第四審

1

 まず第一関門として、そもそも敵の居場所がわからないのでないかと思っていたが、その点は想像以上にあっさりと攻略されていた。

 辻月の魔法のひとつ、≪可愛いは美味しいメランコリーメロン≫。

 いわく、家畜を操る魔法らしい。

 基本的には視界に入っている生き物にしか使えないが、鉛筆と地図を用いて現在地を把握できれば遠隔でも操作できるのだとか。なんでわざわざそんなアナログな手段をと思わなくもないが、そこもやはり『できると思ったことができる』という魔法の性質によるものなのだろう。

 そうして、架々ノ賀ソラは現在、東ヶ樫市某所のビルの屋上にいることが判明した。

 伝説の魔法少女がなんでそんな場所にいるのかなんて、普通人の少年には想像もつかないけれど。

 しかしそんなわかりやすい場所にいて、どうして誰にも見つからなかったのだろうか。

 辻さんにそのことを訊くと、「私も見つけられた訳ではありませんよ。ただ近づくと文鳥が撃ち落される場所があっただけです」とのことだった。

「まあ厳密には人の意識に干渉する魔法が常時発動している結界のようなものに、私の魔法が弾かれたのでしょう」

 それだけならば文鳥は助かったのかもしれませんが、≪可愛いは美味しいメランコリーメロン≫で限界を超えて動いてもらってましたからね——と心底惜しむようにそう言っていた。

 …前々から思ってはいたが、辻さんも辻さんでずいぶん歪んだ認知を持っているようだ。

 『洗脳教育とは別口のモルモット』と言っていたからには、恐らく天然なのだろうけれど。

 いや、そもそも人間性の問題を社会か本人かのどちらかの責任としてしまうのはあまりよくないか。

 斯々ちゃんを例にとるまでもなく、彼女達は彼女達で、単に犠牲者な訳ではないのだから。

 次の関門はその屋上に踏み入るための方法である。

 結界なるものの影響力に関しては読み飛ばしてしまったが、少なくともまっとうな手段では接近することも、観察することすら叶わないだろう。

 そしてこちらは辻さんのふたつめの魔法、≪ごみどものおもちゃダスト・ザ・ダスト≫で突破する手筈だった。

「えと、もーうちょっと前かな。斯々ちゃん行き過ぎ。あ~、瀟花ちゃん!動かないで!ちょっと、都合さんも女の子に引っ張られないでください!」

 そんなわけで、ぼくたちは決戦地からほど離れた、とあるビルの屋上にいた。

 目の前に定規をかざした辻さんとその隣に無言で佇む艦子ちゃんが、左から瀟花ちゃん、ぼく、斯々ちゃん順番で手をつないで並んでいる三人組を眺めているという画だ。

 もちろん遊んでいるわけではない。

 ≪ごみどものおもちゃダスト・ザ・ダスト≫は、いうなれば遠近法の魔法だ。である。

 例えば、手のひらサイズに見えるくらい離れた距離にいる人を手を握るジェスチャーで拘束したりといったことができるという代物だ。

 今回はその応用——トリック写真の要領で、辻さんの視界の中でぼくらがあと一歩で件のビルの屋上に移動できるかのような構図を作り出し、旅番組のような瞬間移動をさせようという寸法だった。定規は先の鉛筆と地図同様、魔法の杖のような補助用具である。

