第8話

次の大会までは走ることに集中したかった。だから、その間あの美術室の窓を見ることはなかった。


 「表彰。地区大会一位、赤木俊」

 「はい!」


 自分のクラスの場所に帰るところで、僕は彼女だけを見ていた。彼女は気まずそうな顔をして、下を向いていた。

 おーけーされるなんて夢みてない。只、ずっと言いたかった言葉を言うだけ。それだけだ。


 水曜日はたしか、部活がない。だから、彼女だけがあの場所に居る。

 放課後、あの美術室の窓じゃなくて、ちゃんと美術室の中に入って言うのだ。彼女が好きだと。


 放課後、あの美術室に向かう。先輩は「珍しいね。美術室に居るなんて」と少し嬉しそうに言う。先輩の僕への接し方が少し優しく感じたのは気の所為だろうか。いつもはもっとあたりが強い気がする。


 「先輩。今日は優しいんですね」

 「は?」


 いつもの先輩で安心した。


 「やっぱり、先輩は先輩なんですね。弱くてでも強がりで、我慢強くて、でもどこかで寂しがっている。僕にとって先輩は守ってあげないといけない存在です」

 「そんなに弱そうに見える?」

 「体力とかそういうのじゃなくて。精神ですよ。先輩は誰にも迷惑をかけたくないからって誰も見ないところで泣く人でしょ」


 先輩は少し怒ったみたいで「俊は私の何を知ってるのよ」と言う。

 本当は中学のあの頃、慰めたかった。だけど先輩は人に泣いている姿を見せたくないからホコリが目に入ったとかそういうわかりやすい嘘をつく。それに、知らない後輩が声をかけたら先輩はきっと身構えると思うし、なんて、僕がこうやって考えている間、先輩はずっと泣いている。それを止められなかったのは僕に勇気がなかったからだ。


 「僕は先輩がずっと好きでした」

 

 先輩は嬉しそうな顔をしたが、すぐにそれは悲しい顔に変わってしまった。


 「私も好き……だけど。他にも好きな人が居るから……こんな半端な気持ちで俊と付き合うとか……できない」

 「誰ですか?それは」


 僕はとても冷静だった。好きとか言ってもらえると思わなかった。だけどその次の瞬間どん底に落とされたような気分に陥りそうになったが、先輩に振り回されるのはいつものことだ。こんなことで凹んでいては先輩の彼氏になんてなれっこない。


 「中学の時、私虐められてたって言ったでしょ。その時に私のいじめをね、終わらせてくれた人が居て。私、その人のことも好きなの……だから、俊とは付き合えない」


 泣きそうになった。あの時から僕と同じ気持ちだったんだと。


 「先輩って顔も知らない相手に一度助けられたぐらいで惚れちゃうんですね」

 「いいでしょ!別に」

 「先輩、それが僕だったら付き合ってくれましたか?」

 「あーうん。まあ」


 先輩は先輩を助けた人が僕だとは一ミリも思っていなさそうな声を出す。


 「先輩、僕の中学ってどこだと思います?」

 「えーと。南の方の中学は全然知らないや」

 「先輩と同じ北ですよ。沼岡中学校ですよ」

 「え……」

 

 そして僕はあの時の言葉をもう一度言う。


 「あの人だけには手を出すな……似てますか?」

 「な……な!?」


 先輩は走り出していた。僕もその後を走る。運動をした時のいい汗が僕たちを包む。美術部の先輩に追いつくのは簡単だったが、僕は少し手を抜いて走っていた。先輩と長く、長く一緒に居たかった。






 「はや……いのよ」


 ぜーぜーと息をする先輩の横で僕は軽く息を吐いたりしている。


 「ばか!ばかばか!。なんなんだよ。本当に。今まで俊にひどいこと言ったし、なんであんたはあの時、私を助けたって言わないのよ!そしたら……そしたらあんな態度取らなかったのに……」


 先輩はぽかぽかと弱く僕の胸を叩く。その手は次第に遅くなっていく。そして、声はどんどん小さくなっていく。最後の言葉を言う頃には先輩の手が僕に当たってもいなかったと思う。


 「そう言うの関係なしに先輩と恋人になりたかったんですよ。それに、そんな嫌な記憶、先輩思い出したくないでしょ」

 「私は……私はあなたのことずっと探してた。ずっとずっと……この二年間ずっと!」

 「僕もです、先輩。今度はあの言葉、先輩から言ってくれませんか?僕らが両思いだってこと、先輩の口からも聞きたいんです」

 

先輩は顔を真っ赤にして「あ……ああ。えーと」と恥ずかしそうに零すのだ。愛おしくてつい意地悪してしまう。


 「私も……俊のこと好き」


 吐息がかかるほどの近さで先輩は僕の耳元でそう言う。


 「先輩は恥ずかしがり屋さんですねえ」

 

 先輩は恥ずかしがって下を向いて耳を真っ赤にする。

 

 「せんぱい」

 「せんぱーい」

 「おーい。せんぱーい」


 声をかけても返事もせず、ぴくぴく体を震えさせる先輩の耳に僕はひゅっと息をかける。


 「ひゃっ」

 「やっとこっち見た」


 先輩は耳を押さえて、恥ずかしそうに僕の目を見る。


 「鈴さん、僕と付き合ってもらえませんか?」

 「……はい」

 

 

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素直になれなくてごめん。 森前りお @Sirozakura

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