一途は正義かそれとも悪か
織園ケント
【1】残り香
寝起きで気づいた。今日は雨だ。低気圧特有の頭痛が、夢の中まで入り込んできて、その存在を主張した。大きな痛みが一瞬で過ぎ去ってくれるならまだ良い。いや、本当はそれも嫌なのだが、じわじわと嫌らしい痛みが永遠の如く続くこの感覚が、憎らしいほどに嫌いなのだ。錯覚か気のせいか、真か嘘か、頭痛のせいで体まで重い。ベッドから引きずり出すのがやっとだ。
体を無理矢理起こすために、モーニングルーティーンをこなす。と言っても、まだ始めたばかりでルーティーンと呼べるかは怪しい。昔から何事も長続きしたことはない。途中で飽きるか投げ出すか。悲しいまでに熱っぽい性格だった。今続けているのは朝に白湯を飲む事と、動画を見ながらの軽いストレッチ。なんとか1週間ほどは続いているが、いつまで保つことやら。とりあえず湯を沸かす。
重い体を無理矢理ねじって伸ばして引っ張って、なんとか体裁を保つ。1人で住むには広すぎるこの部屋で、大きなカーペットの上で、向き合う相手はスマホの画面。修行僧にでもなった気分だ、自分と向き合いすぎて悟りが開けてしまいそう。
かつては同居人がいた。ちょうど1年くらい前まで。互いに愛なんて語ってしまうような、そんな安っぽい関係の同居人がいた。否、愛を語っていたのは私だけだろうか。同居人には他にも女がいて、最終的には私を捨ててその女のところに行ったのだ。安っぽい口に安っぽい言葉を吐かれ、本気の言葉を返していた自分が惨めでならないし、それを思うだけで自分の馬鹿さ加減に失望し悲しくなる。あの時は若かったのだと、自分を納得させておく。
まぁでも、そんなことはどうでも良い。もっと許せないのは、自分がまだこの部屋にいることだ。2人で借りたこの大きな部屋に、高い家賃を払い続けて約1年。食器棚には茶碗やコップやお皿が2つずつ、何度寝返りを打っても問題のないダブルベッドに、旅行先で買ってきた置物まであの頃のまま。愚かだ。愚かとしか言い様がない。私達が終わった1年前のあの日に、私はまだ囚われている。不要品の烙印を押された女が、仮初めだった幸せに、醜いほどに縋っているのだ。お気に入りだったマグカップも、過去の遺産へと変貌してしまった。哀れで滑稽で救いようのない自分が、心底嫌いで許せなかった。
先日、元同居人から一通の手紙が届いた。結婚式のご招待。鼻で笑ってしまった。世界中どこを探しても、私以上に招待してはいけない人間はいないだろう。そんな事もわからないのかと、心の底から見下したが、そんな奴だったと思ってしまうと、ある種納得してしまった。もしくはあれだろうか。私への当てつけだろうか。自分は今幸せですアピールだろうか。もしそうなら救いようのない、人間以下のゴミだ。そして未だゴミに縋る私もゴミだ。もしくはゴミ溜めに群がるどぶ鼠か何かだ。
「はぁ…。」
1つ溜め息をつく。くだらない事を考えている間に、ルーティーンのストレッチ動画はとっくに終わっている。湧かしたお湯も電気ケトルの中で冷めてしまった。そういえばこの電気ケトルも2人で選んで買った物だ。同居人は黒が好きだった。今でも服などを買うときは黒を選んでしまう。芸が無い。
10年だ。同居人と過ごした10年は、私にとって重すぎた。いい加減切り替えなければならないと、頭ではわかっていても、代わりなんてそうそう見つかるものではない。それを実感するたびに、どうしようもない喪失感に襲われるのだ。以下、無限ループ。しょうもない。
今日が休日で良かった。外の雨は激しさを増している模様。夢の中から続く頭痛も、もはや低気圧のせいなのかすらわからなくなった。このじわじわと、私を蝕み続ける苦しみは、一体いつまで続くのだろう。光の見えない道を、手探りで進むのは、もう疲れてしまった。疲れてしまったのだ。
「はぁ…。」
もう1つ溜め息をついた。休日だけど、外は雨だから出かけることもできない。モーニングルーティーンを終えて、少しだけ軽くなった体に、膨らみ続ける頭痛と、やり場の無い喪失感を携えて、もう一度ダブルベッドに潜り込んだ。ほんのりと温もりの残ったシーツから微かに同居人の匂いがした気がして、安心してしまった。安心してしまったのだ。
一途は正義かそれとも悪か 織園ケント @kento_orizono
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