 とにかく、要となるのは艇橋瀟花の魔法だ。

 いかに未知数の魔法少女といえど、あらゆる動作を封じてしまえば、文字通り手も足も出ない。

 というか、未知の敵に刺激を与えず、あくまで単に封印することができるという点に瀟花ちゃんの役割があった。

 祈るときには誰しも手を合わせるように、魔法もただ思うだけでは十全に機能しないのだ。

 それに補助として思考を蝕む瓦井斯々と、保険として人間だったころのソラの知識を持つぼく。

 安全が確保され次第、ぼくら三人とソラをまとめて≪電話マイナスマグナム≫が撃ち抜く、というのが計画の内容だった。

 毒見に囮にと、捨て駒の役割を余すところなく負わされたことを知らないふたりは、今もぼくの両隣で、いかにも吞気な会話をしている。

 これはぼくの印象だが、彼女たちは因果というものへの意識がかなり極端に低いようだった。

 移動した先にいる少女を"制圧"すること——なぜそうするのか、そうするとどうなるのか、まったく顧慮していないように見えたのだ。

 とにかく目の前のことをやるだけ。

 前向きといえば聞こえはいいが、事情を知る身としては、ひたすら都合がいいだけに思えた。

 まあ、実際にこれからそこに付け込んで裏切ろうというのだから、文句などいえた立場ではないが。

「——はい。そこで大丈夫です」

「ここ、ですか」

 最終的に、屋上の淵ぎりぎりの、まさに死の一歩手前にぼくたちは立たされた。

「お兄ちゃん、手、はなさないでくださいね?」

「大丈夫だよこれれ、わたしも握ってるから!」

 さすがになにも思わないわけではないのか、ぼくを挟んで少し不安げな空気が流れる。

「では、合図で突入してください。計画通り頼みますよ。3、2、1——」

「や、やっぱ無理ですぅ!」

「お兄ちゃん!ちゃんと握ってて!ひっぱってね!」

「はいはい」

 こうしてぼくは、両隣に敵を引き連れ、ひとり死地へと赴いた。


2

 架々ノ賀ソラを前にして、ぼくらは一斉に面食らうこととなる。

 様々な可能性を想定し、覚悟は万全のつもりだったのだが、彼女の出で立ちはその想像の斜め上を行くものだった。

 外見にきわっだった特徴はない。ごく普通の女子中学生…まあ、少し身長が低い気がしたが、そのくらいだ。

 しかし、その普通の女子中学生は、一糸まとわぬ全裸姿だった。

「……」

 硬直しながら同時に、ぼくは少し納得していた。

 、そりゃあ服なんて着てるはずもないよな…。

 ぼくらが啞然としている間の、一瞬のタイムラグ。

 その間に、ソラは一歩、こちらに踏み出していた。

 とはいえそれも一瞬のこと、彼女は片足を出したその姿勢のままで静止することとなった。

 左右非対称のその姿は、さながらギリシアの彫刻のような荘厳ささえ湛えてる様に思えて、さらに一瞬、ぼくは心を奪われる。

 しかし、それがかえって良かったのだろう。

 一瞬、完全に我を忘れることで、次の一瞬には行動に移ることができた。

 ソラが視界から外れないように注意しながら、瀟花ちゃんの襟のリボンを掴む。

「——へ?」

 つまり一か八か、瀟花ちゃんごとソラをここから突き落とそうという訳だ。

 これでソラが死ねば万々歳、死ななくとも≪電話マイナスマグナム≫がぼくに向けられなければ良し、最悪それで世界が終わっても、元より死ぬ計画の身である。損はない。

 いざ瀟花ちゃんを投げ飛ばそうと力を込めると。

「ちゅ」

 斯々ちゃんにキスされた。

「え——」

 いや、それだけじゃない。

 

 ぼくは膝から崩れ落ちる。

 と。

 と。

 心臓が、あり得ない速度で脈打っていた。

「あ、あ……」

 おかしい。

 どう考えても、あの斯々ちゃんがこんな速度で反応できるはずが——。

「あらあら、斯々ちゃんのファーストキスがそんなに嬉しかったんですか?」

 おっと、ひょっとしてあなたにとっても初めてだったでしょうか…まだ中学生ですしね——と。

 斯々ちゃんは——いや、辻さんは言う。

 ぼくは耳鳴りに歪む脳で、それでも辛うじて真相に辿り着いた。

 家畜を操る魔法、≪可愛いは美味しいメランコリーメロン≫。

 犬の例えは、そういう意味か。

 ≪右手でしていることを左脳に知らせるなノットフォーユー

 ≪恋と写真銃ポイント・オブ・ビュー・ポイント

 ≪電話マイナスマグナム

 世界を救うための——チーム。

 それは単に、辻さんの魔法のストックに過ぎなかった。

 彼女たちは、辻さんに埋め込まれた極限まで削ぎ落された三つ脳と、まるで等価だったのだろう。

「まったく、大人しく作戦に従っていればと英雄になれたのに……」

 が、言う。

 本当に、馬鹿な人ですね——。

 

