続いて黄太くんが声を上げて、私の方へ向き直った。
「君もそうだと思うけど、俺達も何か学校から出られないんだよね……俺は部活で残ってただけなんだけど、帰ろうとしたら扉開かないし、先生も居ないし……おまけに、変な奴に追い掛けられるし」
私が首を傾げると、紅さんが「さっき後ろに居たでしょ」と教えてくれた。変な奴とは、あの顔の無い化け物の事らしい。
「念のため、俺等と一緒に動かない?」
私が頷いて返すと、黄太くんは扉の方へ早速向かった。
「よし! じゃあ宜しくね。取り敢えず、もっかい皆で職員室行ってみる? あそこの電話なら繋がるかな……」
「それよりアンタ、何て呼べば良いの?」
「あ……確かに。名前呼ぶ時、困るね」
「シロ」
私を追い抜きざま、黒田先輩が呟いた言葉が、頭の中で“白”の漢字に変換される。
「え? 見た目的には、ミドリじゃない……?」
黄太くんは顔をしかめていたが、私が首を縦に振る。すると黄太くんは、もっと変な顔をした。
「本人が良いなら、何でも良いだろ」
「そうね。じゃ、シロって事で」
「えぇ……」
皆が続々と教室を出ていき、私もその後を慌てて追う。
「やほーーい! 上手くやってる~?」
教室の奥から声を掛けられて、思わず振り返る。
すると軽い口調とは裏腹に、眼鏡を掛けた真面目そうな男の子が机に座っていた。誰かと尋ねると、その男の子は笑いながら「紫苑」と答えた。
「何かヒント居る? それとも今は自分で頑張りたい?」
──ヒント?
「シロちゃーん? 行かない?」
ポカンとしていると、廊下から黄太くんの声が聞こえてくる。
「呼ばれてる? まぁ今回はいっか! 次回って事で。んじゃ、まったねーーーー☆」
そこで黄太くんが、ひょこっと顔を出した。
「どうしたの?」
黄太くんを見た後、もう一度先程の場所に視線を送ると、誰も居ない。
何でもないと伝えて、私も急いで教室を出た。
「ちょっと待って! 職員室、何かうねうねしたヤツ居る!」
「キモい!!」
電気の消えている職員室に入った途端、触手なようなものに足を掴まれる。
私達は全員、すぐさま廊下へ戻った。
「変なの居るけど、鍵ならここに全部集まってるだろ。俺が走って取ってくる」
皆が揃って取り乱す中で、黒田先輩だけは落ち着いており、再び職員室へ入ろうとする。
その黒田先輩のカーディガンを、蒼くんが急いで引っ張った。
「危ない事しないでくださいって!」
「でもなぁ」
「明らかにヤバそうだろ! 突っ込んでいくのは止めとけって!」
黄太くんはくるりと向きを変えて、廊下の窓ガラスを見つめた。
「職員室がダメなら、もう窓割って、外に出よう」
「外……そういえば、真っ暗じゃない? ここまで何も見えないなんて、おかしいでしょ。アンタこそ、ちょっと待ちなさいよ」
「学内だって、変な奴がうろちょろしてるだろ。ここよりは絶対マシだって。俺、部活で使うからバットあるし」
持ってきたバットで、ガシャンと黄太くんが窓ガラスを一思いに叩き割る。
「バレたら怒られそうね……」
「開かないんだから、仕方無いだろ! あ、外行くのが心配なら、お前等はさっきの教室で待ってろ。俺、人呼んでくるから」
割れた破片に気を付けて、黄太くんが窓枠に足を掛ける。
トンッと──飛び越えた後、そのまま地面へと吸い込まれていき、すぐに見えなくなった。
「……え?」
まるで底なし沼に落ちたかのように、覗き込んでも、黄太くんの姿は確認出来なかった。
「はっ……!?」
紅さんが何度も黄太くんの名前を呼ぶが、返事は無い。
すると、黒田先輩がふらりと前に出て、黄太くんと同じように窓枠に足を掛けた。
「黒田さん!?」
「……アイツ1人じゃ、寂しいだろ」
──トンッ。
蒼くんが咄嗟に掴むも、カーディガンだけ残して、黒田先輩も暗闇へと落ちていく。
「黒田さんっ……!」
「ダメ!!」
追い掛けようとした蒼くんを、紅さんは必死で止めていた。
言葉を一切発しなくなった蒼くんを見つめていると、紅さんが小さく呟く。
「どうなってんの……アイツ等……」
紅さんは立ち上がり、教室の隅で丸くなっている蒼くんのシャツを引っ張った。
「黒田の事……分かるけど……とにかく、今は私達だけでも動かないと。シロもそろそろ行ける?」
私は頷いて、紅さんの後に続く。
再び廊下を歩き出しても、蒼くんはずっと無言のまま。私は蒼くんをちらちらと何度も盗み見た。
「今の所、ここしか入れないか……」
あちこち歩き回った後、図書館に行き着く。
少し歩いただけだけど、紅さんは疲れた様子で座り込む。蒼くんは相変わらず黙ったままだった。
「…………黒田さん……」
「っ……アンタ、それ以外にも何か言いなさいよ……黒田、黒田って……」
紅さんの口調が強くなっているのを感じて、私は焦って彼女に近付く。
落ち着いてと繰り返し伝えるが、その間も蒼くんは俯いていた。
「蒼が黒田と仲良かったのは知ってるけど……しっかりしなさいよ。今は私達しか居ないんだから」
蒼くんは顔を上げると、そこからゆっくりと立ち上がる。何処へ行くのか目で追うと、カウンターの方へと向かっていた。
「ここから、どうやって出るのか──」
蒼くんは持ってきたハサミを、どすりと紅さんの目に突き立てる。
「あ゙っ……!」
「うるせぇ」
ぐちょりと引き抜いたハサミを、蒼くんは再び振り下ろす。
何度も何度も繰り返し刺して、最初は顔だったけど、紅さんを押し倒すと腹にも突き刺す。
「偉そうに喋るな。ウザい」
ぐちょぐちょぐちょぐちょぐちょぐちょと嫌な音が響いて、そこへ紅さんの悲鳴も混ざった。
「黒田さんが居たから、俺は……」
やがて紅さんの手がピクピクとしか動かなくなると、蒼くんの鋭い目が私を捉えた。
「……テメェもどうせ、姉さんの方がスゲェって思ってるんだろ。どうせ俺は出来損ないだ」
逃げようとするが、後ろから押し付けられる。
見ない方が良いのに、つい振り返ってしまうと……近付いてくるハサミの赤い刃先が見えた。
「やっぱ結局ヒントいるじゃーん? 分かった? あの弟は、黒いのが居ないとダメ。赤い姉ちゃんへの嫉妬の塊だから」
紫苑くんはケラケラと楽しそうに笑ってから、意地悪そうにニヤリと口角を上げた。
「ちゃんと殺す順番、考えろよ」
誰も死なせない──私はそう答えた。
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