もう、大丈夫だよ。
@_kyama
進め。
「あっいた、お久〜!5年ぶりだっけか。相変わらず髪の毛短いねぇ、私長かった時の方が好きなんだけど。」と言っては駅前で手を擦り合わせる僕のところにポケットに手を突っ込んだ碧唯が駆け寄ってくる。僕は彼女の言葉を5年ぶりとは思えないほど綺麗に無視して、「カラオケでいい?」と彼女の顔を覗き込み歩き出す。僕は県外の高校に通っていたため、駅から家までの往復で使わない道を通るのは随分久しぶりだ。碧唯は「あ!そうだ!どうせカラオケ行くなら中学校の前通っていこうよ。」なんて声を弾ませ、手を引いて走り出す。向かう途中に当時はあった大きいスーパーが無くなっていて「スーパー無くなってるの、全然気づかなかった。」とびっくりすると碧唯が、「あれの代わりにでっかい工具屋さんできてたよ。結構衝撃だよねー。」と笑っている。懐かしいね、と二人で真っ暗な校舎を見上げては、中学の時の思い出話を二人で大笑いしながら思い返す。当時の校長先生の口癖、生徒会の選挙をする時の公約の謎のスケールのでかさ。そして結局達成することなく卒業していく先輩たち。たったの5年しかたっていないのにこんな何気ない会話一つ一つに哀愁を感じてしまうところが年かなぁ、といっては口角を上げまた笑い始める。学校の門の前で一礼してから、そうこうすれば直ぐに夜間フリー割引中と書いた横断幕がぶら下がる怪しげなカラオケが顔を覗かせた。手短に手続きを済ませ121号室に入ると、僕はオレンジジュースを、彼女はHCをサーバーから注いだ。
突然だが、僕は明日で20歳になる。今がちょうど午後九時半だから、正式にはあと二時間半くらいだ。僕の記憶が正しければ成人年齢が下がって早二年が経つ。ついに僕もお酒が飲めるようになるらしい。ネットの掲示板とかを見ているとお酒を飲んで人格が変わってしまう人は悲しいことに一定数結構いるらしい。症状は様々で泣いたり、怒ったり、笑ったりする人やひどい場合には殴りかかったりキスしたりする人もいるんだとか。怖いなー、ってことで初めてお酒を飲むときは碧唯に居てほしい。そう思い彼女をここへ呼んだ。彼女になら万が一「あの事」を告白してしまってもいいだろうと思ったからだ。実を言うと、碧唯に「あの事」をお酒の力を借りてでも告白してしまいたかったのが本音だ。
そこから日付が変わるまではあっという間だった。懐かしい学生時代を代表する歌を二人で歌っては、何とはなしにどちらかが「そういえばあんなことあったよね。」と語り始める。二時間半は瞬く間に訪れ、僕は生まれて初めてジョッキに入った並々のグラスを手に取った。喉を鳴らし、口をジョッキにつけた瞬間、碧唯が「急に呼び出してきたのは意外だったな。私が遥の記念すべき最初のお酒飲むときに一緒にいていいの?」と言う。僕は一飲み分を口に含んだまま、素直に「別に何もしなくていい。ただ、僕の長年募らせていた思いを碧唯には聞いて欲しかったんだ。その、碧唯には聞き手になってほしくて。いいかな?まぁ、長くなるから気楽に聞いてよ。」と言った。
時はさかのぼること6年前。
中学二年生を迎えた春、僕は旧クラスに久しぶりに赴いた。大掃除してから特に部活動で使われた形跡もない1年5組はやはり賑やかだった。久しぶりに友達に会えた嬉しさで舞いあがる学園行事に全力で取り組む系の人間、再び始まる友達作りに暗い表情を浮かべる女の子たち。そして、新年度が始まり鬱状態になってうつ伏せて居る人。その他のぼーっとした人の中に僕はいた。正直このクラスが楽しかったかと聞かれたら悪い思い出がなかったわけでもないので楽しかったと答えるが、別にこのクラスには未練はない。一年間テストがあるたびにお世話になった廊下側の席に腰を下ろそうとすると、カチカチカチカチという懐かしいシャーペンのノック音も聞こえてくる。これは後ろの席の矢口が奏でている。懐かしいなと彼女等の音に耳を傾けながら、頬杖をついて教室を見まわす。少し埃っぽくなった教室、なぜか教室の床の隅にできた大き目の穴、そこにごみを捨てていたのか少しはみ出ている誰かの計算用紙、もう見ることもないのかとしみじみとした気分に浸りながら僕は担任の田並先生が来るまでの時間を優雅に過ごしていた。