第2話

 完全に陽が落ちてさ、それでもカーニバル会場は、昼間みたいに煌々と明るい訳。

 日本のお祭りってさ、明るいは明るいんだけどさ、その照明の灯りってさ、オレンジだったり、白色球でも単球を吊り下げてたりするからさ、ちょっとうら寂しい感じってするじゃない?

 でもさ、そこはアメリカ。

 ほんのフェンスを隔てた中の景色はさ、アメリカ! カーニバル! って感じ。笑っちゃうくらい。


 うん、絶対に約束だね。分かった。

 来年。きっとね。

 うん、頑張るよ。


 陽が落ちて暫くしてさ、琉璃が時計を気にし始めたんだ。

 僕が「どうしたの?」って訊いたら、「うん、ちょっと行くところがあるから、一緒に来て」って、しかも視線が、カーニバル会場の外の、ずっと向こう側に向いてるんだ。

 僕は「えっ」って思ったよ。

 行くところって、米軍基地の中で? 一体どこのに? 迷っちゃったりしないかな? それより、この会場の外って、出て良いものなのかな? ってね。

 僕も腕時計を確かめると、時計の針はちょうど7時を指していたよ。


 一体どこに行くのだろう、この先一体何が起こるのだろう、本当に大丈夫なのか、そんな不安を抱えながら付いて行く僕のことなんてまるで気にもしないみたいに、琉璃は会場の低い柵を越えて、ズンズン歩いていくんだ。

 僕はおっかなびっくりで緊張してる自分を琉璃に悟られたくないから、黙って後に続くしかなかったんんだけどね。

 それでもさ、でっかいぬいぐるみを抱えてるんだか、ぬいぐるみに抱えられてるんだか分からない琉璃の後ろ姿が可笑しくって、そのうち僕も笑っちゃったんだけどね。


 柵を越えてから歩くこと5分くらいかな、少し先に有る建物が目的地だって分かったのは。

 確か、何とかrecreation center って書いてある建物で、ボーリングのピンが屋根に在ったよ。

 いや、建物の名前は、ハッキリは覚えてない。多分、多分。

 それでね、その中は、ボーリング場とレストラン、それからゲームセンターが一緒になってる感じだったかな。

 あ、でもさ、ゲームセンターって言っても、置いてあるのは、ピンボールとか、スロットマシーンとか、ああ、あとエアホッケーも有った気がするなぁ。それと、ビリヤード台も。

 古き良きアメリカ?

 まぁそんなとこかも知れないね。

 よく分かんないけど。ははは。


 琉璃がさ、建物の中に何の躊躇もなく入って行くもんだからさ、僕ももう心を決めてさ、どうにかなるさ、って、琉璃に続いて入って行ったさ。ドキドキしながらね。


 琉璃は入ってすぐに、ぐるっと辺りを見回して、それからぬいぐるみを抱えた手と反対の右手を挙げてさ、その視線の先にいる二人に、大きく手を振ったよ。

 そこに居たのは、白人の大男と、小っちゃくって、琉璃に少し似た日本人の女の人。

 でも、その女の人は、琉璃よりは年上だってことはすぐに解かって、それが琉璃のお姉さんだってことにも直ぐに気付いたんだ。

 うん、そう。たまに絵葉書が来る、アメリカに住んでる君のおばさん。

 君は会ったこと・・・、いや、一度あるはずなんだけど、まだ君が1歳にもなる前のことだから、覚えてないよね。


 おばさんの話、するかい?

 いいの?

 うん、じゃあ今度ね。

 そうだなぁ、おばさんの人生も波瀾万丈なんだと思うよ。

 おじさんは・・・。もう亡くなってるんだ・・・。

 うん、分かったよ。今度だ。

 今日はママと僕の話だね。


 僕は琉璃にさ、二人を紹介されたんだ。

 いや、僕が二人に紹介されたのか?

