英雄になんて

雪村悠佳

英雄になんて

 英雄になんて、なれると思っていなかった。



「タホ通信さんですね」


 柔らかく綿の入った長椅子に座ると、向かいに記者さんと名乗る女性が座った。猛一人の記者さんは座らずに、何やら箱のようなものを備え付ける。最近発明された、鏡のように姿をそのまま絵に出来る機械らしい。


「顔が残るのなら、それらしい服装をした方がいいですか? 鎧を着けるとか、勲章を下げてみるとか」


 英雄の自然体の姿を撮りたいんです、と記者さんは答えた。そんなものなんだろうか。撮っても面白くないですよ、と言ってみたものの、それでいいんです、と答えが返ってくる。


『取材を受けていただき、ありがとうございます』

 記者さんが言った。


「――運が良かっただけです」


 苦笑しながら答える。ご謙遜を、という答えに対して、私はいえいえともう一度答える。


「本当に運が良かっただけです。……たまたま成功したから、生き残ったから、こうして今ここにいられるだけです」


 マドロ公国の救国の英雄、と人は私をそう呼ぶ。帝国軍に包囲されたこの城から脱出し、国土を横断し、公の兄が治めるフィンデン大公国へと密書をもたらし、帝国軍をともに撃破した……その立役者。


「ああ、今日は何も予定はないですし、なんでも色々と聞いてください」

 遠慮がちに訊く記者に、私はそう答えた。


「出身ですか? ここから北の方の小さな村です。ラインルオークって言うんですけど、ご存知ですか?」


 知ってます、と記者さんは言ったけど、多分それは英雄の生まれ故郷となって名前が知られるようになってからの姿だろう。



 私が小さい頃のラインルオークは、せいぜい20軒ほどの家があるだけの本当に小さな村だった。街道沿いというわけでもなく、店といえば農家と兼業の食料品店が1軒ある程度で、あとは麦畑と羊を飼う牧場が広がるばかり。


 私と年の近い子供はほとんどいなくて。


 だから、私たちは、ロー、ニー、とお互いを親しく呼び合って、いつも遊んでいた。ローラントとレオニーは将来結婚するんだろう、ローラントはきっと良い旦那さんになるんだろう、と近所の人はいつも言っていた。



「……典型的な田舎者だったと思いますよ、帝国どころか公国のこともほとんど知らず、ただ、小さな村だけが世界の全てで」


 広い世界を知らないことが劣っているとは今でも思っていない。知っていれば知っているだけの世界があったと思うけど、知らなくてもいいことも多かったと思うし、小さな村で慎ましやかに過ごす日々はそれはそれで素晴らしかったと思う。


「不思議ですよね、そもそも王都に旅立つ日が来るなんて思わなかったです」


 おとぎ話の世界だろう、たまたま村に立ち寄った達人に見初められて、王都でもっと能力を伸ばさないか、と誘われるなんて。


 そしてその数ヶ月後には、一緒に過ごしたいからと、大好きな仲良しもやって来て、二人で過ごすようになるなんて。


 最初は人の多さにびくびくしていた私が、やっと少しは町に慣れて、その日の夕食の材料を市場で買って帰ろうとしていた時に。


 見慣れた短い長さより少しだけ伸びた気のする金色の髪と、その下の見慣れた顔が、私と目が合って。不安そうな表情が悪戯っぽい表情になった時に。私はどんな顔をして、どんな驚いた声を上げたんだろう。

「正直、田舎から出てきて一人だし、友達ができない訳じゃなかったけどなかなか溶け込めずにいましたからね……本当に嬉しかったです」


 離れて初めて好きと気付くこともあるし、とそれは心の中で呟いた。


 多分こんな話をしたのは初めてだった。

 予想外の話だったのだろう。記者さんは目を少し見開いていた。


「そうですね。謙遜しても仕方がないと思いますけど、成績は良い方だったとは思います」


 進もうとしている道は違ってはいたものの、二人でいたからお互いに負けてられないと頑張れたんだと思う。毎日家を出ると、ローは騎士団の養成所の大きな石造りの門へ、ニーは魔法学校の背の高い木の扉へ。帰りは必ずしも同じ時間にはならなかったけど、時には入口から少し離れたところで待ち合わせることもあった。


 村のことはその時にはどう考えてたんだろう?