小学校のチャイムが聞こえるほどの距離にある僕の中学校、あと、家。スーパーも近くにあるし、ぶっちゃけ生活圏には自転車があれば十分すぎるほど十分だ。近所のスーパーを見つめながら今日は昼頃には終わるから帰り路はコロッケの匂いやばいだろうな、とおなかを抑えているとからからと自席のすぐ傍にある扉が音を立てて開いた。田並先生はいつも通り何を考えているのかよくわからない顔で「席に着けー。」と頭を掻いた。僕の前を通るとき久しぶりに田並先生が大好きなたばこの匂いがした。僕は反射的に裾で鼻を覆い、先生を目で追った。先生は教室を一瞥すると元気にしてたかーとか先生もお前らに会えてうれしいぞーとか毎学期帰化されるようなことをつらつらと並べた。先生ももちろんこのクラスがそわそわと目線を泳がせていることには十二分に気が付いているはずだが、まったく気にしない素振りでプリントだの健康用紙の更新表だのを配っている。クラスがそんな雰囲気なもんだから僕までそわそわとしてきて目を伏せた。すると先生は唐突に「はいじゃあ、一番の荒木は2組な。」とか言い出すものだから大騒ぎだ。あちこちから、「一緒がいいね~!!」とか「離れても仲良くしてね。」なんてセリフが飛び交う。イケメンや美女の時にはクラスが静まり、数秒後どこからともなく「やった。」なんて声が聞こえる。幸せそうでいいですね、と思いながら僕のクラスを聞くと「32番、八倉、5組」と三秒ほどで僕の一年が定められた。5組は僕の学校の端っこのクラスで大抵静かなクラスか騒がしすぎるクラスという極端なイメージであまり好ましいとは思えない。前の人の中で誰が同じクラスなのかなんて僕が覚えているはずもないが、後ろで僕の名前の後に呼ばれた矢口も5組で少し安堵を覚えては息をついた。
体育館での長い長い校長の話を乗り越え、新しいクラスへと足を踏み入れる。これから始まる一年に恐怖を感じゆっくりと教室を見回した刹那、僕は一目惚れした。春の暖かい日差しで反射した真っ黒な髪の毛に一瞬で目を奪われた。彼は教室の真ん中の列の真ん中に座っていて、前の席の男の子と何やら熱心に話し込んでいた。目にかかりそうなほど長い前髪と不織布のマスクで顔が見えたわけでは無かったが、とにもかくにも今後6年間この人に人生を狂わされることになる。目線を彼に合わせたまま廊下側の教室の隙間を縫うように歩き、矢口の前の席に座る。どうやら今回は「た」から始まる名前の人が多いようで、矢口のあとは吉田という静かそうな男の子が一人座っているだけだった。「今年もよろしく。」とシャーペンの頭をカチカチ鳴らし続ける手を止めて顔を上げた彼女と目を合わせてはこちらも「あ、うん。よろしくね。」と社交儀礼を交わす。担任はあまり評判がよくない水城先生だが、このクラスは静かそうだし大丈夫だろうな、と考えたのち塾の課題を確認する。いや、正確に言うと確認するふりをして彼の方を凝視していた。矢口に話すために振り向けば彼が視界に入る。真っ黒な髪の毛は柔らかそうで撫でてみたいな、と衝動的に思った。寝癖がついていて、本当にだらしない恰好をした君に僕は心の底から笑みがこぼれた。ちょうどその時矢口は大好きなシャーペンが壊れたと熱弁していたらしく、代償として矢口からサイコと呼ばれることになってしまったのはまた別の話。
そこからは一日の繰り返しを淡々とこなした。「あのさ、」の一言も、給食を配ってもらった時に「ありがとう。」とたった一言返すことも出来ないまま、一年はあっという間に過ぎていった。「あ」と言う間ではなく「あ」と言おうとも思わなかった。言うべきイベントも発生しなかったし、高校と違ってスマホを持っていくことはできないから、最大の理由は自分が弱いせいで手も足も出せなかった。そんな一年だった。むなしい気持ちを胸に抱きながら「3」月「21」日と書かれた黒板を見つめる。今日は終業式で僕はこの日のために一か月程前から緊張しすぎて食べ物がほとんど喉を通らなくなっていた。食べても胃まで届かない感覚が気持ち悪くて、食事量はさらに減った。一言も話していないわけでは無いけれど、中身のある話なんて全くしたことがないので振られる前提。絶対叶わないけど僕にだって人生がある。