エピローグ

 それから月日は流れた。

 僕は音大受験に向けて、毎日猛烈に勉強した。

 家族全員が協力してくれた。

 亮とは、将棋をさす暇もなくなった。

 実技試験に備えて、毎週土曜日のステージには上がり続けた。

 お客さんの中には、僕の受験を知っている人もいて、僕に励ましの声をかけてくれたりする人もいた。

 僕は、やりぬいた。

 この間、桜子とは、音信不通だった。

 僕は寝る前に、必ず、桜子のことを思い出した。

 桜子は、今頃、絵と向かい合っているはずだ。

 最後の別れの時、桜子は僕にこう言った。

「私も、『星を見上げる少年』を完成させるから。それで、私も自力で、生還する」

 それは、桜子が取り掛かっている絵の題名らしかった。

「生還する」と言った桜子の言葉の重さが、僕の胸に刺さった。

 どうしてやることもできない。

 人には自分自身の力だけで乗り越えなければならないことだってあるのだ。たぶん人生にはたくさん。

 きっと僕の受験がそれで、桜子の絵がそれだ。

 そして僕は、やり抜き、見事、K音大に合格した。

 

春がやってきた。

桜子がリバーサイドブルーにやってきた。

桜子は、大きな包みを背中に背負っていた。

そして、包みを開けた。

その中には「星を見上げる少年」が入っていた。

僕は、あっと小さく叫んだ。

星空を見上げる二人の少年が描かれていた。

背の高い片方は翔太で、もう片方は、明らかに僕だろう。

二人はバックシルエットで、肩を組んで、星空を見上げている。

静謐な中に、躍動感を滲ませる美しい絵だ。

「マスター、こんな事お願いしたら失礼かもしれないけど、この絵をリバーサイドブルーに飾ってほしいんです」

 雄一はそう言われて、「すごくいい絵だね。気に入った。いいよ」と快諾した。

 僕と桜子はしばらく、絵を見つめてから、外に出た。

 土手沿いの桜並木を二人で歩く。

 桜は、満開だった。

 ところどころに、花見をする人たちがいて、騒いでいた。

「おめでとう、健」

 と桜子は言った。

 僕は「ありがとう」と言って、鼻頭をこすった。

「きっと、大学生活は楽しいわよ。何せ、一番好きなことを学べるんだから」

「桜子画伯が言うんだから、本当だね」

「あ、なによ、画伯って。茶化さないでよ」

「いや、本当だよ。君の絵、最高に素敵だったよ」

「そう言ってくれると、うれしいわ」

「本当、桜子の魅力が、絵からあふれてた」

「ちょっと、健。あんた、お世辞がうまくなったわね」

「そんなことないよ」

 桜子が、僕の肩を手のひらでポンッと押した。

 桜子はアハハハっと大きな声で笑った。

 僕らは、ひときわ大きな桜の木の下で、立ち止まった。

 桜の花びらが、風に舞い、桜子と僕を包むように吹き乱れる。

「答えを聞かせて」

 と僕は言う。

 桜子は真っすぐに僕を見つめてくる。

 僕も、じっと見つめ返す。

 桜子がすっと右手を出した。

 僕はその手を躊躇わず、握りしめる。

「よろしくお願いします。健」

 と桜子は言って、また笑った。

「こちらこそ」

 僕は、そう返し、照れてしまって、視線を高い青空の方へ向けた。


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僕らはよく似たラブソングをうたう 鏑木レイジ @rage80

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