書籍化記念SS

本編完結後の想定です。

Web版・書籍版どちらかのみ読了でも問題なく読めるかと思います。



​───────​───────



 その日、エリーゼは朝から部屋の掃除に追われていた。

 新しく購入した古書が何冊も本棚に入り切らず床に積み上げられ、デスクには先日引っ張り出してあれこれひっくり返した辞書や資料たちが山を作り、換気をしようと窓を開ければ乱雑に走り書きをしたメモ類がばさばさと宙を舞い――――――。


「片付けましょう……!」


 散らばった紙を一枚一枚拾い上げたところで、エリーゼは大掃除を決意した。

 このところ依頼が忙しく、家事を疎かにしていたこともあって、部屋の中は凄まじい荒れ具合だ。

 店の中は来客もあるためいつも綺麗にしているものの、私室の方は誰にも見せられないぐらいだった。


「どうしてこう本棚というものは片付かないのかしら」


 髪をポニーテールにくくり、エプロンを身につけて気合十分という姿で掃除に取り掛かるものの、エリーゼの手の進みは遅かった。

 今日は午後からダリウスが来る予定だから、それまでにはなんとか終わらせなければいけない。

 ふぅと一息ついてから、再び資料を拾い上げる。


「あら、懐かしい! 最近はずっとしまい込んでいたけれど、やっぱり魔法方程式理論は面白い……って、そうではなくて!」


 一冊片付けるごとについ読み返してしまい、いけないとしまうものの、また他の本を手にしては同じことの繰り返しだ。

 この様子では日が暮れてしまう。


「かくなる上は魔法で、こう、どうにか――――」


 浮遊魔法で浮かせてしまえば、手に取って読み返してしまうこともない。

 素晴らしい名案ではないかと喜びつつ、エリーゼは魔法を発動させようとする。


「せーの……!」

 

「何やってるんだ?」

 

「わああっ!?」


 飛び上がって振り向けば、そこにいたのはダリウスだった。


「こっ、公爵様!? ど、どうしてここに!?」

 

「約束の時間だからなんだが……」

 

「えっ!? も、もうそんな時間になって……!?」


 慌てて時計を見れば、針はさっき見た時よりもうんと進んでしまっていた。

 

「明かりはついてるのに呼び鈴を鳴らしても出てこないし、鍵も空いていたからな。何かあったのかと思って入らせてもらった」

 

「そ、それは大変失礼しました!」


 掃除の途中で読書に夢中になってしまっていたなんて口が裂けても言えない。

 慌てて謝るものの、ダリウスは気を悪くするどころかにやりといたずらっ子のように笑ってエリーゼの様子を眺めている。

 

「なるほど、そういうことか。エリーゼにしては珍しいな」


 その視線が散らばった書籍類に向けられたところで、慌てて両腕を広げて隠そうとするも、もう手遅れだ。

 

「すぐお茶の用意をしますので一旦この部屋のことは忘れてもらっていいですか!?」

 

「掃除くらい俺も手伝うが」

 

「ダメです! ダメダメ! 絶対立ち入り禁止です!」


 グイグイと押し退けて追い出そうとするも、ダリウスの体は全く動じない。

 じゃれ合っているわけではなくエリーゼは必死なのだが、ダリウスは楽しそうに笑うばかり。


「真っ赤な顔して、お前は本当にかわいいな」

 

「もう! 公爵様!」


 じたばたと暴れすぎたせいか、髪を結んでいたリボンが解けてふわりとピンクの髪が広がってしまう。


「懐かしいな。昔はよくそんな格好をしてた」


 エリーゼよりも先にリボンを拾い上げたダリウスがそう言う。

 

 失態続きで、エリーゼにはダリウスを追い出すだけの気力まで失いそうだった。


「いつものロングヘアも愛らしいが、こっちも良く似合っている」

 

「掃除のために結んでいただけですから」

 

 確かに昔はよくこうして結んでいた。

 

 子どもらしく、ポニーテール以外にもツインテールや三つ編みと様々なヘアアレンジを楽しんでいた。

 