無駄な恋を続けたくはないのだ。このまま見つめ続けるなんて短い人生を謳歌するつもりの僕には一番邪魔な感情だ。だから、だから、僕は今日彼に告白をする。終わりにする。そう思って聞いた校長の話、春休みが始まるに伴い保健の先生が話す聞き飽きた注意喚起。今まで長くて早々に寝息を立てていた僕はこの学校でただ一人「一生終わらないでくれ。」と念じていた。そんな思いもむなしくいつもより5分だけ延びた在校生のみによる終業式も終わり、僕はどさくさに紛れて彼の服の裾を引っ張った。「放課後、理科室前の階段の踊り場で待っています。」と目を伏せたままスパイの密輸のように早口で告げた後、手を離し矢口のところに走っていくと、彼女は「何?告るの?」と眉を顰めた。黙って首を縦に振ると、彼女はふぅん。と神妙そうに頷いてはこの一年で何回目かわからない程聞いたほんとこのシャーペン丈夫でお気に入りなんだ〜って彼女が一番お気に入りのシャーペンを握らせてくれた。彼女なりに緊張を解してくれていたのかな、と今では思う。現にその時彼女のシャーペンの無機質な冷たさに、僕はとても安心した。彼は終礼が終わってから十五分以上待たせたわりにしぶしぶ現れた。僕は一人ぼっちにも飽きたし、諦めて帰ろうとしていたのだけれど、彼も一人でそこへ来てくれた。それだけでこみあげてくる涙をのみ、僕は待たせるわけにもいかないので口早に「あのね、」と切り出した。彼に放った初めての「あ」は皮肉にも終業式後の告白であったのだから、世も末だ。「田中君のこと、始業式の日から好きでした。」と近くで目を見て、優に一分はかけ絞り出した一文は静かな階段に溶けていった。こんな近くで田中君の顔を見られるのは最後かもしれないんだぞと彼の顔をまじまじと見つめていると彼は「ごめん、俺好きな人がいるから。」と頭を掻いて断ってくれた、それだけならよかったんだけど。実はもう一言僕は彼の言葉をマスク越しに聞いた。本当に僕等にしか聞こえない声で「あと、俺実は女の子は恋愛対象外なんだよね。ごめん。」というと彼は頭を下げて申し訳なさそうに去っていった。分かっていた。好きな人がいることも知っていたし、誰かまでは知らなかったけれど、自分に脈があるって感じたことなんて微塵も無かった。でも、それはないじゃん。話したことなくても、これから知っていけばいいじゃん。異性は恋愛対象外だって決めつけちゃったら、一年、十年、百年、垢抜けしようと頑張ったって、友達増やして性格明るくしたって、生まれた時点で田中君と二人で寄り添って生きられる甘い世界線切れていたんだね。と泣くよりも拗ねに近い感情で春の足跡がする暖かい空気の中通学路を辿った。涙は意外と出ないものだなと妙に感心したが、その日の晩久しぶりに食卓に並んだハンバーグを頬張りながら号泣したあの日は忘れられない。
カチカチカチカチ。そこまで言ったところで規則的な音にふっと我に返る。碧唯が「あー、長げぇ、んなこた知ってるよ、とっくに。」と大きい口で豪快に笑っていた。僕もつられて笑っては右手でジョッキを掴み苦いビールを再び少し口に付けた。初めて飲んだアルコール飲料は酷く苦い味がした。一筋の涙が伝っていることに気づいたのは碧唯が肩をさすってくれてしばらくたってからだ。私が言わなきゃいけないことはまだあるのに、こんなところでめそめそしてはいられない。そう思い口を開いた。「私はね、早く解放されたいの。碧唯もそうなんじゃないかなと思ってこのタイミングで碧唯を呼びました。碧唯は出会った時からシャーペンノックしていたよね。きっとそのシャーペンには思い出がたくさん詰まっているんだろうけど、一緒に成人してくれないかな。私、我儘でごめんね。」そういって頬を伝う涙を拭くとメイクがぐちゃぐちゃになった顔で隣で静かに頷いてくれていた碧唯を見つめる。彼女は存外あっさりした顔で「あっそ、じゃあこのシャーペンはずっと遥が持っててよ。あと、誕生日おめでとう。」と照れ臭そうに笑うので、私もつられて笑い静かに頷く。そして私達は「乾杯。」とコップの中に入ったドリンクを揺らし私は再びジョッキに口をつけた。