 それでもその時には、いつかは二人で村に帰ろうと思っていたんだと思う。少しは広がったけど、私の世界はまだ公国の広さぐらいしかなくて、そして多分、それ以上に世界が広がるとは思っていなかった。――国を越えて旅をするのは行商人か大使ぐらいのもので。


『仲が良かったんですね』

「なかよしですから」

 本当は二人の関係はどうだったのかって?

 そんなことは二人だけの秘密だ。言えないし言っても仕方がないでしょ?


「……忙しかったけど、充実して幸せな時間だったと思います。あの日までは」


 帝国軍の襲来ですか、と訊く記者に、私はうんと頷いた。


「あの日を境に、養成所も学校も休みになってしまって……どうすればいいんだろう、と思いながら、二人で食堂でずっと話していました」


 元気のいいおばちゃんがやってて、いつもちょっとだけおかずをおまけしてくれる、小さな食堂。硬い木の椅子とちょっとだけガタついたテーブルで、肉が少ないけどその分野菜の多いシチューを食べていた日々。


 村に帰ろうか、と呟くニーを、ローはいつも励ましていた。


 慣れないお酒を飲んで不安を叫ぶローを、ニーはいつもなだめていた。


「だけど、半月ぐらいした時、養成所と学校が同時に復活して、学生が全員呼ばれたんです」



『大公国への使者の募集、ですか』



 私は黙って頷いた。


「しかも、一人だけでなく、多くの志願者を、と」


 帝国軍を食い止めるためには今の騎士団や魔術士を動かすことはほとんど出来ない。だから公国は、養成所や学校にも声を掛けた。


 そして、多くの志願者を、という言葉が意味することは。


 ……質より量を、ということ。

 つまりは、ほとんど生き延びる望みはないということ。



「なんで私は手を上げたのか、と訊かれると今でも分からないです」


 その運命を承知していたから、志願をしなければいけない、という雰囲気はなかった。むしろ無理に志願しなくてもいい、と言われた。だけど結果的には、半分以上は手を上げていた。その中には私の姿もあった。


 養成所と学校から帰ってきたのはほとんど同時で。

 本当に私たちは似たもの同士で気が合うなと。

 笑い合ってから、抱き合って泣いた。


「英雄になれる、とか思ってはいなかったですよ。そんなことは考えもしなかった。……悲壮感ですらなかったです。使命感だと思います、それを信じていないと耐えられなかった」


 初めて入る城の大広間で、騎士団、魔術士、養成所や魔法学校、あるいは市井からの志願者――かなりの人数がいたと思う。優しくも悲しそうな顔をした公爵は、一人一人にしっかりと声を掛けて、それから証となる魔晶石を渡してくれた。


 正直、他の皆がいつ旅立ったのかは知らない。それすら明かすことなくこっそりと旅立っていった。私たちが旅立ったのはそれから3日後のことだった。


 最後の夜に、食堂のおばちゃんが出してくれたシチューは、柔らかい肉がたっぷりと入っていた。



「……そこから先は、記者さんの方が詳しいんじゃないですか」


 そう言って、暗にここからの話は語りたくない、という意志を示した。


「たくさんの人が死にました」


 正直言えば、ほとんど噂でしか知らない。

 結局軍の包囲を抜けられたグループは4つか5つだった、と聞いている。


「複数の密使がいることが分かってしまって、追跡も激しかったです」


 あるグループは最終的に帝国軍に見つかって処刑された。


 あるグループは街道を離れた森に向かう姿を目撃されたまま、消息を絶った。


 自分たちが何故生き延びられたのかは分からない。

 大公国と帝国を隔てる大きな川を、小さな小さなイカダで、夜中に渡った。


『英雄の生の声を聞きたいと思うんです』


 記者さんはそう言った。


 だけど私は、首を振った。


 この話をすれば語らないといけないから。


「まだ難しいです」


 私はもう一度首を振ったけど、記者さんは懇願するように言った。


『……レオニーさん、お願いします』


 私はもう一度首を振った。



 流される筏の中で、たった一つの浮き袋を、ローラントは私に押しつけた。

 その直後に筏は半分に分かれて。


 ローラントの姿を見たのは、それが最後だった。



 多分私は、ローと二人でいられれば、それが良かった。

 私の世界の中心には、いつもローがいた。


 英雄になんて、なりたくなかった。 

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英雄になんて 雪村悠佳 @yukimura_haruka

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