 どっちでも良いか。

 お姉さんには日本語で、大男、マイケル、えっと、本当はドイツ系で、正式にはミヒャエルって言ってたかな、呼ぶときはマイクって呼んでた。

 その時マイクは、琉璃のお姉さんの婚約者。まだ結婚前だったよ。半年後に結婚するって言ってたかな、確か。


 そのマイクに僕のことを紹介する時、琉璃は、当たり前だけど、英語で話すもんだから、何を言ってるんだか、僕にはさっぱり分からなかったよ。

 それでもマイクが話を聞き終るとすぐにさ、僕に向かって「Hey Yutaka Very nice to meet You」って言って、ハグしてきた。

 僕にだってそれくらいの英語は聞き取れたんだけど、それよりも、生まれて初めてのハグに、どうしたら良いのか分からなかったよ。

 そして、鮮明に覚えてるのは、バカみたいなんだけど、マイクの香水の匂いが、凄くきつかったことかな。はは。


 そう、マイクおじさんはもう居ないけどね、君にはアメリカにおばさんが居るんだよ。琉花るかおばさん。

 うん、今度、帰ったら、琉花おばさんからの絵葉書、全部、君に渡すね。

 でも、一応、場所は教えておくよ。

 僕の書斎の机の、一番下の引き出し。

 そうそう、鍵の掛かってる引き出し。あ、でも、今は鍵は掛かってないからさ、今日帰ったら、開けてみても良い。

 大丈夫だよ。

 本当は、鍵を掛けるほど大事な物とか、秘密の何かが入っている訳じゃないんだ。

 ただ何となく・・・。

 ただ、何となくさ、鍵を掛けとかなきゃ、溢れ出しちゃいそうで・・・、今までちょっと怖かっただけさ・・・。

     ◇




 琉花おばさんたちと別れてさ、カーニバル会場に戻った僕らは、ちょうど戻ったところで、ステージでカントリーライブが始って、僕らも芝の上に座って、そのライブを聴いたよ。

 何て言えばいいんだろう。

 さっき君が言ってた、古き良きアメリカ? そんな感じなのかな、楽しいライブだったよ。


 ライブが終わって、琉璃がまた僕の手を引っ張って、今度はさ、カーニバル会場内なんだけど、その一番端の少し丘になってるところまで、僕を連れて行くんだ。

 その頃には、もう僕は凄くリラックスしていたと思うよ。

 だってさ、基地内に知り合いが居てさ、隣には英語ペラペラな琉璃が居るんだ。

 もう不安なんてものは、どこかへ吹っ飛んでいたさ。


 丘の上に辿り着いたところで、急に会場の照明がさ、ほんの一部を除いてね、バンって消えちゃったんだ。

 えっ、こんな時に停電か?って驚いて辺りを見回すんだけど、暗いからその周りだってよく見えやしない。

 逸れないようにって思って、握っていた琉璃の手にギュッと力を入れたら、琉璃もギュッて握り返して来て・・・。

 その時、目の前がパッと明るくなって、そこに大きな向日葵みたいなオレンジの光が広がったと思ったら、後追いで音がドーンって・・・。


 それから二発目、三発目の花火が上がって、僕は琉璃を見たんだ。そしたら、琉璃もやっぱり僕の方を見ていて、そして微笑んでた。

 琉璃は、少し遠い目をして花火を眺めながら、「綺麗ね・・・」って言ったんだ。


 そして、そんな花火の光に映し出されるママの横顔は、本当に綺麗だったよ・・・。


 花火の後、まだ灯りが再点灯される前の暗がりの中で、君のママと、初めてのキスをしたよ。


 そして僕は、正式に、君のママに交際を申し込んだんだ。


 そりゃあもちろん、ママは笑顔で応えてくれたさ。


 あ、そうだよね。そうそう、その日の初めは、まったくそんなことになるとは、思ってもみなかった。


 ああ、一緒に行った他の仲間たち?

 うん、そのあと上手く合流出来てさ、帰りはGateまで一緒に帰った。

 Gateを出たあと、何だか皆に冷やかされる感じで、また二人だけにさせられちゃって、僕と琉璃は二人だけでタクシーに乗って帰ったよ・・・。

     ◇




 疲れたかって?

 いや、そんなことはないよ。大丈夫。


 そうかい?

 じゃあ、この先はまた次回にする?

 ああ、分かった。


 そうだね。そうしたら、次は君が生まれた時の話をしようか。


 ああ、僕も楽しみだ。


 うん、じゃあ、おやすみ。

 また、あした。


 気を付けて帰るんだよ。


 うん、大丈夫だって。心配ない。


 ああ、じゃあ・・・。

     ◇




 最期に、少しだけだったけど・・・もっと聞きたかったけど・・・、でも、少しだけでも、聞けて良かった。

 パパは、ママを愛していた。


 父が昏睡状態になってから、一度だけ記憶が戻ったあの日、父が最後にしてくれた、パパとママのおとぎ話。


 手の施しようのない脳腫瘍を患っていた父。

 その病状が発覚してから、既に余命は半年と宣告されていた。

 分かってはいたことなのだけれど、次の日から再び眠りに落ちた父が、再び目を覚ますことは無かった。


 ――開けて良いよ

 そう言われてはいたものの、その三カ月後に父が亡くなるまで、彼の机の引き出しを開けることが出来ず、葬儀が終わり、初七日が過ぎて、漸く決心がつき、その引き出しを開けることになった。