くっそ、なんでこんなになるまで飲むかね、と熟睡した「彼女」を横目にポケットに手を入れる。そこにはずっとあったシャーペンはどこにもなく、嬉しいような焦りのような感情を覚える。私は矢口碧唯。隣で眠りこけているこいつは中学生の時私の唯一友達だった、八倉遥。彼女との出会いは入学式。髪も結ばず慌てて飛び込んできては息を荒げている彼女の襟に、一枚の桜の花びらが挟まっていた。その時私は酷く人と関わることを苦手としていたので、すぐさまシャーペンをポケットから取り出しノックしまくった。すると彼女はすぐ振り返って不思議そうに首を傾げた。私は赤面しながら「あなたの首に、桜の、花びら、ある。」と言うと彼女は太陽のようにやさしい笑顔で「えへへ、ありがとう。」と首元に付いた花びらをつまんだ。それが彼女との出会いだった。そこから私は二年間彼女の背中を守ることに学校生活を徹した。初めはただ背中を見つめる一年間、中二の時は正直結構大変だったな。始業式の時点から彼女は私に積極的に話しかけてくるようになったし、お互い中一の時は友達なんていなかったから彼女が田中のことを好きになったことには遥の視線の先を見ればすぐに気づいた。鈍感な私でも分かったくらいだからクラスのみんな気づいてたんじゃないかな。私には田中のどこがいいのかさっぱりわからなかったけれど、恋という感情を知った彼女を羨ましいなと見ていた。告白するのがわかった終業式の日に田中の腕引っ張って階段下まで連れて行ったのも私なんだからね?感謝しなさいよ、と一人カラオケボックスで呟く。三年生になりクラスが離れることで自然に消滅した私たちの仲。彼女は身なりを男に寄せていった。振られた理由を知っていたからこそ廊下で彼女と通り過ぎる度に胸が張り裂けるような思いを感じていた。だって、田中が言ったことが本当かなんて田中にしかわからない。それなのにどうしても諦められないという彼女を見て居られなかった。彼女は告白に行く直前、「これで終わらせるんだーっ。」って嬉しそうな顔していたのに、彼女にとって本当に辛いのはそこからだったんだな、なんて今日五年たっても短いままの髪の毛の彼女を見て感じた。絶対に振り向いてくれない彼を目で追う彼女の傍に居てあげたかった。当時そんな悔しい日はシャーペンをノックした。初めて会った時彼女が振り向いて笑いかけてくれたように、今の彼女も笑いかけてくれないかななんて。馬鹿馬鹿しいと思いながらもひたすら芯の入っていないシャーペンをノックした。結局彼女とは高校が離れてそれっきりだった。田中とも違う学校に私は通っていたため、あれから田中に恋人ができたのかはいまだに謎のままだ。やっぱりまだあのシャーペン使ってるのばれてたんだな、遥には。と思い苦笑する。私はこのシャーペンに依存していた。辛い時はノックすれば落ち着くような気がするし、シャーペンのノック音で遥と会話している気分になったりしていた。遥の依存先は田中だった。直接そう言われたことは告白したあの日以降ないし、中世的ではあったが遥はメイクも始めていた。でも私は遥が髪の毛をマッシュにし続けている間は好きだろうなと確信していた。高校入学というイベントの後、人の外見や性格は案外変わってしまうものである。それでも心の核さえ変わらなければ人は変わらない。もちろん、良くも悪くもだ。
「もーほんとに、成人と同時に髪を伸ばし始めるなんて遥もロマンチストだな、呆れる。せっかくカラオケ来たんだし私はもうちょいなんか歌うか。」と早口でまくし立てては、頬を叩く。気づいた時にはデンモクに中学生の時からずっとなぜかよく聞いている有名すぎる失恋ソングを入れていた。「あなたが恋に落ちていく。その横で私はそっとあなたに恋をしていたの。」テレビ画面にぼうっと光る歌詞を見つめながら涙がこぼれる。こんな感情移入する曲だっけ。とか、まさに当時の私じゃんとかいろいろ思っていたらもう止まらなくて。物心ついてから声を出して泣いたのは随分久しぶりだった。たまらず演奏中止を押しては遥を揺さぶる。「はよ起き。バースデーガール。いつまで寝てんの。もう帰るよ。」
これは私達の「あ」と言ってからすべて終わった長いようで短いアオイハルの物語。
もう、大丈夫だよ。 @_kyama
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