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 嗅いだ事のある異臭に目を覚ますと、周りを白い壁に囲まれていた。

 けれどその狭い部屋は、内側に鍵が付けられていて、自力でどうにか外へ出られる。

 扉を潜って、今まで居た場所を振り返ると、女子トイレのマークが見えた。


 暗い廊下を一人で歩くが、どの教室にも明かりは点いていない。

 不安になっていると、向かい側からバタバタとけたたましい足音が響いてきて、急に二つの人影が見えた。

「え!? 女子!?」

 知っている人だと分かって、ホッとする。

 けれど、すれ違いざまに首根っこを突然掴まれた。

「アンタ、何してるの! 危ないでしょ! 走るよ!」

 ぐえっとなりながら、赤い髪の女の子にそのまま引っ張られる。

 すると一緒に走っていた金髪の男の子の方が、申し訳なさそうに顔をしかめた。

「おい、もうちょっと優しく……って、うわ! でもごめん! 後で説明するから……!」

 その二人の後ろに、ぞろぞろと何人も付いてきているのが見える。けれどその人達には、顔が無かった。



「まだ残ってる人、居たわ」

 連れてこられた教室に入ると、もう二人、制服姿の人が居る。

「誰?」

「え? 知らないの? 絶対、お前と同じ一年だと思ったんだけど」

 話し掛けられた青い髪の男の子は、首を横に振った。


 教室に集まった私以外の四人は全員知り合いらしく、横に並んで話を続ける。その内容は、私は誰かというもの。

 けれど私はこの四人を知っている。学内ではある意味、有名人だったから。

「三年には見えなくない?」

 金髪の黄太くん。優しくて明るいから、いつも誰かが傍に居る。クラスのムードメーカー。

「けど、私達の学年には居ないでしょ」

 三人の中では唯一の女子だけど、可愛げが無いと言われている紅さん。けれどその反面、とても頼りになる。

「別に何年でも良いけど」

 青い髪の蒼くんは、紅さんの弟。この中で唯一の一年生。ヤンキーみたいな態度を取るけれど、根は凄く真面目。

「まぁ、蒼の言う通りかもな」

 残りの一人はヒゲを生やして、余り学生には見えない黒田先輩。少し長い黒髪を後ろで束ねている。

 そんな黒田先輩は気怠そうに床に座り、私の方をじいっと見つめてきた。

「……名前は?」


 私はしばらく黙った後、今の状況を伝えた。

「え!? 自分の名前が分からない!? 何でここに居たのかも!?」

「その制服なら、うちの生徒で間違いは無いと思うけど……」

「さっきの化け物のせい? 困ったね……」

 交互に話す黄太くんと紅さんを見つめていると、蒼くんが口を開いた。

「どうせ、やる事は変わんねぇだろ」

「そうだな……」

 蒼くんの隣で、黒田先輩は腕を組み直した。

「ソイツも連れて行こう」

「うん。一人は心配だから、俺もそれが良いと思う」

 続いて黄太くんが声を上げて、私の方へ向き直った。

「君もそうだと思うけど、俺達も何か学校から出られないんだよね……俺は部活で残ってただけなんだけど、帰ろうとしたら扉開かないし、先生も居ないし……おまけに、変な奴に追い掛けられるし」

 私が首を傾げると、紅さんが「さっき後ろに居たでしょ」と教えてくれた。変な奴とは、あの顔の無い化け物の事らしい。

「念のため、俺等と一緒に動かない?」

 私が頷いて返すと、黄太くんは扉の方へ早速向かった。

「よし! じゃあ宜しくね。取り敢えず、もっかい皆で職員室行ってみる? あそこの電話なら繋がるかな……」

「それよりアンタ、何て呼べば良いの?」

「あ……確かに。名前呼ぶ時、困るね」

「シロ」

 私を追い抜きざま、黒田先輩が呟いた言葉が、頭の中で“白”の漢字に変換される。

「え? 見た目的には、ミドリじゃない……?」

 黄太くんは顔をしかめていたが、私が首を縦に振る。すると黄太くんは、もっと変な顔をした。

「本人が良いなら、何でも良いだろ」

「そうね。じゃ、シロって事で」

「えぇ……」

 皆が続々と教室を出ていき、私もその後を慌てて追う。



「やほーーい! 上手くやってる~?」



 教室の奥から声を掛けられて、思わず振り返る。

 すると軽い口調とは裏腹に、眼鏡を掛けた真面目そうな男の子が机に座っていた。誰かと尋ねると、その男の子は笑いながら「紫苑」と答えた。

「何かヒント居る? それとも今は自分で頑張りたい?」

 

──ヒント?