 でもそれは、エリーゼが自分でセットしていたのではなく。


「昔はよく俺が結んでやってただろ。懐かしいな」

 

「それは子どもだったからです。今は自分で出来ますから」


 ダリウスは意外にもエリーゼの髪を結ぶのが上手で、街に行く時なんかはうんと可愛く仕上げてくれていたのだ。

 

 今となっては公爵に髪を結ばせるなんてとんでもないお願いをしていたと、とても人には言えないような話だが、子どもの頃はダリウスに結んでもらうのがエリーゼは大好きだった。

 

 その優しい手つきや、気分まで明るくしてくれるようなヘアアレンジもだが、一番の理由は思い出すだけでも恥ずかしい。


(公爵様の手で撫でてもらうのが嬉しかったなんて、絶対言えない……!)


 顔を真っ赤にしてあからさまに視線を逸らすエリーゼに対し、ダリウスはあることを思い付く。

 

「せっかくだし、久しぶりに結ばせてくれないか?」

 

「えっ……!」


 まさか思考を読まれたのではと驚いている間に、ダリウスはそのままエリーゼを椅子に座らせる。

 

 デスクの書籍たちの上に置きっぱなしにしていた櫛を手に取り、エリーゼの髪を梳かし始めた。

 

 最初に結んだ時に置いたままにしていたのだ。一番に片付けるべきは本棚ではなく机の上だったと反省する。


「今日は隙だらけだな」

 

「言わないでください! 結び終わったらすぐお茶の用意をしますので」

 

「別に仕事の依頼で来たわけじゃないんだ。それに、今のエリーゼに必要なのはティータイムじゃなくて掃除の手伝いだろ」


 からかうように言われるも、その通りなので言い返せない。

 

「今もエリーゼの髪はサラサラでふわふわだな」


 優しい手つきで髪を撫でられる。

 背後から聞こえてくる声はいつもよりもうんと距離が近くて、エリーゼの鼓動を早めるには十分すぎるほどだった。


「お手入れは、ちゃんとしていますから……」


 子どもの頃は、ダリウスに触れられてこんな気持ちになったことはなかった。

 

 嬉しさとはまた違う感情が、エリーゼの心を乱す。


(落ち着くのよ……ただ結んで貰っているだけで、何もおかしなことなんて……)


 ダリウスの指先が耳の先を掠めて、びくりと肩が跳ねる。

 

 すぐに平静を装うものの、くすりと背後から笑い声が聞こえてきた。

 

 きっと耳まで赤くなっているのだろうと、誤魔化すのは早々に諦めて黙る。


 ダリウスは黙々とエリーゼの髪を結い、衣擦れの音と時計の針が動く音だけが響く。

 

 耐えきれなくなりそうなところで、ようやくダリウスはリボンを結び終えた。


「ほら、完成したぞ。やっぱりかわいいな、良く似合ってる」

 

「ありがとうございます」

 

 棚に飾っていた手鏡を取って、ダリウスが渡してくれる。

 

 長い髪は丁寧にまとめられ、青いリボンが形良くきっちりと結ばれていた。


 懐かしさを感じつつしばらく眺めていると、鏡越しにダリウスと目が合う。

 

 エリーゼを見るダリウスの表情はとても優しくて、大切なものを見つめるように暖かな眼差しをしていた。

 

 恥ずかしくなって目を逸らすと、ダリウスも気づいたようだ。


「次はハーフアップと三つ編み、どっちがいいか?」

 

「も、もう終わりですよ……!」


 わざわざ耳元で囁かれて、すっかりエリーゼはたじろいでしまう。

 

 終わりと言いつつも、ダリウスのペースに乗せられっぱなしで、今日はもう彼に勝てそうにないとエリーゼは諦める。

 

 長くなりそうな気配を感じつつ、たまにはこういうのも悪くはないかも、なんて思ったのはダリウスには内緒だった。

 

 

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帝国の魔法鑑定士【書籍版:冷酷公爵様は魔法鑑定士にだけひたすら甘い 兄弟子の妹弟子愛が強すぎます!】 雪嶺さとり @mikiponnu

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