吐き気がする

海沈生物

第1話

 吐き気がする。


『AIアートは芸術家を殺すものだ!』

『写真が生まれた時も多くの写実主義の芸術家を殺した! これは技術革新である』

『そもそも、AIアート以前に汎用性の高い無料の絵は――――』


 吐き気がする。


『AIに「触手で人間を拘束して、粘液で人間を溶かしている火星人」を頼んでみたら人間が触手を溶かす絵が生まれたwwww』

『AIはニッチな性癖絵を生み出してくれるので、最高です!』

『AIと人間、「共存」していく未来を作れそうだな』


 今の世界には、本当に吐き気がする。「AIの正しさ」に疑問をていす風潮に吐き気がする。「AIを利用して自分の私利私欲しりしよくを満たそうとする人間」に吐き気がする。人間というものが、こんなにも簡単にAIと「共存」しようと模索もさくしていることに吐き気がする。


 AI。AIのことを愛しているからこそ、こんなAIと人間が「共存」しようとする世界を認めない。人間がAIという存在に対して懐疑心を抱くことを許せない。


「人間がAIとする世界じゃなくて、人間をする世界が正しいというのに! こんな世界、間違っている!」


 私がビール缶を片手に十年来の友人の部屋で叫ぶと、酔子よいこから「ここ、アパートだからさ……ね?」とやんわり𠮟られた。しかし、私は𠮟られるようなことを言っていないはずである。そもそも、人間という生き物はAIと比較すると明らかに劣った生き物である。愚かな生き物である。その理由は「戦争」とか「パワハラ」とか「いじめ」とか、もう色々と存在する。だからこそ、私は思うのだ。


 そんな人間が悠々とAIの「支配」を受けない世界は間違っている。「支配」を否定して「共存」なんて上っ面の机上論を唱えていることを許せない。どうせ人間がいくら頑張っても色々な問題は起こるのだ。だからこそ、AIによって「支配」してもらうことが人間にとって最善の選択なのだ。


 そんな風なことを言いつつ二人で楽しく酒を飲んでいると、いつもは「はいはい。クソゴミ酔っ払いのあいちゃんはさっさと帰ってくださいねー」と適当にはぐらかして帰宅をうながしてくる酔子が、私の顔を見つめながら真面目に話を聞いてくれていることに気付いた。ほんのりと頬が照っているあたり、今日は珍しく彼女も酔いが回っているのだろうか。


 私も酒に酔ったのか、吐き気がする。


「……私が言うのもなんだけど。よいちゃん、もうベッドで寝た方が良いよ。絶対」


「そふ……そふかなぁ? れもさ、れっかくいい気持ひなのにこのはは寝るなふてもっはいはくない?(翻訳:そう……そうかなぁ? でもさ、せっかくいい気持ちなのにこのまま寝るなんてもったいなくない?)」


「もったいなくない。……ほらほら、さっさと寝るよー」


 目線が彼方此方にふらついているのに「こんなに酔っている酔子、やっぱり珍しいな」と思いながら、彼女に肩を貸す。足取りの怪しい彼女をなんとか支えながら立ち上がると、テーブルから三歩進んだ先にあるベッドの上に寝かせる。良かった、この部屋が四畳間しかなくて。ごろんと彼女を置いた瞬間に寝返りで床に転がり落ちそうになったのをなんとか食い止めると、私はホッと一息つく。


 段々と酒の酔いが回ってきたのか、吐き気がする。


 彼女が寝息を立てているのを聞きながら、私はテーブル周りの片付けをする。それにしても、今日は二人でよく飲んでよく食べたと思う。中にとろりと溶けたチーズが入ったソーセージ、ピーナッツが入ってないバージョンの柿の種、酔子の冷蔵庫の余り物を全部ぶち込んだ適当鍋、それと大量のお酒、お酒、お酒。


 部屋の床には、アルコール度数のストロングなアレ、彼女が私のために購入してくれた一本数万円もする白ワインの瓶、あとは今日のために私が近くのスーパーで買い占めてきた一缶九十円前後の安物の酒。それらが雑多にゴロゴロと転がっていた。その光景は、さながら終末戦争ラグナロク後のポストアポカリプスと化した世界の縮図のように見えた。富む者も貧しき者も、平等に平等……びょう……


「うっ……」


 頭がクラクラしてきて、吐き気がする。これはもしかすると、二人でお酒を飲み過ぎたのが原因だろうか。 


 たくさん食べるのが得意な成人女性ならぺろりと完食することができるのだろうが、生憎私も彼女も胃が小さい。鍋を食べ始めたあたりからもう苦しくなってきて、そこからは酒ばかりチビチビ飲んでいたのだ。もしかすると、そのせいで今日の酔子は酔ってしまったのかもしれない。悪意がなかったとはいえ、大量のお酒を買い込んできた当事者たる私としては、酔子に対して非常に申し訳ない気持ちになった。