「ぇぇえああああああ——」

 意思とは無関係に、言葉にならない声が溢れ出す。

 こうしてぼくは、恥も後悔も知らないまま、世界を救うことも壊すこともなく、ただ単に死んだ。


3

  死んだ先は学校だった。

 それも知らない廃校なんかではなく、まさにぼくが今現在通っている、区立第一中学校である。

「おはよう。待期くん」

 カウンセリングルームの、その向かいの席には、この学校の制服を着たソラが座っていた。

「それともおやすみなさい、かな——死んじゃったんだし」

 くすくすと笑うソラはなんというか、やっぱり、普通の女の子にしか見えなかった。

「これは…走馬灯ってやつなのかな」

「きみの意識の中って意味じゃそんなに間違ってないよ。もっとシンプルに、夢って言った方が正確だろうけどね」

「夢…」

 ぼくの、夢か。

 気分は不思議なほど落ち着いていた。

 動揺するほどの意識が、既にないのかもしれない。

「…なら、最期にソラに会えてよかったよ。最期の最期まで理想通りなんて、まったく人生は素晴らしいね。一片の曇りもない青空のように晴れがましい——」

「あはは。思ってなさそ~!」

 ソラはまた笑った。

「でもまあ、文字通り夢を壊すようで悪いけど、私はソラじゃないよ。きみがそういうイメージを作り出してるだけ——ほら、きみはこうやって実際に彼女と話したことはないんでしょ?」

「そりゃあそうなんだろうけどね。夢だし。しかしそういうなら、きみは一体何者なのかな」

 夢を壊すといったところで、まだ夢が続いている以上、次の正体があるはずだ。

 どういう理屈なのかはわからないが、自信たっぷりにそう推測した。

「そうだね。その通りだよ。私は——いうなれば、魔法、かな」

「魔法」

 ソラの?

「違う違う。誰のとかじゃなくて、魔法そのもの」

「……」

 魔法そのものが、一体ぼくになんの用だ?

「うんうん、それを訊いてくれるのを待ってたよ。命は有限だからもったいぶらずにいうとね、待期くん。きみに私の全部をもらって欲しいんだ」

 私の全部で、生き返ってほしい。

「…それは」

 ソラの全部。

 じゃなくて、魔法の全部か。

「別にソラの全部でもあってるよ。彼女は魔法のすべてを握っていたんだから——そういう意味じゃ、私はやっぱり架々ノ賀ソラでもあるかな」

「…どうして」

 ぼくは訊ねた。

 命が有限だったところで、なおざりにはできないものもある。

「どうして、ぼくがそんなことをしなくちゃいけないんだ?」

「しなくちゃいけない訳じゃないよ。魔法は使えると思えなきゃ使えない——だから、私は命令することはもちろん、説得することもできないんだ」

 でもどうしてというなら、ここに至る因果みたいなものはあるかな——と、魔法は続ける。

「つまり、きみは≪伝説の魔法少女≫にとても深く関わっていた——全能の魔法を使える可能性のある人間なんだ。そりゃあちょうど死んでたからっていうのもあるけど、すでに限界を迎えていた私が次にきみの手に、きみの脳に渡るのは、必然でもあったんだよ」