 引き出しの中には、伯母からの絵葉書、古いアルバム、日記帳、それから、恐らく昔、母が父宛に書いたのであろう手紙・・・。

 やっぱりパパは、ママを愛していた。


 母は、私がまだ幼かったころに、病気で他界していた。

 私はあまりにも幼かったため、生前の母の記憶も殆ど無ければ、亡くなった時のことも覚えていない。

 そして父は私に、あまり母のことを語ろうとしなかったし、今も沖縄で暮らしているであろう母の実家の人々や、親戚の話もしなかった。


 父の葬儀に沖縄から訪れたのは、亜由美おばさんだけだった。


 葬儀の翌日、私は夫と共に、空港まで亜由美おばさんを見送りに来ていた。

琉美子るみこちゃん、あなたのお父さん、誤解されてただけなのよ。琉璃が望んだの、勇孝ゆたかさんに付いて行くことをね。それでも、それを、勇孝さんが無理矢理に琉璃を連れて行ってしまった、そんな風に思われちゃって・・・。ほら、上の琉花さんもアメリカに行っちゃったし・・・。そして琉璃は、こっちに来てすぐに病気になっちゃって・・・、沖縄に戻ることも出来ずに・・・。だから余計に・・・」

「そうだったんですね・・・」

「ええ、そうなの。だからね、あっちのお父さんもお母さんも、あっ、あなたにとってはオジィとオバァね、二人とも、あなたには会いたがってるの・・・。でも、お互い、勇孝さんも琉璃のご両親も、ねぇ・・・」

「・・・・・・・・・」

「ねぇ、落ち付たら、沖縄に遊びにいらっしゃいよ。いきなり琉璃の実家に行くのも何でしょうから、先ずはうちに来ると良いわ。旦那さんも一緒に、どお? ね、そうなさいよ。落ち着いてからでいいから」

「良いんですか?」

「良いに決まってるじゃない。ね、うん、そうしましょ」

 私がその好意に甘えていいものかどうかと迷っていると、夫が先に口を開いた。

「では、是非、そうさせて下さい。私も、琉美子のルーツが知りたいので。ね、琉美子、甘えさせて貰おう」

「え、ええ、そうね。それじゃ、おばさん、また追って連絡しますね。宜しくお願いします」

「そんな畏まらなくていいのよ」

 亜由美おばさんはそう言って、飛行機に乗り込んでいったのだった。


 葬儀から初七日までは、実に慌ただしく過ぎていった。

 そして初七日法要の後、私は夫にお願いして、一緒に父の引き出しを開ける決心をした。

「良いのかい? 俺も一緒で」

「ううん。一緒に居て欲しいの」

「そっか、分かった」


 古いアルバム、絵葉書、手紙、日記帳・・・


 悲しい訳ではない。

 それでも、視界が滲む。

 溢れてくる涙を、止めることが出来ない。


 父と母、二人だけの思い出を、父は、ずっとこの引き出しに仕舞って・・・

 溢れ出さないように・・・


「ねぇ、やっぱり、パパは、ママを愛していたんだよね。本当に、本当に、愛していたんだよね」

「そうだね。お義父さんは、ずっと、お義母さんのことを・・・」

 私の肩を強く抱きしめてくれた夫の声も、震えているのが分かった。

     ◇




 3月14日、私たちは那覇空港に居た。

 帰りの飛行機を待つために。


 見送りに来てくれていたのは、亜由美おばさんとオジィとオバァ。

「もう少しゆっくりして行けば良かったのにさぁ」

 そう言うオバァに私は答える。

「うん、でも仕事もあるし。それに、明日はお母さんの命日だからね。寂しがらせちゃいけないし」

「あい、琉美子はとってもいい子だねぇ。それじゃ、琉璃にもオジィとオバァから宜しくって伝えておいてね」

「ええ、分かった」

 亜由美おばさんの執り成しもあったのか、3日間の間に、殆ど初対面とも言うべき祖父、祖母と打ち解けることが出来、笑顔での別れとなった。

「じゃあ、また、遊びに来ますね」

「うんうん、いつでもいらっしゃい。めんそーれ、さぁ。あれ、めんそーれって、分かるかね?」

「分かりますよ、それくらいは」

 私たちは3人に手を振り、飛行機に乗り込んだ。


 飛行機の窓から見下ろす、沖縄の青い海。


「ねぇ、あなた。夏に、また来ない?」

「え? 良いけど、どうしたの、急に」

「うん、パパとね、約束してたんだ。7月4日、沖縄に行こうねって・・・。パパは居なくなっちゃったけど、あなたと行きたいところがあるの・・・」

「それは何処?」

「ふふふ、それは秘密です・・・お楽しみってことで」


 私はもう一度、窓の下の青い海を眺める。





           おしまい

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