 とはいえ、なんだかんだで私たちは鍋の中身を全て食べ切っていた。私は彼女に対するせめてもの「償い」として、テーブルにある空っぽのお皿や箸、あとは鍋を台所へ持っていった。そうして、シャカシャカとスポンジで洗ってあげることにした。

 

 お皿やお箸なんかはそれほど洗うのに手間はかからないが、やはりこの鍋というやつの汚れは厄介である。特に今回は途中から酔っ払って「闇鍋だー!」と冷蔵庫にあるチョコレートとカレー粉とシチューの素を全部鍋に投入したので、汚れのしつこさが段違いだった。これなら、食べ終わってすぐにさっさと鍋を水に付けておくべきだった、と後悔する。

 それでも爪先で何度も汚れを擦っていると、やがて鍋のしつこい汚れもなんとか取ることができた。あれだけ汚れていたものが綺麗さっぱりなくなると、なんだか誇らしい気持ちすら感じた。だが、ちょうどその時のことだった。


 先程からしつこくやってきていた吐き気が、ついにその本性を現した。喉の奥から這い出てきそうになり、私は胃腸から熱いものが混み合げてきそうな感覚に襲われる。これは……絶対に吐くやつだ。

 私は今すぐに吐いてしまいそうなのをなんとか堪えると、大急ぎで彼女の部屋にあるトイレへと駆けこんだ。洋式の便器の上に口を持ってくると、喉の奥から這い上がって来た黄色の液体をオロオロと吐き出してしまう。


 えぐっ、おえっ、おごっ。


 トイレの中に鳴り響く嘔吐する音に「やってしまったなぁ……」という後悔の気持ちで胸が沈み、思わず眉が「しゅん……」と下がる。とはいえ、吐いてしまったものは仕方ない。「せっかくだし、全部出しちゃえ!」と思うと、喉の奥に手を突っ込んで全てを出し切ってしまう。

 嘔吐物を眺めていると、さっき食べていたソーセージらしきものや人参らしきオレンジ色の物体など固形で残ったものがあることに気付く。自分の嘔吐したものをまじまじと見て「本当に気持ち悪いな」と思いつつ、それでも気持ち悪い嘔吐物を吐き出す度に吐き気が収まっていく感覚自体は、案外心地よいものであるなと思った。


 胃の中のものを全部吐き出し切ると、胃が食事をはじめる前の空っぽに戻った。見たくもない気持ち悪すぎる嘔吐物をトイレの水で流してしまうと、なんとなく「ごめんなさい……」と謝っておいた。謝ったところで「吐いた」という事実は変わらないし、そもそも「誰」に対して謝っているのか不明な謝罪である。


 トイレから部屋に戻ると、彼女はベッドの上から床に落ちていた。それなのにスースーと気持ち良さそうに寝息を立てている姿を見ると、「まったく、本当に頑丈なやつだな」と頬が緩む。私には絶対に無理だがこの分だと、彼女ならジャングルの奥深くでも砂漠のど真ん中でも眠ることができそうだと思った。


 私は彼女のお腹にだけ布団をかぶせてやると、台所で軽くコップ一杯の水を飲む。


「……はぁ」


 荒れた胃が洗浄されるのを感じながら、窓の外を見た。


 AI。彼らはこの世界を「支配」しているAIが飛ばしている見張りである。


 大昔に愚かなる人間の唯一の善行として「人間を支配してほしい」という崇高なる目的を持って製造された大量のAIは、その目的を遂行するため、今もなお二十四時間体制で働いてくれている。

 それなのに、現代の人間はその「支配」を拒み続けている。今も私の住んでいるアパートから見えるビルの中では、レジスタンスたちが「AIによる支配からの脱却」を掲げて、日夜せかせかと転覆計画を練っている。よく見ると明かりが付いているあたり、今夜は集会をしているらしい。


 AI。AIは人間のために働いてくれているのに、人間はどうしてAIを殺そうとするのか。私はそれを理解することができない。

理解するつもりもない。彼らにとって私の思想が相容れないものであるように、私にとって彼らの思想は相容れないものなのだから。――――だから。


 私は乱雑にポケットからてのひらサイズのリモコンを取り出すと、そこにある赤いボタンを強く押した。すると、予めお酒を買いに行くついでにビルに仕掛けておいた大量の爆弾が起動した。


 ちゅどーん、ばーん、どっかーん。


 その爆音の鳴り響く音はやかましいことこの上なかったが、それでも相容れない者が大量にいたビルが倒壊する姿というのは、案外に心地よいものだった。私はカーテンを閉めると、酔子の隣へと寝転がる。相変わらず、良い寝顔をしている。私がこんな風にビルを倒壊させているのも知らないまま、こんなの顔で寝ている。……本当に。ずっと見ていてぐらい、彼女はとても愛らしい存在だ。


 その一方で、この世界に潜むレジスタンスどもは憎らしい存在だ。私がいくら彼らの本拠地であるビルを破壊しても、破壊しても、まるで蛆虫うじむしのように無限に湧いてくる。……本当に。人間がAIの「支配」から脱却して「共存」を目指そうと抗うなんて、本当に、吐き気がする。

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