 私はあそこで、きみを待ってたんだ。

「…はあ」

 ぼくは溜息と相槌の中間のような声を出した。

「で、どうする?」

「どうするって…聞くまでもないだろ。ぼくがそんなことをするはずがない。ぼくの夢なのに、あまりぼくという人間がわかってはいないようだね」

「そう。そしてきみにも、私がわかってない」

 彼女は言う。

「そんなことをするはずがない——そうだね。きみはきっとなにも欲しがらないし、なにも受け取らないだろう。だって本当は、世界だって救いたくなかったでしょ?」

「——それは」

「あはは!いいんだよ、ぶっちゃけちゃって。ここは世界じゃないんだから」

 世界を敵に回したくなかった。

 世界の敵になりたくなかった。

 だけどもし——世界と、渡り合えたなら。

「ぼくに、世界を壊せっていうのか?」

「だから言わないって。その辺は生き返ってから、きみが決めればいいよ」

 本当に、きみの自由なんだ。

「…いや、いやいや、なんでいつの間にかぼくが生き返る話になってるんだよ。ぼくは——」

 ぼくは——?

 くすくすと、心底おかしそうに、ソラは笑った。

——」

 かちゃり、と。

 なにかが嚙み合った気がした。

 生まれてはじめて、自分が生まれてきたことに気づいたような気分だった。

「……ソラ」

「ん、なにかな」

 彼女は相変わらず、微笑みを絶やさない。

 思いついて、一瞬悩んで、結局ぼくは、今朝家を出るときと全く同じ定型句を繰り返した。

「じゃあ、ちょっといってくるから」

 ぼくは精いっぱいの笑顔を浮かべて、そう言う。

 いってらっしゃい。


4

「——あああああははははははははは!」

 自分の笑い声では目を覚ました。

 どうやらあの夢を見ている間、一秒か二秒か、僕は笑い続けていたらしい。

 まったく、どれだけ嬉しかったんだ。

 僕は皮肉を抜きにして、そう思う。

 あれほど焦がれた架々ノ賀ソラとの出会い。

 記憶が霞んでいくのが、惜しくてならなかった。

「「な、なにをしたんですか、あなたは——」」

 斯々ちゃんと瀟花ちゃんが——いや、辻さんと辻さんか。とにかく、ふたりが同時に言う。

 動揺のためか、キャラを使い分けられていなかった。

 無理もないだろう。

 見上げる空は、まさしく世界の終わりの様相を呈していた。

 まるでドット落ちのように、その青をどんどんと黒一色に蝕まれつつあるのだ。

 僕がやったこととはいえ——我ながら圧倒されてしまう。

「「こんな愚行が…あり得ていいはずが……」」

「……ああ、≪八つ裂きの刑デビルフィッシュ≫が残ってましたか。じゃあ説明は不要ですかね」

 きっとあの夢の内容と僕のしたことは『架々ノ賀ソラに関する情報』として、すべて辻さんに筒抜けな事だろう。

 

 魔法が世界にいままで与えた影響、これから与える影響、そのすべてをにしたのだ。

 魔法使いは普通の人間に。

 魔法少女は普通の女の子に。

 これで——世界は救われた。

「「これは——これじゃあ」」

「そうですね。。完全に後天的な魔法使いである僕達はどちらの世界にも行けません」

 だからこれは世界の終わりではなく、僕達の終わりなんです——僕は言う。

「それともまさか、自分が報われないハッピーエンドは認められない、なんて言いませんよね?」

「「言いますよ」」

 辻さんに睨まれ、僕は完全に拘束される。

「「この世界を——魔法使いの歴史を、なかったことになんてさせない。あなたが世界を裏切らないのなら


 私が世界の敵になりましょう


私が、私を裏切ります。」」

「…そうですか」

 僕は彼女達と目を合わせる。

 「「」」、という音とともに、その肉体が弾け飛んだ。

 さて、次は艦子ちゃんか。

 魔術中学まじゅちゅーに限らず、全国の魔法中高生、家畜達が、僕を殺しに来ていることだろう。

「あはは」

 僕は笑いながら飛び降りる。

 屋上には、偶像のような少女だけが残された。


 

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悪法少女裁判 あいあ @AIA_001

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