「シロちゃーん? 行かない?」

 ポカンとしていると、廊下から黄太くんの声が聞こえてくる。


「呼ばれてる? まぁ今回はいっか! 次回って事で。んじゃ、まったねーーーー☆」


 そこで黄太くんが、ひょこっと顔を出した。

「どうしたの?」

 黄太くんを見た後、もう一度先程の場所に視線を送ると、誰も居ない。

 何でもないと伝えて、私も急いで教室を出た。





「ちょっと待って! 職員室、何かうねうねしたヤツ居る!」

「キモい!!」

 電気の消えている職員室に入った途端、触手なようなものに足を掴まれる。

 私達は全員、すぐさま廊下へ戻った。

「変なの居るけど、鍵ならここに全部集まってるだろ。俺が走って取ってくる」

 皆が揃って取り乱す中で、黒田先輩だけは落ち着いており、再び職員室へ入ろうとする。

 その黒田先輩のカーディガンを、蒼くんが急いで引っ張った。

「危ない事しないでくださいって!」

「でもなぁ」

「明らかにヤバそうだろ! 突っ込んでいくのは止めとけって!」

 黄太くんはくるりと向きを変えて、廊下の窓ガラスを見つめた。

「職員室がダメなら、もう窓割って、外に出よう」

「外……そういえば、真っ暗じゃない? ここまで何も見えないなんて、おかしいでしょ。アンタこそ、ちょっと待ちなさいよ」

「学内だって、変な奴がうろちょろしてるだろ。ここよりは絶対マシだって。俺、部活で使うからバットあるし」


 持ってきたバットで、ガシャンと黄太くんが窓ガラスを一思いに叩き割る。

「バレたら怒られそうね……」

「開かないんだから、仕方無いだろ! あ、外行くのが心配なら、お前等はさっきの教室で待ってろ。俺、人呼んでくるから」

 割れた破片に気を付けて、黄太くんが窓枠に足を掛ける。

 トンッと──飛び越えた後、そのまま地面へと吸い込まれていき、すぐに見えなくなった。

「……え?」

 まるで底なし沼に落ちたかのように、覗き込んでも、黄太くんの姿は確認出来なかった。

「はっ……!?」

 紅さんが何度も黄太くんの名前を呼ぶが、返事は無い。

 すると、黒田先輩がふらりと前に出て、黄太くんと同じように窓枠に足を掛けた。

「黒田さん!?」

「……アイツ1人じゃ、寂しいだろ」

 ──トンッ。

 蒼くんが咄嗟に掴むも、カーディガンだけ残して、黒田先輩も暗闇へと落ちていく。

「黒田さんっ……!」

「ダメ!!」

 追い掛けようとした蒼くんを、紅さんは必死で止めていた。



 言葉を一切発しなくなった蒼くんを見つめていると、紅さんが小さく呟く。

「どうなってんの……アイツ等……」

 紅さんは立ち上がり、教室の隅で丸くなっている蒼くんのシャツを引っ張った。

「黒田の事……分かるけど……とにかく、今は私達だけでも動かないと。シロもそろそろ行ける?」

 私は頷いて、紅さんの後に続く。

 再び廊下を歩き出しても、蒼くんはずっと無言のまま。私は蒼くんをちらちらと何度も盗み見た。


「今の所、ここしか入れないか……」

 あちこち歩き回った後、図書館に行き着く。

 少し歩いただけだけど、紅さんは疲れた様子で座り込む。蒼くんは相変わらず黙ったままだった。

「…………黒田さん……」

「っ……アンタ、それ以外にも何か言いなさいよ……黒田、黒田って……」

 紅さんの口調が強くなっているのを感じて、私は焦って彼女に近付く。

 落ち着いてと繰り返し伝えるが、その間も蒼くんは俯いていた。

「蒼が黒田と仲良かったのは知ってるけど……しっかりしなさいよ。今は私達しか居ないんだから」

 蒼くんは顔を上げると、そこからゆっくりと立ち上がる。何処へ行くのか目で追うと、カウンターの方へと向かっていた。

「ここから、どうやって出るのか──」

 蒼くんは持ってきたハサミを、どすりと紅さんの目に突き立てる。

「あ゙っ……!」

「うるせぇ」

 ぐちょりと引き抜いたハサミを、蒼くんは再び振り下ろす。

 何度も何度も繰り返し刺して、最初は顔だったけど、紅さんを押し倒すと腹にも突き刺す。

「偉そうに喋るな。ウザい」

 ぐちょぐちょぐちょぐちょぐちょぐちょと嫌な音が響いて、そこへ紅さんの悲鳴も混ざった。

「黒田さんが居たから、俺は……」

 やがて紅さんの手がピクピクとしか動かなくなると、蒼くんの鋭い目が私を捉えた。

「……テメェもどうせ、姉さんの方がスゲェって思ってるんだろ。どうせ俺は出来損ないだ」

 逃げようとするが、後ろから押し付けられる。

 見ない方が良いのに、つい振り返ってしまうと……近付いてくるハサミの赤い刃先が見えた。





「やっぱ結局ヒントいるじゃーん? 分かった? あの弟は、黒いのが居ないとダメ。赤い姉ちゃんへの嫉妬の塊だから」

 紫苑くんはケラケラと楽しそうに笑ってから、意地悪そうにニヤリと口角を上げた。

「ちゃんと殺す順番、考えろよ」


 誰も死なせない──私はそう答えた。

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