小話でも掌編でもなく、詩であることの必然

世界に絶望しつつ、一方で人間の善性を信じずにはいられないのは、我々が持つ言葉の力ゆえなのでしょう。
書き手の体感は紡ぎ出す言葉を追い越して、まるで雷鳴に先駆ける稲光のように、読み手の身体を貫いていきます。